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夫が娘の遺品を他人に渡した日、私は離婚を決めた

夫が娘の遺品を他人に渡した日、私は離婚を決めた

作家:  存歌完了
言語: Japanese
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概要

甘々シリアス

愛人

ひいき/自己中

クズ男

不倫

後悔

早朝の市場で野菜を買って帰ると、私は休む間もなく洗って切って料理の準備をする。 ちょうど作り終えたところで、夫がドアを開けて入ってきた。 「晴海(はるみ)んちの水道管が破裂したんだ。手伝ってやってくれよ。あいつ、シングルマザーで大変なんだから」 私はエプロンを外して、須藤晴海(すどう はるみ)の家へ向かい、排水溝のつまりを直し、床の水を拭き、怯えている花奈(はな)を宥めた。 ぐったりした身体を引きずって家に戻ると、唐澤志真(からさわ しま)が、私の娘のあのセーターを手に取り、晴海に差し出していた。 「晴海、気にすんなよ。璃々(りり)ももう着られねぇし、花奈にちょうどいいだろ」 そのセーターを見た瞬間、私は思わず声を出した。 「志真、私たち、離婚しよう」 彼は目を見開いた。 「離婚?たかが古いセーター一枚で?」 「そう、たかが古いセーター一枚で」

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第1話

第1話

早朝の市場で野菜を買って帰ると、私は休む間もなく洗って切って料理の準備をする。

ちょうど作り終えたところで、夫がドアを開けて入ってきた。

「晴海んちの水道管が破裂したんだ。手伝ってやってくれよ。あいつ、シングルマザーで大変なんだから」

私はエプロンを外して、須藤晴海(すどう はるみ)の家へ向かい、排水溝のつまりを直し、床の水を拭き、怯えている花奈(はな)を宥めた。

ぐったりした身体を引きずって家に戻ると、唐澤志真(からさわ しま)が、私の娘のあのセーターを手に取り、晴海に差し出していた。

「晴海、気にすんなよ。璃々(りり)ももう着られねぇし、花奈にちょうどいいだろ」

そのセーターを見た瞬間、私は思わず声を出した。

「志真、私たち、離婚しよう」

彼は目を見開いた。

「離婚?たかが古いセーター一枚で?」

「そう、たかが古いセーター一枚で」

私の言葉が落ちたあと、リビングに長い沈黙が落ちる。

志真の顔色がわずかに曇った。

「雪乃、また変な意地張ってんのか?」

彼は近寄って、汗で額に貼りついた前髪を整えようと手を伸ばす。私は顔をそらして避けた。

宙に浮いた彼の手が固まり、不快そうな色が一瞬だけ走る。

「もういいだろ。お前が璃々のこと引きずってんのは知ってる。でもあいつがいなくなって、どれだけ経ってると思ってんだよ。前に進まなきゃいけねぇだろ」

志真は声を落とし、そばで居心地悪そうに立っている晴海を顎で示した。

「晴海んちの状況、知ってんだろ?ただの服だぞ。助けられるときに助けりゃいい。変に意地張って、向こうに気を遣わせんなよ」

晴海はすぐにセーターを返してきて、目元を赤くしながら言った。

「ごめんなさい、雪乃さん。この服がそんなに大事だなんて知らなくて……志真も悪気はないの。私たち、いらないから」

だが志真はすぐにセーターを受け取り、もう一度彼女の腕に押し戻した。

「持ってけよ。雪乃はこういう性格なんだ。今はカッとなってるだけだ」

そして私の方を見て眉を寄せる。

「早く風呂入ってこい。泥臭ぇぞ。飯も冷めてんだ。さっさと出してくれよ。晴海と花奈、まだ食ってねぇんだから」

私は動かなかった。

視線はただ、あのセーターに縫い付けられた記憶に釘づけになっていた。

志真にとって、これは本当に「ただのこと」だ。

ただの服。

ただの隣人。

ただの、よくある助け合い。

彼は理解できないし、理解しようともしない。このセーターが、私にとって何なのかを。

力が抜けていく。それでも、もう一度言った。

「離婚したい」

志真の堪忍袋はとうに切れていた。

「深澤雪乃(みさわ ゆきの)、いい加減にしろよ!誰も着ねぇ古い服一枚で、この家を壊すつもりか?そんなことして、あの世の璃々が喜ぶと思ってんのか!」

「それはただのセーターじゃない」

胸の奥の痛みを押し殺しながら、私は彼の目を見た。

「璃々のものだよ。私が、あの子のために編んだやつなんだ」

「それはわかってる!」

志真の声が弾けた。

「でも死んだ人間は戻らねぇんだよ!物を残して何になる!?お前、いつまで過去に閉じこもってるつもりだよ!

花奈に着せようとしたのはな、無駄にならねぇようにってのもあるし、お前に前を向いてほしいからだ!俺は、お前のためにやってんだ!」

喉がきゅっと塞がって、苦しさが込み上げた。

「志真、あなたは一度も私に聞かなかった」

彼は振り返り、怒りに目を見開く。

「聞く?聞いてお前が首を縦に振るかよ?お前は璃々のもの全部を宝物みたいに祀って、家を記念館にでもしたいのか?自分まで墓石みたいになって、何がしたいんだよ!」

その言葉が、一つひとつ刃のように神経を削っていく。

そうだ。私は璃々のものを全部しまってある。

絵も、髪どめも、靴も、全部。箱に入れて、屋根裏に置いてある。

ただ、このセーターだけは、どうしても手放せなかった。

眠れない夜という夜を、このセーターを抱いて耐えてきた。そこにまだ、あの子の体温が残っている気がしたから。

これは私の傷であり、私の拠りどころ。

彼は知らない。知ろうともしない。

ただ「間違っている」と決めつけて、壊そうとしてくる。

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レビュー

ノンスケ
ノンスケ
夫の初恋の近所に住んでいる母娘。夫のために朝早くから買い物をして家事を切り盛りしているのに、その母娘の家の排水管の詰まりを修理に行かせ、帰ったら食事が冷めてるから温め直せ、臭いから風呂に入ってこい、とお手伝いさんか!ってくらいの扱い。しかも病気で亡くなった娘の遺品を勝手にその初恋の娘に渡してしまい、拒むと怒鳴られる。そしてその母親はそんな品だと分かっていてももらっていき、返せと言われたら捨てたと…この人たち、常識とか思いやりがなさすぎて情けなくなる。最後に主人公が成功した強さにスッキリした。
2025-12-05 20:38:07
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松坂 美枝
松坂 美枝
初恋女とその娘を囲って実の娘を顧みず遺品のセーターを穢したドクズ夫に主人公が真っ向から立ち向かって勝利を収めた話 読んでて叫びたくなるような所業に主人公がどんどん切り返して行ってそばで応援したくなった 主人公実は小金持ちなのかな?ちょっと謎めいてた
2025-12-05 10:04:38
1
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9 チャプター
第1話
早朝の市場で野菜を買って帰ると、私は休む間もなく洗って切って料理の準備をする。ちょうど作り終えたところで、夫がドアを開けて入ってきた。「晴海んちの水道管が破裂したんだ。手伝ってやってくれよ。あいつ、シングルマザーで大変なんだから」私はエプロンを外して、須藤晴海(すどう はるみ)の家へ向かい、排水溝のつまりを直し、床の水を拭き、怯えている花奈(はな)を宥めた。ぐったりした身体を引きずって家に戻ると、唐澤志真(からさわ しま)が、私の娘のあのセーターを手に取り、晴海に差し出していた。「晴海、気にすんなよ。璃々(りり)ももう着られねぇし、花奈にちょうどいいだろ」そのセーターを見た瞬間、私は思わず声を出した。「志真、私たち、離婚しよう」彼は目を見開いた。「離婚?たかが古いセーター一枚で?」「そう、たかが古いセーター一枚で」私の言葉が落ちたあと、リビングに長い沈黙が落ちる。志真の顔色がわずかに曇った。「雪乃、また変な意地張ってんのか?」彼は近寄って、汗で額に貼りついた前髪を整えようと手を伸ばす。私は顔をそらして避けた。宙に浮いた彼の手が固まり、不快そうな色が一瞬だけ走る。「もういいだろ。お前が璃々のこと引きずってんのは知ってる。でもあいつがいなくなって、どれだけ経ってると思ってんだよ。前に進まなきゃいけねぇだろ」志真は声を落とし、そばで居心地悪そうに立っている晴海を顎で示した。「晴海んちの状況、知ってんだろ?ただの服だぞ。助けられるときに助けりゃいい。変に意地張って、向こうに気を遣わせんなよ」晴海はすぐにセーターを返してきて、目元を赤くしながら言った。「ごめんなさい、雪乃さん。この服がそんなに大事だなんて知らなくて……志真も悪気はないの。私たち、いらないから」だが志真はすぐにセーターを受け取り、もう一度彼女の腕に押し戻した。「持ってけよ。雪乃はこういう性格なんだ。今はカッとなってるだけだ」そして私の方を見て眉を寄せる。「早く風呂入ってこい。泥臭ぇぞ。飯も冷めてんだ。さっさと出してくれよ。晴海と花奈、まだ食ってねぇんだから」私は動かなかった。視線はただ、あのセーターに縫い付けられた記憶に釘づけになっていた。志真にとって、これは本当に「ただのこと」だ。ただの服。ただ
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第2話
晴海はその様子を見ると、慌てて花奈の手を握った。「志真、私たち帰るよ。うちのせいで夫婦喧嘩なんて……」「晴海、お前は気にすんな」志真は彼女の腕を掴んだ。「悪いのはお前じゃねぇ。雪乃が勝手に思い詰めてるだけだ。少ししたら落ち着く」そう言うと、彼はまっすぐキッチンへ向かい、私の作った料理をそのまま食卓に並べ、晴海と花奈を座らせて食べ始めた。私は、リビングの真ん中に立ち尽くしたまま。誰も私を見ようとしなかった。食卓では笑い声が響く。足元に、一粒の涙が静かに落ちた。その瞬間、私ははっきり悟った。彼は「私が大げさだ」と思っている。私は「彼が冷たすぎる」と思っている。同じ屋根の下にいるのに、もうとっくに別々の世界の人間だった。目を閉じ、涙を無理やり引っ込める。もう一度目を開けたときには、視界は澄み切っていた。結局、晴海はあのセーターを抱えたまま帰っていった。志真は私の前に来て、抱き寄せようとした。「さっきは言い方がキツかった。悪かったよ。本当にごめん」私は抵抗しなかった。その腕に、ただ身を預けた。彼の体温はたしかに温かい。けれど、その温度は、もう心の奥には届かない。思い出すのは、あの頃の璃々のことだ。病気で髪が全部抜けて、鏡を見るのを嫌がっていたあの時期。あの黄色いセーターは、その頃に編んだものだった。少しでも暖かくしてあげたくて、少しでも元気に見えればと思って。セーターが完成した日、璃々は本当に嬉しそうで、鏡の前で久々に笑ってくれた。「ママ、見て。私、うさぎさんみたいでしょ?」私は笑いながら頷き、こっそり涙を落とした。そのとき志真も来て、セーターを見た。彼が言ったのはただ一言。「いいじゃん。風邪ひかせんなよ」そしてすぐに仕事の電話に出た。彼はいつも忙しかった。私と璃々より、優先すべきものが他にいくらでもある人だった。彼は、金銭的には全部背負った。でも、夜の不安も、果てのない絶望も――すべて私一人に押し付けた。そして今、私の最後の拠りどころまで奪おうとしている。記憶から戻り、私はそっと彼を押し離した。「志真、あなたが私に一番言った言葉って……『ごめん』だよね」出産の日、彼は忙しいと来なかった。璃々が倒れた日も、忙しいと来なかった。葬
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第3話
志真は一晩戻らなかった。枕は湿って、目は乾いてヒリヒリする。ゆっくり起き上がって、灰色の空をぼんやり眺める。心まで灰色に染まったみたいだった。しばらくベッドで座り込んでから、クローゼットの一番下の引き出しを開けた。そこには彼の昔の物が少しだけしまってある。アルバム、数通の手紙、そして一通のマンション契約書。私は今まで一度も開いたことがなかった。夫婦には最低限の信頼と尊重が必要だと思っていたから。でも今は、ただ自分のために答えが欲しかった。黄ばんだ手紙を開くと、そこには志真が晴海に宛てたラブレターが、真っ直ぐな文字で綴られていた。私は手紙を閉じた。胸の中の感情は、何と呼べばいいのか分からない。嫉妬でも怒りでもない。ただ、骨の奥から出てくるような、どうしようもない疲れだった。――ずっと目をそらしていた細かい違和感が、一気に形を持った。晴海が引っ越してきた時、志真は驚くほど世話を焼いた。普段の彼からは想像できないくらい積極的に。「手伝いましょうか」「この辺のことは俺が案内しますよ」まるで新人の隣人じゃなく、大事な誰かを迎えるみたいに。そして、晴海の娘・花奈は自然と彼を「唐澤さん」と呼び、いつの間にか「唐澤パパ」に変わっていた。志真は一度も訂正しなかった。むしろ、嬉しそうだった。――璃々が生きていた頃は、三十分遊ぶだけでもしんどそうにしていたのに。彼は優しくなれる人だった。ただ、それは私と娘には向けられなかっただけ。私と志真は幼馴染。昔から彼は子どもたちの憧れで、歩いているだけで眩しい存在だった。そんな人と結婚できるなんて、私は思ってもいなかった。あの日、彼は向かいに座って、少し距離のある笑みを浮かべたまま言った。「うちの親もお前が好きだし……俺も、まあ、いいと思ってる。試してみるか」私はそれを、長い片思いの終点だと勘違いした。十年間の結婚生活、私は必死に回り続けるコマみたいに家を支えた。誰も私の苦労を気にしない。誰も「疲れてない?」と言ってくれない。返ってくるのは、「雪乃さんは本当にしっかりしてるね」その一言だけ。晴海もよく言った。「雪乃さんって何でもできてすごい。私なんて、少しのことで慌てちゃうのに」私は笑って誤魔化した。――「できる」ようになったんじゃな
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第4話
翌日、私は弁護士に連絡して、離婚について相談した。弁護士の名は大山(おおやま)。テキパキした中年の女性だ。私の話を一通り聞くと、淡々と分析した。「唐澤さんのケースは、典型的な情緒的ネグレクトと精神的虐待ですね。法律上『有責』と断定するのは難しいですが、夫婦の共有財産の分割であなたに有利になるよう動けます」私は頷いた。「大山弁護士、もう一つ取り戻したいものがあります」「何でしょう?」「娘の、あの黄色いセーターです」一瞬きょとんとした彼女は、すぐに察したようで、目に同情がにじんだ。「深澤さん、大丈夫です。その件も含めて私が対応します」事務所を出たところで、携帯が鳴った。志真だった。迷った末に出る。「どこにいる?」押し殺した怒気が電話越しに伝わる。「すぐ戻れ。俺は――」私はすぐ遮った。「志真、もう弁護士に依頼した。離婚協議書は近いうちに届く。嫌なら、裁判で会おう」言い切ってすぐ電話を切った。これ以上、言葉を浴びるつもりはない。その時、SNSに通知がついた。晴海の投稿だった。最新の投稿は三十分前。遊園地のメリーゴーランドの前で撮った三人の写真。志真が、彼女に寄り添い、花奈を抱いている。【こんな素敵な午後をくれてありがとう】――ずいぶん楽しそうで、良かったじゃない。そのまま「家族三人」で生きていけばいい。一週間後は、璃々の命日である。毎年この日は、私一人で過ごしていた。白いヒナギクの花束を買って、郊外の墓地に行き、ゆっくり娘に話しかける。志真は毎年欠席。「大事な会議」「急な出張」――理由はいくらでもあった。今年も同じように、私は花束を抱えて墓園に向かった。墓石の前に立つと、ふと五歳の頃の璃々の姿が見えたような気がした。私が編んだ黄色いセーターを着て、無邪気に笑っている。そっと墓石に水をかけ、拭きながら、声を落として話しかけた。「璃々、ママ来たよ。ママね、最近引っ越したんだ。静かでいいところだよ。それからね、また新しいセーター編んでるの。できたら持ってくるから……向こうで寒くないようにね……」話しているうちに、声が震えた。後ろで小さな足音がした。墓地の管理の人かと思い、振り返らなかった。――聞き覚えのある声が頭上から落ちてくるま
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第5話
「……なんで、知ってるんだ?」志真の声はかすれ、顔から血の気がすっと引いていく。「人にバレたくないなら、最初からしなきゃいい」私は冷たく見据えた。「自分では完璧に隠したつもりだった?」私はバッグから、印刷した写真と書類の束を取り出した。「毎月彼女に送ってる生活費、私とこの家より多い。去年、うちの夫婦の貯金を勝手に使って、彼女に今の家を現金で買ってやったよね。名義も彼女の名前。挙げ句の果てに、彼女の娘の教育資金には二十万も入れてるのに、璃々が入院した時は、数千円の輸入薬で私と揉めた。『国産で十分だ』って」私はその証拠を、一枚一枚、彼の顔に叩きつけた。紙が散り、遅れて降る雪みたいに舞って、彼の言い訳も嘘も全部埋めていく。「唐澤志真、あんたはうちの共有財産で、愛人を養ってたんだよ!」「違う!」彼は怒鳴った。「俺と晴海は潔白だ!ただ気の毒で、償いたかっただけだ!」「償い?」私は笑いながら涙がこぼれた。「償うのは、彼女が何も言わずに消えて、一年間あなたを苦しませたこと?じゃあ私は?十年も独りで家を守ってきたことは?璃々を失って、一人であの地獄を背負った私は?ずっと騙されてた私には、どう償うつもり?」晴海の顔色は真っ青になり、花奈の手を引いて後ずさった。「雪乃さん、違うの……私と志真は本当に何も……」「黙れ!」私は鋭く遮った。「あなたには私に説明できる立場などない。私の娘の服を着て、私の夫が買った家に住んで、うちの金使っておいて、何もない?」私は花奈の着ているセーターを指差した。胸が裂けるほど痛む。「それ、脱がせろ」花奈は私の迫力に怯えて大声で泣きだし、晴海にしがみついた。晴海は涙をこぼしながら私を責めた。「子どもが怯えてる!辛いのは分かるけど、子どもに当たるのは違う!」彼女の涙がぽろぽろ落ちていく。私は呆気に取られた。泣くのは私じゃないの?一番惨いのは、私じゃないの?志真は晴海を庇うように、私を強く突き飛ばした。「もうやめろ、深澤雪乃!お前、今どんな顔してるか分かってるか?ただのヒステリー女だ!」私はよろけて、冷たい墓石に背をぶつけた。腰に鋭い痛みが走る。傷は、体より先に心に広がり、呼吸できないほどえぐられた。墓石に手をつき、ゆっくり立ち上が
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第6話
電話を切ったあと、私は椅子に沈み込み、全身の力が抜けていくのを感じた。腰の痛みが波のようにぶり返し、墓地で起きたことを何度も思い出させる。目を閉じると、小さな璃々が病に倒れた時の光景が頭をよぎり続けた。あの頃、璃々はもうとても弱っていて、ほとんど眠ったままだった。一度だけ、うとうとした状態から目を開け、私の手を握ってかすれる声で言った。「ママ……パパ、私のこと……嫌いになったの……?なんで会いに来ないの……?」私は彼女を抱きしめ、泣きそうになるのを必死でこらえながら答えた。「そんなわけないよ。パパはね、璃々のために外で一生懸命働いてるの。パパは璃々のこと、大好きなんだから」璃々はよく分かってないように小さく頷き、また深い眠りに落ちた。でも私は知っていた。あれは嘘だって。本当は、彼女がいちばん父親を必要としていた最後の時間に――彼は、ちょうど離婚したばかりで生活がぐちゃぐちゃになった初恋相手を慰めるのに必死だった。璃々が亡くなる三日前、病状が急に悪化して、医者は「今日が峠かもしれない」と言った。私は狂ったように志真へ電話をかけ、娘に最後に会いに来てほしいと懇願した。電話の向こうで彼は言った。「晴海が離婚したばかりで、情緒不安定なんだ。自殺しそうな勢いで、俺が離れられない。雪乃、人命がかかってるんだよ!璃々のことは医者がいるだろ?そっちは任せてくれ。こっちが片付いたらすぐ帰る」彼にとって晴海は、空に浮かぶ月だった。その光に酔い、すべての熱を注ぎ込む。誰にも邪魔させない。たとえ自分の実の娘でも。三日後、彼は帰ってきた。手には、晴海のために買った栄養剤やメンタルケアの本を抱えて。その頃には、璃々はもう死体安置所に横たわり、二度と「パパ」と呼ぶことはなかった。私は顔を覆い、長年押し込めてきた悔しさと痛みが、堰を切ったようにあふれ出した。目の奥が熱くなり、嗚咽が喉を突き破って、誰もいない部屋に響いた。突然、ドアのチャイムが鳴り、私の悲しみを断ち切った。涙を拭き、ドアスコープから覗くと、ホテルのルームサービスだった。ドアを開けると、スタッフは袋を差し出した。「お客様、ロビーにいらっしゃる唐澤様がお渡しくださいと」袋を受け取ると、中には新しいセーターが入っていた。安物だと
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第7話
大山弁護士から、志真の状態が相当ひどいと聞かされた。会社では、私が提出した訴訟資料を受けて内部調査が始まり、彼はすべての業務から外された。志真はようやく焦り始めた。彼は大山弁護士に電話をかけ、「財産は全部諦めるから、どうか訴えを取り下げてほしい。一度だけ会ってほしい」と言ってきたらしい。大山弁護士が私の意向を尋ねてきた。私は少し考えてから答えた。「じゃあ、彼にあの古いセーターを持ってきさせなさい。私は無傷で欲しいのです」私は確かめたかった。彼の中で、私と璃々への最後の思いが、いったいどれほどの重さだったのか。三日後、大山弁護士から電話がきた。声の調子がどこか複雑だった。「深澤さん、唐澤さんが……そのセーター、もう戻せないって言ってます」「なぜですか?」「取り戻そうとして須藤さんのところへ行ったら、須藤さんが『花奈が気に入って何度か着て、汚してしまって、壊れたから捨てた』と」私はゆっくり息を吸った。その軽い言葉が、胸の奥に鋭く突き刺さった。電話の向こうで、大山弁護士が続ける。「その件で、唐澤さんと須藤さんは大喧嘩したようで……二人、もうすぐ関係が壊れそうです」私は電話を握りしめ、震えるほど笑った。「大山弁護士、彼に伝えてください。訴訟は続けるって。それと、晴海にも伝えてください。あのセーターは最高級の輸入カシミヤで編んだもので、市価は少なくとも六万円です。なくしたなら、相応の金額を弁償してもらいます。その弁償金は、璃々の名義で小児重症監護センターに全額寄付します」私は彼の悔恨も、彼女の謝罪もいらない。必要なのは――自分たちの行為に見合う、確かな代償だけ。裁判の進行は、思った以上に順調だった。志真が晴海に買い与えたマンションの送金記録、毎月の生活費の振込証明。すべてが、婚姻中の不貞と共同財産の横流しを示す確固たる証拠になった。一方の晴海は、裁判所からの呼び出し状と私の賠償請求を受け、完全にうろたえた。彼女から何度も電話が来たが、私は一度も出なかった。その後、長文のメッセージが届いた。文面には、被害者ぶった言い訳と憤りが並んでいた。【雪乃さん、あのセーターがそんな大事なものだなんて知らなかったの。花奈はまだ子どもで、服を汚すのも仕方ないし、私も気づかなかったの。本当
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第8話
開廷の日、私は志真と晴海を目にした。たった一か月なのに、志真は十歳は老けたようで、以前の成功者らしい輝きはもうどこにもなかった。晴海もやつれ果て、私を見る目には恨みがぎっしりと詰まっていた。法廷では、大山弁護士が示した一連の証拠に、二人は何一つ反論できなかった。志真はずっと俯いたまま、なんの言葉も発さなかった。最後の陳述の時になって、ようやく顔を上げ、遠くから私を見た。その目には複雑な色が宿っていた。「雪乃……」声は掠れていた。「俺が悪かった。許してくれなんて言わない。ただ……行かないでほしい。頼む。この家は、そんな簡単に壊しちゃいけないだろ。璃々だって、パパとママが別れるなんて望んでない。後悔してるんだ、雪乃。ほんとに……後悔してる……」私は冷えた目で彼を見た。もう気力すら残っていなかった。「志真、この家は璃々が死んだ時点で、もうとっくに壊れてたよ。あなたは璃々の最期の顔すら見てない。彼女が何を言い残したか、何一つ知らない」娘の最後の瞬間、泣き崩れる私を慰めたのは、逆に璃々の方だった。「『ママ、パパはもう私たちのこと、好きじゃないって分かってる。だから……ママはこれから幸せになってね。璃々は先に天国に行くだけ。あんな悪いパパなんて、もういらないよ!』って」志真の肩ががくりと落ち、口をぱくぱくさせながら言葉にならなかった。裁判官が木槌を鳴らし、その場で判決が下された。婚姻中に志真が晴海へ贈与した不動産と現金は「無効な贈与」と認定され、判決確定から三十日以内に全額返還するよう命じられた。私たち名義のもう一軒の家と全ての預金、資産については、志真の重大な過失と、私による家庭・病児のケアへの大きな負担を考慮し、私の取り分は七割とされた。志真は、ほぼ丸裸で放り出される形になった。裁判所を出ると、陽射しが少し眩しかった。私は深く息を吐いた。何年も胸を押し潰していた石が、ようやく取り除かれたようだった。離婚後、私はあの古い団地の近くにある小さな中古の部屋を買った。広くはないけど、陽当たりがとても良かった。一部屋を作業部屋に改装し、色とりどりの毛糸を並べた。私はネットで手編みの注文を受け始めた。最初は暇つぶしのつもりだったのに、私の手仕事が丁寧で素材も良かったせいか、依
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第9話
ある日の午後、発送前の注文を梱包していたら、チャイムが鳴った。ドアを開けると、志真が立っていた。杖をつき、白髪まじりの頭で、果物かごを提げ、所在なさげに戸口に立っている。「雪乃……」彼はおそるおそる口を開いた。「あの……中に入ってもいいか」私は家に入れず、ドア枠に寄りかかって淡々と彼を見つめた。「何の用」「俺……」彼はうつむき、悪さをした子どものような声になった。「ただ、お前の顔が見たくて」一度言葉を止め、また顔を上げる。瞳には乞うような色。「……あの、新しく編んだセーター……できたか?」私は一瞬きょとんとした。墓地で璃々に話した、あのセーターのことだと気づくまで、少し時間がかかった。「できたよ」「見せてもらえないか……?」声が震えていた。「璃々に燃やしてあげたい。……ちゃんと、謝りたいんだ」彼の卑屈な姿を見ても、私の胸には恨みも同情もなかった。残っていたのは、ただの空白だった。私は背を向け、作業部屋からそのセーターを持ってくる。そして――彼の目の前で、ハサミを手に取った。チョキン――乾いた音とともに、柔らかなカシミヤの糸がひと筋ずつ切れていく。きれいなセーターは、一瞬でただの断片になった。志真の目が大きく見開き、顔から血の気が引いていく。「な……なにしてるんだよ!」私は碎いた毛糸をゴミ箱に捨て、静かに彼を見つめた。「志真。あなたには、璃々に謝る資格なんてない。このセーターは、私が自分のために編いだもの。死んだ娘を……忘れないためのもの。あなたはね、これに触れる資格すらないの」私はドアを閉め、その絶望した顔を、私の世界から締め出した。これで終わり。もう二度と会うことはない。ネット店の売上はどんどん伸びて、ひとりでは手が回らなくなった。だから近所の器用なシニアの奥さんたちに手伝ってもらうことにした。私たちは毎日、小さな作業部屋で、世間話をしながら手仕事をして過ごす。窓から射し込む日差しが、色とりどりの毛糸玉に落ちて、あたたかくて穏やかだった。生活が軌道に乗った頃、私は一つの決断をした。志真からの賠償金の一部で、小さな基金を立ち上げた。重い腎臓病を抱える、経済的に苦しい子どもたちを支援するための基金。名前は――「璃々基金
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