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3.春画と神父

last update Date de publication: 2025-11-09 16:00:00

翌日。

早朝から仕込みを初め、それが終わり次第、十一時の開店まで紫麻の休憩時間だ。

『夏休みの学生さんが多いですね〜 ! 最高気温も三十五度越えですよぉ〜 ! 』

『暑そうですね〜 。CMのあとは、熱中症対策グッズの紹介 ! 今年はアレが目白押し〜 ! 』

この時間に遅めの朝食を摂り、ワイドショーを観ながら新聞を読むのが日課だ。

『高齢者住宅での殺人事件』

『面識なし、押収したスマートフォンから闇バイト仲間であった可能性』

『二日前に自主した崎森被告の共犯か、捜査滞る』

『「旅行中で良かった」と家主の夫婦がコメント』

「〜〜〜♩♩〜〜っ♩」

「随分ご機嫌じゃないか」

開店前の店内。L時型カウンターの一番影になるような席に男がいた。

大通りにある教会の神父である。

老齢で白髪と無精髭。ローマンカラーを付けたままのカソック姿。

常連を極めに極めたこの男は神父でありながら、開店前から酒を浴び、趣味の春画を眺めている。

「お腹が満たされたからな。気分がいい」

紫麻は唯一、この男にだけは素で付き合える間柄だ。先に自宅で読んで来た新聞の内容を思い出し、神父は紫麻へ声をかけた。

「カシエル……どうせ食うなら綺麗に食えばいいんだ。なんで食い散らかすかねぇ。昨日ここに、刑事が来てたろ ? 」

「美味しい部分だけ食べたいんだ、ヒズキエル。それに今は紫麻と名乗っている」

「俺もその名はもう名乗れねぇんだよ。今は人間、鹿野 敦夫だ。

長いな、俺たちも。人の世界に堕ちてから……」

紫麻は紙タバコに火を付けると、紫煙をくゆらせて新聞に視線を落としたまま。

「人間のルールは守るさ。

けれどわたしはこう考える。悪質な者は滅びるべき、とな。特に海にゴミを捨てるような者は特にだ。何故なのか、ゴミの不法投棄で人を殺していい法律は無いらしい」

「当然だろうが。ポイ捨てだけで死刑にしてちゃ人間絶滅しちまう。軽犯程度のゴミの罰則はあったりするけどよ。実際、みんなやるよなぁ」

「だから自分で判断するだけ。なにも見境なく食ってやろうとは思っていない。

この身体だからな。陸にいるのはとても負担が大きいから、人を喰わない訳にはいかない……。堕天使の成れの果てだ……」

「俺も現状、神を知る元天使だぁ。人間に紛れ、神の専門家をしながら、ここで大酒を飲む。人間からすりゃあ、詐欺だよなぁ。神の存在を悪魔になった山の神が説明してるんだから。

だがこうも言える。神を本当にいると知っている、となぁ」

「物は言いようだ。ここで飲んだお金は払って貰いうからな」

「日曜礼拝の後にまとめて払うさ。それまで教会で余ったワイン持ち込みするからよ」

「……日曜礼拝で……信者が来ているのを見たことがないが。だから余るのでは ? 」

「 つまり、人間の世界で上手くやっていこうぜ元相棒、って事だ」

カシエルとシズキエルは大天使 ガブリエルに仕えた智天使である。だが今や二人はこの体たらくである。

「海の中も悪くなかった。海は全ての世界に繋がっている。だがあまりにも環境がよくないのだ……あれは耐えられん……」

「山も酷いもんだぜぇ。生活可能域が狭すぎる。どこに住めばいいのか分からん。俺も人は嫌いだが、人肉は食わん。それより酒が飲みたい」

更に人の社会生活をまだよく理解していない二人。神や天使は、即物的で古来からの固定概念が抜けきらない。

人の姿をしているだけの堕天使である。

シュボッ !

「おい、吸うなら換気扇を付けろ。服に匂いがつく。

あと、さっきからタコ足が一本髪から出てるぞ」

「失礼。気を抜くとつい便利であちこち作業するのに腕を増やしてしまう。それで触腕をしまい忘れてホールに来てしまうんだ。

そんなことより、お酒を飲んだ神父が、誰かと会うということの方が余程不味いんじゃないのか ? 」

「特定の信者は来ねぇが、たまに変な団体が来たりすんだよ。俺のカモだ」

「向こうもカモを探しているのだ。

そろそろ暖簾を出すからな。その春画集も本棚からその席の側へ移す。人間からすると猥褻なものらしい」

「はは ! 今どきこれがエロいとは思わねぇだろ。男女はまだ分かるが、大蛸と女の絵はもうコメディだろ」

「何やらそう言う物好きが人にはいるらしいが……他の国では見なかったがな ? この国独自の……HENTAI ? なのかもしれんな」

紫麻が八本軒の赤い暖簾を持ち引き戸を開けると、スマートフォンを片手にした女性が立っていた。

「あ、良かった。営業時間、これからですか ? 」

紫麻の顔がスっと微笑を浮かべて、客をもてなす空気に激変する。

「はい。お待たせいたしました。どうぞ」

二十代後半程だろうか。女性は若々しく、身なりもいい。と言うのは、仕立てのいいスーツを着ている。刑事には見えないが、いかにもなホワイトカラーという出で立ちで、そのせいか地味なメイクで老けて見える──と言うのが紫麻の第一印象だった。

「もしかして休業日かと思って、今検索しようとしてて」

「そうですか。どうぞお好きな席へ。お冷はセルフでございます」

女性は入るとすぐ、人懐こく笑顔でカウンターに掛ける。

「あ、こんにちは ! 旦那さんですか ? 」

開店前にカウンターで酒を飲んでいた鹿野に気付き声をかけた。

「いや、ただの入り浸りだよ。

姉さんこそ、今日は仕事かい ? 」

「はい。大通りの市役所に勤めてて。休憩中、今日は一人になりたくて」

「市役所の方は皆さん仲がよろしいですか ? 」

「はい。すごく ! でも詮索されたくない事もあって……。

休憩中はゆっくり彼氏とやり取りしたいなって」

「まぁ、彼氏。そうですか。どうぞ気兼ねなく」

紫麻が注文を聞く前より先に、彼女はノートパソコンを広げた。

紫麻も鹿野も、それをなんでもない様子で見守るのだった。

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  • 大衆中華 八本軒〜罪を喰う女〜   10.仲間と共に

     八本軒への路地を曲がると、ただひたすらに薄暗く佇む店の看板が見えた。紫麻は小さく溜息をついて帰る。 陽はまだまだ上がったばかり。  本当なら今頃、ワイドショーを見ながら紫煙を燻らせ新聞に目を通している時間だ。  しかし、今日テレビをつけたら恐らく砂北で起きた二つの殺人事件の報道で玲と真子の宇佐美母子が取り沙汰されるだろう。  紫麻としても観たいものではなかった。 玲に関しては干渉はしない。子供を襲う程理性がない訳でなく、真子に関しては玲がいるためだと言い聞かせる。  本来は弱肉強食の海の中で過ごして期間もある神の化身である。我が子を救うために他者を攻撃するのは普通のことなのだと思えてならなかった。 人の世界には法律やモラルがあるそれがある以上、言い訳は通用しない。  更に宇佐美 真子の犯行は自分の娘の一連の流れを知っての行動だ。  本人にとっては喰われて消えてしまいたいと思うような日々が待っているかもしれない。 どちらにせよ、紫麻は海希と顔を合わせるのが憂鬱だった。 赤い看板の下、飾り木枠のある引き戸に手をかけると、厨房の灯りがついていることに気づく。 ガララ…… ! 「紫麻さん ! おかえりなさい ! 」 中で海希が包丁を片手に仕込み作業をしていた。「海希……大丈夫なのか ? 」「紫麻さんこそ。大遅刻ですよ !? 今日もお客さん多いですよ、きっと。  先日来たお客さんが一気にSNSに拡散してました」 カウンターの端には相変わらず鹿野が陣取り、既に出来上がっている有様。そして海希のそばには一人きり、和食屋の調理服を着た背の大きなタトゥーだらけの男が立っていた。「海希さん。また雑になってるよ。最初の玉ねぎと見比べてご覧」「あ、確かに……」「何十個も剥いてると感覚が鈍るけど、お客様が一個目と今手に持っている玉ねぎを二食注文されたら、テーブルの上で一目瞭然になるから。刻む料理ならいいけどね」「はい ! リュウさん、分かりやすいです ! 」 仕込み作業を手伝っているのは向かいの寿司職人、リュウだった。 リュウは紫麻の前まで来るとコック帽を脱ぐ。スキンヘッドの汗を清潔なタオルで拭い、海希を振り返ってから笑顔を見せる。「朝来たら不安そうで。紫麻さんが今日はいるかどうか分かんないって聞いて。  味付けをする事は出来ないけど

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  • 大衆中華 八本軒〜罪を喰う女〜   7.玲の道筋

     賀川と鈴木は砂北保育園からおひさま保育園へ赴いていた。 おひさま保育園は砂北駅から随分離れた海沿いの町にある。 砂北保育園に宇佐美 玲が通園していた時の様子を聴きに行ったが、当時の保育士は一人しか残っておらず、更に非常勤の保育士だった。そこから当時の担任の保育士がいるおひさま保育園へ向かったのだ。 おひさま保育園は地形を利用した活発な子供たちに人気な遊び場のあるのが売りで、今も子供たちは自発的に遊んでいる。園長に仕事を頼み、狭い教員室の中で賀川と鈴木は赤木という女性保育士と対面した。「玲ちゃんの事はすごく覚えてるんですよね。わたしが保育士になったばかりで至らないところも多かったし……可哀想なことをしたなって」「可哀想……とは ? 」 賀川の問いに赤木は肩を竦めて頷く。「いじめです。ああいう物は注意しても止まらなくて。年少さんくらいだと素直に聞いてくれるんですけど、年長さんくらいになると言う事を聞くのは一時だけで。 当時はお母様からもよく面談や相談を受けていましたし」「いじめた児童の親御さんは知っていましたか ? 」「基本的に直接は言わないですね。最初はプリントや参観日なんかに、「最近、お友達同士では使っちゃいけない言葉や行動を見かけています」とそれとなく。改善や自覚がない場合は、似たようなニュアンスで、お迎えの時に伝えます」「なんではっきり言わないんですか ? 」「結構どこもそうだったりするんですけど、今は保護者同士がSNSなんかで簡単に繋がってしまうのでトラブルに発展するスピードが早いんです。伝えたその日のうちにいじめられた被害者側のお母様がネットで晒し行為を行ったりしますので」「なるほど……難しいですね」「基本的にはわたしたちが何とか解決に向かわなければなりません。小さな子供たちですから、分かるはずなんです。 けれど、当時のわたしにその余裕はなくて……。結局、玲ちゃんはそのままヒヨコ組を卒業していきました」

  • 大衆中華 八本軒〜罪を喰う女〜   6.最後の加害者

     その日、千葉 夕非は沈んだ顔で登校していた。 周囲にいた保育園時代からの親友たちが次々と姿を消していたからだ。母親は最初の友人が消えた時、「転校した」と言われた。二人目では遂に「いなくなった」のだと聞かされた。三人目でようやくこの一連の流れが犯罪的な被害を受けていることを知った。 砂北保育園から砂南小学校へ進学した者は男女問わず多い。しかし、消えていく生徒は自分の親友ばかりで何が原因か分からない。 次は誰かと騒ぎになり、しばらくリモート授業による対策が取られた。 そんな時、同級生の宇佐美 玲が逮捕された。 罪状は恐らく殺人か──そんな母親たちの噂が子供達にも伝わる。 その時に気付いてしまった。 女児連続殺人と児童連続殺人は別個の事件である、と警察から会見があった。 児童連続殺人とは ? 消えた男児は千葉 夕非の親友のみだった。女児に関しては分からないが、男児は確実に繋がりがあった。 千葉 夕非は殺された男児が『宇佐美 玲』のいじめに関わった者達なのではと徐々に気付き始めたのだ。 いや、本当は心のどこかで気付いていた。「おはよう ! 千葉くん ! 久しぶりだね」 校門に立つ教員の声に身体が強ばる。「……はよう……ございます」 こうなると、大人の誰もが怪しく見えてしまう。 宇佐美 玲本人なら仕方がないが、彼女は既に外界と遮断されている。 やはり警察の言う通り、犯人が別だとしたら……次に狙われるのは自分だ。 重い気分でランドセルをおろす。「宿題やった ? 」 何も知らない隣のクラスメイトが恨めしくなってくる。「どうしたの ? 」「ちょっと……具合悪くて……」「え ? 保健室行く ? 」「&helli

  • 大衆中華 八本軒〜罪を喰う女〜   5.犯行動機

     宇佐美の浴室の灯りが消え、カーテン越しにリビング、やがて寝室に移動するのがアパートの下から見える。「全く……。海希の顔が頭から消えん……。何だこの気持ちは……」 紫麻の青色のドレスの烏が揺れる。スリットから出た美しい肌が、見る見る間に縞模様が浮き出る。 ゆっくりと茂みに入るとドレスをたくし上げる。 ズル……ズル………… 茂みから紫麻の姿が消える──いや、背景と同化した。ゆっくりとアパートの階段を這いずって行く。 その粘膜は横壁を登り、換気の為に開けたバスルームの小さな格子窓に滑り込む。「……っ。〜〜〜…………」 何か宇佐美の独り言が聞こえる。 見えない影は寝室の前まで来ると、一度リビングへ向かった。 リビングは想像より物が散乱していた事だ。引越し前とは思えないが、宇佐美 玲が逮捕された時、ここにも家宅捜索が入ったはずだ。 窓際にダンボール箱が積み上げられてい。触腕で静かに箱を開ける。 中身は玲の服や今まで使用していた学童用具や洋服だ。他の箱はやはり衣服や本など。 リビングからカウンターを越えキッチンへ入る。 その時、カウンターの上に小さなケーキの箱があるのに気付いた。どこにでもあるチェーン店のケーキの箱だ。その箱のリボンの色が青色だった。 ふと思い出す。 砂北児童連続殺人と名称が変わった、男児の被害者の特徴。シルクのハンカチではない青いリボンの証拠。 しかし他に青いリボンは見当たらない。見れば見るほどそれらしく見えてくる。 どれも既製品で宇佐美が故意に揃えた物では無いと、そう思わせるような小さな物なのだ。 恐らく、使用する気でこの部屋に用意された物なのだ。不自然でない程度に。 紫麻はゆっくり寝室に近付くとドアを開けて忍び込む。

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