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7話

Author: Amy
last update publish date: 2026-08-08 22:55:37

崇が帰ってきてから数日後の朝、陽翔の熱は39度あった。

その日は土曜日だった。

崇は、玄関でゴルフバッグを肩へ掛けていた。

「接待だから休めない」と、昨夜から言っていた日だ。

「ぱぱ、いってらっしゃい……」

布団の中から、陽翔がかすれた声を出す。

崇は寝室の入口から手を振った。

「おう。ごめんね。ママとお医者さん行ってきてね」

「病院、かなり待つと思う」

私が言うと、崇は腕時計を見た。

「悪い。美咲なら大丈夫だろ。俺、幹事だから抜けられないんだよ」

崇が家を出たあと、玄関には靴底から落ちた乾いた芝が残っていた。

準備だけは、よくできている。

私は陽翔を抱き上げた。熱い頬が首に触れる。

夫の嘘より、この子の熱が先だ。

迷う余地はなかった。

……

土曜の小児科は混んでいた。

2時間待ち、診断は夏風邪。薬を受け取って帰宅した。

りんごをすりおろし、水分を少しずつ飲ませる。

「ママ?」

「いるよ。ずっとそばにいるよ」

私の指を握ったまま、陽翔は眠った。

崇へ送ったLINEは、2時間たって既読になった。

【陽翔、39度。夏風邪だって】

返信は、さらに1時間後。

【大丈夫そう?本当、ごめん】

帰るとは書いていない。

電話もない。

昼すぎ、陽翔が浅い眠りから目を覚ました。

「パパ、まだ?」

熱で潤んだ目が、寝室の入口へ向いている。

「今日はお仕事だからね、ママがいるよ」

接待ゴルフだと説明する気にはなれなかった。陽翔には、父親がいま帰れないという事実だけで十分だった。

「パパに、でんわしたい」

私は一度だけ、崇へ電話をかけた。長い呼び出し音のあと、留守番電話へ切り替わる。

【陽翔が起きて、パパの声聞きたいって。手が空いたら電話して】

そう送ったが、既読はつかなかった。

薬を飲ませると、陽翔は苦いと言って少し吐いた。私はシーツを替え、着替えさせ、スプーンで水をひと口ずつ飲ませた。体温計は39.4度を示している。

不安で病院へ電話すると、意識があり、水分が取れているなら処方薬を使いながら様子を見るよう言われた。変化があれば、すぐ受診する。言われたことを紙へ書き、枕元に置いた。

「ママ、いかないで」

「行かないよ」

陽翔の手は熱く、私の人差し指をつかんだまま離さなかった。私はベッドの端に腰を下ろし、寝息が落ち着くまで、その小さな指を握っていた。

この子が父親を待っている時間まで、私が代わりに説明をつけるのは、もうやめようと思った。

私は崇へ追いLINEをせず、濡らしたタオルを替えた。

午後6時を過ぎたころ、家計用カードのアプリから利用通知が届いた。

【ホテルS 31,000円】

今日の日付。

接待ゴルフの日。

指先で画面を押さえたまま、私は動けなかった。

ゴルフ場ではない。駅前の、あのホテルだ。

……

午後11時前、崇は上機嫌で帰ってきた。

「いやあ、接待は疲れるわ」

「ゴルフ、どうだった?」

「ぜんぜんダメ。まあ、勝つわけにもいかないしな」

よどみのない声だった。

「陽翔は?」

「38度まで下がった。いま寝てる」

「そっか。よかった」

崇は冷蔵庫からビールを出した。プルタブの乾いた音がする。

寝室をのぞきには行かなかった。

私は、崇が作り話を続ける顔を見ていた。

ゴルフへ行って、そのあとホテルへ寄った可能性はある。明細だけでは、相手も目的もわからない。

だから、聞かなかった。

「疲れた。私も寝るね」

「おつかれ」

寝室で陽翔の横へ座ったとき、スマホが震えた。

同じ組の母親、佐伯絵里(さえき えり)からだった。

【夜分にごめんね。陽翔くん、熱は大丈夫?】

【ありがとう。少し下がったよ】

すぐに、次の文が来た。

【別のことで、言うか迷ってることがあるの】

入力中の表示が消え、また現れる。

【今日の夕方、駅前のホテルSで、結城さんのご主人に似た人を見た。女の人と一緒だった】

息を止めたまま、続きを待った。

【参観日に会っただけだから、人違いなら本当にごめん。でも、私なら教えてほしいと思って】

【2人は、どうしてた?】

【並んでホテルへ入っていった】

少し間を置いて、写真が1枚届いた。

ホテルの回転扉へ向かう、男女の後ろ姿。

男は崇だった。歩き方も、肩の線も、今朝着て出た紺の上着も同じだ。

隣の女は、顔が見えない。

ベージュの革に、金色の金具がついた鞄を肩に掛けていた。

その鞄を、私はどこかで見ていた。

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