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第3話

Auteur: みみ
【明日着くよ】って一言だけ返事をして、私はスーツケースの取っ手をつかみ、そのまま玄関へと向かった。

亮介は、さすがに少し焦ったらしい。早足で距離を詰めてきて、私の行く手をふさごうとする。

「はる、お前本気か?もう大人なんだぞ。家出ごっことか、さすがにガキっぽくねぇ……?」

言い終わる前に、亮介のスマホが鳴った。画面に表示されたのは、見慣れた名前——美紗。

スピーカーから、弾んだ甘え声が部屋中に広がる。

「亮介、ハルナちゃんは許してくれた?許してくれなかったら、もうあたしに会いに来ちゃダメだからね?

人の感情ぶち壊すような女だと思われたら、マジで安っぽく見えるし」

とろけそうな声なのに、言っていることはちゃっかりしている。その愚痴まじりのセリフを聞きながら、亮介は無意識に私のほうを見る。

私が母さんと普通に会話しているのを確認したとたん、彼の顔からは見る間に緊張の色が消えていった。代わりに浮かんだのは、「全部自分の掌の上だ」とでも言いたげな余裕と、薄い得意げな笑み。

「大丈夫大丈夫、俺がいちばんはるのことわかってるから。あいつ、今ちょっとスネてるだけでさ。すぐ機嫌直るって。

ほら、さっき『もう一回ちゃんと親に挨拶に行こう』って話したらさ、すぐ母さんに連絡してたし……

五年も一緒にいるんだぞ。あいつの扱い方なんて、俺、完璧にマスターしてるから」

そう言って、亮介は自信満々に私の前から退いた。

どうせいつもみたいに、「本気で引き止めない」って態度を見せておけば、私が勝手に不安になって、スーツケースを引きずって部屋に戻ってくると思っているのだろう。

……でも、今日の私は、もう変わったんだ。

一ミリも迷わず、スーツケースの持ち手を握り直す。唖然とした亮介の視線を背中に浴びながら、私は玄関のドアを開け、そのまま外へ出た。

……

その夜。

荷物をビジネスホテルの部屋に置いたあと、私はひとりでショッピングモールをぶらついていた。ふと、視界の端にジュエリーショップのショーウィンドウが飛び込んでくる。

吸い寄せられるように、足がそちらへ向かった。

亮介と付き合った五年間、私は何度も何度も同じことを言ってきた。

プロポーズするときは、「スターリースカイ」シリーズの指輪がいい。あのブランドの定番で、子どもの頃からカタログを眺めて憧れていた、私の「夢そのもの」みたいな指輪。

なのに、先週の金曜日。

亮介のコートのポケットから、一枚のレシートを見つけた。

そこに印字されていたのは、「ウィンタースノー」という文字だった。

色も、デザインも、好きじゃないタイプ。おまけにサイズまで一号分大きくて、そのままでは指から抜け落ちてしまう。

だから私は、紐をぐるぐる何重にも巻きつけて、ようやく指に固定していた。

今思えば、あの紐そのものが、もう答えだったのかもしれない。

無理やり繋ぎとめておかないと落ちてしまうような関係なんて——

そもそも、最初から「合ってない」ってことだ。

指輪も。

亮介との結婚も。

自分で自分にそう言い聞かせるみたいに、小さく笑う。そして、薬指にはめていた「ウィンタースノー」の指輪を外し、カウンターのほうへと歩いていった。

店員さんに、下取りの相場を聞いてみよう。

そう思ったその瞬間、背後から聞き慣れた女の声が飛んできた。

「あれ?あれってハルナちゃんじゃない?こうやって指輪のメンテしに来てるってことは、やっぱり本気で怒ってないよ」

美紗だ。彼女の視線が、店員さんに渡そうとしていた指輪に落ちている。

一瞬、動きが止まったかと思うと、すぐさま亮介の腕にしがみついて、わざとらしく文句を言い始めた。

「ちょっと亮介、これプロポーズリングだって、なんであたしに黙ってたわけ?

この前『サイズどう?』って試させてくれたやつでしょ?そのままあたしのサイズで買ったんだよね?そりゃハルナちゃん怒るに決まってるじゃん……

ホント、サイテー」

美紗はそう言って、亮介の二の腕をきゅっとつねる。ここが他人の店内だということなど、まるで気にしていない様子で、堂々とイチャついてみせた。

亮介の顔が、一瞬だけひきつった。

思わず身を引きかけたけど、無表情の私に気づくと、その動きを無理やり押し殺した。そして、まっすぐ私をにらみつけながら、口だけは軽く動かす。

「指輪くらいで、そんな大騒ぎするもんじゃねえだろ。みさが気に入ってんなら、また同じの買ってやるよ。

もうすぐ結婚だから、ワガママ言っても許されると思ってんのか……それに家出までして、ホント、子どもかよ」

——その半分は、わざわざ私に聞かせるための話だった。昔の私なら、その程度の挑発すら必要なかった。

そもそも、悪口を言うまでもなく、ただ美紗と楽しそうに遊んでいる写真を、インスタに載せるだけでよかった。

あるいは、深夜にメッセージを一通。

【起きてる?俺のネクタイどこいったか見た?】

たったそれだけで、私はさっきまでの怒りも悲しみも全部忘れて、自分から彼に話しかけていく。どうでもいい話を、とりとめもなく送り続ける。

亮介が「もういい」「うざい」と感じて、私のメッセージをブロックする、その瞬間まで。

……この五年間、私はずっとそうやって、自分で自分を安売りしてきたのだ。

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