第十六話「秘密」
「いまはこれだけだけだが、今後、もっと何か異変があるかもしれない。念のためケイタと連絡先を交換しておきたいと思うけど、どうかな?」
ケイタは目を見開いて驚きの表情になった。
「なんでびっくりしてんの?」
と大地が唇を尖らせて「嫌なら断ってくれてもいいけど?」と付け加える。
「別に嫌だから、驚いたんじゃなくて、いままで友達いなかったから、連絡先の交換なんて、お母さんが連れてくる大人としかしたことなくて、それで」
早口でケイタが言い訳する。
「大地もこういってるし、こいつ拗ねると機嫌直すのに時間かかって面倒くさいよ」
颯太は笑いを堪えてケイタに、メッセージアプリの画面を表示したスマホを出した。表示したをコードを、大地もケイタに差し出す。読み取ったケイタのアカウントで、大地がすぐにグループを作成した。
ペットボトルを飲み干したケイタが手の甲で、口元を拭いて、耳朶を真っ赤にさせて俯いてしまった。か細い声ケイタが言う。
「よ……よろしく」
「おう!」
意気込んで大地が声をだす。
「よろしくね」
颯太は、俯いたケイタの顔が想像できた。照れ隠しで俯いているだけだ。
大地のこういうところは頼もしいし、信頼できる。敵わないな、とも感じてる。
「ケイタはこのあと、どうすんの?」
颯太が尋ねると、ケイタが顔をあげて、一瞬、口ごもる。
「……予定通りだと、ミドリさんの希望で、このあとは市内で観光して一泊。明日、三峯神社に参拝に行く。三峯神社の宿坊で一泊して、明後日、帰る。ミドリさんが車を出してくれてるから」
ケイタが左耳をそっと押さえて言った。
「なんだか耳の奥で自分の声が聞き取りにくいから、変な感じだ」
ケイタの表情が曇る。
「いまは耳が変で苛々する。さっき二人に飲んでもらったホウズキは、失った半分を別の形で補う力を与えてくれるらしいから、大地の、五秒後の景色は、その力だと思う。颯太の眼が灰色になったあと、どう補う力が現れるのかは、まだ……」
颯太は、ケイタが責任を感じているのだと、気づいて
「ケイタを補う力も現れるんだろう?」
方向を変えるように言う。
「どうなるのかは、なってから話そうよ」
大丈夫、と颯太は、言い聞かせるつもりで力強く言った。
「そのためにいつでも連絡できるようにしたんだから」
部屋の柱時計が、午後二時を知らせる音がした。
現実の世界では、颯太の自宅を出てから、まだ一時間しか経過していないが、感覚的には三日間くらい経ったように思えてならなかった。
「そろそろミドリさんたちと合流しないと」
ゆっくりケイタが立ち上がる。
「行こう」
颯太と大地を促した。
社務所から出て、授与所にいた尊に、三人で頭を下げて、境内でケイタと別れた。
「不安だったら、いつでも連絡して来いよー」
大地が笑顔をケイタに向けると、ケイタも軽く手を振った。
「またねー」
颯太もケイタの背中に声をかけた。
蝉の声が、蒸し暑い空気を倍増させている。
子供にしかわからない変化が、三人の秘密として共有された。
第二十二話「汚す者」その日の昼過ぎ、颯太の家にケイタ父子が訪れた。颯太の母には、ケイタ父子が来ることは伝えていたので、昼食は近所の蕎麦屋の出前にした。もちろん大地の分も。夕方に帰宅する父のためにも、生蕎麦も大量に届けてもらった。 ケイタの父と颯太の母との、大人の話し合い場に、子供がいても仕方ないので、出前を食べ終わると、秩父神社に三人、徒歩で向かう。 三人で、のんびり散策する。 先日、尊の説明が途中で中断したので、今日は三人で続きを聞くつもりだ。 天神地祇社の写真も撮ってなかったし、自由研究も終わっていない。 授与所に行くと、窓からひょっこり尊が顔を出してくる。「すみません、もう少し待っててもらえますか。いま手が離せなくて」 慌ただしく言って、頭を下げてくる。颯太は「忙しいときに、ごめんなさい。ゆっくりでいいです。境内を歩いていますから」 こちらも頭を下げてから、授与所を離れる。 散策していた三人を、押しのけるように、年齢層高めな女性の集団が、無神経に幅をとる。集団の中心にいた針金みたいな印象の女性が、甲高い興奮した声をあげた。「もう私たちを待ちきれなくて、三峯神社から狼さんがお迎えに来ているわよ、早くおいで、っておっしゃってるわ」と、周囲の女性たちに誇るようにさらに大声を出す。「ご眷属さんを遣わしてくれるなんて、導きね、やっぱり呼ばれているわねぇ」 針金が嬉しそうに、はしゃぐ。「どうしても来てほしい、って夢に出てこられたら、行かなきゃいけないでしょう。ご眷属さんを寄こすなんて、どうしても来てほしいのね」 狼を迎えによこすほど三峯は親切ではないし、呼ばれてもいないだろう。女性たちに競うように針金が恥ずかしげもなく語っている。三峯神社は特に厳しい気質なのは、一度でも行ってみれば肌でわかるような鋭さだ。 神様に呼ばれたから、仕方なく行ってあげるのよ、私! と言うストーリーが脳内で、できあがっているらしい。おまえの頭の中だけにし
第二十一話「異変から現実」 ※※※※※ 異界を体験したその日、帰宅した颯太は、すぐにベッドに入って泥のように眠った。翌朝、颯太は脱衣所の洗面台で顔を洗ったあと、鏡で自分の眼の色を確認した。「本当だ、灰色になってる……」 瞳孔は灰青色、虹彩は薄い灰色に、角膜は濃灰色。以前の黒眼から明らかに退色していた。「半分って眼の色か? ちょっと視界もぼやけてる?」 視力も半分になったのかもしれない。それ以外の体の変化はなさそうで、颯太はホッとする。 台所に向かうと、母が朝食の支度をしていた。昨夜、泥のように眠っていたから、気づかなかった。夜のうちに親が帰ってきたのだろう。「おはよう」颯太が母に声をかけると、振り返った母が、颯太の眼を見るなり、動きを止め、口を開けて、言葉が出てこない様子だ。母が何を言いたいのか察しがついて、先に颯太は言う。「なんだか眼の色が変わっちゃった」「颯太、それ、どうしたの!」 母が血相を変えて、颯太の両頬を手のひらで包んで、颯太の眼をまじまじと見つめる。「眼だけ? 他は? どこも痛くないの? 眼は? 痛い?」 矢継ぎ早に質問してくる。「痛くはないよ、ただ視界がぼやけてる」 すると母がスマホを取り出し、何かを調べ始め、次に通話し始める。颯太の眼の状態を説明している。どうやら病院にかけているらしい。 通話を切ると、母が意を決したように「颯太、これから都内の大きな病院に行くわよ。秩父で患ると変な噂する連中がいるだろうからね。行くわよ。お父さん! ちょっと! 車、出して!」母の行動は迅速だった。父は大慌てで着替えている。颯太も着替えてくるように言われた。母は手早く持ち物を揃えて、三十分後には家を出発していた。&n
第二十話「壊してしまえ」ケイタは清香のいる部屋に戻りたくなくて、興雲閣のロビーの自販機でコーラを買い、ソファに座って飲みながら、横殴りの雨が窓を打つのを眺めていた。やがて、外は暗くなり、山々に雷が響く。ロビーの大型テレビでは気象ニュースが流れ、台風が進路を変更して今晩、関東を通過する、と告げていた。強風が吹きつけて入口の自動ドアのガラス戸を揺らす。ザァザァと不規則に暴雨がガラス戸に当たる。消灯時間になって、仕方なくケイタは部屋に戻った。横になって眠っているだろうと思っていた清香が、布団に座り込み、宙を見ながら「うるさい! うるさい!」と叫んでいる。ミドリとナツノは清香を見えないものにして、寝たふりを決め込んでいる。清香が、見えざる何かに反応して返事をしてしまったんだな、とケイタは察した。そして、清香がそれらに、もう呑まれている。聞えてくるものが、何者かを問わないうちに返事をしてしまえば、それらに引きずり込まれる。清香の様子からは、その一線を越えてしまったことが、ケイタには理解できた。神のふりをした何者かと会話してしまったか、または神の片鱗に触れて本能的な畏怖を抱いたのか。四六時中、話しかけてくるものに分別なく答えたりしたら、周囲の何も感じない人間から見れば、狂人に映ってしまう。ましてや実際に口で声に出してしまうなど、やってはいけない。清香に何が起こり始めているのか、この場ではケイタだけが理解している。これは清香本人が望んで得た力だ。あんなに聞きたがっていた『神様からのメッセージ』なのだから、自業自得だろう。それとの付き合いかたも知らずに、迂闊に欲した清香が責任を負うべきだ。ケイタだけではない、颯太と大地の力を奪ってまで与えられたのだから。思っていたものでなかったとしても、清香が望んだのだ。御せる能力も器もなく力を手に入れて、いま清香は、どんな気分だろうか。暴風雨を受けて部屋の窓ガラスがいっそう騒がしい。興雲閣の裏手の杉林の枝が風にしなる音も大きくなっている。ケイタは清香のそばに
第十九話「どうでもいい」 まだ日が暮れないうちに境内を散策しようと思い、ケイタは遥拝殿まで足を延ばして、のんびり周回して拝殿まで戻ってくると、奥宮まで登っていたミドリとナツノに、声をかけられた。「あれ? ケイタくん。清香さんは?」 ミドリが尋ねる。ケイタは口元だけ上げて笑顔を作った。「部屋で横になっていると思います。しばらく一人にしてあげたほうがいいかな、って」「そうなの? じゃあ、私たちもあまり部屋にいないほうがいいかな。山登りして汗だくだから、お風呂を先にいただくわ。夕食までは……あと、一時間くらいね。午後六時からだから」 ミドリがスマホで時刻を確かめる。「ケイタくんも大浴場でゆっくりしたほうがいいんじゃない?」三人で一度、部屋に行き、着換えとお風呂セットを持って大浴場に行く。清香は布団にくるまって、不貞寝していた。ミドリの言葉に従ったのは、清香と部屋に二人で気詰まりになりたくなかったからだ。大浴場は温泉で、男女で入り口が分かれていて、暖簾に『三峯神の湯』と書いてあった。ケイタたちの他はまだ、宿泊者は大浴場には現れなかったから、男湯はケイタの貸切みたいなものだ。かけ湯をして、体を洗う。浴槽は広く、いつも家で入るお湯よりも少し熱めの湯の中に、徐々に浸かっていく。肌が熱めのお湯に馴染んできて、ケイタは首まで湯船に入り、両手足を大きく伸ばした。じんじんと末端から温まってゆく。ぐっと両手を頭上へ、両足は湯の中で力を一瞬、四肢にこめて、次に一気に緩める動作を何度も繰り返す。心地よく体が弛緩して、凝り固まった心も何だかほぐれていく感覚だった。いったん洗髪しに湯を出る。お風呂セットのシャンプーとトリートメントで頭を洗って、シャワーで勢いよく流す。さっぱりしたら、清香など、どうでもよくなった。頭もシャワーで、泡を綺麗に洗い流すとすっきりして脳まで緩んだ。
第十八話「本音と決意」「じゃあ、どうするの?」自分の声が冷え切っていくのを、ケイタは感じた。「どう、って……どうにかしてよ。ケイタは聞こえるんでしょう? どうにかする方法を聞いてよ!」「神様に与えてもらっても、ありがとう、って思わないんだね。ぼくの力はもうないよ。お母さんに与えるかわりに、ぼくはもう聞こえなくなった。左耳も聞こえない。大人なんだし、自分でどうにかすれば?」「何? その言い草。父親にそっくり」忌々しげに清香が吐き捨てる。「そうだね、お母さんに似なくて良かったよ。いらない力なら返してよ。ぼくの他にも力を奪われた子たちがいるんだから」「頼んでない」 清香の言葉が部屋の壁に当たって、反響する。 清香に何も言うことはない。 握られていた手首が白くなるほど力をこめていた清香の手を、ケイタは払った。「いいかげんにして。これからは一人でやっていけるでしょ。お母さんは力を与えられたんだから。どうにかしたいなら、自分で聞いてみてよ。ぼくはお母さんの、便利な道具じゃない」「誰がいままで育ててきてやったと思ってるの?」「いまはそんな話、してないよ。話をすり替えても、何も解決しない。じゃあね」 まだ何かを叫んでいる清香を遮って、ケイタは部屋の戸を閉めた。閉じた戸の向こうで清香の「死んでやる!」という声が聞こえて、苛々した。 なるべく参拝者が少ない参道を選んで、ケイタは歩いて行く。 スマホのメッセージアプリに、担任教師の名前で登録していた父のアカウントを表示する。 もしも父の名前で登録していたら、清香が消去していただろう。 息子のスマホを勝手に覗いて、勝手に消去することを、、平然とやってきた人だ。 いまも全力で清香から離れなければ、ケイタまで沈められてしまう。溺れる人を助けるつもりが、救助者も
第十七話「変調と不和」 ※※※※※ 颯太・大地と別れてケイタたちは、秩父神社をあとにすると市内観光をして旅館に一泊した。 翌日、ミドリの運転で三峯神社に向かった。 ケイタたちは昼頃、三峯神社に到着して、駐車場から階段を登り、お土産屋兼お食事処で昼食にした。店内に空席はなく、ケイタたちがいるテーブルにコップと水の入ったピッチャー置かれている。コップに、ミドリが四人数分、水を注いでメニューを開くと、連れのナツノに話しかける。「天ぷらそば美味しそう! 夏野菜盛り! これにするわ。ナツノさんは何にする?」「そうですね、私も同じのにしようかな。ケイタくんは?」「同じでいいです」 ケイタが答えると、三人の視線はぼんやりと宙を見つめて、何かを視て、聞いている様子の清香に集まった。 話に加わってこない清香に、ミドリがナツノと困った笑いで取り繕う。「清香さんは?」「お母さんも同じでいいよね?」 ケイタが清香に聞くと、緩慢な動きで頷く。そして何かに怯えているかのように、清香は、そっと周囲を見回した。ケイタは清香の背中に手を置いて、一定のリズムでトントンと軽くたたいて現実に意識を向けさせる。「すいませーん、天ぷらそばの夏野菜盛りを四つ、お願いします」 店内で忙しそうに料理を運んでいた年配の女性にミドリが注文する。はーい、と声をあげ、女性が厨房に、天そば夏盛り四つー!と、大声を張る。 ミドリとナツノが、反応しない清香抜きにして会話を始めている。 清香の背を叩く間隔をだんだん、ゆっくりにしていき、天ぷらそばが運ばれてくるころには、清香の顔つき