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もう騙されない

Author: 影畑凛星
last update publish date: 2026-05-17 21:21:31

「佳苗? 本当にどうしたんだよ」

 怪訝そうな顔で、悟がこちらを見る。

 その優しげな声に、佳苗は思わず身を強張らせた。

 前世でも、この男はこんな顔をしていた。

 穏やかで、頼れて、優しくて。

 だから信じてしまったのだ。

 まさか裏で妹と不倫し、自分を“代理母”として利用していたなんて、夢にも思わなかった。

「顔色悪いぞ。熱でもある?」

 悟が立ち上がり、額に触れようと手を伸ばしてくる。

「っ……!」

 佳苗は反射的にその手を振り払った。

 ぱしん、と乾いた音が響く。

 悟が目を見開いた。

「……佳苗?」

 しまった、と思った。

 前世の記憶が蘇ったとはいえ、今の悟はまだ“何も知らない夫”の顔をしている。

 だが、触れられるだけで吐き気がした。

「ご、ごめんなさい……少し気分が悪くて」

 佳苗は俯きながら言い訳をする。

 心臓が嫌なほど早く脈打っていた。

 落ち着かなければ。

 今ここで感情的になってはいけない。

 まずは状況を整理するべきだ。

 スマホの日付は、一年前だった。

 つまり、自分は妊娠前に戻っている。

 まだ何も始まっていない。

 ――やり直せる。

 その事実に、佳苗はぎゅっと拳を握った。

「本当に大丈夫か?」

「ええ……少し疲れてるだけ」

「なら今日は休めよ。夕飯も適当でいいから」

 そう言って悟はソファに座り直す。

 まるで気遣う夫。

 だがその姿すら、今の佳苗には恐ろしく見えた。

 ピロン。

 再びスマホが鳴る。

 悟は素早く画面を伏せた。

 けれど佳苗は、今度こそ見逃さなかった。

『恵♡』

 胸がずきりと痛む。

 ハート付き。

 そこまでしていたの。

 前世の自分は、本当に何も見えていなかった。

「……仕事関係じゃなかったの?」

 静かに問うと、悟の肩がぴくりと揺れた。

「え?」

「さっき、仕事の連絡って言ってたから」

「ああ……いや、ちょっと相談受けてて」

 目が泳いでいる。

 嘘をつく時の癖だ。

 前世では気づかなかった小さな違和感が、今は痛いほど分かる。

「恵から?」

「っ……なんで」

 悟が一瞬言葉に詰まる。

 図星だった。

「別に。ただ、見えたから」

 佳苗は淡々と答えた。

 すると悟は露骨に不機嫌そうな顔をした。

「スマホ覗くとか感じ悪いぞ」

 ――ああ。

 やっぱり。

 前世と同じだ。

 自分が悪いように話をすり替える。

 佳苗は奥歯を噛み締めた。

「ごめんなさい」

 そう謝るしかない自分が悔しい。

 昔からそうだった。

 両親は妹の恵ばかり可愛がった。

『お姉ちゃんなんだから譲ってあげなさい』

 そう言われ続けて育った。

 欲しい服も、好きな人も、褒められる言葉さえも。

 恵が欲しがれば、全部譲ってきた。

 だから恵は、当たり前のように佳苗から奪う。

 そして佳苗もまた、奪われることに慣れてしまっていた。

 ……でも、もう違う。

 今度こそ。

 絶対に。

 私は、この人たちから逃げる。

「佳苗?」

 気づけば、悟が怪訝そうにこちらを見ていた。

「……何?」

「いや、なんか今日変じゃないか?」

「そうかも」

 佳苗はふっと笑った。

 自分でも驚くほど冷たい声だった。

「でも、人って急に目が覚めることもあるんじゃない?」

「は?」

 悟が眉をひそめる。

 佳苗はそれ以上何も言わず、立ち上がった。

「少し休むね」

「あ、ああ……」

 背後から視線を感じる。

 けれど振り返らなかった。

 寝室へ入り、ドアを閉めた瞬間。

 佳苗はその場に崩れ落ちた。

「っ……」

 苦しい。

 怖い。

 涙が零れる。

 前世で、自分は死んだ。

 愛していた夫に裏切られ、妹に利用され、子供さえ奪われて。

 全部失った。

 でも――。

 ゆっくりと腹部に触れる。

 まだ、何も始まっていない。

 この身体には、まだ子供はいない。

 やり直せる。

 その瞬間、不意にスマホが震えた。

 知らない番号からの着信。

 佳苗は眉をひそめながら通話ボタンを押す。

「……はい」

『久しぶりだな、藤倉』

 低く落ち着いた男の声。

 聞いた瞬間、佳苗の呼吸が止まった。

「……榊原、先輩?」

 大学時代、一つ上だった男。

 誰もが恐れる冷徹な秀才。

 けれどなぜか、自分にだけは妙に優しかった人。

『やっと繋がった』

 その声音に、ぞくりと背筋が震えた。

『……今、泣いてるのか?』

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  • 夫の子を産まされ、妹の身代わりとして死んだ私――今世では冷徹CEOに執着されています   仕事は遊びじゃない

     数日後。 佳苗は朝から請求書の確認に追われていた。 月末が近い。 取引先ごとに金額と締め日を確認し、不備があれば担当部署へ戻す。昼休みまであと十分というところで、営業部から一通のメールが届いた。「……金額、違う」 添付された発注書と請求データが一致していない。 佳苗はすぐに担当者へ連絡した。「この案件、発注書は八十六万円ですけど、請求データが九十六万円になってます」『え? あ、本当だ』「このまま処理できないので、確認して修正お願いします」『今日中?』「締めが今日なので」『分かりました』 電話を切り、該当箇所に付箋を貼る。 その様子を見ていた同僚が笑った。「榊原さん、相変わらず細かいですね」「十万円違いますから」「まあ、そうですけど」 佳苗は次の書類を手に取った。 すると別の社員が、冗談めかして言う。「でも榊原さんにとって十万なんて、もう誤差みたいなものでしょ?」 佳苗は顔を上げた。「どういう意味ですか?」「旦那さん社長だし」「会社のお金と私の夫は関係ないですよね?」「あ、いや、そういう意味じゃなくて」「十万円違ったら困るから確認してるんです」 相手が気まずそうに笑う。「真面目だなあと思って」「仕事なので」 それだけ答え、佳苗は作業へ戻った。     ◇ 午後、修正されたデータが届いた。 確認すると、今度は問題ない。 処理を終えたところで、上司に呼ばれた。「榊原さん、さっきの件ありがとう。危なかったね」「いえ。締め前に気づけてよかったです」「最近ちょっと処理件数増えてるけど、大丈夫?」「はい。ただ、急ぎの依頼が重なると厳しい日もあります

  • 夫の子を産まされ、妹の身代わりとして死んだ私――今世では冷徹CEOに執着されています   監視されていた女

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  • 夫の子を産まされ、妹の身代わりとして死んだ私――今世では冷徹CEOに執着されています   逃がすつもりはない

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  • 夫の子を産まされ、妹の身代わりとして死んだ私――今世では冷徹CEOに執着されています   やっと捕まえた

     恵が帰ったあとも、佳苗はしばらく動けなかった。 心臓が嫌なほど脈打っている。 あの目。 一瞬だけ見せた、冷たい視線。 前世では最後まで気づかなかった。 恵はずっと、自分から奪うことを楽しんでいたのだ。「……っ」 佳苗は唇を噛み締める。 怖い。 けれど、それ以上に悔しかった。 どうして自分は、あんな人たちのために命まで懸けてしまったのだろう。 テーブルの上に置かれた結婚写真が目に入る。 幸せそうに笑う自分。 悟の腕に寄り添って、未来を信じ切っていた頃の自分。 ――滑稽。 佳苗は震える手で写真立てを伏せた。 もう戻れない。 戻りたくもない。 今度こそ終わらせ

  • 夫の子を産まされ、妹の身代わりとして死んだ私――今世では冷徹CEOに執着されています   置いていかれる側

    「……今、泣いてるのか?」 低く静かな声が耳に落ちる。 その一言だけで、張り詰めていた感情が崩れそうになった。 佳苗は慌てて口元を押さえた。「な、泣いてません」『嘘が下手だな、お前は昔から』 昔から。 その言葉に、大学時代の記憶が蘇る。 榊原雄吾。 成績優秀、容姿端麗、誰にも媚びない孤高の男。 学生の頃から有名だった。 近寄りがたい人だったのに、なぜか佳苗にはよく話しかけてきた。『また他人の仕事押し付けられてるのか』『断れないのか、お前は』 呆れたように言いながら、結局いつも助けてくれた。 けれど卒業後は一度も会っていない。 それなのに、どうして今。「どうし

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