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遺体安置所

Auteur: 中岡 始
last update Date de publication: 2025-08-02 13:51:24

地下の冷たい空気が、皮膚の上を這うようだった。

佐山は、母の後ろを歩きながら、地下への階段を降りていく。

警察署の建物の中は、深夜だというのに無機質な蛍光灯の明かりが眩しかった。

足音がコツコツと響くたび、胸の奥に鈍い痛みが広がる。

遺体安置所までの廊下は、異様なほど静かだった。

誰も何も話さなかった。

母は佐山のすぐ前を歩きながら、肩を震わせている。

小さな背中が、頼りなく揺れていた。

「こちらです」

案内係の警察官が、無表情で扉を開けた。

金属のドアが、きい、と重たく開く。

その音だけで、背筋が粟立つ。

部屋の中は、ひんやりとしていた。

壁際には銀色の保冷庫が並び、その一つが静かに引き出される。

佐山は無意識に息を止めた。

母が小さく呻く声が聞こえた。

「ご確認ください」

警察官の声は淡々としていた。

その冷たさが、逆に胸に突き刺さる。

シーツをめくると、姉がそこにいた。

白い布の中から、静かに現れた顔。

梓だった。

間違いなく、梓だった。

でも、そこにいるのは、もう「姉さん」ではなかった。

化粧をされているせいか、顔色はやけに白かった。

頬のあたりが少しだけこわばっている。

唇は薄く、何かを言いかけたような形で止まっていた。

佐山は、息ができなかった。

心臓が喉の奥までせり上がる。

手が勝手に震える。

母が、かすれた声で呼んだ。

「梓……」

その声は、部屋の中で消えていった。

誰も返事をする人はいなかった。

佐山は、姉の顔を見つめた。

何度も見た顔だ。

笑っているときも、怒っているときも、いつも近くにあった顔。

でも今、目の前にあるのは、「ただの顔」だった。

そこには、もう魂はなかった。

目の端で、手元が動いたのが見えた。

姉の手。

小さな手の甲に、うっすらと傷がついている。

指先は少し紫がかっていて、爪の間にはアスファルトの黒い粒が残っていた。

雨に濡れた路面。

きっと、あの時のままだ。

その指を見て、佐山の胸が締めつけられた。

「どうして……」

小さな声が漏れた。

「どうして俺に言わなかったんだよ」

目の奥が痛んだ。

でも、涙は出なかった。

泣けるほど、心が動いていなかった。

「大丈夫だよ」

姉は、いつもそう言っていた。

あのLINEだって、そうだ。

「大丈夫だよ」「またね」

その言葉を、信じていた。

疑いもしなかった。

「大丈夫だよ」って、あれは嘘だったのか。

声にならない言葉が、心の奥でぐるぐると回る。

でも、違う。

きっと、姉は嘘をついたんじゃない。

「大丈夫だよ」って、最後まで俺を守ろうとしたんだ。

佐山は、姉の顔を見つめながら、心の中で呟いた。

自分が心配しないように。

自分が安心して暮らせるように。

だから、全部隠していたんだ。

「俺が、気づかなきゃいけなかったのに」

唇が震える。

でも、声は出なかった。

姉は、もう何も言わない。

何も言えない。

その事実が、じわじわと体に染み込んでくる。

母は、小さくすすり泣いていた。

震える手で姉の髪を撫でた。

その手の動きが、やけにゆっくりだった。

佐山は動けなかった。

体が硬直していた。

足が床に張りついたように、動けなかった。

頭の中が真っ白だった。

目の前に姉がいるのに、心はどこか遠くをさまよっていた。

「悠人……」

母が、かすれた声で呼んだ。

「見て……ちゃんと、梓を見て」

「見てるよ」

佐山は、そう答えた。

でも、それは本当じゃなかった。

見ているふりをしていただけだ。

本当は、何も見たくなかった。

「大丈夫だよ」

「またね」

その言葉だけが、頭の中で繰り返される。

姉の唇は、少しだけ開いていた。

その唇が、今にも動き出しそうに見えた。

「悠人、ちゃんと食べてる?」

「無理しすぎないでよ」

あの時と同じ声が、耳の奥で響いた。

でも、それはもう二度と聞けない。

佐山は、拳を握りしめた。

爪が手のひらに食い込む。

それでも痛みは感じなかった。

姉は、もういない。

それが現実だった。

「俺が、守らなきゃいけなかったのに」

声にならない言葉が、胸の奥で渦巻いていた。

でも、何を言っても、何を思っても、もう遅かった。

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  • 姉を奪われた俺は、快楽と復讐を同時に味わった~復讐か、共依存か…堕ちた先で見つけたもの   触れた手のひら

    雨が上がった夜の匂いが、安アパートの薄い壁を越えて室内に滲んでくる。窓の外、濡れたアスファルトが街灯の光をぼんやりと反射していた。秒針の音だけが、静まり返った部屋に規則正しく響く。佐伯は、ベッドの上で佐山の背中に腕を回していた。ぬるい体温が指先に伝わるたび、自分の心臓がまだ動いていることを知る。こんなふうに抱き寄せるのは、もう何度目になるのか分からない。けれど、今夜は違った。「ただ、欲しい」と思ってしまう。罪でも、罰でもなく、理由もない。ただこの身体に触れていたいと、指が勝手に動いた。佐山の髪にそっと指を滑らせる。夜の湿気で少しだけ重たくなった髪が、掌に絡んだ。柔らかい感触が、喉の奥を熱くする。過去も、罪も、全部を忘れたわけじゃない。それでも、触れたいと願ってしまう。佐山は目を閉じたまま、微かに肩を揺らした。嫌がっているのか、それともただ呼吸が浅いだけなのか分からない。けれど、佐伯は手を止めなかった。心の中で「これは間違っている」と叫ぶ声があった。だが、もう離せなかった。首筋に唇を落とす。佐山の肌は、まるで硝子細工のように冷たく、それでいて柔らかい。ひとつ息を吸うと、佐山の匂いが喉を滑った。夜の灯りの中で、佐伯は自分が何をしているのか分からなくなった。「これでいい」と思った。心が壊れる音を、どこか遠くで聞いた気がした。けれど、その音が心地よかった。佐山の肩越しに、濡れた窓ガラスが見えた。街灯の明かりがぼんやりと滲み、二人の影を映している。その影は、どちらがどちらなのか分からなくなるほど、重なり合っていた。佐伯は目を閉じた。そして、もう一度、佐山の髪に触れた。その柔らかさだけが、今の自分の現実だった。

  • 姉を奪われた俺は、快楽と復讐を同時に味わった~復讐か、共依存か…堕ちた先で見つけたもの   壊れた自我の午後

    パソコンのモニターには、エクセルの表が広がっていた。だが、数字の羅列はただの模様にしか見えなかった。佐伯は右手に持ったマウスを動かすこともなく、ぼんやりと画面を眺めていた。会議資料の締切は今日中だった。けれど、その事実もどこか遠い。指先がピクリとも動かないまま、椅子の背に体を預けた。「佐伯さん、午後の打ち合わせですが……」部下の声が聞こえた。けれど、その声は透明な膜を通したように、ぼんやりと耳に届くだけだった。佐伯は視線をそらさず、ただ頷いた

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  • 姉を奪われた俺は、快楽と復讐を同時に味わった~復讐か、共依存か…堕ちた先で見つけたもの   誘いの空気

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  • 姉を奪われた俺は、快楽と復讐を同時に味わった~復讐か、共依存か…堕ちた先で見つけたもの   勝者の顔

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