LOGINアウルラディスと別れ、私達は揃って山を降りた。
山の麓から馬車に乗って屋敷に向かう。「疲れただろう」 ブレイクが私の顔を見てそう言う。彼の方はまったく疲労の色が見えない。荷物をもって山を登って降りているのに、余裕そうだ。 確かに足は痛いし、体力も尽きて今すぐ横になりたいくらいだ。 何より色々な事があって。泣いちゃったりもしたし……。「はい」 私は素直に頷いた。「屋敷まで少しあるから、眠ったらどうだ」 ブレイクは自分の横にあったクッションを私の横に置いてくれる。私のところにあったのと合わせて4つ。積み上がって、ふかふかの寝床みたいになる。「帰ったら、お湯にゆっくり使って、明日はいつまでも眠っているといい」 ここにもたれかかると本当にすぐ眠ってしまいそうだ。「天幕の綻び……もしかかして、他の領地でも起きるんでしょうか」「ああ……それは、私も気になコーンワルドでの生活は自然と共に過ぎて行った。 アウルラディスに言われたから、ブレイクが色々と配慮してくれてるのかもしれない。 もともと、蔦に覆われた古城のようなこのコーンワルドの屋敷は自然にあふれている。 窓を開けるだけで、風が通ってどこか森の香りがする。 朝は鳥の声で目が覚めて、昼は庭の光が部屋に差し込み、夜は遠くの山の影が窓に映る。 アウルラディスの言葉もあったし、私は庭に出て、風を感じたり、花を眺めたりする時間が増えた。庭のあちこちに休憩所が置かれ、庭師の数が増えた気がする。屋敷の中にも緑が増えた。 そして、部屋にはいつも、リーフェルの花が飾られた。 ——いい香り。「ナノリアに良いと聞いたから」 そう言って、ブレイクが毎晩、その日の分のリーフェルの花を摘んで持ってきてくれる。 不思議と私の部屋に飾っている花は持ちが良くて、なかなかしおれないので……部屋はまるで祭壇のように花であふれるようになった。 そろそろ、一旦止めてもらおうかな。でも……。 黄色い花が壁際に、棚に、窓辺に、机に、ベッドの横にまで飾られ、ふわりと甘い香りが満ちている。 光を受けて淡く揺れる花弁は、見ているだけで胸がぽうっと温かくなる。 日が経った花には花のよさがあるし、新しい花には新鮮な香りがあって、どっちも捨てがたい。 コンコン——。 この時間の来訪にもすっかり慣れた。 ブレイクが花を持ってきてくれる時間だ。 私は急いで駆け寄って、ドアを開けた。「……ブレイク様……!」 さっき夕食で会ったばかりだったけど、一日に何度でも、その姿を見るだけで胸がほっこり温かくなる。特に夕食後のブレイクは、いつもより気が緩んでいるのか表情が柔らかくて。着崩したシャツの胸元も、かすかに香るお酒の香りも、近寄り難いくらいの大人の魅力がある。 もっとずっと一緒にいたいって、思ってしまう。「&
アウルラディスと別れ、私達は揃って山を降りた。 山の麓から馬車に乗って屋敷に向かう。「疲れただろう」 ブレイクが私の顔を見てそう言う。彼の方はまったく疲労の色が見えない。荷物をもって山を登って降りているのに、余裕そうだ。 確かに足は痛いし、体力も尽きて今すぐ横になりたいくらいだ。 何より色々な事があって。泣いちゃったりもしたし……。「はい」 私は素直に頷いた。「屋敷まで少しあるから、眠ったらどうだ」 ブレイクは自分の横にあったクッションを私の横に置いてくれる。私のところにあったのと合わせて4つ。積み上がって、ふかふかの寝床みたいになる。「帰ったら、お湯にゆっくり使って、明日はいつまでも眠っているといい」 ここにもたれかかると本当にすぐ眠ってしまいそうだ。「天幕の綻び……もしかかして、他の領地でも起きるんでしょうか」「ああ……それは、私も気になっていた。今はまだそういう報告もないが、特に調べたわけでもないからな」 各領地の統治は、基本的には領主である貴族の采配に任せている。領内の事で国の助けを借りたいときには王家へ陳情がなされるが、それも王家との関係性によるだろう。「だったら、トリスタン様のような病の人が出てくるかもしれないって事ですよね」「少し積極的に調べるか……」 ぼそりとブレイクが呟いた。 摂政の立場として言っているんだろうか。 借り物の国政を、きっちり回すって並大抵じゃないだろうなと思う。そりゃ、公爵ってだけでそういう事は役割の内なんだろうけど。 やる気出るもんなのかな。私にはよくわからない。「——まあ、余り気負いすぎないでくれ」 黙って考えていた私をどう思ったのか、ブレイクが気遣うように言ってくれる。「我が国は、元々が恵まれすぎていたんだ。病が少なく、他国に攻められる事もなく。気候にも恵まれて、繁栄を続けてきた」 陸続きなのにこの国だ
見続けていると、天幕がひらりと翻った瞬間、黒い空に変わる時があった。 はっとしてさらに目を凝らす。「ナノリア?」「あそこ……」「ああ、綻びだな」 黒い空を指さしたが、ブレイクはそれを天膜の綻びと言った。「布地が一部破れたように見えるところもあれば、擦り切れて薄くなったようなところもある。ここは中でも比較的綻びの少ない所なんだが、あっちの方はかなり天幕が減っている」 ブレイクは遠くの山の峰を指さした。 天幕の綻びを見に来たはずが、一番ましな山頂に案内されていたらしい。 それでも、同じ高さになると向こうの黒いもやも良く見えた。「ブレイク様には、黒いもやは見えませんか?」「黒い……以前言っていたものか。私には天幕の切れ間がのぞいても、青空が広がっているが」 ブレイクは4人の騎士にも視線をやるが、皆一様に頷くばかりだった。 手を伸ばして届く距離ではないけれど、あの黒いところにもう少し近づいてみたい……。 数歩足を動かした、その時。「その先に行ってはならない」 空気がひやりと震えた。 声のする方を見れば、影がひとつ、木の陰からすっと動く。 その姿を確認するよりも早く、瞬間、金属が擦れる音が一斉に響いた。 四人の騎士が反射的に剣を抜き、前へと滑り込んできた。 ブレイクも迷いなく私の肩を後ろへ押しやり、半歩前に出る。 普段の穏やかな空気がすっと消え、獣のような鋭さに変わっている。 うわあ……。 不謹慎にも、かっこいいと思って震えてしまった。「大丈夫だ、下がっていなさい」 身震いをどう受け取られたのか、とても気遣われている。違うんです。貴方達がかっこよくて——て、そうじゃなくて。 今の声、聞き覚えがあった。でも筋肉の壁に阻まれて、一切前が見えないのだ。「あの、ブレイク様、ただの先客じゃ——」
翌日の朝食後に、ブレイクは私を山へ連れて行ってくれた。 伴ったのはコーンワルドの騎士4名。遠目に見てたけど、かなりの強面の方々だ。コーンワルドの人々の顔って、全体的にちょっと濃い。筋肉の上に強面が乗っかっているから、なかなかの雰囲気だ。 馬車から降りて荷物を持ってくれる上に、後ろと前に2名ずつ歩いてくれている。「ナノリア、怖くないか? もっと離れて——」「いえ! 全然大丈夫です」 何となく物珍しくて、まじまじと見すぎたようだ。ブレイクが気遣ってくれるので申し訳なくなって慌てて否定した。「あの方たちが守ってくれるって思うと、心強いです」「そうか? 一応、比較的顔の怖くない奴らを選んだつもりなんだが」「えっあれで?」「ふっ……」 あ、しまった。声に出てしまっていた。 顔というより、筋肉の上に強面が乗っかってるから……。「城の近衛らは、身ぎれいにするのも仕事の内のように言われているが……コーンワルドは、肉体を貴ぶ気風があってね。あまり身だしなみに気を遣ったりしないんだ」「なるほど……それであの筋肉の露出」 騎士なのに、二の腕をめくってしまっているのだ。田舎のおじちゃんみたいな格好だ。騎士なのに。 筋肉が付くと体温が上がるって言うから暑いのかな。「だから田舎者と言われるんだ」「田舎者……王都の人間には、あの二の腕が眩しいんですかね」「ははっ!!」 ブレイクが声を上げて笑った。前を歩く二人の騎士の肩も震えてるから、笑われてるみたいだ。 楽しそうで何より……そんなに変な事を言ったかな。 休憩を挟みながら、少しずつ山を登る。 幸いそれほど険しくはなくて、道も整備されている。 妖精の天幕に続く山道はいくつもあって、そのうちの一番緩やかな山を選んでくれたらしい。 運動不足のこの体にはきついけ
やっぱり、いつまでもぶらぶらしてるわけにはいかない。 私はその足でブレイクのいる執務室を訪ねた。彼はトリスタンの病を理由に、王城への帰還を遅らせるという事にしたらしい。 そのため王城からの使者が公爵領とを行き来し、ブレイクが執務室に籠る日も増えた。 突然訪れた私を招き入れて、ブレイクはかけていた眼鏡を机に置いた。「やあ。今日はなにをするんだ?」「あ、外しちゃうんだ」「ん?」「あ、いえ、何でも」 危ない危ない。 ここの所、気が緩みすぎて思った事が口から出ていってしまう。 執務の間の書類作業の時だけ眼鏡をかけているらしい。もっと見ていたかった。 執務室のブレイクはいつもと少し違う雰囲気だ。シャツの袖を少しめくってベルトで留めていて、隆起した腕の筋肉が見える。その大きな手で眼鏡を持つと銀縁の眼鏡が小さく見えるくらいだ。 書類から目を上げた時にきゅっと目を押さえる姿も——いい。 そして部屋の中には不思議な紅茶の香りがする。甘くない、スパイスのような香り。「すまないね、ここには椅子がなくて」 そう言いながらブレイクは私の前に立った。「座るか?」「いえいえ!」 重要な書類の山の前に誘われそうになって慌てて首を振る。「すみません、忙しいのに」「いや、覚悟していたよりずっと楽だ。父が元気になったから、公爵領の仕事は引き続き引き受けてくれているからね」 そう、トリスタンは病床から復活すると、翌日にはもう働き出してしまった。しかもこれまで以上に精力的にあちこち出掛けて行って、とても忙しそうだ。ルイーナもそれに随行している。 コーンワルドの人達は働き者だ。王家との差が激しいな。 ——あと、そう。ここで暇なのは私だけ。「あの……」「ん?」「そろそろ私、天幕の見える、山へ登りたいんです」 あ、またこの顔だ。 私が天幕の話をすると、ブレイクは決まってこういう何とも言え
私がトリスタンの命を救った、という噂は翌日には屋敷中に広がっていた。 本当にあの後からトリスタンは劇的に調子が良くなったらしい。 だからその後も、私は毎日トリスタンを訪ねた。 幾度か繰り返し手を握って悪い気を追い出すようにしていたら——トリスタンは数日で元気を取り戻したようだった。 私の方も、初めの時のように眩暈を感じる事もなく、数分手を握るだけで良くなった。 それなのにブレイクは「一日おきにしたらどうだ」とか「もう良くなったんじゃないか? やらなくても……」と心配しっぱなしで、後方で腕組みをしたり落ち着きなく左右に歩き回ったりして見守ってくれていた。 そんなに初日の顔色が悪かったのだろうか。 そして数日後、トリスタンの中から悪い気は一切感じなくなった。「驚いたな。倒れる前より調子がいい」 そう言ってトリスタンは活発に仕事をこなし始めたし、ルイーナは泣いて喜んだ。 そこからは今まで以上に、大変だった。 とにかくお礼をと言ってルイーナが家に連日商人を呼ぼうとしたり、コーンワルドに伝わる家宝を譲ると言って聞かなかったり。 宝物庫やルイーナの衣装部屋に連れまわされて、断るのが大変だった。 私はトリスタンに息を吹きかけただけだ。結果としてたまたまよくなっただけで……そんなに努力してないのに、大きなものを貰うわけにはいかない。 ひたすら恐縮して困っていると、ブレイクがいい加減にしろと止めてくれた。 他にも、一歩部屋を出ると、通りすがりの使用人たちが、これまで以上に、それはもう深々と頭を下げてくるようになった。 下手をしたらその場に膝をついて頭を下げられそうな勢いだ。 声を掛けてくれるほど近しい人たちは、すぐに駆け寄ってきてあれこれと世話を焼こうとしたり、構ってくれて。 15歳どころか、10歳くらいの子供と思われてるんじゃないだろうか。「ナノリア様、今日のおやつは何がよろしいですか?」「まあ、今日も本当にお可愛らしい」「お庭にピンクのバラが咲い







