Masuk周りの若い女たちは、その光景を見て皆あからさまな嫌悪と、見ていられないという表情を浮かべた。明日香も胃の奥がぐっとせり上がる。あの男が女の体をいやらしくまさぐるのを見て、吐き気をこらえるので精一杯だった。明日香はまだ耐えられた。だが、あの金髪の市長令嬢はついに我慢できず、その場で激しく吐き始めた。海に落ちた女は意識を取り戻すと、自分があんな醜く不快な男に触れられていたことを知り、耳をつんざくような悲鳴を上げた。男たちはそんな彼女を見て、かえってますます興奮したようだった。時折つねったり、体を触ったりしながら、口にする言葉も聞くに堪えない。「おっ、こいつなかなか甘そうじゃねぇか。味見できるかどうか、楽しみだな」「あとで検査して状態見りゃいい。今回の品はどれも悪くねぇしな。しかも市長の娘までいるって話だし……」この女が海に飛び込んでからは、もう軽々しく海へ逃げようとする者はいなくなった。溺れ死ななくても、あんな連中に触られるくらいなら、そのほうがよほど地獄だったからだ。明日香も、それなりに修羅場はくぐってきた。絶望に顔を引きつらせる他の女たちに比べれば、まだ少し落ち着いているほうだった。父も兄も、決して自分を見捨てない。朝陽だって探してくれるはずだ。そして――怜央。その名を思い浮かべた瞬間、明日香は無意識に拳を強く握りしめた。瞳の奥には、冷たい光が濃く差す。捕まってから、ようやく彼女は知った。あの時、怜央と一緒に遭った襲撃は、怜央を狙ったものではなかった。最初から標的は、自分だったのだ。怜央が命がけで守ってくれた。そう信じていたからこそ、明日香は相手の狙いが本当は自分だったなど思いもしなかった。だから、彼を見舞いに行った時も護衛を連れていかなかった。何の備えもないまま、あっさり攫われたのだ。明日香は思わず考えてしまう。もしかして怜央は、わざと自分にそう誤解させたのではないか。目的は、星に手を貸して、自分を始末するためだったのではないか。たとえ怜央に、最初から自分を害するつもりがなかったとしても。結果として、彼に惑わされ、こうして連れ去られたことに変わりはない。その後、捕らえられた女たちは全員、全身の検査を受けさせられた。白衣を着た医者が、感情のない声で告げる。「処女は五人。体が弱く、仕事に向
怜央は、しばらく黙り込んだままだった。やがて、何かに思い至ったのか、その表情は少しずつ冷えきっていく。……狭い空間には、湿って鼻につく嫌な臭いがこもっていた。すすり泣くような声が、途切れ途切れに明日香の耳へ届く。明日香は重たい意識の底から、ゆっくりと目を覚ました。周囲では、水がばしゃばしゃと跳ねる音がする。かすかに潮の匂いも混じっていた。明日香は気づかれないよう、そっと辺りを見回した。すると、そこには自分と同じくらいの年頃の若い女たちが大勢いた。「ここ……どこ……?」「なんで私がこんなところにいるのよ!」「出しなさいよ!早くここから出して!私が誰だかわかってるの!?こんなことして、ただで済むと思ってるの!?」金髪の若い女が、整った顔を歪め、高そうな上着を羽織ったまま扉を激しく叩いていた。その声には、隠しようのない高慢さと苛立ちがにじんでいる。「私はH市市長の娘よ!父に知られたら、あんたたち全員ただじゃ済まないんだから!早く出しなさい!聞こえてるんでしょ!?」その女をきっかけに、他の女たちも次々と叫び始めた。その騒ぎの中で、明日香はかなり多くの情報を拾った。ここにいるのは、上品でいかにも育ちの良さそうな令嬢もいれば、ごく普通の学生もいる。出身地もばらばらで、互いに何の共通点もなければ、繋がりもなさそうだった。その時、船の外から男たちの嘲るような笑い声が聞こえてくる。「へっ、泣け泣け、叫べ叫べ!陸に着いたら、たっぷり思い知らせてやるよ。その時になっても、今みたいな威勢の良さが残ってるか見ものだな!」船は三日ほど進み、ようやく岸に着いた。閉ざされていた船室の扉も、ついに開く。眩しい陽射しが、容赦なく頭上から差し込んだ。長いあいだ薄暗い場所に閉じ込められていた明日香は、その光だけで涙が滲み、危うく目を開けていられなかった。岸にいた男たちは、彼女たちの姿を見た瞬間、目の奥に吐き気を催すような光を浮かべた。下卑た冗談を飛ばし合い、その視線はまるで獲物を前にした飢えた獣そのものだった。「おっ、今回の品はなかなか質がいいじゃねぇか。腰は細いし、脚は長いし、胸もある。顔も上玉だ。こりゃ、しばらく楽しめそうだな!」「前の時よりずっとマシだろ。前回いた女なんてよぉ、胸がぺったんこで男みてぇだった。全然そそ
司馬家。艶やかな毛並みのキジトラ猫が、怜央の膝の上で気持ちよさそうに眠っていた。その怜央は、手の中の携帯をじっと見つめている。星からの音声通話を拒否して以来、彼女からは一通のメッセージも来ていなかった。怜央は眉を深く寄せる。まさか星は、本当に何か危険な目に遭っていて、助けを求める連絡を送る余裕すらないのだろうか。そう思った瞬間、怜央の胸を、かすかな後悔がかすめた。星はこれまで、一度も彼に電話をかけてきたことがなかった。会いたいと言ったこともない。いつだって、淡い距離感を保っていた。怜央にもわかっていた。星は、自分と深く関わるつもりがないのだと。それは彼にとって、ある意味では都合のいいことでもあった。ひとたび正体を知られれば、星が二度と自分に応じなくなることくらい、わかりきっていたからだ。だからこそ、その星が突然、らしくもなく電話をかけてきた。何か起きたのかもしれない。そう考えると、怜央はもう、正体がばれるかどうかなど気にしていられなかった。彼はすぐに、かけ直した。だが、発信した瞬間に通話は切れた。赤い感嘆符が、画面に無情に表示される。怜央は一瞬、動きを止めた。試しにメッセージも送ってみる。だが返ってきたのは、やはり同じ赤い感嘆符だった。その時になって、怜央はようやく悟る。――自分は、星にブロックされたのだ。彼の目に、信じられないという色が浮かんだ。ただ電話に出なかっただけで、星は自分をブロックしたのか?直感が、それは違うと告げていた。だが、では理由は何なのか。彼にはわからない。怜央は携帯を強く握りしめ、呼吸を乱した。すぐに部下へ連絡し、星の居場所を調べさせようとする。だが、その前に電話が鳴った。相手は靖だった。靖の声には、はっきりとした不機嫌さが滲んでいる。「怜央。猫も見つかったんだろう。なら、そろそろ明日香を探すほうに手を回せるんじゃないか?」雲井家の人間は、この数日ずっとD国に張り込んでいた。入国口にはすべて人員を配置し、目を光らせている。その間、明日香に似た女が何人か入国するのも確認していた。だが追ってみれば、どれも本人ではなかった。敵の目くらましだったのだ。本来、もし明日香が本当にD国に連れ込まれているなら、何ひとつ手がかりが出ないはずがない。
星は、一度だけ自分の手を見下ろした。仁志と繋がれた、その手を。けれど結局、振り払うことはしなかった。……仁志がどこに住んでいるのかは、前から知っていた。ただ、実際にそこを訪れたことは一度もない。今、彼が住んでいるのは、かなり人里離れた場所にある別荘だった。周囲に人の気配はほとんどない。それでも、山と水に囲まれたその環境は、驚くほど美しく、静かだった。これまで仁志はずっと彼女と一緒に住んでいたし、部屋の内装ももともと備えつけのものばかりだった。だから星は、仁志自身の家らしい空間を見たことがなかったのだ。実際に彼の住まいへ来てみると、星は思わずあちこちを見回してしまった。それに気づいた仁志が口を開く。「ここはあくまで仮住まいだ。中のものも、適当に揃えただけだよ」とはいえ、別荘の中にはたしかに仁志らしい趣味の品がいくつもあった。適当にとは言っても、雅人あたりが彼の美意識に合わせて、内装や調度を整えたのだろう。そう言いながらも、仁志は星を連れて、別荘の中をひと通り案内してくれた。星が興味深そうに見ているのを見て、彼はふと口にする。「こっちのことが落ち着いたら、L国にも連れて行く。それからは、お前が好きな場所に住めばいい」星は黙り込んだ。――それから。なんて遠い言葉なんだろう。M国へ来てからというもの、星はこれから先のことをあまり考えなくなっていた。ただ、その場その場で足を踏み外さないように進むだけで精一杯だったのだ。今の彼女は、薄い氷の上を歩くような毎日を生きている。自分に本当にその先があるのかどうかすら、わからない。それでも、仁志のその言葉は、彼女の心のどこかに言いようのない波紋を残した。別荘をひと通り見終える頃には、星もだいぶ気持ちを落ち着けていた。少し考えてから、彼女は自分から尋ねる。「確認できたの?linは……怜央なの?」怜央の名を口にした瞬間、仁志の目がひやりと冷えた。彼は静かにうなずく。「そうだ」ここへ来る途中で、星もある程度は覚悟していた。それでも、実際に彼の口から肯定されると、胸の奥はどうしようもなく沈んでいった。星が、まさか相手が怜央だとは思わなかったのは、彼の性格を知っていたからだ。怜央のような人間が、ここまで長く、根気よく時間をかけて、少しずつ自分の
優芽利は、仁志に対してまったく警戒心を持っていなかった。ようやく向こうから連絡してきてくれたのだ。嬉しくて舞い上がり、自分の知っていることなら何でも話してしまいたい気分だった。たとえ一分でも長く、仁志と通話できるなら、それだけで幸せだった。それが怜央を裏切ることになるかどうか――そんなことは、彼女の頭にはなかった。彼女にとって、仁志は誰よりも大事な存在だった。実の兄である怜央よりも。仁志と優芽利の通話は、かなり長く続いた。三十分以上は話していたはずだ。とはいえ、仁志のほうはほとんど話さない。時折、短く相槌を打つだけで、自分がまだ聞いていることを示していた。星と彩香には、優芽利が何を話しているのかまではわからなかった。けれど、仁志の表情が次第に冷えていき、最後にはいつも唇に浮かべている笑みすら消えてしまったのが見て取れた。星と彩香が、これほど長いこと彼の本質を疑わなかったのは、彼が纏う雰囲気のせいでもあった。仁志の第一印象は、せいぜい二十代前半。大学を出たばかりの、明るくて屈託のない青年に見える。目は澄んでいて、唇にはいつも無害そうな笑みが浮かんでいる。とても一族を率いる当主のような、底知れなさや苛烈さは感じられない。だから彩香も、彼が溝口家の当主だと知り、いろいろ噂を耳にしていたとしても、そこまで恐ろしい人物だとは思っていなかった。――イーサン王子に手を下す、その瞬間を見るまでは。あの時、彩香はようやく理解したのだ。陽だまりみたいな無害さは、あくまで彼の仮面にすぎない。その手段の冷酷さは、決して怜央に劣らない。むしろ、こうして巧妙に自分を偽れる分、仁志のほうが怜央よりずっと危険だった。彩香は時々思う。もし星が仁志を好きにならなかったら。あるいは彼と敵対する立場だったら。その時、仁志は星にどう接したのだろう、と。こういう高知能型の男は、星にとって相当やっかいだ。この先もきっと、仁志に完全に手のひらの上で転がされるのだろう。今、仁志の口元から笑みが消えると、その顔立ちはひどく冷ややかに見えた。笑みが和らげていた圧が、そのまま剥き出しになったかのようだった。周囲の空気は一気に冷え込み、息苦しいほどに重くなる。彩香は緊張で、ごくりと唾を飲み込んだ。――これはもう、自分の手に負える空気
「仁志、星、何の話してるの?まさか、もうlinが誰かわかったってこと?」星には、とても口にできなかった。――linが、怜央かもしれない。そんなこと、とてもじゃないが口にできるはずがない。彼女は小さな声で言った。「……もしかしたら、ただの偶然かもしれない」「偶然かどうかなんて、確かめればわかる」仁志は星を見つめながら、静かに提案した。「電話をかけるか、ビデオ通話をしてみればいい。相手が誰なのか、はっきりさせればいいんだ。早いうちに正体を確認しておくのは、お前にとっても悪くない」星はしばらく黙っていた。そしてようやく、そっとうなずく。「……わかった」彼女とlinは、まだ親友と呼べるほどではない。それでも、このところ何度もやり取りを重ねてきて、同じものを好きな友人くらいにはなっていた。絵のことをたくさん話した。巨匠たちの画風や技法についても語り合った。星には、はっきりわかっていた。linは――心から純粋に、絵を愛している。そんな相手が、怜央かもしれない?星には、どうしても馬鹿げた話にしか思えなかった。それでも、仁志の言うことが正しいのもわかっていた。linの正体を、早くはっきりさせること。それは自分にとっても、相手にとっても必要なことだ。そう考えて、星はまず相手が男か女かだけでも確かめようと、音声通話をかけた。だが、ついさっきまでメッセージを送ってきていたlinは、なかなか電話に出ない。呼び出しが自動で切れたあと、ようやくlinからメッセージが届いた。【今ちょっと外にいて、電話に出られない。何かあった?】星は反射的に仁志を見た。すると彼は、薄く笑みを浮かべたまま、少しも意外ではないという顔をしていた。まるで最初から、linが電話に出ないとわかっていたかのように。電話にすら出ないのなら、ビデオ通話などなおさら無理だろう。彩香は最初こそ状況を飲み込めていなかった。だが、仁志が怜央の猫の話からlinへとつなげたことで、ようやく何かに気づいた。「まさか……linって怜央なの?いや、そんなわけないでしょ!?」星だけではない。彩香も、とても受け入れられなかった。正直に言えば、彼女もlinにはかなりいい印象を持っていた。野良猫を引き取ろうとするような人だ。しかも、あれだけ大事
「星野!星野!星野!」いつの間にか、津波のような歓声が会場いっぱいに響き渡っていた。全員が立ち上がり、抑えきれない興奮で星の名を叫んでいる。――今日、彼らは奇跡を目撃したのだ。彩香も、まわりの熱気に胸を揺さぶられ、思わず立ち上がった。遠くの舞台に立つ星の姿を見つめながら、涙が込み上げてくる。これこそが、星にふさわしい輝き――本来あるべき場所なのだ、と。観客席では、ワーナー先生が力の抜けたように椅子へ崩れ落ち、顔一面に震撼の色を浮かべていた。「こ......これは、あり得ん......」レイナたち弟子の目にも、驚愕しかない。「どういうこと...
しかし、優芽利を再び目にした瞬間、明日香は自分の目を疑った。「優芽利......どうしてそんな姿になっているの?」目の前の彼女は、きわめて淑やかなワンピースに身を包み、長い髪をさらりと揺らしていた。ふだんの印象とはまるで別人だ。優芽利は、そっと髪を整えながら言った。「仁志がね、私の後ろ姿が、彼の記憶にあるあの人とは少し違うって言うの。彼の記憶の中の後ろ姿は、もっと淑やかだったらしい」そこでいったん言葉を区切る。「調べてみたら、清子は確かにそういうタイプだった。だから仁志が見間違えても不思議じゃないわ。それに――星も......」星の名を口にした瞬間、
雅臣は一瞬、呆然とした。そして次の瞬間、全身が震えた。――翔太でさえ分かっていた。星は、もう自分とは一緒にいたくないのだと。彼女には、すでに新しい生活がある。自分がいないほうが、きっと幸せに過ごしていける。雅臣は長い間茫然としていた。舞台の灯りが落ちて、ようやく意識が戻った。自分はこれほどまでに星を傷つけてきた。彼女が自分と一緒にいたくないと思うのは当然だ。――だが、それでも諦めない。ふたりはできちゃった結婚で、恋愛も、まともな結婚式もなかった。彼女は恋の幸せを味わうことなく、結婚そのものに希望を失った。だから、今の彼女が自分と一緒にいたくな
「気のせいかな?なんでだろう......星野の『白い月光』、まるで原作者みたいじゃない?」「原作者?A大の雲井影子のこと?確か、影子はA大の殿堂入りメンバーで、すごく謎なんだろ?いまだに顔を見た人はいないって!」「『白い月光』は演奏する名手も多いけど、原作者特有のあの音色を再現できた人は誰一人いないんだよな」「星野じゃないと思うけど?前に星野が『白い月光』を演奏した動画、私も見たけど、原作者の雰囲気とは全然違ってたし」「前に星野が使ってたのは夏の夜の星じゃなくて、無名モデルのヴァイオリンだったよな?スマホにまだ動画残ってるわ」「......星野って、