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幽霊聖女は騎士公爵の愛で生きる
幽霊聖女は騎士公爵の愛で生きる
Auteur: 酔夫人

レティーシャ(1)

Auteur: 酔夫人
last update Dernière mise à jour: 2025-11-13 16:47:33

「遅いわよ、この愚図ぐず!」

父伯爵の書斎に入ると、異母妹のラシャータの怒声が飛んできた。甲高い声にレティーシャは耳がキンッと痛む。そしてインク壺が飛んでくる。

しかし、ラシャータは物を投げるのが下手だからよける必要はない。レティーシャの予想通り、レティーシャは動かなかったのに壺は離れた壁にぶつかって割れた。

中から飛び出たインクが壁や床を汚す。

毛足の長い絨毯にもしみ込む。

ガラスの壺が当たれば痛いが、このインクの後始末をすると思うと当たったほうが良かったかもしれないとレティーシャは悩んだ。

(後始末が困るものばかりを選んでいる気がするわ)

わざわざこれを選ぶラシャータの趣味のよさ・・にレティーシャは内心ため息を吐く。

今回はインクで、前回のドーナツでは壁に丸い形の油染みができ、さらに床板の隙間に入り込んだ砂糖にアリが群がってもうひと騒ぎ起きた。

「ラシャータ、それ・・に構う必要も時間もない」

「はあい、お父様」

父伯爵はラシャータに向けていた優しい目から一転、冷徹な目を『それ』扱いのレティーシャに向けた。

何かしただろうかとレティーシャは考えたが、何かをした覚えはない。いつもこんな目つきかもしれないとレティーシャは気にしないことにした。

実の娘に向ける目ではない。

でも慣れている。

「国王様から手紙がきた」

「はい」

なぜそんな大事な手紙を自分に見せるのか。その疑問を投げかけることはレティーシャに許されていない。レティーシャに許されているのは『はい』か『いいえ』のみ。

「ウィンスロープ公爵家に直ちに嫁ぎ、当主アレックスを治すようにとの王命だ」

「はい」

ウィンスロープ公爵家は武家の名門。

王家の信頼も厚く、歴代の当主は『王の槍』と呼ばれて王国騎士団の騎士団長を務めている。

(……治す)

半年前に起きた魔物の大流出では、アレックスは多くの騎士を率いて魔物の討伐に向かった。魔物は無事に掃討されたが、作戦中にアレックスが重傷を負ったことはレティーシャも知っていた。

(閣下は順調に回復していると新聞にあったけれど……やはり嘘でしたのね)

アレックスは槍であると同時にこの国の盾でもある。

彼の存在が他国をけん制し、この国を守っている。

この国の安寧のためにアレックスは順調に回復していなければならない。

しかし負傷から半年、姿を見せないアレックスに『回復』を疑う声が出ている。新聞の記事はコントロールできても、国民の口はコントロールできない。

(嘘なのは薄々分かってはいましたけれど)

レティーシャは顔を動かさずに目線だけをラシャータに向けた。

アレックスはラシャータの婚約者だ。

神が贔屓したと言われるほどの容姿を持つアレックスと共に夜会にいき、注目を集めて羨望の眼差しを浴びたいラシャータはいつもアレックスにエスコートを強請っていた。

しかしアレックスからは公爵の仕事と騎士団の仕事で忙しいと毎回断られ、貴族のご令嬢たちに自慢できない分をレティーシャに自慢していた。

「アレク様が」「アレク様と」と、事実と願望をごちゃまぜにした話をレティーシャはたくさん聞かされていた。

でも最近はそれがない。

ラシャータがアレックスに茶会や夜会のエスコートを頼んだ様子もないし、呼び出されて「アレク様が」「アレク様と」を聞かされることもなかった。

ラシャータ自身が屋敷に籠もって出かけていないわけではない。元気だなとレティーシャが感心してしまうくらい毎日どこかに出かけている。

療養中だから誘っていないのか。

あり得ることだが、ラシャータにはあり得ない。

断られると分かっていて誘い、「断るなら代わりに誠意をみせてほしい」と言って宝石やドレスを強請るのがラシャータだ。

(公爵家からお詫びの品も届いていないし、手紙さえも私の知る限りはなかったかと……そういえば、なぜ伯爵様はこれを私に話しているのかしら?)

「お前、『ラシャータ』としてウィンスロープ公爵家に嫁げ」

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