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弁護士夫婦〜利益を選ぶ夫と正義を選んだ妻〜
弁護士夫婦〜利益を選ぶ夫と正義を選んだ妻〜
Author: 小川

第1話

Author: 小川
白川澪(しらかわ みお)が空港で離婚協議書の内容を淡々と確認していると、親友である黒崎夏美(くろさき なつみ)が彼女を迎えにきた。

「澪!学生時代のディベート大会で、柴田くんと討論してる動画がバズってるじゃん!」

澪を見るなり、夏美が興奮を隠しきれない様子で、声を弾ませる。

「ネットじゃ『神ビジュアルの二人』って大騒ぎだよ。それに、その二人が今どうなってるかみんな知りたがってるし、推しカップルだって盛り上がってるんだから」

画面をスクロールさせていた澪の指先が、微かに止まった。

しかし、夏美は澪の異変に気づくこともなく、まくし立てるように言葉を続ける。

「当時のクラスメイトたち、解説まで始めてるんだよ。澪が反対派の代表として、法学部の憧れの的だった柴田くんを堂々と口説き落とした伝説の試合を、みんなが絶賛してる。

二人が付き合い始めた時なんて、私たちの大学に通う人たちのSNSが全部澪と柴田くんでもちきりだったもんね。誰もが澪が柴田くんを落としたなんて言ってたけど、彼が即座にプロポーズしてきて、みんなの鼻を明かしてやってさ……」

「夏美、私……」澪は夏美の言葉を遮り、離婚協議書の条項に視線を落としたまま言った。「離婚するつもりなの」

夏美は息を呑んだ。

「一緒になるのに、あんな苦労をしたのに?」夏美は信じられないというように首を振る。「偶然を装うために、柴田くんのスケジュールを調べ上げて、あのディベート大会の出場枠だって半月徹夜して勝ち取ったんだよ?

やっとの思いで付き合えて、結婚してからの数年間も傍から見ていて幸せそうだったのに、どうして……」

どうして離婚なんてことになってしまったのか?

澪は答えなかった。なぜなら彼女自身も、その問いの答えを知りたかったから。

本当に、どうしてこんな結末を迎えることになってしまったのだろう?

かつての自分の姿を思い出す。

澪は柴田隼人(しばた はやと)を一目見るためだけに、法学部の前で3時間も待ち続けた。

彼が国選弁護の事件を引き受けたと知れば、澪はボランティアに参加し、38度の猛暑の中でビラを配った。

あのディベート大会では、実力者の先輩を打ち破り、素人だった自分を最終ディベーターにまで持っていく努力をした……

何度も偶然を作り出し、本来なら交わるはずのない二人の平行線を、無理やり交差させたのだ。

交際が始まってから、隼人はよくこう言っていた。「俺たちって縁があるよな。色んな場所で偶然よく会ったし」

当時の澪は笑って頷いたが、心の中では分かっていた。縁などではない、すべて自分の血の滲むような努力の結果なのだと。

だが、強引に手に入れたものは、結局のところ神様が定めた縁には敵わないらしい。

少し離れた場所から、騒めきが聞こえてきた。

澪が顔を上げると、到着ロビーの人ごみが自然と道を作り、メディアのフラッシュが次々と焚かれていた。

その中心で、一人の女性が群衆に囲まれながら歩いてくる。

夏美もそれに気づき、驚いた声を上げた。

「あれ、植田さんじゃない?澪と同じ便だったの?最近すごく売れているよね。私の同僚も毎日植田さんのドラマを見ているよ」

澪は視線を戻し、小さく「うん」とだけ答えた。

「確かに綺麗だね。男女問わず人気が出るのも頷ける」夏美はまだぶつぶつと言っている。「家柄も良いらしくて、正真正銘のお嬢様なんだって。まさに人生の勝ち組って感じ……」

「彼女、隼人の初恋の人なの」澪は静かに口を開いた。

途端に二人の間の空気が静まり返り、夏美はしばらく言葉を詰まらせた後、ようやく一言「まじで?」と絞り出す。

澪は何も言わず、別の方向へ視線を移した。

黒のロングコートを羽織り、長身ですらっとしたその姿は、人混みの中でも一際目を引く。

隼人だった。

彼が最近どれほど多忙を極めているか、澪は誰よりもよく知っていた。

メッセージの返信がないのは日常茶飯事、電話をかけても10回中9回は繋がらない。

先週末、澪が38.5度の熱を出してメッセージを送った時も、4時間後に【冷えピタでも貼っとけ】という一言しか返ってこなかった。

しかし今、隼人は植田杏(うえだ あん)の荷物を受け取り、そして肩を並べて立ち去ろうとしている。

行き交う人々の中で、澪には自分自身の心臓の音だけが聞こえていた。ドクン、ドクンと、鈍く響くその音だけが。

杏という人物を初めて知ったのは、2年前のことだった。

スマホに届いたエンタメニュースの通知。【人気女優・植田杏、事務所との契約解除に成功。背後の弁護士はなんと柴田家の御曹司】

澪は記事を開いた。

杏と前所属事務所の契約解除訴訟は半年間続いていて、元々は勝ち目が薄いとされていたが、隼人が突如として介入した。

すると、わずか3ヶ月で全てが決着し、杏は無傷で契約を解除できたのだ。

当時の澪は少し戸惑った。

なぜなら、隼人が芸能界の案件を引き受けることなど、これまで一度もなかったから。

多忙を極める隼人は、最上級の企業法務しか扱わない。それが、柴田家が何代にもわたって守ってきた掟だった。

だから、業界内では噂が飛び交った。隼人にそこまでの異例な対応をさせた相手とは、一体何者なのかと。

二度目は、澪が厄介な芸能関係の案件を抱え、隼人に助言を求めた時。

書斎で書類に目を通していた彼は、申し訳なさそうな顔で言った。「芸能の分野はよく分かんないんだよな。変なこと言って、足手まといになるといけないから……ごめんな」

澪は大丈夫だと答え、隼人の机の上に置かれた杏の広告契約書は見なかったふりをした。

三度目は、隼人がとあるハイブランドで婚約指輪をオーダーメイドした時。

店のスタッフがわざわざメッセージを送ってきて、澪を祝福してくれた。

【奥様、ご主人は本当に奥様想いの方ですね。このシリーズは年に1件しかオーダーを受け付けていないのですが、ご主人は半年も前から予約され、『妻に贈るんだ』と仰っていましたよ】

その時、澪の心臓は大きく高鳴った。

婚約した時、隼人は忙しいから式などは挙げずに、指輪も時間ができたら買うと言っていた。

だから、4年間待ち続けたその時が、ついに来たのだと思った。

しかし、ある写真がトレンド入りした時に、その期待は打ち砕かれた。イベントに出席した杏の指に、眩い光を放つあのダイヤの指輪。

ネット上では、その指輪のブランドを特定しようと騒ぎになっていた。

だが、澪には一目で分かった。

恋焔・シリーズ。

1年間大切に保存していたオーダー表のスクリーンショットと、写真の指輪は、一寸の狂いもなく同じだった。

かつての淡い期待が、その瞬間、無惨にも笑い話へと変わり、澪はその写真を削除した。

杏が隼人の初恋の人だと知ったのも、その時だった。

家柄も釣り合っていて、若い頃からお互い深く愛し合っていたが、些細な喧嘩から別れることになってしまったという。

澪が出口に目を向けると、二人の背中はすでに消えていた。ふと、あのディベート大会の最終弁論を思い出す。

立ち上がった澪は、隼人を見据えてこう言った。

「そちら側はずっと、『ルール』だの『原則』だの、恋愛にも越えてはいけない一線があると語っていましたよね。でも、もしいつか本当に、あなた自身がその人のためなら全部を投げ出してもいいと思える相手に出会ったら……その時、今日ここで口にした言葉を、後悔しないと言い切れますか?」

会場が数秒間、静まり返った。

その静寂の中で、隼人がわずかに眉をひそめ、そしてゆっくりと一言だけ口にするのが澪には見えた。

「後悔するでしょうね」

7年後になって、澪はようやく知った。あの問いに対する隼人の答えは、自分に向けられたものではなかったのだと。

自分は初めから、隼人の「例外」ではなかったのだ。
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