LOGIN凍り付くような空気の中で、春香は己の頬を汗が流れていくのを感じる。東影と交互に、目の前に立つサダリへと攻撃を繰り返すが、サダリは爆発を起こしては姿勢を強引に変えて、避ける。 少し距離を置けば、春香へと熱線が飛ぶ。切り払うための刹那に、サダリの蹴りが東影の腹に刺さった。「東影!」 春香は名を呼ぶが、そうも言っていられない状況だということもわかっていた。胃の内容物を吐き出す新たな戦友は、ふらふらと立ち上がろうとしている。 だからこそ、攻めなければならない。サダリに、東影へと向かう時間を与えてはならない。 彼の気が、全身を巡る。雷の力を身に宿し、己の剣技を脳に描く。「天津震電流」 グッ、と腰を下ろす。「紫電駆!」 落雷が起こったような轟音と共に、彼の体が跳んだ。斬られる、と思ったサダリは腕を交差させて防御の構え。されど、一撃目は斬撃ではなかった。 春香の鍛え上げられた肉体は、相手の姿勢を蹴りで崩す。トトッ、とよろめいた刹那が産まれる。巨大な爪を持つ両腕の隙間、鋭利な刃が顔の表面を引っ掻いた。 それは、春香が甘かったからではない。サダリの掌の中で炎が爆ぜたからだ。その反動で体を後ろに動かし、後退したからだ。 そこから、春香は着地と同時に地面を蹴った。反撃の爪を屈んで躱し、腹を狙って刺突を繰り出す。その攻撃もまた、爆発と共に回避された。 彼は相手の横を通り抜け、一度足を止める。東影が、サダリの背後に回っていた。振り下ろされた槍は、雪に覆われた地面を打つ。回避の直前、また爆轟が響く。「東影! 種が割れた!」 春香は、勝利の一筋を掴んで声を張り上げる。「ええ、こちらも理解した所です」 サダリは、掌で起こした爆発の勢いを受けて、鳴崩にも匹敵する高速移動を可能としている。それを読んだ所で、全てを抑えつけることはできないが。「まあ、充分賢い奴らと見たぜ」 カチカチ、両手の爪がぶつけ合わせられる。「だが、一つ見破った程度で勝てると思ってんのか? こっちにはなあ、こういう戦い方がある!」 今までよりずっと大きな爆発が、雪を撒き散らす。視界を埋め尽くす白が晴れた頃、天上より光が振ってきた。春香は獣のような直感で刀を振り抜き、熱線を逸らす。 と思えば、後ろから殺気を感じた。気を廻らせる時間もなく、サダリからの体当たりをもろに貰う。
「東影」 黒髪に蒼い瞳の青年は、王の紹介を受けて静かに、同時に深く一礼する。「隣国より密入国させた、腕利きの狩人だ」「隣国……ヴオ大公国ですか」 凪彩の言葉に、赤髭のルドハーウ王が力強く頷く。「彼は風見国で修業を積み、その後ヴオに移って、チーアという街の守護をやっている。東影、雷業殿に挨拶を」 東影は、鹿革でできた吊りズボンを履いていた。上衣は軽やかな白いシャツ。だが、何より、その全身から放たれる研ぎ澄まされた槍のような気配が、春香の肌と直感に突き刺さる。「ご紹介に与りました、東影と申します。雷業家の跡取りと共に戦えること、嬉しく思います」 背中に負った短槍を見つめながら、春香は彼と握手を交わした。「槍使いなのだな」 そう春香が言うと、彼は帽子を被った槍を机に立てかけ、食事の席についた。カガリの斧槍や凪彩の弓矢もあって、かなり手狭な印象になってしまった食卓だ。「ええ。取り回しと貫通力とのバランスを考えた結果、短槍に行き着きました。雷業さんは、やはり打刀と脇差ですか?」 彼の口調は柔らかく、戦士としての本分を隠そうともしない気配との違和感を、春香に覚えさせる。信じ切ることはできない。春香は、そう判断した。「そうだな。相伝の二振りだ」 ヘラジカのシチューはまだ暖かく、一日かけて南下した春香の体を温めてくれる。だからこそ、異物のように抜き身の穂先めいた気を撒き散らす東影への警戒を、彼は緩められないのだ。「僕は依拠すべき家のようなものがありませんから……少し、羨ましい気持ちです」 細やかな自嘲を籠めた、苦い笑みを東影は浮かべる。気配は、ほんの僅かに緩んだかもしれない。そう思った春香は、謝罪の言葉でも述べようとした所だった。 だが、鐘が鳴り響く。低く、長い音色だ。「来おったか!」 ルドハーウ王が立ち上がる。「雷業殿、満足に歓待もできぬ所申し訳ないが、ヘヴノヴールの叛乱軍が来たようだ。対処していただけぬか」「あいわかった。兵士の派遣を頼む」「うむ」 王は電話を持ってこさせ、軍の司令部に直通の回線に繋げた。「第三大隊と、騎士団を動かせ! 雷業一行の援護だ!」 春香らは、それぞれに得物を持ってホテルを飛び出す。雪の吹き付ける道路を駆け抜け、ライフル銃片手の兵士と並ぶ。「敵はどこからだ」「南です。城門を巡る攻防と
「なんだか、いつもより声が大きかった気がします」 夜のベッドで、リズはそう苦笑した。「すまない。その、最後かもしれないと思うと、つい……」「私、待ってますから」 隣に横たわる春香の首へと腕を回し、額を合わせる。「名前も一緒に考えましょう」「雷業家の長男は、父の名前から一文字を受け継ぐ習わしだ」 薄い尻を撫でつつ、春香は語る。「香士郎、というのはどうだろう」「女の子だったら?」「その時のことは……その時考えよう。何も、俺たち二人だけで決めなくてもいい。頸創なら、女性らしい名前も知っているだろうから」 二人は、十何度目かの接吻を交わした。「必ず、帰ってきてくださいね」「ああ、約束する」 彼らは、揃って眠りに落ちる。出立は、無慈悲に訪れた。◆ ドドッ、ドドッと馬の蹄が雪を舞い上がらさせる。三頭だ。毛並みは白く、脚は短く、全体的にずんぐりむっくりとした印象を与える。 背中に乗っているのは、紅玉の瞳を宿した青年──春香だ。黒いマントで体を覆い、坐天島の馬とは違う感触の馬を操る。「見えてきました」 先頭に立つのは凪彩。青い髪を揺らして、前方を指差した。山と山の間、切り開かれたような平地に、街がある。東には煙突が聳え、黒煙が絶え間なく吐き出されていた。「あいわかった。急ごう」 春
カーンと冴え渡った空を、純白の龍が飛ぶ。背中には、カガリ、リズ、そして春香を乗せていた。荷物の類は全て、カガリが確と抱えている。「凪彩、君は何者なんだ」 十丈はあろうか、という巨龍の背で、春香が問う。「色々と込み入った事情がある故、全てをここで説明することは叶いませんが……端的に言えば、龍そのものを身に宿した、人と妖魔の中間にある存在、となるのでしょうか」「わからんな……」 そんなものがいるのか、と言いたくなる彼だったが、現実として目の前にそれは存在する。ならば、問うだけ無駄だろう。肌を切り裂くような冷たい風の中、彼は坐天島北部の集落を見下ろした。 寂れた村だ。唯一目立つのは、古びた桟橋だけ。帰ってきた漁船から、魚の数々が陸地へと揚げられていた。 その砂浜に、凪彩は降り立つ。ズゥン、と重低音が村に響き渡る。古い火縄銃両手に様子を見に来た村民たちは、険しい表情を浮かべるばかりだ。 春香らが龍の背から降りれば、凪彩も人間──の形をした存在へと戻る。「本当に、大丈夫なんでしょうか」 そう声を震わせるリズを、春香はそっと抱き寄せた。「今は、信じるしかない」 凪彩が風に布切れを靡かせながら、村民と二言三言、会話を交わし始める。しばらくして、クイと片手を上げて春香らを呼んだ。「すみません、急に来たもので、まだ信頼してもらえていないのです」 弓を背負う彼女は、苦い顔で街の南へ向かう。『村長』と書かれた看板の出ている、茅葺屋根の家。その隣に、立派な門構えをした、瓦葺の細やかな屋敷が築かれていた。「これが、雷業の隠れ家です。雷天に何かがあれば、ここから脱出する手立て、となっていたのですが……」 凪彩は、重い扉を開く。誰も住んではいない。黴臭いような空気が漂う。春香は、そこに父の残滓を探そうとした。どこまでも厳しく、役割に殉じろと語る父だ。もう、会わないものだと思っていた。 庭を横切り、蔵。凪彩がポーチから鍵を取り出し、開く。刀や槍、銃の納められたそこの奥に、紫の光を漏らす扉があった。「あれか」 開けたいのか、開けたくないのか。春香は、答えが判然としないまま、近づいていく。無数の命を吸った、相伝の刀。左腰に差した二振りを頻りに触りながら、彼の指が、取っ手を掴んだ。「この先、バズにある屋敷に繋がっております。春成様が、お待ちです」「……バズで
「クィオウ・ニーウもまた、生きています」 春香は、目の前の気が狂ったような格好の女──凪彩にそう告げられた。局部を隠す、服というよりも黒い布切れと言うべき存在が、冬の夜風にはためく。まともなものといえば、腰に巻かれたポーチと、背中にある矢筒と弓くらいのものだ。「……嘘だ」 数秒の沈黙の末、春香の口から漏れた言葉はそれだけだった。「真実です。しかし、今、その自由は著しく制限され……命さえも危うい。どうか、お力を貸してはいただけませんか」「クィオウは死んだ。下らない嘘で何をするつもりかは知らないが、趣味が悪いぞ」「あの手紙、どれほど信憑性があるとお思いですか?」「何が言いたい」 彼の口調には、業火と言えずとも、確かに燃え上がる時を待つ種火のような熱が孕まれていた。「遺書を活字にする。その工程では、第三者に内容を見られる可能性を否定できない……いえ、クィオウ様自身が組版を行わない限り、誰かが遺書を読むのは、確実です」「クィオウの死を偽装した者がいる。そう言いたいのか」 こくり、凪彩が頷いた。その間、春香は隣に立つ頸創の顔を見る。「クィオウってのは、お前の死んだ許嫁だろ? 生きてんなら、どうするんだ」「そのことは、その時考える」 紅玉の瞳に熱い雷霆が迸っているように、頸創には思えた。「しかし、まずはクィオウ様の生存を裏付けるものが必要でしょう。こちらをご覧ください」 凪彩は、ポーチから一葉の写真を取り出し、春香に渡した。玄関の電灯で照らしたそこには、墨色の瞳と、乱暴に引き千切られたように荒れた銀髪が映っている。周囲には、赤いワインや黄色いチーズが置かれたものだ。 確かに射抜いてくるような、墨色の瞳。彼は間違いなく、この女性がクィオウであると感じ取っていた。「カラー写真……春香、こいつはかなり新しい写真だ。俺らが二年前に撮った写真だって白黒なんだからな」「つまり、少なくともカラー写真が実用化された時までは生きていた、ということだな」「ええ、春香様」 凪彩は顔を伏せたまま、答えた。「クィオウ様の美貌は、方々の狩人の耳にも届いております。ぜひ娶りたい、という数多くの求婚を断り続けたがために、塔へと幽閉され、今猶、春香様のお迎えを待っておられる」 今度こそ、クィオウを幸せにできるかもしれない。春香は冷たい空気を肺に送り込み
「春香さん」 縁側で雪を眺めていた春香に、リズの細い声が投げかけられる。「ご飯、できたみたいですよ」 「そうか」 のっそりと立ち上がった彼は、短い左袖を揺らすリズと並び、奥座敷へと向かう。喪服のような黒い羽織も、夜の色をした黒髪も、紅玉のような瞳も、変わってはいない。ただ一つ、幼さを捨てた顔に刻まれた悔恨を除いては。 本日の夕餉は、鯖の味噌煮だった。狩人二人には一尾丸ごと。只人であるリズ、佳代子、老婆には半身が提供された。春香と頸創が上座に座り、その斜向かいにリズがいた。「いただきます」 合掌した春香の声に、皆倣った。「頸創、逆梟の話をここしばらく聞かないが、活動は落ち着いているのか?」 麦飯を片手に、彼は問う。向かいにいる褞袍の頸創は、茶髪と緑青の目で答える。「二年前、俺らが潰してからはかなり大人しいぜ。フザンが送り込んでくる刺客も、月に二人いるかってくらいだし……ま、平和ならそれでいいだろ」 「だが、あにう──フザンがまた何かを企んでいるかもしれない」 兄上と言いかけて、彼は慌てて言い直したのだ。「かもしれない、だけだろ? 根拠がないなら安心しろよ」 安心。鷹眼──いや、フザンと彼は呼ぶようにしていた。あれは、憧れた兄ではないのだから。 閑話休題。そのフザンとの戦いから二年。安心というものは遠く、時折姿を見せるフザンの幻影と言えるような刺客もいる。何も考えず大の字になって眠れる日はもう来ない。春香は、刀を手放せない日々に心を蝕まれつつあった。「春香さん」 少し隈のあるリズが呼びかけた。「今度、本屋さんに行きたいんです。明日か、明後日か……」 「そうか。付き合おう。だが、読みたい本でもあるのか?」 「新聞に出てたんです。その辺りで、歴史書の続刊が発売されるって」 「なら、買いに行かねばならないな」 春香は微かに表情を緩めて、応じた。火鉢の熱。炭が割れる。それでも、彼はずっと張りつめた緊張の中にある。「ごちそうさまでした」 皆、ほぼ同時に食べ終わる。合掌し、頭を下げ、彼らは立ち上がった。それぞれのやるべきことをやる。「風呂は沸いているか」 春香が佳代子に問うた。「ええ。奉公人が炊いているはずです」 「あいわかった。詰所にも暖かい飯を届けてやれ」 ペコリ、佳代子は頭を下げて台所へ走った。頬に







