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2.油淋鶏と中華そば

Aвтор: 神木セイユ
last update Последнее обновление: 2025-10-25 16:00:00

「まぁ、お巡りさん」

 件の事件から数日後、二人の刑事が八本軒を訪れていた。

「刑事課の鏡見と」

「柊と申します ! 」

 どちらも若い刑事だ。有り余るエネルギーを制服で抑えているような印象。

「店主の黒月  紫麻さんで間違いないですか ? 昨日の崎森の自主の件で、もう一度経緯をお伺いしたいのですが」

「ご苦労様です。どうぞ、暑いので中に」

「あ、お気遣いありがとうございます」

 警察署から近い立地だ。勿論二人もこの店を知っていた。

 だが、実際に入店したのは初めてだった。

 店内には客がいない。

 現在は16:00。

 八本軒は15:00〜17:00までは中休憩がある。

 紫麻は仕込みの手を止め、鏡見と柊をテーブル席へ案内し冷水を差し出す。

「外は暑いでしょう。温暖化は深刻な問題です」

「ええ〜。もう本当に真夏は日差しが強いですね」

 柊がケラケラと話す。

 一方、鏡見は仕切りに指で背広の胸元を擦りながら、銀縁眼鏡の鋭い瞳で店内をチラチラと観察。神経質そうな男──というのが、世間一般での鏡見の印象だろう。

 鏡見がふと、雑誌置き場にある風変わりな物に目を止めた。紫麻はそれを敏感に察知し鏡見へと話を振った。

「春画は違法ですか ? 」

「え ? あぁ、少し気になっただけです……。

 あ……。まぁ。ここは食堂なので似つかわしくはないかと……見方によっては猥褻物になる可能性もありますが……。

 いや、しかし春画は文化的なものですからね……どうでしょう」

「これは残念な事なのですが、この店にはお子様連れのお客様は滅多にいらっしゃらないので、つい。

 配慮が足りませんでしたね。すぐ別な場所に移動しますので」

「え、ええ。でも、凄い量ですね」

「常連客の方で、お読みになる方がいますので。芸術的観点で興味があるようです」

「そ、そうですか。

 ところで黒月さん、実はこの女性はご存知ですか ? 」

 鏡見が懐から一つの写真を取り出す。

 紫麻は即答した。

「一ヶ月程前にここへ。夜間は二十二時まで営業しています。閉店の頃、暖簾を下げようと外に出ましたら、裸足で立っていらしたので驚きました」

「それで、食事を ? 」

「どう見ても異常ですので。食事を提供してご家族の相談をお聞きしました。その後、通報を」

 紫麻には物事を異常か正常か判断する責任能力はある、と鏡見と柊は受け取る。だが紫麻との会話はどこか機械的で、まるでAIと話しているよう。いや、AIの方が余程人間の感情に寄せた表現をするだろう。

「そうですね。彼女は聞いた通り、家庭の事情がありまして。今は安全な場所にいます」

「まぁ。それは安心しました」

 紫麻が微笑む。

 その表情は貼り付けた笑みのように鏡見の目には写って仕方がない。

 店内の提灯の朱色と裸電球の暖かみ。束になって下がった真っ赤な鷹の爪と倒福(ダオフー)のタペストリー。

 まるでこの店だけ別世界のように静かだ。

 生活感の無い空間でもある。御手洗のドアの隣、重厚な木枠に曇りガラスの付いた引き戸があった。恐らく二階へ続く階段だ。

「二階は御自宅ですか ? 」

「ええ。多少狭い方が落ち着きます。シャワー室とベッドだけで生活には十分です。少し湿気が気になります。水は好きですが、服が痛みますので。喉の調子はいいです」

「あ、いえ。同居されてる方とか、お子さんは ? 」

「いません。募集中です。ふふふ」

 噛み合わない会話。

「……」

「……」

 鏡見も柊も何か紫麻の空気に飲まれそうになる。話し方も丁寧だ。表情や仕草にも緊張が無い。だが、この独特なやり取りに違和感しか感じない。

 柊は興味津々という面持ちだが、鏡見は眼鏡を押し上げ、会話を切替える。

「この方もご存知でしたか ? 」

 紫麻はまた差し出された写真を一目見て、すぐ頷いた。

「はい。大分前ですが、一度だけ夜間お食事に来られました」

「飲みに ? 料理も ? 」

「紹興酒一杯と日本酒三合。料理は油淋鶏と中華そばを注文されました」

「そうですか。ここってメニューも沢山ありますし、値段も破格ですよね〜。

 あれ、俺『エビチリ』が好きなんですけど〜、無いんですか ? 」

 柊がメニュー表を覗いて楽しそうにしている。紫麻は壁に貼った手書きの注意書きを指差す。

『店主 アレルギーにつき、海産物の取り扱いは行っておりません』

「なんだぁ。残念です〜。でもこの中華そばは美味そうですね」

「ありがとうございます。是非お食事にいらしてください」

「ええ。そのうち。柊、あまりあちこち弄るんじゃない。

 では、わたしたちはこれで失礼いたします」

 帰ろうとする鏡見に紫麻が少し驚いたように頷く。

「そうですか。 ???  何かお聞きになりたいのかと……」

「いえ、崎森が本当にここへ立ち寄ったか。それだけの確認でしたので」

「そうでしたか。お気を付けて」

「ええ、冷たいお水生き返りました ! ありがとうございました ! 」

 鏡見と柊が店から出ていくのを見届けた志麻は、テーブルのグラスを盆に乗せると、小さく舌打ちをするのだった。

 □

「もっと聞かなくて良かったんですか ? 」

「何て聞けばいい ? この店から保護した人間や自首した人間が何人もいるのが不思議。更にその身辺で殺人事件が勃発してる、とか ? 」

「でも殺人事件の司法解剖では、必ず胃の内容物に中華料理が入っているって聞いたじゃないですか ? 被害者は皆んな繋がりがないのに、殺害の手口は同じ……」

「それだけでは証拠にならないだろ。

 せめて、ダイオウイカのようなデカいタコ足を卸してて、そのタコ足で犯人達の首を絞めました……とか、言ってくれればいいがな」

「タコ足の想定は……係長に怒られましたね……」

「食材にそんな強度は無いからな。だが現場の『ヌメり』は確かに生物由来の粘液らしい」

「……あの春画もなんなんでしょうね。もう、あの美人が、タコフェチの殺人鬼って線で捜査したいです」

「……そんなわけないだろ……。

 とにかく根拠も無しに、これ以上は踏み込めん。何か他を洗おう」

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