تسجيل الدخولこれは夢だろうか?
立ち止まりながら、そう私は思案した。
私は佐藤穂香。
父子家庭で育った16歳の女子高生。
決して贅沢は出来ない生活の中で、幼馴染み兼親友の相羽優子ちゃんが貸してくれるゲームや漫画がいつもの楽しみだった。
「これ、面白いんだよ!」
ある日、いつも以上に興奮して貸してくれたゲームが【英雄の学園と鎮魂の歌】だった。
【英雄の学園と鎮魂の歌】
ゲーム内の主人公となり男性4人との恋愛を楽しむいわゆる乙女ゲームというもの。
一般人だったはずの主人公は貴族の娘だったことが発覚し、貴族の子女達が集まる魔法学校へ編入することとなる。
ゲームの特徴は恋愛要素と同じくらい力の入った育成要素。授業や自主練習できちんとステータスを上げないと落第してしまいゲームオーバーになる上、規定以上の数値でないと恋愛イベントも起こらない。
クリアはなかなか大変だったが、それ故に主人公に思い入れがあってプレイするのはとても楽しかった。
それは優子ちゃんも同じ。普段は遊ばないはずの乙女ゲームというジャンルだったが、元々好きだった育成ゲームに近いおかげですんなりゲームを始められた。
今回、突然このゲームを買ったのは、表紙のキャラクターの一人に一目惚れしたのだとか言っていた。
私も同じく、このゲーム内ではじめてキャラクターに一目惚れをした。
今まで見てきた様々な漫画やゲームのキャラクターの中で、一番の推し。そう言えるくらい大好きで夢中だった。
豪華な声優が配役され、美麗な立ち絵も付き、人気キャラクターランキングで上位にいながら、名前すら出なかった【死にキャラ】。
リリアンナ・モンリーズの最側近の侍女。
冷静沈着なメイドでありながら、その正体は元暗殺者の青年。
彼は男嫌いのリリアンナに無理矢理女装することを強いられた、彼女の被害者の一人だ。
ゲーム内の主人公が彼と会話することにより、リリアンナの弱点が暴かれていく。
彼と会話するためだけに、何度第一王子ルートを周回したか分からない。
「行こうか、リリー」
お父様が私の手を握り直す。
手袋越しからも伝わる逞しくてしっかりした手のぬくもりは、穂香だった頃のお父さんを思い出させた。
これはきっと夢だ。
あの時、確かに死んだはずの私がこうしてリリアンナになり、どこかに行こうとしている。
「会わせたい人がいるんだ」
そう話すお父様の目は輝いていて、とても嬉しそうだ。
私を連れていく先には、不思議とあの彼がいるような気がした。
これはきっと、ただの夢。
死んだはずの私が死に際に見ている夢。
そこであの彼と実際に会って、話が出来たらどれだけ嬉しいだろう。
神様も最後に少しくらい良いことをしてくれるものだ。
恭しくメイドさんが開けてくれた扉の中は広くて豪奢な応接室だった。
微かに見覚えがある気がするのは、ゲーム内でリリアンナの家を訪ねた時に背景として使われていたからだろう。
深紅の絨毯を踏み締め中へ入ると、落ち着いたソファに座る人物がいた。
今の私よりも少し年上に見える、冷たい目をした男の子。
いや、服装からそう思えるだけでドレスを着れば女の子と間違えるだろう。
それほど中性的な顔をした、可愛らしい男の子だった。
俯き伏せたまつ毛から覗くのは、鮮やかな空色の瞳。
つい最近切ったのか、綺麗に切り揃えられたシルバーグレイの髪は艶やかで枝毛一つ無い。
それを見て、始めて私は女装時の彼が黒髪のウィッグを被っていたことに気付いた。
ウィッグが外れ難いよう編み込まれた髪が、地毛だったのか。
しかし、黒髪でもシルバーグレイでも、彼が美しいことに変わりはない。
つんと唇を尖らせた彼は、無表情ながら少し不機嫌にも見える。
お父様と私が近づくと、彼は目線をこちらに向けた。
一瞬目が合ったと思うと、その視線はお父様の方へ向く。
そのほんの一瞬だけで、私の心臓が跳ね上がるには十分だった。
本物だ。
幼少期とはいえ、何度もゲーム画面で見ていた彼が目の前にいて動いている。
もうこれだけで、目に見えない神様に平伏低頭したって構わない。
神様ありがとうございます!
膝から崩れ落ちなかっただけで、今の自分を褒めてあげたい。
「リリー? 聞いてるかい?」
しばらく呆けていた私に、お父様が声をかける。
「な、なんでもありません。あまりにもおきれいだったから、びっくりしました」
自然と口からはお嬢様言葉がこぼれ出る。
自分で聞くと不自然に感じるのに、妙に馴染んだ話し方は嫌ではない。
「そうか。この子は、私の親友の子供でね。親友が亡くなった騒ぎで行方不明になっていたのを、最近ようやく見つけたんだ」
なるほど。
ゲームでは何故彼がリリアンナと共にいたのかは詳しく語られなかった。
彼の父とリリアンナの父が親友同士で、亡くなった親友の忘れ形見を預かったということか。
「この子は行く先が無いからね。うちで預かろうと思うんだ」
「おとうさまのこになるの?」
「いや、事情があって養子には出来ないんだよ。だから、使用人の一人という扱いにするつもりなんだが」
貴族の父の親友ならば、彼の両親も何らかの地位があったに違いない。
養子として迎えてしまえば済んだ話なのに、彼がリリアンナの侍女になっていたのは不思議だった。
それが無ければ、きっとリリアンナに女装を強要されて肩身の狭い思いをしなくて済んだだろうに。
「養子という制度をよく知っていたね? 聞かれなかったら、その辺りは説明しなくても良いかと思ってたんだが」
「メ、メイドのジョセフィーヌがそんなことをいってました」
「へえ? 子供の前でするような世間話では無いだろうに。偶然聞いてしまったか。……ジョセフィーヌなんてメイド、うちにいたかな?」
ゲームや漫画で知りました! なんて言えるわけがない。
首を傾げつつ、しゃがみこんだお父様は彼と目線を合わせた。
「前にも話したが、この子が私の娘のリリアンナだ。今日から一緒に暮らすことになる」
「リリアンナ・モンリーズです」
二人に視線を向けられ、緊張しながらぺこりとお辞儀をする。
この体に染み付いているのか、お辞儀と共にまだ少しぎこちないカーテシーをすることは忘れない。
彼の視線が私に向く。
綺麗な空色の瞳に、私はどう映っているのか。
考えただけで顔が赤くなりそうで、私は必死に冷静さを保つ。
「そう」
短い相槌が、彼が始めて発してくれた物だった。
これが将来あのイケボになるなんて不思議に思えるほど、清んだ声。
推しの幼少期の声が、聞けた。
それがたまらなく嬉しい。
思わず顔を上げて満面の笑みを浮かべてしまった。
「よろしくおねがいしますわ!」
彼は少し驚いたように目を見開くと、すぐに目を反らす。
どうしたのかと心配になったが、その頬が微かに赤みを帯びているのを見て照れているのだと察する。
なんて可愛いのだろう。
「あなた、おなまえは?」
ゲーム内でも、彼はメイドとしか表記されず、どこにも名前が無かった。
どんな名前だろうかと、SNSで彼を推している女性達が想像を膨らませた話をよくしていた。
私もその輪に参加していたのだ。
気にならないわけがない。
内心ワクワクしながら返事を待つ私に、お父様が困ったような笑みを向けた。
「悪いんだけどね、リリー」
私の肩にお父様が手を乗せて、目線を合わせる。
その後ろで彼は眉を潜めて俯いた。
「この子には、名前が無いんだよ」
名前が、無い?
それはゲームの設定がそうだったとか、そんな話ではなく?
名前が無いなんて、そんなことってあるの!?
ロミーナの表情は晴れやかで、セドリックも嬉しそうに笑みを返す。「そこにいたのネ。二人共」声をかけられて振り返ると、ヤコブとドミニカが立っていた。ライハラ連合国の伝統衣装を二人とも着ている。ドミニカはヤコブを国に連れ帰る気まんまんらしい。しかし、ヤコブはそれで納得しているようで、少し嬉しそうに彼女と腕を組んでいた。「探しちゃったワ。私がいないト、周りがうるさいかもしれないかラ」そう言いながら、ドミニカはぐいぐいとヤコブの腕を引っ張ってロミーナの隣に並ぶ。ヤコブはそのまま大人しくついて行く。前世でも、かかあ天下だったのが目に浮かぶようだ。実際、私達やドミニカの登場でロミーナへの嫌味な視線や陰口は鳴りを潜めていた。そりゃ、友好国となったライハラ連合国の令嬢と、養女になった成績優秀者。文句なんて言おうものなら外交問題だ。そんな様子を見て、私はほっと胸を撫で下ろした。「良かったな」「ええ」シヴァも二人を見て口元が緩んでいる。身分差のことなどを考えると、彼も結構ロミーナに同情と共感を覚えていたのかもしれない。そんな彼女が、なんとかああやって幸せそうにしているのだ。安心したことだろう。それからメロディと共に談笑しながらケーキや軽食を摘まんでいると、一斉に楽器が鳴らされた。王族入場の合図だ。私達は手を止めて、ホールの上座を見つめた。壇上のカーテンが開けられ、王族達が顔を出す。そこにはアレクサンドと腕を組んだイザベラもいた。お揃いの黄金色のドレスが目に眩しい。きっちりと髪をアップに結い上げたイザベラの蜂蜜色の髪に、よく似合っている。陛下と王妃様が玉座に座り、奥の左右の席にアレクサンドとイザベラ、レオナルドがそれぞれ座った。「……行ってくる」「私も、失礼しますね」
「リリアンナ嬢! こんばんは!」振り返れば、メロディが立っていた。今日の式で正式に魔導士団への入団が認められるのだ。彼女もまだデビュタント前だが呼ばれていたようだ。華やかな桜色のドレスが、ストロベリーブロンドによく似合っている。赤い花模様や黒い手袋はステファンの色だろうか。ステファンから贈られたのだろうと想像すると顔がにやけてしまう。「イザベラ嬢がいないんですけど、どこに? せっかくだからご挨拶したくって」「アレクサンド様の婚約者として一緒の入場なんでしょうね。彼女はもうデビュタントも終わっているし」私の言葉にメロディは納得したように頷いた。「ステファン様は?」「今日は側近としてアレクサンド様の護衛に……お仕事なのでしょうがないですね」少し気にしていたのか、寂しそうに笑う。そんな彼女を励まそうと、私は耳元に口を寄せた。「仕事をするようになれば、ずっと一緒にいられるわね」「はい!」私の言葉にメロディが笑顔を取り戻す。その様子を見て、パートナーのいない彼女と一緒に過ごすことに決めた。メロディは私達のことを、キラキラとした目で見ている。彼女には話したし、昔馴染みであり秘密の関係だった私達が並んで立っているのが興味深いのだろう。三人で一緒に談笑していると、シヴァから腕をつつかれる。何事かと思い顔を上げると、彼の視線の先。壁際の隅の所に二人で立つ、セドリックとロミーナが見えた。明らかに人目を避けている。まあ、裁判でドミニカの家の養子になると伝えられたとはいえ、犯罪者の娘という周囲の目は変わらない。ロミーナとしては気まずいだろう。メロディにも合図をして、私達は彼女達の所へ向かった。このまま俯いて過ごすなんて、そんなのダメだ。見過ごせない。近づいてみると、二人は何
この前送られてきたプレゼントがこれだった。美しい白いシルクに白銀の刺繍が入れられたドレス。露出は控えめでシンプルながら、ドレープの美しさと淡い紫色のグラデーションが映えている。胸元や腰にあしらえられたリボンや宝石は、シヴァの瞳と同じ空色だ。このドレスに合わせて、髪は項が見えるようにまとめてもらった。編み込まれた空色のリボンと、長く垂れた白いシフォンが花嫁のベールのように靡いている。互いの色を纏ったお揃いの衣装だ。誰がどう見ても、ここがペアと言うのは分かるだろう。実際、私が入場してから視線を向けていた男性達が、シヴァの登場と同時に一斉に目を逸らしたのだ。シヴァの所に居た女性も同様。まあ、公爵令嬢とアレクサンドに認められた元王子という組み合わせには、誰も入り込もうと思わないだろう。ずっと、こうなりたかった。公の場で、私にはシヴァしかいないし、シヴァは私のものなのだと胸を張って主張したかったのだ。「ご機嫌だな」「だって、ずっとこうしたいって思ってたんだもの」小声で囁き合う私達を、傍にいたお父様が微笑ましそうに眺めている。そんなお父様に笑顔を向けると、邪魔にならないようにか他の貴族との社交に行ってしまった。これで完全に二人だ。「王宮では何をしていたの?」「この後の爵位授与式の打ち合わせやら、アレクサンド殿下の側近になるのにどこ配属になるとか」「なかなか忙しそうね」「まあな」そう呟くと、シヴァはまじまじと私のドレスを眺めた。「……合間にデザイナーを呼んでオーダーメイドしたんだ」私も一歩離れ、くるりと1回転して彼にお披露目する。そんな忙しい合間に、こんな素敵なドレスを準備してくれていたのだ。彼には感謝しか無い。「リリーによく似合ってる」「ありがとう! シヴァも凄く素敵よ」お互いに褒め合うと
ドミニカの邸宅には、ヤコブも来ていた。彼はドミニカの私室でコーヒーを飲んでいる。「……やっぱり、苦い」「まだまだ改良が必要ね」渋い顔をしているヤコブを見て、ドミニカは眉を顰めながら何かをメモしていた。そんな彼女をチラッと見ると、ヤコブは再び目を逸らす。ドミニカは役目を終え、もうすぐ帰国する予定だ。学園も、もうとっくに留学を終える通知を出している。二人が会えるのは、後数日しかない。……まあ、ヘルトル家の了承を得たら、結局ヤコブがドミニカの所へ行くことになるのだが。「パーティまではいるんだっけ?」「そうよ。ロミーナのことも見届けて、お父様に報告しないとね」「……申し訳ないな。我が家はレスピナス家よりも家格は下だし、経済力もない。せっかくのパーティなのに、何もあげられないや」少し落ち込んだように呟くヤコブは、ぐいっと残りのコーヒーを飲みほした。空になったカップを机に置くと、いつの間にかドミニカが目の前にいた。「何言ってるのよ。私が貴方に与えるのよ。大人しくプレゼントを待つような、そんな女々しい人間じゃないのは知ってるでしょ?」いつの間にか、ドミニカは手袋を外していた。素肌で、そっとヤコブの頭を抱える。「今度は百年一緒に生きましょう」「人間の寿命はせいぜい120年。この世界の医療技術から考えても、せいぜい70歳がいいところ……」「もう! 情緒がない! それでも乙女ゲーム制作者なの⁉ 寿命なら私が研究して伸ばしてやるわ!」「痛い痛い痛い……」抱きしめたヤコブの頭部をドミニカがきつく締めあげる。頭蓋骨の悲鳴を聞きながら、ヤコブはパタパタと降参するように腕を動かした。***
「……懐かしいですね」「ああ」その路地は、二人が出会った場所だ。男達に囲まれても負けずに立ち向かい、子供を守ろうとした少女。それがメロディだった。メロディは今もあの頃と変わらない明るい笑顔を見せてくれる。それが、ステファンにとってはありがたかった。「あ、お姉ちゃん!」声がして振り返ると、そこにはあの時の子供がいた。二人を見て走ってくるその子は、あの時よりも随分体格が良くなっていた。明らかに痩せいていた過去と違い、今は頬もふっくらと丸みを帯びている。「あれ? 今日はあの時のお兄ちゃんも一緒だね。あの時はありがとうございました!」背の高いステファンを見上げて、子供は笑顔でお礼を言う。そんな様子を見て微笑むと、ステファンは地面に膝を付き子供と同じ目線になる。彼に頭を撫でられ、その子は嬉しそうにしていた。「あれからたまに様子を見ていたんです。お父様がご病気で働けなくてこの子も仕事に出ていたそうですが、今は全快して働く必要もないようです」「教会でお勉強したりしてるよ。あとは、家のお手伝い」「また今度、遊びに行かせてね」「うん!」遠くから名前を呼ぶ声が聞こえる。子供は顔を上げると、慌てて声の方へ駆けていった。もちろん、メロディとステファンに向かって手を振ることも忘れない。笑顔で元気に手を振り返すメロディを、ステファンは温かい目で見守っていた。視線に気づき、メロディははっと動きを止める。「あ、寄り道しちゃってすみません! 大荷物も持っているのに……」「いや」メロディは慌てて箱を持ってあげようとするが、ステファンは荷物を高く掲げて彼女の手に届かないようにした。そのままの勢いで、メロディが彼の胸に飛び込んでいく。「……惚れ直した」耳元で囁か
昼食の時間。いつものメンバーが顔を合わせる。セドリックとマルグリータも合流し、一気に賑わいが増してきた。今日は私の復帰祝いなのか、食事もいつもより少し豪華な気がする。「お帰りなさい、リリアンナ嬢」「ただいま。セドリック様は、ロミーナとの関係はどうなの?」「父上には婚約申込書にサインしてもらってましたからね。黙って提出してしまおうかと」「……それ、怒られないかしら?」ちょっと心配ではある。確か彼は父親だけで母親はいないはずだ。その唯一の親と揉めなければいいのだが。ロミーナに落ち度はないとはいえ、罪人となったアマトリアン辺境伯の娘。しかも、ライハラ連合国に養子にもらわれていった娘だ。結婚して嫁ぐのは簡単ではないだろう。そうはいっても、セドリックの表情は明るく、嬉しそうだ。二人でなら、なんとかやっていけるのかもしれない。「セドリック様も、この一年ずっとソワソワしていましたから。今は嬉しそうで安心しましたわ」マルグリータが隣で笑っている。乳白色の髪を今日は下ろし、アップルグリーンのカチューシャを付けている。シンプルな髪型だが、元が良いのでよく似合っていた。「そういえば、メロディ嬢の方はどうなっているの? ステファン様との婚約の件」メロディは話を振られて、頬を赤く染めて慌てている。ロミーナという婚約者がいたため、変な噂が出る恐れもあり二人の関係はずっと進まずじまいだった。元々ステファンが奥手というのもある。ゲームではロミーナを断罪したことで、正義はステファンにあると明確に示され誰からも反対されることはなかった。しかし、今はそうはいかない。とはいえ、もう婚約解消してから約一年が経つのだ。その間にこれだけの騒ぎが起こったし、もう二人が婚約したところで変な噂は立たないだろう。「えっと…&hell







