تسجيل الدخول成果レポートの表紙を整えながら、美緒は、画面の中央に置かれた文字をしばらく見つめていた。
第一回販売テスト結果報告。
小野寺製菓 EC限定セット販売テスト。
作成、リブランシュ 篠原美緒。
何度も見返した文字だった。
けれど、最終版として整えようとすると、その一行ずつに違う重さが出る。打ち合わせ用の途中資料ではない。次に何をするかを決めるための、正式な報告書だった。
美緒はページをめくるように、画面をスクロールした。
EC限定セットの販売結果。
商品別利益。
ギフト用と自宅用の反応差。
商品ページ改善後の購入率。
値引きなしで売れた件数。
購入者の声。
商品説明カードへの反応。
次回改善点。
項目は、派手ではなかった。
大きな売上グラフが右肩上がりになっているわけではない。注文が殺到したわけでもない。誰もが知る有名店になったわけでもない。
数字は
美緒から連絡が来たのは、オンライン相談から五日後だった。午前九時を少し過ぎた頃、鷹宮は執務室で別案件の月次報告を確認していた。売上、粗利、在庫、資金繰り。前月との差異を追いながら、気になる箇所へコメントを入れていく。いつもの朝だった。画面右下に、新着メールの通知が出た。差出人は、篠原美緒。鷹宮の視線が止まる。オンライン相談を終えてから、こちらから連絡はしていない。見積書を作り直したのか、小野寺製菓へ提出したのか、業務範囲を先方が受け入れたのか。鷹宮は何一つ確認していなかった。相談の最後に伝えたのは、最終的な見積書は、篠原代表が決めてください。ということだけだった。その言葉どおり、決めるところから先は美緒の仕事だった。鷹宮は月次報告のファイルを保存してから、メールを開いた。件名は、小野寺製菓様との契約について。本文は短かった。鷹宮様小野寺製菓様との契約が成立し、本日、初回分の入金を確認しました。ご助言いただき、ありがとうございました。篠原美緒鷹宮は一度最後まで読み、もう一度最初へ戻った。契約が成立した。初回分の入金を確認した。最終的な契約金額は書かれていない。オンライン相談で見た見積書案から、いくらへ変更したのかも分からない。業務範囲をどこまで残したのか、小野寺製菓とどのような話をしたのか、契約書へどんな条件を書いたのかも書かれていなかった。だが、鷹宮にとって必要な情報は十分だった。小野寺製菓がリブランシュへ仕事を依頼し、その対価を支払った。その事実だけでいい。鷹宮は椅子へ背を預けた。以前、久世物産の会議室で、美緒は自分の仕事を、少し手伝っただけ。数字を整えただけ。そう呼んでいた。
オンライン相談の開始時刻は、午後五時だった。鷹宮は十分前に会議用の画面を開き、共有されていた資料をもう一度確認していた。ファイル名は、小野寺製菓様 三か月試験支援 御見積書案。その下に、もう一つ。業務範囲案。送信者は、篠原美緒。小野寺製菓を紹介してから、美緒から直接連絡が来るまで、鷹宮は何も尋ねなかった。面談がどうだったのか。岳に何を言われたのか。工場へ行けたのか。契約の話まで進んだのか。聞こうと思えば、三崎を通じて確認することはできた。小野寺製菓へ連絡することも。紹介者として、様子を尋ねることも不自然ではない。それでも、しなかった。紹介した時点で、鷹宮の役割はいったん終わっている。そこから先は、小野寺製菓とリブランシュの間の話だった。そして今日。美緒自身から、契約範囲と見積金額について相談したい。という連絡が来た。つまり。少なくとも、話はそこまで進んだ。鷹宮が知っているのは、それだけだった。開始時刻になり、画面に接続通知が出る。鷹宮は入室を許可した。数秒後。画面の中央に、美緒の姿が映った。「こんばんは」美緒が少し頭を下げる。「本日はよろしくお願いいたします」鷹宮は、一瞬だけ返事が遅れた。「こちらこそ、よろしくお願いします」離婚後、美緒の姿を見るのは初めてだった。メール。電話。それだけだった。篠原美緒という名前は何度も見た。声でも聞いた。それでも、画面に映っている人間と新しい名前が結びつくまでに、ごく短い時間が必要だった。以前と大きく変わったわけではない。髪型も。表情も
午後四時を少し過ぎた頃、鷹宮は小野寺製菓の資料を開いていた。地方の老舗菓子メーカー。創業は五十年を超える。主力商品は焼き菓子と羊羹、それから季節限定の詰め合わせ。都市部の百貨店にも卸している。売上そのものが大きく落ちているわけではない。取引先もある。商品にも、一定の評価がある。それでも利益が残らない。数字を見る限り、問題は複数あった。百貨店手数料。包装資材。送料。季節商品の売れ残り。値引き販売。商品数の多さ。そして、長年続いている取引条件。鷹宮は商品別収支のページをめくった。売価。原価。粗利。そこまでは出ている。しかし、包装と物流を含めた後の数字がない。販売チャネルごとの採算も混ざっている。百貨店で売った場合。自社ECで売った場合。贈答用。自宅用。すべてが同じ商品売上として扱われていた。「これでは、売れている商品と残っている商品が分かりませんね」向かいにいた三崎が言った。「はい」鷹宮は別の資料を開いた。商品一覧。数が多い。定番商品。季節限定。百貨店向け。オンライン限定。地域イベント向け。小さな会社にしては、扱う種類が多すぎる。増やした経緯は想像できた。取引先から求められた。季節ごとに新商品を出した。売れた商品を残した。やめる理由がなかった。そうやって一つずつ増えてきたのだろう。「相談内容は、販路の見直しでしたよね」三崎が確認する。「表向きは」「表向き?」「EC
美緒から連絡がなくなって、三週間が過ぎていた。鷹宮は、その日数を数えていたわけではない。次の相談日を決めていたわけでもない。理念を書き直したら見せてほしいと約束させたわけでもなかった。最後の面談で伝えたのは、次は、理念の欄だけ見ても構いません。ということだけだった。期限は置いていない。完成を求めてもいない。美緒が再び相談するかどうかも、美緒自身が決めることだった。だから、連絡がないこと自体は何もおかしくない。鷹宮はそう理解していた。理念の答えが出ていないのかもしれない。事業計画そのものを見直している可能性もある。起業という選択肢を考えた結果、やめると判断したのかもしれない。それなら、それでいい。事業を始めることが正解なのではない。選択肢を並べ、比較し、自分で選ぶ。鷹宮が美緒へ求めたのは、それだけだった。それでも、仕事の途中で思い出すことはあった。地方企業の事業計画書を読んでいるとき。創業理念という文字を見たとき。経営者が、地域に貢献する、顧客を笑顔にするといった抽象的な言葉を並べているとき。美緒なら、あの問いへどんな答えを出しただろう。そう考える。そのたびに、鷹宮はそこで思考を止めた。答えが出たなら、美緒が必要だと思ったときに連絡してくる。出なかったなら、それも一つの結果だ。こちらから、その後いかがですか。考えはまとまりましたか。と尋ねる必要はない。むしろ、尋ねない方がいい。鷹宮は、あの夜に自分で決めたことを覚えていた。私生活を尋ねない。久世家を批判しない。離婚を勧めない。個人的な連絡を増やさない。美緒の決断を先回りしない。自分を頼らせる関係を作ら
美緒との面談を終えたあとも、鷹宮には二件の予定が残っていた。一件は社内の投資審査。もう一件は、地方企業の再建案に関するオンライン会議。いずれも予定どおりに進めた。資料を確認し。質問を投げ。不足している数字を指摘する。感情を挟む必要のない、いつもの仕事だった。最後の会議が終わったのは、午後九時を少し過ぎた頃だった。三崎が議事録の確認を終え、鷹宮の執務室へ入ってくる。「本日の予定は、以上です」「ありがとうございます」「明日の朝一番は、九時からです」「確認しています」三崎は机の端へ、今日の面談記録を置いた。美緒との相談に関するものだった。相談料の入金確認。相談時間。主な指摘事項。次回確認予定。事務的な情報だけがまとめられている。「久世美緒さんの面談記録も、共有フォルダへ保存しました」「はい」「資料そのものは持ち帰られていますので、こちらにあるのは鷹宮さんのメモだけです」「問題ありません」美緒が作成した事業計画書は、美緒のものだった。相談を受けたからといって、許可なく複製する必要はない。必要な内容は、鷹宮自身のメモに残している。三崎は扉へ向かいかけ、少しだけ足を止めた。「厳しく言いましたね」鷹宮は顔を上げた。「理念の件ですか」「はい」三崎も面談へ同席していた。美緒が傷ついたことも。それでも問いを書き留めたことも見ている。「必要な指摘です」鷹宮は答えた。「私も、そう思います」三崎はすぐに同意した。「ただ、久世さんは、もっと評価されると思って来ていたのかもしれません」「かもしれません」「少し意外だったでしょうね」
「創業動機と理念です」鷹宮が答えると、美緒の視線が二つの見出しの間を動いた。創業動機。事業理念。美緒は、すぐには言葉を返さなかった。先ほどまで、料金や業務範囲について指摘されたときには、問題点を理解するとすぐに手帳へ書き込んでいた。今回は、ペンが動かない。自分では、二つを分けて書いたつもりなのだろう。鷹宮は創業動機のページを指した。「こちらには、なぜこの仕事を考えたのかが書かれています」「はい」美緒の声は少し掠れていた。「銀行勤務時代に、良い商品や技術を持ちながら、採算や販路の問題で事業を続けられなくなる会社を見たこと」鷹宮は文章を追う。「久世物産では、部署ごとに分かれていた情報をつなげることで、初めて事業全体の問題が見えたこと」「はい」「自分の仕事が、正式な仕事として扱われなかったこと」美緒の指先が、手帳の端に触れた。鷹宮は続けた。「資料に名前が残らず、自分が行った判断を別の人間の仕事として説明されたこと」会議室の空気が、わずかに変わった。美緒は顔を上げなかった。窓の外では、夕方の光がビルの間へ落ち始めている。室内の照明はすでについていたが、まだ窓から入る光の方が強い。「それを悔しいと感じた」鷹宮は言った。「だから、自分の能力を外で通用する形にしたいと考えた」美緒の喉が小さく動いた。「違いますか」「いいえ」しばらくして、美緒が答えた。「違いません」自分の資料に書いたことだった。否定するつもりはないらしい。ただ、鷹宮の口から言葉にされると、文章で読むよりも直接的に届く。美緒の表情には、そう受け取った痕跡があった。鷹宮は次に、事業理念のページへ指を移した。「こちらには、小規模事業者
怜央からのメッセージは、短かった。莉奈の資料、今日中に見られる?美緒は、ダイニングのテーブルに広げた企画書を前にして、その文字をしばらく見つめていた。今日中に。莉奈が言った「ちょっと相談」という言葉より、その四文字はずっと重かった。けれど、怜央からの頼みだと思うと、重いと感じる自分の方が間違っているような気がした。窓の外では、庭の木々が夕方の光を受けて暗い影を落とし始めている。昼間には明るく見えた苔の色も、今は深く沈み、飛び石の縁だけがかすかに白く浮いていた。古い振り子時計の音が、廊下の奥から一定の間隔で届く
スマホの画面には、莉奈の名前が表示されていた。お義姉さん、今日おうちにいますよね? ちょっと相談したい資料があって。美緒は、洗い終えた茶器を布巾の上に伏せたまま、その文面を見つめた。ちょっと相談。その言葉は軽かった。少なくとも、断るほど重いものには見えなかった。けれど美緒は知っている。久世家で使われる「ちょっと」は、たいてい、その言葉より少し重い。応接室には、まだ香の匂いが薄く残っていた。先ほどまで来客たちの笑い声が満ちていた部屋は、今は静まり返っている。茶器は洗い終えた。菓子皿も拭いた。座布団も元の位置に戻
応接室の花は、すでに整っていた。けれど美緒は、もう一度だけ花器の向きを確かめた。床の間の掛け軸に対して、枝先がわずかに右へ流れている。ほんの少しのことだった。誰も気づかないかもしれない。けれど、佳乃子は気づく。この家では、気づかれないことよりも、気づかれたときにどう見えるかが大切だった。美緒は花器を両手で持ち、音を立てないように数ミリだけ動かした。陶器の底が畳の上の薄い板に触れる、そのわずかな感触にまで神経が向く。朝から動き続けているせいか、指先が少し冷えていた。応接室は、客を迎えるための部屋というより、久世家が久世家であることを証明するための部屋に見えた。磨かれた座卓。季節に合わ
久世家の朝は、門が開く前から始まる。まだ空は薄く青く、庭石の縁には夜の湿り気が残っていた。高い塀の向こうから、坂道を上ってくる車の音がかすかに聞こえる。新聞配達のバイクが一度止まり、また遠ざかっていく。その音は門の内側へ届く前に、どこかよその世界のものになった。美緒は玄関先に立ち、新聞受けから取り出した朝刊を両手でそろえた。重い門は、まだ閉じている。外から見れば、それは久世家の格式を示すものなのだろう。代々この地方都市で名を知られてきた旧家にふさわしい、堂々とした門構え。高い塀の内側には手入れされた庭が広がり、松の枝は季節に合わせて整えられている。飛び石には落ち葉ひとつ残されておらず、







