佳奈が玄関へと向かい、リビングには俺と佳奈の父・五郎さんが残された。「夏也君は近所に住んでいて昔から家族ぐるみで仲が良くてね……佳奈とも歳が近いから遊び相手なんだ」五郎さんが、少し申し訳なさそうに説明してくれた。その声を聞きながらも、俺の耳は玄関から聞こえてくる声に集中していた。「おー!なんだ佳奈、居たのか。久しぶりだな。元気だったか?」「うん、元気でやっている。夏也は?」「俺も元気でやってるよ。ずっと佳奈に会いたかった。」夏也という男の快活で親しげな声。そして、それに続く佳奈の声はどこか戸惑いを含んでいるように聞こえた。ずっと会いたかったーーー昔仲が良かった相手との再会を喜んでいるのか、それ以上の意味があるのか分からなかったが俺が口にしない言葉をサラッと言う夏也という人物は、なんだか自分とは違う存在に感じた。「あれ、これおじさんの靴じゃないよね?誰か来ているの?」玄関の土間にある俺の靴を見たのだろう
立ち上がって玄関に向かうと、明るい笑顔の夏也が立っていた。そして、視線は私の後ろのリビングの扉に向けられているようだった。「おー!なんだ佳奈、居たのか。久しぶりだな。元気だったか?」「うん、元気でやっている。夏也は?」「俺も元気でやってるよ。ずっと佳奈に会いたかったんだ。」「……。」私は何と返せばいいのか分からず戸惑った。「あれ、これおじさんの靴じゃないよね?誰か来ているの?」夏也は誰にともなく、不思議そうに尋ねてきた。玄関にきれいに並べられた啓介のドライビングシューズは、洗練されたデザインと上質な革の質感で父が普段履くサンダルやスニーカーとは全く違う。父がこんな綺麗めで細身の靴は履かないことに、夏也はすぐに気づいたようだ。私が答えようとする前に、横にいた三奈が少し得意げに口を開いた。「これは啓介さんの。お姉ちゃんの彼氏で、今度結婚する予定なんだよ。」『結婚』。その言葉が夏也の耳に入った瞬間、彼の顔からスッと笑顔が消えた。そして
夕食を食べているとインターホンが鳴り響いた。こんな時間に誰だろう、と皆が顔を見合わせる。母の美香さんが「はーい」と声を上げ玄関へと向かっていくと、すぐに男性の明るい声が聞こえてきた。その声はリビングにまでハッキリと筒抜けだった。「おばさん、こんばんは。佳奈いる?帰ってきたって聞いたからさ、お土産持ってきたよ」「あら、夏也くん。わざわざありがとう。」「これ、佳奈が好きなやつだから食べたいかなと思って。あとこれはおばさん分。三奈ちゃんにこの前せがまれたんだよ。でもその時、現金持ってなくて、今度持ってくるって約束してたから!」美香さんは、その後も夏也という人と立ち話を続けている。声の雰囲気や口調には親しみが込められており、仲がいいことが伺えた。三奈ちゃんも自分の名前が出てきたので、玄関に顔を出しに行ってお礼を言っている。「わー!ほんとだ!夏兄ちゃんありがとう!嬉しい。」「おう、いいよ。三奈ちゃんは妹みたいなもんだから。」佳奈にも声は聞こえているはずだが、俺に気を遣ってか椅子に座ったままだ。「俺が一人になるのを気にしているなら大丈夫だから、佳奈も顔出して来たら?」「あ、うん。ありがとう。それなら少し顔出してくるね」
その後も、佳奈の実家で夕食をご馳走になりながら会話は続いた。訪問してから既に四時間以上、リビングで話を続けていることに俺は圧倒されていた。自分の親と、こんなにも長く途切れることなく会話を続けた記憶はほとんどない。父は忙しく平日は帰りが遅く休日も家にいないことが多かった。母も小学生の頃は話をしたが、思春期以降は必要最低限の会話のみだった気がする。だからこそ、佳奈の家族が次から次へと会話の種を見つけ、笑い声が途切れないことに俺は驚きを隠せずにいた。「お姉ちゃんは私と一緒で昔から負けず嫌いで気が強いところあるんですけど、啓介さんは気が強い女性でもいいんですか?」三奈の真っ直ぐな瞳に見つめられ、俺は思わず吹き出しそうになった。俺の母親も最初佳奈に対して「気が強そうだ」と思っていたが、三奈も同じような印象を持っているらしい。だが、俺が佳奈に抱く感情は全く違う。「負けず嫌いは思うけれど、気が強いと感じたことはないかな。」俺は普段感じている佳奈への印象を、飾り気なく、素直に話した。「佳奈さんは、初めて会った時から向上心が強く、目的を持って行動していました。だから、『気が強い』じゃなくて、『芯の強い』自分を持っている女性だと感じています。」そう答えると佳奈は少し照れくさそうに笑っていた。三奈は、目を輝かせ、その後も俺と佳奈の出会いや付き合った経緯など質問攻めしてくる。今まで自
当日、新幹線と在来線を乗り継ぎ実家へ向かった。タクシーから見える海岸沿いの景色を眺めながら、ここで佳奈が育ったのかと思うと親近感が湧いた。「ここで佳奈が育ったのか……。」俺の故郷とは全く異なる開放的でどこか懐かしい風景。佳奈の明るくおおらかな性格はこの土地で育まれたのだろうか。やがてタクシーは海から少し入った住宅街の一角に止まった。「ただいまー!」佳奈は全く緊張する素振りもなく玄関を開ける。ご両親は家庭菜園が趣味らしく庭にはところ狭しと野菜が栽培されていた。「ようこそ、啓介くんもよく来たねー。さ、入って入って!」佳奈の言う通り、ご両親は俺のことをまるで昔からの知り合いかのように、温かく歓迎してくれた。自分の実家とは全く違うアットホームで開放的な雰囲気に驚きながらも、俺は彼らの温かさに誘われるように少し遠慮がちに中へと足を踏み入れた。リビングに通されると、佳奈の母・美香さんが出してくれたお茶を飲みながら四人で談笑していた。お父さんの五郎さんは、俺が持参した手土産を手に取り、「おお、これは!美味しそうなものをありがとう。」と満面の笑みで喜んでくれた。社員たちの選定に間違いはなかったようだ。しばらくすると玄関から、ガラガラと少し古びた引き戸の音が
あっという間に、佳奈の実家へ向かう日がやってきた。佳奈は「大丈夫だよ、うちの親は気さくだから」と笑うが、結婚の挨拶という人生の一大イベントに俺は未だに緊張の糸を張り詰めていた。俺の実家の厳しい雰囲気とは違う、とはいえ緊張しないわけがない。手土産を用意するために、社員にオススメを聞いてみた。「いつまでに必要ですか?取引先でしたらこちらで手配します。」「いや、プライベートなんだ。」メモを取って準備しようとするので慌てて、そう答えると彼らは一瞬、顔を見合わせた。そして、そのうちの一人が目を輝かせながら尋ねてきた。「プライベート……もしかしてご両親への挨拶とかですか?」「え?あ、うん。まあ……。」先日のパーティーで佳奈のことを婚約者だと紹介した影響だろう。言葉を濁したことや表情の変化から、あっという間に勘付かれてしまった。社員たちの予想は確信へと変わり、冷やかしの嵐だった。「それならちゃんとした物を選ばないとですね。いくつか見ておきます!」「社長、手土産で印象変わるかもしれないですよ!」