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第7話

Author: つき酔
車椅子の女は、思わず両手で肘掛けを強く握りしめ、顔の表情が凍りついたまま、硬くなった首を持ち上げて、正面に立つ男を見上げた。

「承也……隼人が殴った相手が、まさか奈奈だったなんて」

承也は視線すら上げず、ただ手元で腕時計を軽く回しただけだった。

いつの間にかパーティーの音楽は止み、数本のカラフルなライトだけが点滅している。彼は光が交差する場所に立っていたが、その表情は陰を帯び、何を考えているのかまるで読み取れない。

美月は一度静かに息を整え、背後にいる付き添いの女性に合図を送った。

車椅子を押され、隼人と莉奈のもとへ近づいていく。距離が縮まるにつれ、酒の匂いに混じった血の生臭さが鼻を突いた。まるで泥沼から立ち上ってきたかのような、吐き気を催す匂いだ。

美月は思わず口元を押さえ、今にも息絶えそうな隼人に目を向け、眉をひそめる。「先に、隼人を病院へ連れて行って」

だがその言葉が終わっても、莉奈は隼人の襟元を掴んだ手を離そうとしなかった。まるで、絶対に引き渡すつもりがないと言わんばかりだ。

「奈奈……」美月の声はわずかに震えていた。「私よ」

莉奈は微動だにせず、何も言わない。ただ、隼人の襟を掴む指に、さらに力を込めただけだった。

やがて、美月の謝罪が続く。「ごめんなさい。隼人が殴った相手があなたとは知らなかったの。もし分かっていたら、きちんと叱っていたわ。でも……もう十分に懲らしめたでしょ?これ以上続けたら、本当に命を落としてしまう」

――ふん。

命を落とす?

地面に膝をついていた莉奈が、ゆっくりと視線を上げて彼女を見た。「彼の命って、いくらの価値があるの?一億?それで足りる?」

その一瞥に、美月は理由もなく強い圧迫感と、あからさまな皮肉を感じた。

美月は分かっている。自分が父に、被害者へ示談金を渡すようお願いした。ちょうどその金額、一億円をあてつけているのだ。

「私が事前に確認しなかったせいで、あなたにつらい思いをさせたわ。お願い、私の顔を立てると思って、隼人を放してくれない?」

莉奈は口元をわずかに歪め、車椅子に座る美月を見つめた。

三年ぶりに会った彼女は、ほとんど変わっていなかった。しいて言えば、以前まとっていた陰りが消え、立ち居振る舞いのすべてに、自然な優しさが滲んでいることだろう。

――どうやら、自分の動かない脚とも、もう折り合いをつけたらしい。

かつては誰もが羨む存在で、東安市一の名家令嬢。それが今では、車椅子という小さな世界に縛られ、一生歩くことはできない。

……気の毒な人だ。

けれど、莉奈は一度も、自分が美月から承也を奪ったとは思っていない。自分でなくても、美月は脚が不自由になった以上、椎名家に嫁ぐことはできなかったのだ。

美月が無理なら、どうして自分ではいけなかったのか。

ただし美月のこの脚は、承也を助けるために失われたものだ。そのことに対して、莉奈はずっと感謝と後ろめたさを抱いてきた。承也を愛しているからこそ、美月が彼を救ったことは、同時に自分を救ったのと同じだ。

しかし、感謝や罪悪感があるからといって、借りを作ったわけではない。彼女は美月に対して、何の負い目もない。誰に対しても、負い目はない。

「どうして放さなきゃいけないの?彼が私を殴らせたとき、私の命のこと、少しでも考えた?」

もし、偶然通りがかった人がいなかったら、自分はどうなっていたのか。

莉奈の言葉を聞き、美月は視線を落とし、息も絶え絶えの隼人を見つめた。胸が痛み、焦りが募る。だが、莉奈の意思ははっきりしていた。彼女の性格も、痛いほど分かっている。今日は、絶対に隼人を許さない。

「隼人の命を奪っても、せいぜい一時的な復讐の快感しか残らないわ。その先のこと、考えた?今の仕事はどうするの。あなたが一番愛している仕事でしょ。それでも、やる価値があるの?」

案の定、仕事の話が出た瞬間、莉奈の表情がわずかに揺れた。

美月は誰よりも知っている。莉奈が、何よりも大切にしているものを。

かつて、二人は、親友だったのだから。

けれど莉奈は、指先をほんの少し動かしただけで、依然として隼人を放さなかった。冷めきった目で、床に広がる血を見つめていた。

美月は内心焦りながら言った。「隼人はもう、それなりの罰を受けたでしょ。あなたも気は済んだはずだし、もうこの辺で終わりにしない?それに……今、あなたは無事じゃない」

「無事?」莉奈は彼女を嘲るように一瞥した。「今こうして生きてるのは、あなたの『可愛い弟』が手加減してくれたからじゃない。通りすがりの人が助けてくれたからよ。じゃなきゃ、あの夜どうするつもりだったのか、本人に聞いてみたら?」

美月は、床に転がって脚を抱え込み呻いている二人の男を見た。あの夜、莉奈に手を出したのは、まさにこいつらだ。

視線が合うと、二人は気まずそうに目を逸らした。

聞かなくても分かる。隼人の命令は、ただ殴るだけで済むようなものじゃなかった。

それでも、隼人の額から流れる血が止まらないのを見て、美月の表情は強張る。このまま放っておくわけにはいかない。

手すりに置いた手に力を込め、歯を食いしばって、身体をわずかに前へ動かす。

「……私が、跪いてお願いすれば……」

その瞬間、強い力で肩を押さえられ、美月ははっとした。

「もういい」

低くて冷たい声が莉奈の耳に届いた瞬間、頭の中で轟音が鳴り、雪崩を打ったように思考が真っ白になった。

美月は、いつの間にか隣に立っていた男を見上げる。赤くなった目に一瞬光が宿り、強がるように視線を逸らして言った。「……それで奈奈の気が済むなら、私は平気よ。

奈奈、隼人の代わりに私が謝るわ」

美月の両手はいまだ力が入ったまま。承也は美月の背後にいる付き添いの女性に目を向けた。

女性は察して、美月の身体を支える。「美月さん、体調も良くないのに、こんな寒い日に跪くなんて……」

「でも、隼人が……」美月は諦めきれず、床に倒れた人物を見る。「奈奈、昔の情を思い出して。隼人を放してあげて。あとで必ず、私が一緒に謝りに行くから」

返ってきたのは、莉奈の冷たい嘲笑だけだった。「こんなの、生きてたって害にしかならない」

承也の視線が、血で染まった彼女の顔半分に落ちる。

声は低く、重かった。「莉奈、もういい」

床に膝をついていた莉奈は、脚の感覚が完全に麻痺していた。その痺れは心臓まで突き抜け、何も感じなくなっていたはずなのに。

承也のたった一言で、感覚を失った心臓が鈍く痛み出す。

莉奈はぐっと歯を噛みしめ、やがて静かに笑った。

……本当につまらない。

隼人の襟首を掴んでいた手を、ふっと離す。

美月はようやく息をつき、振り返ってボディーガードに命じた。「病院へ連れて行って」

隼人は東安市で名の知れた厄介者だ。今日、莉奈にここまで恥をかかされ、命まで危うくなって、黙って引き下がるはずがない。

痛みで意識が戻ったのか、それとも死に際の悪あがきか。霞む視界の中で、莉奈が動くのが見え、胸の奥で憎しみが渦巻く。

口を開けば血が流れ込み、白い歯が赤く染まった。

「……逃がすな……あの女を……今日は絶対、殺してやる……」

莉奈は左脚をかばいながら、ふらついて立ち上がる。まだ喋れる「ゴミ」がいることに気づくと、ハイヒールの右足で彼の指を踏みつけ、見下ろした。

そして、ぐちゃぐちゃになったテーブルの上に転がる酒瓶を一瞥する。

だが、その瞬間、承也が彼女の手首を掴んだ。

さらに、莉奈に手を出そうとした桜井家のボディーガードへと、承也は視線を投げる。

東安市で絶対的な権力を持つ、椎名家の当主。感情を表に出さないその目が、逆に底知れない恐怖を呼び、桜井家のボディーガードたちは一斉に動きを止めた。

何度も何度も、莉奈は思う。

……本当につまらない。

「放して!」

莉奈は力任せに承也の手を振りほどく。カラフルな照明の下、涙と憎しみで満ちた目で彼を睨みつけた。

「承也……あなた、本当に残酷ね」

ひらりと一枚の小切手が、隼人の足元に落ちる。桜井家が莉奈に渡した、一億の小切手だった。

莉奈はそのままクラブを後にする。

背後から悠斗が追いかけてくる。「奥様……」

だが、最後まで言い終える前に、莉奈は自分の車に乗り込み、ドアを勢いよく閉めた。エンジンをかけ、そのまま走り去る。

密閉された車内に、酒と血の匂いがこもり、吐き気を催すような空気が広がる。

莉奈は今にも吐きそうだ。

松風レジデンスに戻ると、身に着けていた服をすべて脱ぎ、ゴミ箱に放り込む。裸足のまま、浴室へ入った。

頭から降り注ぐ熱いシャワーも、凍りついた身体を温めることはできない。

そのとき、浴室のドアが外から開いた。

自分の部屋だし、普段から鍵はかけない。ここで、無断で踏み込んでくる人間なんていないはずなのに。

立ちこめる湯気の向こうで、彼女は氷のように冷えた承也の顔と目が合った。

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ウチダアリサ
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