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第3話

Autor: 墨香
岳は思わず呆然とした。

明乃の口からこんな冷酷な言葉を聞くとは夢にも思わなかったからだ。彼女はこれまでずっと岳に対して従順だったはずなのに。

明乃が注射を恐れていることを知っていた。針を刺すたびに激しく震え、落ち着くまでに随分と時間がかかるのだ……

それでも彼女は彼のために、美優に何度も献血してきた。

岳は躊躇いを見せ、明乃を見上げる。「それなら……」

「明乃さん……」しかし彼が言い終わる前に、傍らの美優が突然言葉を挟み、言葉より先に涙が頬を伝う。「それは……どういう意味なの?私が死ねと言っているの?」

明乃は冷ややかに彼女を見つめた。この女の悪意と執念、そして一流の演技力。毎回岳を意のままに操ってきた。

あるいは……彼は自分から騙されにいったのかもしれない。

明乃は口元に冷笑を浮かべた。「輸血したい人がすればいいわ。私はもう二度とあなたに輸血しないから!」

美優は岳の腕を抱き、泣き声を上げた。「岳、見てよ。彼女は私が死ねと言ってるのよ。私もICUでお母さんと一緒に寝かされるのが彼女の望みなのね」

美優の母はかつて岳を救うために重傷を負い、ICUで5年間も昏睡状態が続き、今も目を覚ましていない。

その負い目があるからこそ、岳は美優に対して罪悪感を抱き、特別に甘やかしてきたのだ。

美優はその弱みを利用し、問題を起こすたびに必ず母親のことを持ち出す。

そして岳も、毎回それを許していた。

だが今回は少し様子が違った。岳は美優が母親のことを口にすると、わずかに眉をひそめた。

岳は今でも覚えている。五年前、暴走したトラックが迫り来る瞬間、美優の母が彼を突き飛ばし、自ら車輪の下に倒れ、血の海に沈んでいった光景を……

だが、明乃は……

長い沈黙を破り、明乃の心に一抹の希望が湧いた。

たった一度でもいい。

岳が一度でも自分の味方になってくれたら。

そうすれば、これまでの苦労が報われたと思えるのに。

彼は自分を嫌いなわけではない。ただ好きになれないだけだ。

「明乃、美優にもう一度だけ輸血してくれないか?今回が最後だって、約束するから!」岳は明乃を見つめ、漆黒の瞳に彼女の顔が映り込んでいる。

沸き上がった希望が、一瞬にして冷め切った。

明乃は自嘲気味に笑った――自分は本当に馬鹿だ。

まだ彼に期待を抱いていたなんて。

結局、彼が下す選択はいつも同じなのだ。

そして彼女は毎回、彼の損得勘定の末に捨てられる側でしかない……

美優はほっとした様子で、明乃を見ると目尻に得意気な笑みを浮かべた。「明乃さん、今回もまた迷惑かけちゃうけど、輸血お願いね。本当にありがとう!」

明乃は横目で彼女を見た。

――岳は本当に美優を大切にしているんだ……

以前の自分はとんだ勘違いをしていた。岳が少しずつ、人を愛することを学んでいるのだと信じていた。

だが今、彼はいつもの冷淡さで告げたのだ――この先一生、自分を愛することはないと。

明乃は視線を戻し、岳を淡々と見た。「言ったでしょう、彼女に輸血しない」

岳は軽く眉を顰めた。明乃の冷めきった視線に、胸の奥がざわついた。

彼は今でも覚えている。初めて明乃に出会ったあの夏の日、彼女の笑顔は陽光よりも眩しかった。

いったいいつから、彼女は笑わなくなったのだろう?

「どうしよう?明乃さんが輸血してくれないと、死んじゃうよ!」美優はパニックに陥ったように叫んだ。「岳、お母さんに私の面倒を見ると約束したでしょう…」

岳は冷たい声で言う。「今すぐ他の人を探して輸血させる。死なせたりしない」

美優は目を見開き、信じられないという顔で岳を見る。「見つからなかったらどうするの?明乃さんは今まで何度も輸血してくれたじゃない。血液型も合ってるし、拒絶反応もないのに、どうして別の人にするの?」

岳は黙ったままだ。

美優の目にすぐ涙が溢れる。「わかった、あなたが助けてくれないなら、おばさんに頼むわ!」

そう言うと、彼女は泣きながら病室へ駆け込んでいった。

しばらくして、梅は美優に支えられて出てきた。

つい先ほど眠りについたばかりの梅は、まだ疲労の色が濃かった。

美優から何を吹き込まれたのか、彼女が明乃を見る目には、微かな非難の色が混じっていた。

「岳、いつも美優ちゃんをいじめるんじゃないわ。彼女の母親はあなたを救うために植物状態になったのよ。今は明乃に少し血を分けてもらうだけなのに、大したことじゃないでしょう。それに今まで何度も輸血しているんだから、大丈夫よ。美優ちゃんこそ、すぐに輸血を受けなければ、死んでしまうわ!」

岳は唇を噛みしめ、眉をひそめる。「母さん、すぐに人を手配すると言っただろう。血液バンクにも在庫はあるんだから、わざわざ明乃から採る必要はない」

「おばさん、見てください!彼は明乃さんのことばかり気にかけて、私のことはちっとも考えてくれないのよ!」美優は一言で明乃を巻き込んだ。

梅は頭痛をこらえるように眉をひそめた。しかし岳は無表情で、その冷たい眼が恐ろしいほどだ。梅には、息子が決めたことは誰にも止められないと知っていた。

仕方なく、梅は明乃の方に向き直った。「明乃、美優ちゃんに少し血を分けてあげてくれないかしら?おばさんの頼みとして」

明乃は笑った。

やっぱりこうなると思った!

美優が駄々をこねるたび、譲歩するのはいつも自分だ。

そして将来の義母である梅は、いつも明乃に我慢させるほうを選んだ。

もっともだ。

最初から、明乃が一方的に押し掛けたのだ。

梅と初めて会ったのは5年前の冬休みだった。

その時、彼女は大学に入学したばかりだった。

夜遅く学校に戻る途中、酔っ払いのチンピラに暗い路地に引きずり込まれ、危機一髪の時、背の高い痩せた男性に助けられた。暗がりで相手の顔は見えなかったが、彼がチンピラのナイフで胸を切りつけられたのを見た。

後日、退院した彼女は、岳の体にその傷跡を見つけたのだ。

もともと一目惚れしていた彼が、あの日自分を救ってくれた恩人だと知り、明乃はさらに喜びに沸いた。

岳がどれだけ冷たくあしらっても、明乃はますます夢中になって追いかけ回した。

法学部のマドンナだった彼女は、プライドも捨てて彼を追いかけ、気が狂いそうなほどだった。

その後の冬休み、長い一ヶ月の休みに耐えきれず、家族に内緒で彼の実家に行く新幹線の切符を買い、会いに行ったのだ。

明乃は都会で育ち、裕福な家庭に育ったため、ほとんど苦労を知らなかった。

村の人に道を尋ねながらようやく岳を見つけた時、彼は地面に押さえつけられていた。

「どうして言うことを聞かないんだ!山には狼がいると言っただろう?おばさんが噛まれたのを見なかったのか?今山に入ったら、死にに行くようなものだ!」

「あなたの母さんも狼に遭った可能性が高い。もう警察に通報したから、警察が来るまで待て。焦って行動するなよ」

村の人たちが口々に叫んでいた。

岳は地面に押さえつけられ、顔は土まみれ、体には草の切れ端がついていた。

それでも彼はただ山をじっと見つめていた。表情は変わらないが、その目は狂気に駆られた獣のようだった。

「彼を放して!」明乃は突進し、どこから湧いた力か、岳を押さえていた二人の男を突き飛ばした。

「どこから来た小娘だ?何を邪魔してるんだ?こっちは彼のためを思ってるんだ。もうすぐ日が暮れる。今山に登ったら、狼の餌食になるんだ!」

岳は黙って地面に座り込み、長い指を握り締めたが、一言も発しなかった。

「こんなに大勢いるじゃない!日が暮れる前に、みんなで手分けして山を探しましょうよ。ここで突っ立っているよりましでしょ!」

村の人たちは顔を見合わせ、誰も返事をしなかった。

もし本当に狼に遭遇したら、命に関わることだ!

「手伝わないなら彼を止めないで!」明乃は岳の手を取った。「行きましょう、一緒におばさんを探すよ!」

岳は座り込んだまま、彼女を見上げた。

「行こう!」

明乃は彼を引き上げ、手を引いて山へと歩き出した。

その時、あたりはすでに暗くなり始めていた。

「岳、心配しないで。おばさんを見つけるのを手伝うから!」明乃は深く息を吸い込み、暗く危険な前方をじっと見つめた。恐怖で心臓が喉まで飛び出しそうだったが、自分を奮い立たせるかのようだった。

「おばさんを見つけたら、一緒に格闘技を習いましょう。そうすれば、誰もあなたのやりたいことを邪魔できなくなるわ!」

先ほど岳が惨めに地面に押さえつけられる姿は、明乃に強い衝撃を与えていた。

孤高で優秀な岳にも、あんな無力で絶望的な瞬間があるのだと、その時初めて知った。

明乃はそんな岳を見たくなかった。

彼はいつも輝く存在で、誰もがその優秀さを仰ぎ見るような存在であるべきなのだ。

神様は結局、彼らに味方してくれた。

日が暮れかけた頃、彼らは幸運にも、多量出血で意識が朦朧としていた梅を見つけた。

彼女は狼に襲われたわけではなく、ただ転んで枝が足を貫通し、大量に出血していた。

岳はすぐに彼女を背負って山を下り始めた。

明乃は覚えている。あの時、梅が彼女に感謝の言葉を繰り返し、岳に向かって「こんな素晴らしい女の子を絶対に裏切らないよ」と言っていたことを。

しかし今――

時は流れ。

人は変わってしまった。

今の梅は、明乃に他人への輸血を懇願している。

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