共有

第1046話

作者: 夜月 アヤメ
翌日。

若子は午前中だけ仕事を休み、修を連れて検査を受けさせるためにやって来た。

最初、修は渋々といった様子だったが、若子が「おばあさん」の名を出すと、結局はおとなしく検査に向かうしかなかった。

検査結果が出るまでには、三日から五日ほどかかるらしい。

若子は修に念を押した。

「結果が出たら、必ず知らせて」

そう言って、若子は病院を後にした。

まるで仕事の一環のように淡々と。検査を終えたら、すぐに立ち去った。そこに、気遣いや優しさは一切なかった。

今の二人の関係は、きっとそんなものだ。

まるで、相手が亡くなったら葬式には出るけど、涙も流さず、声をあげて泣くこともない―そんな距離。

病院を出る前に、若子は千景のもとを訪ねた。

千景の容態は、今日も少しずつ良くなっていた。でも、彼はすぐに若子の様子が普段と違うことに気づいた。

何度か聞き返されて、若子はようやく口を開いた。

それを聞いた千景は、しばらく沈黙したまま、ぽつりと尋ねた。

「それで......彼のこと、恨んでるのか?」

若子は静かに笑った。

「恨み?そんなのあるわけない。ただ......無力感だけ。きっと、山田さんが病気で亡くなったとしても、彼のそばにはまた別の女が現れるんだと思う。あの人の周りに、女がいないことなんてないから。

でも、もしほんとうに彼が次の相手を見つけたなら、今度こそちゃんとその人と幸せに暮らしてほしい。私のところには、もう来ないでほしい」

「じゃあ......つまり、君はもう、彼のことを吹っ切ったってことか?」

「この世で一番やっかいなことって、多分『吹っ切れるかどうか』なんだと思う。結局どっちにしても、状況は変わらないし。でも、もしどうしても答えが必要なら―そうね。私はもう吹っ切れた。新しい生活を始めてるから」

「若子、君のコース、三ヶ月だったよな?」

彼が話題を変えるように聞いた。

若子はうなずいた。

「うん、三ヶ月だよ」

「だから、約束して。これからの三ヶ月は、自分のためだけに生きて。しっかり授業を受けて、全力で自分のことだけ考えて。藤沢修のことも、遠藤西也のことも、彼らが何を言おうが何をしようが、気にしなくていい。ただ、自分に集中してほしい」

若子は静かにうなずいた。

「うん、わかっ
この本を無料で読み続ける
コードをスキャンしてアプリをダウンロード
ロックされたチャプター

最新チャプター

  • 夫の元カノが帰国!妊娠隠して離婚を決意した私   第1251話

    「すみませんけど、私と彼はもう離婚しています。あなたに説明すべきことなんて、何もありません。それに、西也からは一銭ももらっていません。もしそれだけでしたら―」「ご心配なく」弥生が言葉を遮った。帰る気配はない。「前に個室であった件、あんたも巻き込まれてたのは分かってるのよ。あれ、本気で追及されたら、あんたも無関係じゃ済まないわよね?」若子の眉がぴくりと動く。「追及......するつもりなんですか?」「するかしないかは、あんた次第。ねえ、あの男のこと、ずいぶん気にしてたみたいだし?あんたに手を出せないなら、彼に向けるだけよ。どうする?狙われたいのは、あんた?それとも彼?」若子はゆっくりと椅子に腰を下ろした。「......一体、何が目的なんですか?」「言ったでしょ。ただ、あんたのことを知りたいだけ。素直に質問に答えてくれるなら、前の件はなかったことにしてもいい。でももしごまかすなら......あんたに手出しできなくても、彼にはできるわよ」若子の目が鋭くなる。「何を知りたいって言うんです?」「あんたのこと、ちょっとだけ調べさせてもらったわ。両親はすでに亡くなってて、あとから藤沢家に引き取られて、修と結婚。でももう離婚してる。つまり―この子は彼の子よね?」若子が黙ったままだと、弥生はふっと息をついた。「まだ本人には知らせてないの?」「まさか、知らせるつもりですか?」若子の声が低くなる。「どうして私が?あの人と別に仲良くないし。あんたが黙ってるのはそれなりの理由があるんでしょ」「......西片さんは、私に何を求めてるんですか?どうしてそんなに、私のことを気にされるんです?」若子は、目の前の人物が理屈で動く人間じゃないことをよく分かっていた。それなのに、今の弥生は、まるで別人のようだった。「あんた、両親との仲はどうだった?大事にされてた?」その問いは、何気ないふうに聞こえたけれど―視線だけは鋭かった。真正面からぶつけられるような、逃れられない重さがあった。「とてもよくしてくれました。実の子のように、大事に育ててもらいました」弥生の口元が、かすかに動いた。「つまり、あんたは......彼らの実の娘ではないのね?」若子は声を抑えながら言葉を返した。「西片さん、私のことを知って何か得でもあるんですか?

  • 夫の元カノが帰国!妊娠隠して離婚を決意した私   第1250話

    若子がちょうど野菜を洗っていると、玄関のチャイムが鳴った。ノラが暁を抱えたままドアの方へ行き、ドアスコープをのぞいた。そこには、六十代か七十代くらいの、どこかただならぬ雰囲気をまとった女性が立っていた。キッチンから出てきた若子が尋ねた。「誰だった?」「知らない人ですけど、おばあさんです。開けます?」若子は不思議そうに前に出て、ドアスコープをのぞきこんだ。その瞬間、彼女の表情が一変した。―どうしてこの人がここに?西片さんじゃない!まさか千景を探してきたんじゃ......外の弥生が、扉をコツコツと叩く。「声、聞こえたよ。開けてちょうだい」「お姉さん、この人って......?」「西也のおばあさんよ。私が出るから任せて」若子は扉を開けず、扉越しに声をかけた。「西片さん、わざわざどうされたんですか?もし私に文句を言いに来たのなら、時間の無駄です。お互いに」「違うよ、今日は文句を言いに来たんじゃないの。ちゃんと用があって来たんだ」「どんなご用ですか?前のことなら......」「その話じゃない」弥生がぴしゃりと遮った。「この前の個室の件で何か言いたいことがあるなら、とっくに言ってる。今さらこんな日にちが経ってから来るわけないでしょ。今回はそれとは別のことで来たの。一人で来てるし、他に誰も連れてないから安心して」......本当にひとり?ドアスコープ越しにはそれ以上のことは確認できなかった。若子は少し考えたあと、ドアを開けた。たしかに、外にいたのは弥生ひとりだった。「それで、何のご用ですか?」家の中に目をやった弥生が、ノラに気づいて眉を上げた。「この子、誰?なかなか整った顔してるわね」図々しく家の中にずかずかと入ってくる。「友人です」若子はすぐに言った。「関係ない話は結構です。要件をお願いします」「ちょっとお話したいんだけど、ふたりきりでね」弥生はノラに一瞥をくれる。「部外者がいると話しづらいのよ」若子は肩をすくめて苦笑した。「失礼ですが、部外者はあなたのほうですよ」その言葉に、ノラは思わずにやけた。まるで勝利でも手に入れたように、満足そうな笑みを浮かべる。それでも、弥生はまったく動じなかった。ただ淡々と、冷ややかに言い放つ。「

  • 夫の元カノが帰国!妊娠隠して離婚を決意した私   第1249話

    「いいですよ、お姉さんが作るなら何でも食べます」ノラはそう言いながら、暁を抱き上げて胸元にぎゅっと引き寄せた。「ちびちゃん、叔父さんに会いたかったですか?」その瞬間、暁がいきなり手を伸ばし、パチンとノラの頬を叩いた。わかりやすい嫌そうな表情で、手をじたばたと動かし、離れようとする。「なんで叩くんですか?小さいからって人をいじめていいと思ってるんです?」ノラは眉をしかめながらも、声に怒気はなかった。すると暁がケタケタ笑って、もう一度ペチッと頬に手を伸ばす。「ちょっと、暁、何してんの」若子が慌てて近づいてきた。「人を叩いちゃだめよ、そういうのはよくないからね」まだ一歳にもなってないのにこの様子。大きくなったら手がつけられなくなるんじゃないかと、若子は軽くため息をついた。「暁くん、きっと僕のことが好きなんですよ。親しい人には遠慮しなくなるって言いますし、大丈夫です、何発でもどうぞ」ノラはまるで気にしていない様子で、にこにこしながら暁を高く持ち上げた。暁は声を上げて嬉しそうに笑った。「じゃあ、ふたりで遊んでてね。私はちょっとこの食材片付けてくるから」若子が言った。ノラは周りを見渡しながら聞いた。「お姉さん、あの人はどこに行ったんですか?」若子はノラの言っている人物をすぐに察した。「用事があるって、先に帰ったの」「そうなんですか。でも、お姉さん、あの人ってどうやって知り合ったんです?ちょっと怖そうだったし、あんまりいい人には見えなかったんですけど」「アメリカで知り合った友達よ。ほんとはすごくいい人なの、見た目ほど怖くないから」「そうなんですね」ノラは目をくるりと動かした。「やっぱりお姉さん、その人のことけっこう好きなんじゃないですか?」それがただの無邪気な発言か、それとも何かの意図があるのか、若子の胸に小さな動揺が走った。彼女は買い物袋を手に取り、そそくさとキッチンへ向かう。「ただの友達よ。向こうが私に優しくしてくれるから、私も優しくしてるだけ。ノラくんにもそうでしょ?」「ってことは、お姉さんがあの人に優しいのは、ただの『友達として』ってことですか?」「もちろんよ」若子は袋を持ったまま言った。「みんな友達だからね。私はみんなに平等に接してるの」「でもさ、

  • 夫の元カノが帰国!妊娠隠して離婚を決意した私   第1248話

    若子はびくりと肩を震わせた。振り返らず、そのまま子どもを乗せたカートを押して前へ進む。無理に確認して相手に気づかれても困る。まずは冷静に、外へ出ることが先決だった。後ろの男も、距離を空けてついてきていた。若子はできるだけ人が多いほうへ進路を変えた。このスーパーなら人も多いし、明るい。ここから出るには一瞬でも人気のない道を通る必要がある。そうなれば、あの男が何かしてくるかもしれない。不安が過ぎると言われても構わなかった。もし万が一があったら、後悔してもしきれない。今の彼女には、守るべき子どもがいる。自分ひとりではない。若子はカートを押したまま、人の流れがある場所をうろうろと移動しながら、周囲に気を配り続けた。誰かに見られている気がしてならなかった。約一時間半が経ち、額に汗がにじむ。長く歩きすぎて足がじんわりと痛む。後ろをちらりと見ても、あの男の姿はもう見えなかった。もう行ったのかもしれない。ただの思い違いだったのかもしれない。レジで会計を済ませ、袋に入った荷物を持ってスーパーを出た。車はすぐ外の駐車場に停めてある。できるだけ人のいるルートを選びながら歩いていく。だが、道を進むにつれ、周囲の人が徐々に減っていく。不安が膨らみ、若子は歩く速度を自然と早めた。とにかく車まで早くたどり着きたかった。そのとき、背後から突然声が飛んできた。「お姉さん!」身体がびくっと反応し、手に持っていた荷物が地面に落ちてバラバラに広がった。腕に抱いていた子どもをしっかりと抱きかかえたまま、慌てて数歩後ずさる。驚かされた子どもがびくんと震え、口を開けて今にも泣きそうな顔になる。若子はすぐにその小さな体を胸に引き寄せ、頭をしっかり守った。そして、声の主の顔を確認した瞬間、ほっと大きく息をつく。「......ノラ......もう......びっくりさせないでよ......」まさか、あとをつけてきたあの男かと思って、心臓が止まりそうだった。ノラは困ったように眉を下げた。「すみません、驚かせるつもりはなかったんです。ちょっとしたサプライズのつもりだったんですけど......」少し顔をしかめて、心配そうに彼女の顔を覗き込む。「お姉さん......なんか、顔色悪くないで

  • 夫の元カノが帰国!妊娠隠して離婚を決意した私   第1247話

    雅子は震えながら聞いた。「女子トイレのこと、どうして知ってるの......?」ノラは何も答えず、再び手を振り上げた。雅子は頭を抱えて叫んだ。「知ってるなら、なんでわざわざ聞いたのよ!」その瞬間、ノラは彼女の髪をつかみ、ぐいっと頭を引き寄せた。「きゃあっ!」雅子は痛みに顔を歪めた。「やめてっ!離してよ!」「桜井雅子、君は僕の奴隷なんですよ。自分の立場、忘れたんですか?人から社長なんて呼ばれて、いい気になってるんですか?その肩書きも、今の君の地位も、全部僕が与えたんですよ。もし僕がいなければ、君は今ごろ藤沢の足元で残飯でもあさっていたはず。今みたいな『できる女』を演じることなんて、できると思いますか?」雅子は頭皮が引き裂かれるような感覚に襲われ、震えながら言った。「わたしたちは......対等な関係でしょ。私はあなたの奴隷なんかじゃない」「対等?......ふふっ」ノラは冷たく笑った。「君みたいな人間が、僕と対等のつもりなんですか?」彼は髪を乱暴に放り投げた。「桜井雅子。自分の立場をちゃんと理解してください。次に僕に何かを隠したら―そのときは君を殺す。でも、殺す前に君の名誉もすべて壊してやります。君が過去にどんな汚いことをしてきたか、藤沢はまだ何も知らないんですよ?あの人は、君のことを『優しくていい子』だと思ってる。でもその優しい君は、今、必死で彼のところに戻ろうとしてる。それが事実なんです」雅子は唇を噛み締めた。この男は、あまりにも手強い。心の中を、全部見透かされている気がした。「......わかったわ」「松本にはまだ使い道があるんです。今死なれたら、僕の計画が崩れます」そう言って、ノラは雅子の頬をぐっと指で押さえつけた。「君に、やってもらわなきゃ困ることがあるんですよ」「何......?」雅子は身構えた。「以前、病院で動画を撮ったでしょう?」雅子の目が大きく見開かれた。このことまで知られているなんて―?まるでこの男、どこにでも現れる気がする。ノラの口元に、ぞっとするような笑みが浮かんだ。「そろそろ、その動画を藤沢に見せるべきですね」「修に......見せる?」雅子が息をのんで聞いた。「つまり......私があの動画を修に渡せってこと?」「そうですよ

  • 夫の元カノが帰国!妊娠隠して離婚を決意した私   第1246話

    侑子の胸には、煮えたぎるような怒りがこみ上げていた。けれど、その感情をなんとか押し殺し、無理やり笑みを作る。「挑発してるのは分かってる。けど、そういう手は私には効かないわ」「そりゃそうでしょ」雅子は肩をすくめて言う。「もともと効くとは思ってないし。でも―見たところ、あんたのほうがよっぽど『準備』は万全みたいね」そう言いながら、一歩だけ侑子に近づいてくる。「ただ一つ、忠告しておこうか。この話、絶対に修にはバレないようにしなさい。もしバレたら......結婚式当日、またあの人を助けに行っちゃうかもよ?」その言葉に、侑子の顔色が一気に青ざめる。「何の話よ。意味わからない」「そう?」雅子は笑みを浮かべたまま言う。「さっき電話してたの、あんただよね?『人気のないところで......』って、そう言ってたじゃない。違った?まさか聞き間違い?」「聞き間違いよ。私は何もしてないし、そんなこと言ってない」侑子は強い口調で否定する。もちろん、そんなことを認めるはずがなかった。「そう......なら、聞き間違いってことにしておくわ」雅子は微笑を崩さぬまま、言葉を投げた。「でも、ひとつだけ覚えておいて。私も松本のこと、好きじゃないの。だから、さっきの話は聞いてないってことにしてあげる。―ただし、うまくやりなさいよ。汚れ仕事は、きれいにね」それだけ言い残し、雅子はバッグを手に取り、その場を去っていった。ドアが閉まった瞬間、侑子の膝から力が抜けた。洗面台に両手をついて、息を荒くする。額には冷たい汗がびっしりとにじんでいた。......病院を出た雅子は、スマホを取り出して、修に電話をかけた。数コールの後、通話が繋がる。「修?私よ」「雅子?どうした?」「さっき病院で山田さんに会ったの。結婚するって、本当なの?」一瞬の沈黙の後、修が静かに答える。「ああ。本当だ......彼女は、妊娠してる」その言葉に、雅子の胸がぐっと痛んだ。心の中で、怒りと嫉妬が渦を巻く。―妊娠......あの女が?―修が......あの女に、触れた?―ふざけないで......あんな女が、何よ......「へえ......妊娠ね。ふーん、そこまで好きになったってことか。彼女に子ど

続きを読む
無料で面白い小説を探して読んでみましょう
GoodNovel アプリで人気小説に無料で!お好きな本をダウンロードして、いつでもどこでも読みましょう!
アプリで無料で本を読む
コードをスキャンしてアプリで読む
DMCA.com Protection Status