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87話

Author: さいだー
last update Last Updated: 2025-09-19 02:44:17

 お化け屋敷の黒のカーテンをくぐり抜けると、廊下の空気がやけに澄んで感じた。さっきまでの薄暗さの反動かもしれない。エマは俺の腕からするりと離れ、代わりに指先だけをからめて軽く引いた。

あまりにその仕草が自然で、俺は抗議をすることも忘れてしまっていた。

せっかく落ち着いた心拍数がまた急上昇を始めた。

「次はね、展示をはしごしよう。まずは……美術部!」

 エマの足取りは迷いがない。

 案内ポスターの矢印を一度も確認せず、まっすぐ美術室へ向かう。

 中は絵の具の匂いと土の湿り気がまざって、なんだか知らない世界に迷い込んだように感じた。

 壁一面に油彩、デッサン、陶芸などなど。なんて呼ぶのか分からないものも展示してあった。

「これ私すきかも」

 エマはすっと作品の前に立つと、モデルみたいに首を傾げた。ほんの数センチ、俺の肩にエマのキレイな髪が触れたような気がして心臓が跳ねる。

 作者の札を見たら「2年B組 大野」と書かれていた。

「桐生くんはどれが好き?」

「え、えっと……これ。鉛筆のやつ。リンゴ」

「ふふ、写実派なんだ。じゃあ────」

 エマは俺の肘を取って、ぐいっと別の絵の前へ。そこには大胆に塗り重ねられた赤い抽象画。「情動」とタイトルがある。

「これは?」

「……なんか、熱い」

「ね、いいよね。理屈より先に体が反応するやつ」

 そう言って俺の掌に自分の掌を重ねた。絵の熱を確かめるみたいに、そっと押してから、いたずらが成功したみたいな顔で離す。ずるい。

 美術室を出ると廊下に「写真部→」の矢印。階段を降りた特別教室は照明が落とされて、パネルが等間隔に立っている。

 モノクロの通学路、朝の校門、体育館の光の筋。俺たちの知らない学校が並んでいた。

「キレイだね」

 エマが足を止めた一枚は、雨上がりの水たまりに映る桜。枝は画面外で、本物は写っていないのに、映り込みだけが満開だった。

「撮った人、絶対こっちを“見る”のが上手いんだよ」

 エマの声が少し低くなる。写真に話しかけるみたいな口調で。

 俺が相槌を打とうとしたその時、「あの、矢野さん?」と声がした。部員の名札をつけた女子が近づいてくる。

「モデルお願いしてもいいですか? “今日の来場者スナップ”で……」

「いいですよ。ね、桐生くんも一緒に」

「え、俺も?」

「一緒のほうが“今日”になるでしょ?」

 気づけば俺はいつ
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