LOGINあれから三年後──
爽やかな秋晴れの空の下、蓮花とその夫、鈴峯 透《すずみね とおる》は霊園へ訪れていた。 墓石に刻まれた『滝川』とは、蓮花の旧姓であり、その墓に眠るのは三年前に病で無くなった養父である。「お父さん……」
仏花を手にしたまま未だ癒きっていない蓮花の手を離し、透は手提げ桶の水を掬い、持参した雑巾で綺麗に墓石を拭い始める。
「ほら、綺麗にしてあげないと」
透に促され、蓮花も小石の隙間から伸びた雑草を抜き取る。
「早いものだね。俺にあの時、手術費を工面する甲斐性があったら……」
そう言い、透は自分を責め続けている。
「透さんのせいじゃあ……わたしがそもそも仕事に追われて……」
「仕方ないさ。旭飛の社員とはいえ、高給取りの研究者達とは扱いが違うんだから」
「……そう。ただのお茶汲み要員だったしね」
「真面目に働いてたんだ。お父さんも文句なんか言わないさ。
それにあの時蓮花の援助がなかったら、俺も鈴峯研究所を軌道に載せられなかった」当時、透の立ち上げた鈴峯研究所は蓮花の貯蓄まで切り崩し、ようやく立ち上げた新進気鋭の研究所だった。
その頃同時に婚約をし、後に鈴峯研究所は見る見る間に力を付けていった。 そして例の、未知の生命体の研究が始まると一躍脚光を浴び、透自身もメディアや化学雑誌に引っ張りだこの生活を送っていた。「そう……ね。確かに、あの頃のわたしたちは全てのタイミングがズレてて……。間に合わなかった……」
「人生って、そういうものなのかもな。でも、蓮花。大事なのは俺たちがお父さんの死を受け入れ、忘れないで感謝する事さ」
「透……。そうね」
透は手を洗い流すと、蓮花の肩を抱き寄せ真っ直ぐと墓標を見上げた。
「お父さん、来週は俺たちの3回目の結婚記念日ですよ。幸せに過ごしてます。
来年の命日にも来ますよ」「ええ。そうね。
お父さん、来年も来るからね」手を合わせて二人静かに願う。
来年もこうして夫婦揃って、父の命日を過ごせる事を。その時──聞きなれた着信音が透のジャケットから鳴り始めた。
「はぁ。やれやれ、また杏のやつか」
「最近頻繁ね」
液晶画面には『桐生 杏』の文字。
医療薬品メーカーや研究機材販売業者など、幅広い業界にコネクションを持つ財閥令嬢だ。 透の後輩と言う縁で、その実力を余すことなく鈴峯研究所に貢献してくれたコンサルタントでもある。「注文がやたら多くて嫌になる。後輩のくせに遠慮もないしなぁ」
「それで鈴峯研究所は成功しているんだもん。杏さんには感謝しなきゃ」
「まぁ。どうせ何かにつけて呼び出される。研究所へ向かうよ。
さ、家まで送って行く、乗って」「わたしは──」
まだ午前で清々しい程に晴れた空。
「少し散歩しながら帰るわ」
透はポルシェに向かっていた足を止め、一度蓮花の元へ戻ってくる。
「じゃあ、気を付けて帰るんだよ」
そう言い、蓮花を抱き寄せ長い髪に顔を埋めた。
「大丈夫、大袈裟よ。記念日にはお義母さんも来ると思うし、透も仕事頑張ってね」
「ああ」
透は蓮花から離れると、ようやくそばに運転手がやってくる。
「鈴峯研究所に行く」
「かしこまりました」
後部座席のドアが開かれたが、透は胸ポケットからパサリとハンカチを落とした。
蕩けそうなほど磨かれた靴。 墓掃除で弾いた水滴を几帳面に拭うと、そのハンカチを隣の墓石目掛けて投げつけた。「全く…… ! うんざりする ! 」
透の車が走り去って行くのを手を振り見送った蓮花は、父親の墓の見えるベンチに座り、ぼんやりと菊の花を眺めた。
嫌でも考えてしまう養父の事 。
滝川 丈太郎は数多くの医学本出版で脚光を浴びた学者である。大学で教鞭を取り始めた頃、妻に先立たれ、子のいない滝川は養子として蓮花を引き取った。
その養父が進行癌で要治療になった時、蓮花は既に透の起業資金を出資したばかりだった。──もし、資金提供をしていなかったら ? ──滝川 丈太郎《父》は助かった….… ?
そんなifの世界線の話を考えてしまう。今でも透に資金提供したのは良かったのか ? だが、あの時期でなければ透が軌道に乗れなかった。
勿論、こんな悩みは透にも相談できない。ただこの命日になる度に、蓮花の心の奥底でモヤモヤとした気持ちが生まれる今更どうしようもないというのに。「── ! ──〜〜〜 !! 」
誰かが遠くで騒いでいる。
霊園のそばには遊具のある大きな公園も隣接している。 一際甲高い叫び声に、蓮花はフフッと笑った。「お墓参りに来た子供かな ? そうだよね、子供は飽きちゃうもんね」
prrrrr.prrrrrrrr♪
蓮花のバッグから聞こえる着信音。
そのメッセージは久々に思える雨宮博士からだった。『レン、いま暇 ? 』
蓮花は一瞬迷ったが、夕飯の支度は済ませてある。予定が入っても大丈夫だろう。
『暇ですよ』
返信を返すとすぐに既読が付いた。
『鈴峯研究所は無事 ? あの後何があったの ? 』
「……無事 ? 一体なんの話…… ? 」
『何かあったんですか ? 鈴峯は今も稼働中のはずです。夫が今出勤しました』
既読後、雨宮博士からのメッセージは途絶えた。
「……これなら人前で使っても……。でも高いかなぁ……いや、もうそういう物を持つのが相応しい立場だし……」 蓮花は一人、老舗の判子屋で高級万年筆が売られているのを目にして悩んでいた。 持ち手が象牙で出来たシックで一点物の美麗な万年筆。 透も最早、誰に紹介しても恥ずかしくない男になった。 付き合いたて当時、安定した環境、収入で研究に打ち込んでいた蓮花からみて、社会人になりたてのまま彷徨っているようにみえた。 とにかく起業に研究所を選ぶのは茨の道で、まず必要なのは金、金、金。疲弊しきった頃、最終試験のように襲ってくるのが人脈の有無。 透は一代でそれを築き上げた成功者である。「うん。これにしよ ! 」 来週の結婚記念日のプレゼントとして、蓮花はこの万年筆を選んだ。 結婚当初はマンションも無理をして買った。 今はその分を取り戻す期間。 あまりに無理をしたせいか、養父の治療にかかった費用の半分も蓮花は未だ貯蓄出来ていない。 透も勿論そうだろう。 メディア露出は多いものの、知名度が上がっても収入源の研究所は発見から開発までそう短期間とはいかないもので、更に今は最重要機密情報を有する研究所となってしまった。 研究がどうなっているかなど、蓮花でさえ透の口から聞けないのが現状だ。 あの未知の──後にASTERと名付けられた──謎の生命体の搬入を境に、鈴峯研究所は要塞に変貌してしまった。 清潔感のある明るい未来をイメージしたフロント内装から一転、対爆庫のように分厚く重々しい物に取って変わった。「ラッピングはサービスです。何か、袋にお入れしますね」「ありがとうございます ! 」 華やかなリボンが見え隠れする小さな紙袋を提げ、次はケーキショップへ足を運ぶ。「透はチョコレートケーキ、お義母さんはレアチーズケーキだったわね。わたしはミルクレープがいいかなぁ」 ショップの取っ手に指をかけた瞬間、背後を救急車が一台通過していく。ガラスに写る赤色灯の数に、蓮花は思わず振り返って路上を見る。 遠くから、もう一台の救急車が右折していくのが見え、その後続車も緊急車両が何台も列をなし、蓮花の目の前を通っていく。荒々しいサイレンが頭の中までジリジリと揺れるような大きな音を立てていく。 蓮花はぼんやりと店の中に入ると、店員もまた目を丸くし、窓の外を見ていた。「なん
あれから三年後── 爽やかな秋晴れの空の下、蓮花とその夫、鈴峯 透《すずみね とおる》は霊園へ訪れていた。 墓石に刻まれた『滝川』とは、蓮花の旧姓であり、その墓に眠るのは三年前に病で無くなった養父である。「お父さん……」 仏花を手にしたまま未だ癒きっていない蓮花の手を離し、透は手提げ桶の水を掬い、持参した雑巾で綺麗に墓石を拭い始める。「ほら、綺麗にしてあげないと」 透に促され、蓮花も小石の隙間から伸びた雑草を抜き取る。「早いものだね。俺にあの時、手術費を工面する甲斐性があったら……」 そう言い、透は自分を責め続けている。「透さんのせいじゃあ……わたしがそもそも仕事に追われて……」「仕方ないさ。旭飛の社員とはいえ、高給取りの研究者達とは扱いが違うんだから」「……そう。ただのお茶汲み要員だったしね」「真面目に働いてたんだ。お父さんも文句なんか言わないさ。 それにあの時蓮花の援助がなかったら、俺も鈴峯研究所を軌道に載せられなかった」 当時、透の立ち上げた鈴峯研究所は蓮花の貯蓄まで切り崩し、ようやく立ち上げた新進気鋭の研究所だった。 その頃同時に婚約をし、後に鈴峯研究所は見る見る間に力を付けていった。 そして例の、未知の生命体の研究が始まると一躍脚光を浴び、透自身もメディアや化学雑誌に引っ張りだこの生活を送っていた。「そう……ね。確かに、あの頃のわたしたちは全てのタイミングがズレてて……。間に合わなかった……」「人生って、そういうものなのかもな。でも、蓮花。大事なのは俺たちがお父さんの死を受け入れ、忘れないで感謝する事さ」「透……。そうね」 透は手を洗い流すと、蓮花の肩を抱き寄せ真っ直ぐと墓標を見上げた。「お
穏やかな青い海原に一隻の船が浮かんでいた。そこに近付く小さなボート。 ふわりとした髪を手早く纏めあげると、鈴峯 蓮花は緊張した面持ちでボートから船へ乗り込んだ。「雨宮博士 ! 」「レン ! 来てくれたのね ! 」 作業員に混ざり、一人の白衣を纏った中年女性が顔を上げてパッと明るい笑みを浮かべた。「久しぶり ! 結婚してから連絡無いからさぁ〜。 鈴峯会長との新婚生活はどう ? 」「ええ、彼もしっかりしてますし」「はぁ〜♡いいわねぇ。わたしには縁遠い生活だわぁ。お養父さんは ? 」「父は……手術が間に合わなくて……」「え ? でも、まだ転移もしてなかったって……早期発見だったんじゃなかったの ? 」「わたし研究資金につぎ込んだり、世界中行き来して勉強したりせいで。お金には無茶をし過ぎて……父がこんなことになるなんて」「そう……。そうだったのね。 鈴峯会長は ? ……その……余裕があったんじゃないの ? 」「……彼も軌道に乗ったばかりですし……流石にその時はまだ」 気まずそうに話す蓮花の姿に、雨宮博士も納得するしか無かった。「そう。大変な時期に……来てくれて良かったわ。 はぁ……わたしの彼氏はコレになりそうよ」 そう言うと、雨宮博士が眼鏡のフレームを上げ、覗き窓の着いた金属ケースを見下ろす。「これが…… !? 」「そう」 雨宮博士と蓮花。 二人がケースの中を覗き、眉を寄せる。「我が旭飛研究所が鈴峯グループの援助を受け宇宙に放った探査ロケット。 帰還したサンプルポッドが見つかったのは、まさかの鯨の胃の中」「限界まで小型化しましたからね。鯨が飲み込むのも無理はありません。 でもこれは……」 カプセルは本来、研究所へ持ち帰るまで開封しないはずだが、ケースの中にはカプセルポッドからチラチラと出入りする赤紫色の生き物がへばりついていた。「なんだと思う ? 」







