LOGINその時、執務室のドアが再びノックされた。結局、ニュースがひとつも出ていないことに気づいた翔も、中へ入ってきたのだ。「翔兄、明日香、どういうことだ?どうしてニュースが出てないんだ?」靖は無表情のまま、秘書が調べてきた内容を翔に伝えた。怜央の仕業だと聞き、翔も一瞬言葉を失う。それから、明日香の方を振り向いた。「明日香、どうして怜央がお前のニュースを止めたんだ?そういえば昨日、パーティーで怜央を見かけたって言ってただろ。まさか、しばらく相手にしてなかったから、また面倒なことを始めたのか?」靖も明日香へ視線を向ける。「明日香。昨日、お前と怜央の間に何があった?」明日香は少し困ったような顔を見せた。「怜央には、昔とても気に入っていた画家がいたの。その人の名前はsummer。つまり、星のことよ」その言葉に、靖と翔は顔を見合わせた。星がsummerだったことは、もうずっと前に表に出ていた。もともとは、星の黒い噂やスキャンダルを掘り起こそうとした人間たちがいたのだ。だが結局、大した醜聞はほとんど出てこなかった。その代わりに、星が持っていた別の顔が次々と掘り当てられた。画家summerも、その一つだった。しかも、いわゆる黒歴史として出された話も、結局は「過去に一度結婚していた」「子どもがいる」といった程度のものばかりだった。そしてそれも、すぐに星側が処理してしまった。その時、彩香は逆に相手メディアを強く叩き、SNSでも公然とこう言い放っている。「私たちは道徳に反したこともしていないし、法律を破ったわけでもない。いつから離婚歴があったり、子どもがいることが、スキャンダルや黒歴史になったんですか?それって差別じゃないんですか?どうして、一度離婚した人は新しい人生を生きる資格がない、みたいな話になるんです?」今の時代、離婚率は高い。そんな話題を持ち出して仕掛けたメディアが、まともに戦えるはずもなかった。離婚経験のある人はもちろん、そうでない人たちですら、失敗した結婚を持ち出して人を叩くなんて、あまりにも品がないと感じたのだ。その直後、星が多才であることまで次々に明らかになり、世間の評価は一気にひっくり返った。むしろ彼女への支持はさらに高まっていった。今では、業界内での星の知名度も評判も、明日香に少しも劣らない。当然
ああいう男たちに比べたら、仁志はどれほどましか。彩香は、良くも悪くも現実的な人間だった。彼女はずっと、愛情というものは結局、その人がどこまで差し出せるかに表れると思っている。仁志は、たいていのことを計算に入れられる男だ。けれど、ただひとつ――感情だけは別だった。星と一緒にいたい。そう思ったからこそ、彼は自分にできる最大限の誠意を差し出したのだ。星は、家柄だの立場だの、そういう客観的な条件をあれこれ気にする必要はない。そんなものは全部、仁志が先に片づけてしまう。彼女が考えればいいのは、たった一つだけ。――自分が、仁志と一緒にいたいのかどうか。それだけでいい。彩香は、自分の考えをそのまま星に伝えた。「あなたってさ、恋愛すると気が散って、判断まで鈍るんじゃないかって不安なんでしょ。たしかに、相手によってはそうなることもあるかもしれない。でも、仁志となら絶対違うよ。あの人、今までずっと、いろんなことをあなたに教えてきたじゃない。その人が、そういうバランスも取れないわけないでしょ」少し声を和らげる。「それに、星はM国に来てから、ずっと気を張りすぎてる。ヴァイオリン弾くあなたなら分かるでしょ?弦って、張りすぎたら切れちゃうの。だから、たまには少し力を抜かなきゃだめなんだよ」それから、少しだけ表情をやわらげた。「もちろん、仁志が昔、清子を助けたことを思い出して、まだ引っかかったり、気持ちが複雑だったりするのも分かるよ。だったら、別にすぐ返事しなくたっていいじゃない。もう少し追いかけさせればいいの。その間に、自分の中のもやもやだって整理できるでしょ」そして、はっきりと言った。「でも私、仁志ならきっと、今までとは違う恋愛をちゃんと体験させてくれる思うよ」そこまで話して、彩香はふと雅臣のことを思い出し、また引っぱり出して一発殴りたくなった。だが、目の前の星があまりにも疲れた顔をしているのを見て、彼女は椅子のそばへ寄り、そのこめかみをやさしく揉みほぐした。彩香は、星がまだ溝口家にまつわる噂を気にしているのだと思い、口調をさらにやわらげる。「それに、溝口家の噂のことだけど……今どきあんな封建的で迷信じみた話、どう考えても悪意ある連中の作り話でしょ。星、忘れたの?昔、ネットの工作アカウントがあなたのこ
彩香は星に付き添ってオフィスへ入ると、彼女のためにコーヒーを淹れた。そして、つい口を開く。「星、昨日は仁志とパーティーに行っただけでしょ?なのに、なんでそんな寝不足みたいな顔してるの?」そこでわざと間を置き、彩香は星を上から下まで眺め、意味ありげに笑った。「まさか……仁志に告白された?」星は顔を上げ、彩香を見る。「彩香、知ってたの?」彩香は、当然でしょ、という顔をした。「そりゃ分かるよ。最初は気づかなくても、正体を明かしたあとの仁志なんて、もうだいぶ分かりやすかったし。好きでもない相手に、あそこまで手を貸すわけないじゃない。あの程度の後ろめたさだけで、あんなにあれこれしてくれる人じゃないよ」星は疲れたように眉間を揉んだ。「……そういうものなの?」彩香は頷く。「あなたが離婚してまだそんなに経ってないことも、傷ついてることも分かってた。だから私も、わざわざ言わなかったの」たぶん仁志も、あの時すぐ口にしなかったのは、もう少し時間をあげたかったからだと思う」そこまで言ってから、彩香は星の表情をうかがい、さらに続けた。「星。実はずっと前から、仁志のあなたへの接し方って、もう雇い主と護衛の範囲を超えてたのよ。ただその頃は、星の方に男女としての気持ちがなかったから、そっちの方向で考えない限り、彼の本心になかなか気づけなかっただけ」少し笑って、言う。「でも今は違う。仁志がはっきりさせたってことは、今回戻ってきたのは、あなたにちゃんと気持ちを伝えるためってことでしょ」昔、仁志が彩香を呼び戻し、星の世話を任せた時。彩香には、なんとなく分かっていた。――この人、もう戻ってこないかもしれない。途中でどうして気が変わったのかは分からない。けれど、戻ると決めた以上、何もしないままでいるような男じゃない。仁志はもともと、遠回しに気持ちを伝えるタイプではなかった。彩香は、彼も多少は星ともう少し気持ちを育ててから告白するのかと思っていた。まさか、いきなり本命をぶつけてくるとは思わなかった。本当に、普通の手順をまるで踏まない。でも、それがいかにも仁志らしいとも思った。気持ちなら、二人の間にはもう十分育っている。もし影斗や航平みたいに、ただ機会を待っているだけなら、他の求愛者に先を越されるだけだ。
星は冷ややかな顔のまま、自分の手を怜央の手から引き抜き、そのまま立ち去ろうとした。すると怜央が、淡々とした声で言う。「どうしてあいつが戻ってきたと思う?」その一言に、星の足がほんのわずかに止まった。背後から、怜央の声が追いかけてくる。「あいつが、見返りもなく誰かに尽くすような人間だと思うなよ。今回戻ってきたのだって、結局は報酬を取り立てに来ただけだ。溝口家の噂くらい、お前も聞いてるだろ。ああいう男は、そう簡単に振り切れる相手じゃない」本来なら、星は怜央の相手などするつもりはなかった。けれど、仁志をそんなふうに言われて、さすがに不快感が込み上げる。彼女は振り返り、怜央をまっすぐ見た。「ああいう男ですって?」声は冷たかった。「たとえ仁志がどれだけろくでもない人だったとしても、あなたより千倍も万倍もましよ。人を悪く言う前に、自分が何をしてきたか思い出したら?あなたがしてきたことだって、仁志より特別まともなわけじゃない。少なくとも、仁志は罪のない人まで巻き込んだりしないわ」怜央の瞳が、すっと細くなる。仁志が、かつて彼女に深い傷を残したのは事実だ。星だって、仁志が善人じゃないことくらい分かっている。ついさっきだって、彼は彼女に隠していた欲を見せたばかりだった。それなのに、誰かが仁志を悪く言うと、星は真っ先に彼を庇う。――助けられたからか?それだけで、あれほど簡単に過去を水に流して、迷いなく仁志の側に立てるものなのか。怜央の胸を、これまで知らなかった感情がかすめた。それは、嫉妬に近いものだった。そんなふうに誰かに庇われたことも、無条件で選ばれたことも、彼には一度もない。不意に、奇妙な考えが頭をよぎる。――もし自分も、仁志みたいに彼女を助けていたら。彼女は、自分のこともあんなふうに庇ってくれただろうか。怜央自身、分かっていた。たとえそうしていたとしても、星が仁志に向けるようなまなざしを、自分に向けるとは限らない。それでも、一度も手にしたことのないものへの渇きが、頭の中をぐるぐると巡り続ける。まるで何かに取り憑かれたみたいに。怜央が星を見る目は、少しずつ深く、重たくなっていった。その変化に気づき、星は思わず数歩後ずさる。けれど、仁志を前にした時みたいな狼狽えではない。その顔に
星は、ノアとどう知り合ったのかを簡単に仁志に話した。仁志はふっと目を伏せ、口元に意味ありげな笑みを浮かべる。「彼、どうやら……お前のことをかなり気に入ってるみたいだな?」その底の見えない眼差しを向けられて、星は思わず視線をそらした。「ノアが私に少し好意を持ってるのは確かよ。でも……どちらかというと、尊敬とか憧れに近いと思うわ」すると、頭上から仁志の声が落ちてくる。「でも俺には、ただの尊敬や憧れには見えないんだが?」星は言葉に詰まった。西洋人らしく、ノアは明るく率直だった。彼は星への好意を、これまで一度も隠したことがない。ノアが本気で自分を追いかけようとしていると知ったとき、星は一度、きっぱり断ったことがある。けれどそのときノアは、こう言ったのだ。「星、お前には俺を拒む権利がある。でも、俺にもお前を好きでいる権利はある」その後、星は仕事が忙しくなり、ノアからの誘いも何度か断った。そうしているうちに、二人の連絡は少しずつ減っていった。少し考えてから、星は言う。「もう一年も経ってるもの。ノアにはもう恋人がいるかもしれないし、別に好きな人ができててもおかしくないわ」仁志はさらに尋ねた。「もし彼にデートに誘われたら、行くのか?」星は一瞬、目を見開いた。――その質問は、あまりにも仁志らしくなかった。正確に言えば、昔の仁志ならこんなことは聞かなかった。けれど今の彼は、もう昔の彼のままじゃない。星の瞳がわずかに揺れる。「うーん、断るかな」すると仁志は、ほとんど間を置かずに言った。「じゃあ、俺なら?」星は、すぐには意味を飲み込めなかった。「え……?」仁志は少しだけ身をかがめ、その整った顔を彼女へ近づけた。ぬくもりを帯びた息が、頬をかすめる。その瞬間、周囲の空気まで熱を帯びたように感じた。「俺がお前を誘ったら、応じるのか?」星のまつげが、かすかに震える。反射的に、彼女は仁志の手を振りほどこうとした。だが、逃げようとした気配を察したのか、その手はすぐにきつく握り返された。腰に回されたもう片方の手にも、さっきより強く力がこもる。長身の男の体が、彼女をすっぽりと包み込む。星は完全に仁志の腕の中に閉じ込められ、逃げ場を失った。――彼は、もう彼女に逃げ道を与えるつもりが
事情を話すと、ノアは彼女を困らせるどころか、むしろ自分のことを優先していいと言ってくれた。それだけではない。ワーナーのことで彼女が悩んでいると知ると、自ら招待状の手配までしてくれた。そのうえ、実際にワーナー本人に会わせてくれたことまである。ノアは、自分の好意を隠そうとしなかった。けれど当時の星は離婚したばかりで、頭の中は仕事のことでいっぱいだった。恋愛に気持ちを向ける余裕なんて、まるでなかったのだ。その後、星がM国へ来てからは、二人の連絡も少しずつ途絶えていった。だからこそ、こんな場所で突然ノアと再会し、星の胸にも旧友に会ったような懐かしさと喜びがこみ上げた。「ノア、久しぶりね」ノアの青い瞳が、まっすぐ星へ向けられる。その目には、抑えきれない驚きと感嘆が浮かんでいた。――星は、以前よりずっと綺麗になっていた。昔の彼女の美しさは、どちらかといえば整った容姿そのものにあった。けれどあの頃の彼女には、どこか拭いきれない陰りがあった。今は違う。内側からにじみ出る自信が、彼女という存在そのものを輝かせていた。その光が、以前よりさらに強く人を惹きつける。ノアは、しばらく目を離せなかった。何かを言おうとした、そのとき――横から、澄んだ声が差し込んだ。「星、紹介してくれないのか?」その声でようやくノアは気づく。星の隣に、若く美しい見知らぬ男が立っていることに。その男は、彫刻のようにくっきりとした顔立ちをしていた。彫りの深い西洋人たちや長身の男たちに囲まれていても、ひときわ目を引く存在感がある。雅臣でもない。影斗でもない。その二人なら、ノアも面識がある。だが、目の前の男には見覚えがなかった。ノアは隠すことなく興味をのぞかせる。「星、この方は……?」星は言った。「ノア、彼は仁志……私の友人よ」それから、今度は仁志のほうを見る。「仁志、こちらはノア。昔からの知り合いなの」仁志はノアと握手を交わした。「ノアさん、お会いできて光栄です」ノアも礼儀正しく応じる。そして、仁志が今夜の星のエスコート役だと察すると、微笑みながら尋ねた。「仁志さん、星とは本当に久しぶりに会えたんです。よければ一曲、彼女をお借りしても?」その瞬間、仁志の黒い瞳がわずかに深くなった。だが次の瞬間には、何
星の瞳が、ぱっと明るくなった。だがすぐに、不安げに眉を寄せる。「でも……さっき、Qがランキング一位って言ってたよね。その人は、Qに勝てるの?」仁志は、淡々と答えた。「彼は、人前に出るのが嫌いですね。ランキングなんかには参加していません」星は、まっすぐ彼を見つめる。「その人……信用していいの?」「できます」即答だった。「仁志、その人と仲がいいの?」「まぁ。子供の頃からの付き合いなんで」意外な答えに、星は目を瞬いた──仁志に、幼馴染なんていたんだ。彼と初めて会った頃、彼の周りには、本当に誰もいなかった。記憶を失っていたという事情があるにせよ、彼の口から「
誰だって、そんな危ない話を自分から吹聴したりはしない。やるなら、気づかれないようにやる――それが普通だ。そのとき、翔が口を開いた。「こういうことは、きっちり調べておいたほうがいい。もし星の資金が、本当に雅臣や影斗のものじゃないとしたら?あの二人の資金繰りに余裕がある状態で、俺たちが軽率に動いたら――逆に足をすくわれかねない。雅臣も影斗も、簡単に見くびっていい相手じゃない。隙を見せたら、こっちが大怪我をする可能性だってある。それに……星との関係を、決定的に壊すことにもなりかねない」忠は、じろりと翔をにらんだ。「翔、お前がそこまで腰が引けるなんて珍しいな。雅臣の金じゃな
ちょうどそのとき、扉のほうでノブが回る音がした。浩太は、びくりと肩を震わせて扉の方に目をやった。ゆっくりと部屋に入ってきたのは、若く整った顔立ちの男だった。すらりとした長身に、非の打ちどころのない容姿。まとっている空気は、どこか優雅で、氷のように冷たい。どう見てもただのボディーガードなんかじゃない。浩太はすぐに相手が誰かに気づき、怒鳴り声を上げた。「お前か!星のヒモ野郎!」その瞬間、仁志の黒い瞳が細くすぼまる。深い闇を思わせる冷たい視線が鋭く光り、言葉にできない圧が、室内の空気を一気に重くした。浩太の背筋を、ぞわりと冷たいものが走る。理由なんてわからない。ただ本能が
なんて卑劣で、悪辣な手口だろう。星は、自分の体温がじわじわと上がっていくのをはっきりと感じていた。浩太は、今まさに艶やかさを増していく星の姿を前に、思わず喉を鳴らした。これほどの極上の女なら、利益云々を抜きにしても、一度抱けるだけで十分すぎるほどだ。彼は期待に満ちた表情で拳をこすり合わせ、星へと歩み寄る。事前に解毒剤を飲んでいたはずなのに、今はそれ以上に高揚し、興奮していた。「お前は先に出ていけ」彼は秘書の女に手を振った。人に見られる趣味はない。秘書はカメラの準備を整えると、足早に部屋を出て行った。ドアが閉まった瞬間、中から鈍い音が響いた。――ドン。







