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彼氏にすっぽかされた私は、幼馴染と結婚することに

彼氏にすっぽかされた私は、幼馴染と結婚することに

By:  みみCompleted
Language: Japanese
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私は佐伯春菜(さえき はるな)。彼氏の江口亮介(えぐち りょうすけ)と付き合って、もうすぐ五年になる。 ようやく亮介が「親に挨拶してもいいよ」と言ってくれたのに、食事会の途中で「会社から連絡が来た」と言い訳して、そそくさと店を出ていった。 私は無理やり笑顔を作って両親を見送り、ひとりになったところで、黙ってスマホを取り出す。 案の定、亮介の「異性のダチ」がまたインスタのストーリーを更新していた。 【結婚しろってプレッシャーかけられても、親に挨拶してくれる「神対応男子」がいれば余裕〜 ご褒美のキス一発、次もこの調子で~】 一枚目の写真は、亮介がその子と腕を組んで、年配の人たちにお酌しているショット。もう一枚は、女の子が彼の頬にぴったりくっついてキスしているアップ。 その投稿の下に、亮介の「いいね」がついていた。それに気づいた私は静かにインスタを閉じて、父さんに電話をかける。 「父さん、もう決めた。そのお見合い相手と、結婚してもいい。 うん……背中を押してくれたのは、あの人だった」

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第1話
私は佐伯春菜(さえき はるな)。彼氏の江口亮介(えぐち りょうすけ)と付き合って、もうすぐ五年になる。ようやく亮介が「親に挨拶してもいいよ」と言ってくれたのに、食事会の途中で「会社から連絡が来た」と言い訳して、そそくさと店を出ていった。私は無理やり笑顔を作って両親を見送り、ひとりになったところで、黙ってスマホを取り出す。案の定、亮介の「異性のダチ」がまたインスタのストーリーを更新していた。【結婚しろってプレッシャーかけられても、親に挨拶してくれる「神対応男子」がいれば余裕〜ご褒美のキス一発、次もこの調子で~】一枚目の写真は、亮介がその子と腕を組んで、年配の人たちにお酌しているショット。もう一枚は、女の子が彼の頬にぴったりくっついてキスしているアップ。その投稿の下に、亮介の「いいね」がついていた。それに気づいた私は静かにインスタを閉じて、父さんに電話をかける。「父さん、もう決めた。そのお見合い相手と、結婚してもいい。うん……背中を押してくれたのは、あの人だった」……電話を切ると、私は亮介に別れのメッセージを送った。返ってきた反応は、予想どおりだった。返信することすら面倒くさがる彼が、代わりに友達づてで、個室のソファ席で撮った「謝罪動画」を送ってきた。揺れる画面の中の亮介は、表情までいつもどおりだった。焦りも反省も一切なく、眉間にかすかにうんざりした影が落ちているだけ。まるで、これまで何度も繰り返してきた「ケンカして、そしてなんとなく仲直りした日々」の延長線上にある、ワンシーンみたいに。「はる、ごめんね。」彼はカメラに向かって、いつもの調子で笑ってみせた。「せっかくの家族との食事会、抜けちゃって悪かった。もう反省した。次はちゃんとするから、もう怒らないで?」私は無表情のまま動画を眺め、終了ボタンに指を伸ばそうとしたその瞬間。亮介がふっと横を向いて、隣に座っている女の子に視線を向けた。林美紗(はやし みさ)。亮介の「異性のダチ」。「言われた通りにちゃんと謝ったからさ。これで、少しは機嫌直った?」亮介の目には、甘やかしと苦笑いがまざっていた。彼の言葉とともに、カメラが美紗の方へと移る。肩までしっかり出したトップスを着た彼女は、じゃれつくように笑いながら、亮介の首に腕を回した。「よ
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第2話
ぐっすり眠った翌朝、私はいつもより早く目を覚まして、黙々と荷物をまとめ始めた。五年前、私と亮介が正式に付き合い始めた頃、二人で住めたのは、アパート一階の十畳ちょっとの半地下ワンルームだけだった。道路より少し低くて、隣のマンションに挟まれているせいで、夏は雨水が染み込んでくるし、冬はすきま風が止まらない。それにベッドは狭いし、エアコンも古くてろくに効かないから、少しでも離れると、すぐ冷気が入り込んでくる。いちばんきつかった時期は、本当に抱き合って寝るしかなかった。そのうち、私の指先はあかぎれだらけになった。それを見かねた父さんが、昔の仲間に頭を下げてくれた。そして、亮介をSグループにねじ込んでくれたのだ。彼はそこで少しずつ昇進して、気づけば営業マネージャーになっていた。私たちはようやくそのボロ部屋を出て、新築マンションへ引っ越した。当然、シルクのベッドリネンセットも買えるようになって、冬の寒さに震えながら寝ることもなくなった。……けれど、亮介はもう、寝るときに私を抱きしめてくれなくなった。代わりに増えたのは、ベッドの上で背中を向けたまま、スマホを見てこっそり笑う時間だ。気になって覗いたら、表示されていた名前はいつも一つ──林美紗。あの「異性のダチ」だ。「あのバスケチームが調子いいよ」「このプロ選手の調子が落ちてるよ」そんなふうに、いかにも「男同士」みたいなノリで盛り上がっていた。そんな二人は、たまに世界情勢の話までし始める。どこの国の移民問題が深刻になっているとか、どこでデモやストライキが起きているとか。でも、最終的に必ずたどり着く話題はひとつだけ。──「なにしてるの?脚見せて?」最初にそれを見つけてしまった夜、私は涙でぐしゃぐしゃになりながら「別れよう」と告げた。それでも気持ち悪さはおさまらなくて、洗面所で胃の中身までひっくり返しそうになりながらしゃがみ込んだ。ところが亮介は、すぐさまスマホをタップして、美紗が足を骨折して入院している写真を見せつけてきた。「お前さあ、心が汚れてると、なんでもエロく見えるんだよ?」吐き捨てるようにそう言われて、いつの間にか責められる側は私のほうになっていた。そのときのことを思い出して、荷造りをする手が思わず早くなる。前みたいに、自分を安売りして笑っ
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第3話
【明日着くよ】って一言だけ返事をして、私はスーツケースの取っ手をつかみ、そのまま玄関へと向かった。亮介は、さすがに少し焦ったらしい。早足で距離を詰めてきて、私の行く手をふさごうとする。「はる、お前本気か?もう大人なんだぞ。家出ごっことか、さすがにガキっぽくねぇ……?」言い終わる前に、亮介のスマホが鳴った。画面に表示されたのは、見慣れた名前——美紗。スピーカーから、弾んだ甘え声が部屋中に広がる。「亮介、ハルナちゃんは許してくれた?許してくれなかったら、もうあたしに会いに来ちゃダメだからね?人の感情ぶち壊すような女だと思われたら、マジで安っぽく見えるし」とろけそうな声なのに、言っていることはちゃっかりしている。その愚痴まじりのセリフを聞きながら、亮介は無意識に私のほうを見る。私が母さんと普通に会話しているのを確認したとたん、彼の顔からは見る間に緊張の色が消えていった。代わりに浮かんだのは、「全部自分の掌の上だ」とでも言いたげな余裕と、薄い得意げな笑み。「大丈夫大丈夫、俺がいちばんはるのことわかってるから。あいつ、今ちょっとスネてるだけでさ。すぐ機嫌直るって。ほら、さっき『もう一回ちゃんと親に挨拶に行こう』って話したらさ、すぐ母さんに連絡してたし……五年も一緒にいるんだぞ。あいつの扱い方なんて、俺、完璧にマスターしてるから」そう言って、亮介は自信満々に私の前から退いた。どうせいつもみたいに、「本気で引き止めない」って態度を見せておけば、私が勝手に不安になって、スーツケースを引きずって部屋に戻ってくると思っているのだろう。……でも、今日の私は、もう変わったんだ。一ミリも迷わず、スーツケースの持ち手を握り直す。唖然とした亮介の視線を背中に浴びながら、私は玄関のドアを開け、そのまま外へ出た。……その夜。荷物をビジネスホテルの部屋に置いたあと、私はひとりでショッピングモールをぶらついていた。ふと、視界の端にジュエリーショップのショーウィンドウが飛び込んでくる。吸い寄せられるように、足がそちらへ向かった。亮介と付き合った五年間、私は何度も何度も同じことを言ってきた。プロポーズするときは、「スターリースカイ」シリーズの指輪がいい。あのブランドの定番で、子どもの頃からカタログを眺めて憧れていた、私の「夢
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第4話
この五年間、自分で自分を安売りしてきたのは、これだけではない。いつも感情をぶつけきって、ひとりで勝手に落ち着いて。それから、わざと何でもないみたいな声で聞く。「……で、ごはんどうするの?」「会社の下にさ、海鮮料理の店できたんだよ。来れば?」ある日、亮介は淡々とこう答えた。けど私は、魚アレルギーだ。もちろん、亮介も知っていたはず。それなのに……軽く頭を振って、バカみたいな思い出をこれ以上掘り返すのはやめる。代わりに、指にはめていた指輪を外して、カウンターの店員さんに差し出した。「さっき言ってた金額でいいです。ここのVIP会員なので、そのまま口座に振り込んでください」そう告げて、私は振り返りもせずに歩き出した。亮介の、その驚きと怒りに満ちている目つきを浴びながら。明日には、もう実家に帰るんだ。結婚の準備で忙しくなる前に、ちゃんと睡眠を取っておかないと。……ここまでハッキリした態度を見せれば、さすがに伝わると思っていた。けれど、亮介はやっぱり、人の話なんて聞かない。寝る前、スマホの画面がひっきりなしに光り始める。送信者は全部、亮介。【はる、お前頭おかしくなったのか?ムキになって結婚指輪まで売り飛ばすとか!そんなことしてカッコつけて、俺に土下座させたいわけ?悪いけど、それはねえからな。今、みさとバーにいるんだよ。お前と違って、みさはちゃんと俺の機嫌取ってくれるんだぞ】メッセージの最後には、バーの個室で撮った動画が添えられていた。見慣れた斜めアングル。見慣れた二人組。美紗は、亮介の胸にもたれかかって、完全に「勝者の顔」をしている。亮介は彼女の肩を抱き寄せ、冷えた目つきのまま、カメラに向かって吐き捨てるように言った。「結婚なんてさ、誰としたって同じだろ。お前とは五年も一緒にいたんだぞ。とっくに飽きてたし、正直どうでもいい。ガキみたいに分別つかないなら、そのままお前を捨てるだけだぞ。今の俺には金もあるし、女なんていくらでも寄ってくる」そう言い終わると、亮介はポケットに手を突っ込んで、見覚えのある指輪を取り出した。ついさっき、私が売ったはずの指輪だ。それを、美紗の左手の薬指にはめる。サイズはぴったりで、指にはきれいに収まっているのに、亮介の顔色はますます悪くなっていった。しば
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第5話
【はる!いい加減にしろ! ここまで一緒にやってきたのに、たかがこれくらいのことで別れるとか言えるか!早く帰ってこい!まだみさのこと根に持ってんだろ?前にも説明したけど、あいつとは何もねえって。ただの「ダチ」だって。いつまでスネてるつもり?】画面に次々と浮かんでくる文字を追いながら、私はどこか他人事みたいな気分でぼんやりしていた。ふいに、私たちの歪んだ関係を、もう一度考え直してしまう。亮介との五年間、動いていたのはずっと私のほうだった。連絡を取るのも、会う約束を調整するのも、機嫌を取るのも、全部。たとえ彼が「ダチ」だと言い張る美紗と、どれだけ不適切なことをして、私に気づかれたとしても、亮介がここまで慌てたことなんて、一度もなかった。それが今、私が「他の人と結婚する」を口にしたからと分かっている。彼が本気で焦っているのが、痛いほど伝わってくる。……でも、もう遅い。私にとって、亮介の「愛」も態度も、今ではどうでもいい。誰を好きになろうと、誰と「ダチ」ごっこをしようと、もう私には何の関係もない。だって、もうすぐ私は結婚する。しかも、相手は彼ではない。彼の気を引くために、私は何度も何度も頑張ってきた。美紗のところへ行かないでほしいとお願いして、体調が悪いふりをして、弱い自分を演じて——それでも、全部無駄だった。私に残されたのは、たったひとつの事実だけ。私なんかより、美紗のほうがずっと大事だということ。スマホの画面には、着信履歴がずらりと並んでいた。何度も何度もかけてきては、不在のまま切れていく電話と、その合間を埋めるように、ひっきりなしに届くメッセージ。それでも、私はまったく動じなかった。亮介は、もともとあまり我慢強いタイプではない。なのに今日に限って、どうしてここまで粘るんだろう。まるで、本当に私のことを深く愛しているみたいに。けど、私は知っている。あの人が私に向けてくれていた、抑えきれないくらいの熱は、もう五年前に終わっているってことを。少しだけ迷ってから、私は彼の連絡手段を片っ端からブロックした。昔、ケンカのたびに亮介が私にやっていたのと、まったく同じように。今回は、立場が入れ替わっただけだ。いや。強いて言えば、違うのはただひとつ——彼は私を屈服させるためにそれをやっていたけ
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第6話
私は小さくうなずいた。もう過去とはきっぱり決別すると決めたんだ。これからは、目にも心にも悠真しか映さない。忘れるべきものは、忘れるべきものだけ、静かに手放していくつもりだ。……私と悠真の結婚式は、二ヶ月後に挙げることになった。これまで一緒に過ごしてきた毎日は、とにかく忙しくて、それでいて楽しい。私の生活と人生を、悠真が少しずつ埋めていってくれた。そんな平凡な日々が光になって、この胸の奥に残っていたわずかな陰りを、跡形もなく消してくれた。気づけば、亮介の顔すらろくに思い出せなくなっていた頃。そんなある日。一日中買い物で歩き回ってクタクタになった私は、ベッドに寝転がったまま、スピーカーモードで電話に出た。画面に表示された名前は「由依」。田中由依(たなか ゆい)だ。私のいちばんの親友。ここ数年間に私と亮介のあいだで起きたことを、彼女は細かいところまで全部見届けてきた。「両親以外で、この世でいちばん私たちのことを別れさせたがっていた人は誰か」なんて質問があったら、迷わず由依の名前を挙げるだろう。電話に出た瞬間、スピーカーからおなじみの騒がしい声が飛び出してきた。「はる、聞いた!?亮介、はるのこと探し回って、ほとんど発狂寸前らしいよ!それでさ、その件で美紗と大ゲンカしたって話、もう回ってきてるんだけど?これさ、ワンチャン別れたあとの後悔パターンじゃない?」私はしばらく黙り込んだ。亮介が、私のことで美紗とケンカするなんて、想像もしていなかった。あの頃の私は、彼のためにこの街に残って、どれだけ苦労しても、全部「好きだから当然」だと思い込んでいた。そんな私に唯一ブレーキをかけてくれていたのが、由依だった。「恋愛って、本当は両想いで一緒に歩むものでしょ?一人だけ全力疾走してたら、そりゃバテるよ」——そう言ってくれていたのに、その頃の私は一文字も聞き入れようとしなかった。亮介に苦労なんてさせたくなくて、何でもかんでも言うことを聞いた。そうしていれば、きっとどの恋だって続いていけるんだって、本気で信じていた。結果は、ご覧のとおりだ。あのときの「命がけの片思いごっこ」は、今振り返ると惨めなほど滑稽でしかない。私が何も返さないままでいると、今度は電話の向こうから恐る恐る切り出した。「その……本
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第7話
亮介の言葉を聞いた瞬間、頭の中が一気に「?」で埋め尽くされた。なんでそんな馬鹿げた質問ができるのか、本気でこの人の脳みそを取り出していじってみたい。だってこの前、「他の人と結婚する」って内容のメッセージは、ちゃんと送っておいたはず。それなのに、今ここで「俺のことどうでもいいのか」なんて真剣な顔で聞いてくる。あと少し来るのが遅かったら、私、子どもでも抱きながらここを歩いていたかもしれないんだけど。「私たち、もう別れたよね。今さら何してんの?引き止め?」声は、自分でも驚くくらい冷たかった。余計な期待を一ミリも持たせないように、きっぱりと言い切る。「悪いけど、もう手遅れよ」「俺は認めてねえんだよ!」亮介は本気でムッとして、声を上げた。「俺は『別れよう』なんて一言も言ってねえからな!まだみさのこと怒ってんなら、アイツにちゃんと謝らせるからさ。はる、もう拗ねるなって。一緒に帰ろうぜ?俺たち、もうすぐ結婚する予定だったんだろ?」私はこくりとうなずいてから、淡々と返す。「付き合うには同意がいるんだけど、別れるのにあんたの許可なんていらないよ。あんたの言うとおり、私はたしかに結婚するつもりだけど、残念ながら相手はあんたじゃない」「そんなくだらねえ意地張ってんじゃねえよ!俺以外に誰がいるんだよ」くだらない質問に答える価値なんてない。そんなうぬぼれた男と、これ以上口をきく時間がもったいない。私はそのまま彼の手を振り払い、階段を上がった。踊り場に差し掛かったところで、背後から叫び声が追いかけてくる。「俺は、お前を諦めねえからな!はる、見てろよ。世界で一番お前を愛してるのは、この俺だって証明してやる!」亮介の言葉を、正直そのときは少しも本気にはしていなかった。まさかその「証明」があんなに早くやってくるなんて、夢にも思わずに。……翌朝。私は階下から聞こえてくる妙にざわついた声で目を覚ました。ベッドからむくりと起き上がり、カーテンを少しだけ開けて下をのぞき込む。視界に飛び込んできたのは亮介、その横に美紗、それから見覚えのある「つるんでる連中」が何人か。メガホンを手にしたあいつらは、どう見てもサプライズ系の何かをやらかす気満々だった。……心の底から、悠真が医者でよかったと思った。朝から病院に出勤していて、本当に助
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第8話
ずっと待ち望んでいたセリフのはずなのに、いざ耳にしてみると、どんな顔をしていいのかわからなかった。膝をついている亮介を見下ろしながら、私はふと思う。かつて私の心をズタズタにしたこの男が、今はひどく遠い他人みたいに見える。これで裏切りが帳消しになると思っているの?ひとりで朝まで泣き明かした夜の数々まで、「スターリースカイ」の指輪一個でチャラにできると本気で信じているの?もしその答えが「はい」だと思ってるなら、それは相当な勘違いだ。張りつめた沈黙の中、私は小さく息を吐いて、視線をそらした。少し離れた街路樹の陰に向かって、わざと普段どおりの調子で声をかける。「ねえ、あなた。いつまでそこで見物してるつもり?」……「……あなた!?」その一言が響いた瞬間、そこにいた全員の動きが止まった。一斉に、私が見つめている街路樹のほうへと視線が向く。まさか、私の口から「あなた」なんて出てくるとは、誰も思っていなかったのだろう。木陰から、ひとりの男性がゆっくりと姿を現した。白いシャツに金縁のメガネ。袖はラフにまくり上げて、両手をポケットに突っ込んだまま。口元には、笑っているのかいないのかわからない、淡い笑み。悠真だ。「こんな面白いショー、最後まで見ずに出ていくわけないだろ、ダーリン」そう言って、彼はごく自然な仕草で私の腰に腕を回した。「……え?」その呼び方に、亮介の目が思わず見開いた。みるみるうちに、その顔から血の気が引いていく。さっきまで「ちょっと拗ねているだけだ」と勝手に決めつけていたくせに、目の前に「結婚相手」本人が現れたとたん、ようやく事態を飲み込んだようだった。「こいつは……?」かろうじて絞り出した声は、わずかに震えている。それでもまだ、どこかで「嘘だ」と信じたがっているのが丸わかりだ。悠真は軽く会釈し、私を抱く腕に少し力を込めた。「初めまして。春菜の婚約者、水川悠真と申します。二ヶ月後に結婚しますので、そのときはぜひ披露宴にいらしてください」その一言を聞いた瞬間、亮介の目から光が消えた。手に持っていたリングケースが、「パチン」と情けない音を立てて地面に落ちた。「なんで……なんで一度もそんなこと言わなかったんだよ……」「何度も言ったよ。あんたが聞かなかっただけ」私は悠真の
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第9話
しばらくのあいだは家にこもって、昔の出来事が本当に自分に何の影響も及ぼさなくなったって思えるまで、わざと外の世界から距離を置いていた。ざわつきがやっと静かになった頃、ようやく外に出て仕事を探してみようかなって悠真に話したとたん、彼は本当にうれしそうに私の頭をくしゃっと撫でてきた。「春菜も大人になったなあ。自分の考えを顔に出さないってことまで覚えたんだな」こっちはとっくに成人してるんだけど、悠真の中の私はいつまでも「昔のちょっと生意気で可愛い近所の女の子」のままらしい。だから、私がほんの少しでも成長したところを見つけると、それだけで全力で褒めてくれる。そんなふうにいつも甘やかされてきた日々のなか、「ひとつ仕事を用意したよ」と悠真が言ってくれたときも、私は結局それを断らなかった。ここ数年で、水川家の商売は一気に大きくなり、この街でもトップクラスの企業グループにまで成長したことくらい、私もわかっている。彼と結婚すると決めた以上、その家で仕事をもらうことに、いまさら変な意地を張る必要なんてない。……けど、その仕事が亮介と繋がっているなんて、夢にも思わなかった。というか、海外から帰ってきたばかりの悠真も、まさか亮介が自分の会社で働いているなんて、さすがにそこまでは知らなかったらしい。……入社初日、私はかなり早めに本社ビルに着いた。人事部長が手続き一式をてきぱきと済ませ、そのまま私を自分のフロアの部屋へと案内する。初めてそのガラス扉をくぐったとたん、その場に固まった男と目が合った。亮介だ。彼の手には、私に——つまり新しく着任した直属の上司のために用意されたらしいコーヒーカップが握られている。驚きすぎて、指先から滑り落としそうになっていた。あまりにもおかしい光景に、つい笑いがこみ上げる。昔の彼は、私の給料が安いだの、彼の仕事のしんどさをわかっていないだの、散々こぼしていたのに。その「給料の安い彼女」が、今は彼の直属の上司としてここに立っている。人事部長は、簡単に私の経歴を紹介した。父の話を出したとたん、亮介の顔色がさっと変わる。さらに「婚約者の水川悠真は、この会社のオーナー側の人間です」と一言添えられたとたん、彼は本気でふらつき始めて、今にもその場に崩れ落ちそうになった。それでも、なんとか平静を装
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第10話
「先に悪いことしたのは、俺のほうだろ。」ビルの入口を見上げたまま、亮介が低く言った。「あんたが?あいつのどこに謝る必要があんの?親の金でふんぞり返ってるお嬢様に、本気なんてわかるわけないじゃん!」まさにそのとき、私は会社のビルから外へ出てきた。耳に飛び込んできたのは、ちょうどその一言だった。私に気づいた亮介は、反射的に美紗を押しのけて、一歩前に出てくる。美紗はすかさず彼の腕をつかんで、離すまいとした。「はる、ちょっとだけ話せないか……?」ほとんど懇願に近い声だった。美紗は鼻で笑う。「なにそれ、頭下げんの?この女ホントにあんたのこと愛してるならさ、こんな扱いはしないよ」私は立ち止まりもせず、そのまま待たせてある車のほうへ歩いていく。背後で突然、ドンっていう鈍い音と、もつれ合う足音が響いた。振り返ると、亮介が美紗を思いきり突き飛ばしているところだった。アスファルトに尻もちをついた美紗は、甲高い悲鳴をあげて立ち上がり、そのまま亮介の顔に爪を立てる。かつては「仲良し」と呼ばれていた二人が、今は会社のビルの前で、獣みたいに取っ組み合いのケンカをしている。あっという間に人だかりができ、やがて誰かが警察に通報した。パトカーが到着したとき、亮介の顔は爪痕で血まみれになっていた。それでも彼は、連れて行こうとする警察官の腕を振り切り、こっちに向かって叫んだ。「はる、ごめん!本当に悪かったって、今は心から思ってる!許してくれよ、頼むから!」私は、その光景を少し離れたところから静かに見つめていた。ふいに、一年前のことを思い出す。あのときも、ちょうどこんな夕暮れだった。亮介からのメッセージを、今でも鮮明に覚えている。【美紗がケンカして警察署に連れて行かれた。迎えに行かなきゃ。俺、ああいうまっすぐな性格、嫌いじゃないんだよな】——そう、彼は誇らしげに言っていた。あの夜、私はベッドの中で一晩中泣き続けていたのに、今こうして同じような光景を目にしている私の胸にこみ上げてくるのは、涙なんかじゃない。……ただ、「うるさいな」という感想だけだ。車に乗り込むと、すぐに悠真から電話がかかってきた。「今日、晩ごはん一緒にどう?」「うん、行く。」そう返事をしてから、ふと窓の外を見る。パトカーはもう遠く
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