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第6話

作者: ASAMI
last update 公開日: 2026-07-01 06:51:51

放課後の喧騒が去った無人の廊下で、私は冷たい床に膝をつき、バラバラに散らばった楽譜を一枚ずつ、指先を振るわせながら拾い集めていた。

白い紙は無残に踏みにじられて黒く汚れ、破けた端々が私の引き裂かれた心のようだった。

どれだけ集めても、何ページか足りない。

胸の奥が、すうっと音を立てて冷え切っていく感覚がした。

……全部、もう戻らない。

あの日から、私の心は決まっていた。

神崎蓮のそばを、今すぐにでも離れる。

その意志に曇りはなかった。

だけど、現実はそれほど甘くはなかった。

今ここで彼とのつながりを完全に断ち切ってしまえば、手がかりは永遠に失われ、私は全てを一人で背負って暗闇を彷徨うことになる。

それでもいい。と、ノートを胸に抱きしめながら、私は強く唇を噛んだ。

たとえどれほど険しい道であっても、これ以上、あの男のそばで魂を削られるわけにはいかない。

そして迎えた、コンクール当日。

格式高いホールの舞台裏に立った私の耳に、容赦のないざわめきが突き刺さってきた。

「おい、あいつだろ?ネットで噂になってる盗作の……」

「図々しいよね。良くもまあ、こんな神聖な場所まで来る勇気があるわ」

観客席からの冷ややかな視線だけじゃない。

そこには、神崎財閥や西園寺家に少しでも取り入ろうとする、魂を売った審査員たちの姿もあった。

彼らは私とすれ違うたびに、聞こえるようにわざとらしく息をはき、蔑みの言葉を投げかけてくる。

「才能のない人間が、汚い真似をしてまで舞台に立ちたいものかね。早く出ていきなさい。目障りだ」

四面楚歌。

張り詰めた緊張感と、圧倒的な周囲の圧力が私を押し潰そうとする。

だけど、不思議と足は震えなかった。

私はただ、自分の信じる音楽だけを抱いて、スポットライトの当たるステージへと歩みを進めた。

私の演奏が、始まる。

張り詰めた空気の中、私の指先が紡ぎ出す旋律は、怒りと悲しみを孕んでホール全体を支配していった。

誰もが言葉を失い、圧倒されるほどの独自の音色。

演奏が終わり、静寂が訪れる。

その直後、割れんばかりの拍手が沸き起こった。

ステージ中央に集められた進出者たちの前で、審査員長が厳かに口を開いた。

「厳正なる検証の結果、本作品について、西園寺玲奈氏の楽曲との盗作の事実は一切認められません。類似性は極めて限定的であり、偶然によるものとします。むしろ、この楽曲の独自性と芸術性は、他の追随を許さないほど明確です」

――潔白。

私の正当性は、大衆の面前で完璧に証明されたのだ。

それなのに、私の心はこれっぽっちも満たされなかった。

案の定、結果発表で私の名前が最優秀賞として呼ばれることはなかった。

神崎グループの巨大な圧力が、裏で働いたのは火を見るより明らかだった。

栄光の光が注ぐ舞台の上。

眩しいライトの真ん中で、神崎蓮と西園寺玲奈が並んで立っている。

完璧な演奏、完璧な権利。

そして、周囲の望む完璧な笑顔。

その時、蓮がゆっくり腕を伸ばし、玲奈の肩を引き寄せて優しく抱きしめた。

その瞬間、私の中で、張り詰めていた最後の糸が、音を立てて完全に切れた。

「……はは、あはは……」

声に出して、思わず小さく笑ってしまった。

三年間、私は狂おしいほどにあの男を好きだった。

蔑まれても、影と呼ばれても、いつか届くと信じて尽くしてきた。

でも、何一つ残りもしなかった。

――全部、終わりにしよう。

今度こそ、本当に。

舞台裏へ戻り、ポケットの中で激しく震え続けていたスマホを取り出す。

画面には、私がずっと意図的に無視し続けていた名前が表示されていた。

『お兄ちゃん』

しばらくその文字を見つめたあと、私は決意を込めて、通話ボタンをスライドした。

「もしもし」

『……やっと出たな、お前』

受話器から聞こえてきたのは、深く落ち着いた懐かしい兄の声。

私は大きく息を吸い込み、涙を堪えて言葉が震えないようにしっかりと告げた。

「……お兄ちゃん。私、もうそっちに行くから」

短い沈黙。

電話の向こうで、兄が私の覚悟の重さを察したのがわかった。

『本気か?』

「うん。迷いは、もうないよ。全部、ここに捨てていく」

そう口にした瞬間、私の胸が、ほんの少しだけ軽くなったような気がした。

だけどそれは、本当に大切な過去から、私が完全に目を逸らした瞬間でもあった。

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