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第2話

作者: イリコ
私は彼女の手をそっと揺らす。

「おばさん、美波、暗いの怖い。おうちが真っ暗になったら、おばさんのところに来てもいい?」

桂子は、私の頭を優しく撫でる。

「もちろんいいわよ。この数日は、毎日ご飯を持ってきてあげるし、一緒に遊んであげるからね」

私は大きくうなずく。桂子の首に抱きつき、笑顔を見せる。「ありがとう、おばさん!」

桂子は、まず私を家まで送り届けてくれる。そして、自分の携帯番号を大きく書いたメモを私のポケットにそっと忍ばせる。さらに、小さなホイッスルを私に渡す。

「怖くなったら、これを吹いてね。おばさんは向かいにいるから、聞こえるよ」

言い終えると、桂子はそのまま管理人室へ向かう。管理人の佐々木信夫(ささき のぶお)に声をかける。

「402号室の清田さん夫婦、旅行に出かけるんですけど、5歳くらいの知能しかない娘さんを一人で家に置いていくみたいなんです。

見回りの時は少し気にかけてあげて、何かあったら私を呼んでください。私は向かいの401号室の長井桂子です」

信夫はもともと私のことを知っている。以前、両親が私をマンションの下に置き去りにしたときも、彼が30分ほど一緒に待っていてくれたのだ。

信夫は何度も頷く。

「任せてください、長井さん。毎日4階を少し多めに巡回します。何かあれば、すぐに知らせますから」

さらに桂子は、マンションの設備管理員をしている夫・長井修(ながい おさむ)にも相談し、管理会社に我が家の合鍵を預かってもらえるよう手配した。両親が外から鍵をかけてしまい、私が内側から開けられなくなったときのためだ。

そのうえ、自分の携帯番号を同じ階の住人全員に伝えた。もし私の家から泣き声が聞こえたら、すぐに連絡してほしいと頼んだ。

これらの手配を終えるころには、1時間以上経っていた。

私はリビングのカーペットに座ってレゴで遊んでいる。そのとき、玄関から鍵が回る音が聞こえる。両親と心海が買い物を終えて帰ってきたのだ。

父は大きなビニール袋を二つ提げていて、中には心海の好きなお菓子ばかりが詰まっている。母は新しいピンク色のブランドのスーツケースを引いている。心海への合格祝いらしい。

玄関に入った心海は、真っ先にスーツケースへ駆け寄る。目を細めて嬉しそうに笑う。

「お母さん、最高!クラスのみんなもこのブランドのスーツケース持ってるんだよ。ずっと欲しかったの!」

母は愛おしそうに心海の頭を撫でる。

「うちの娘が都京大学に受かったんだもの。いいものを買ってあげないとね」

そこでようやく私の存在に気がついたように歩み寄り、取ってつけたように私の頭を撫でる。

「美波、いい子にしてた?勝手に外へ出たりしてなかった?」

私は、パーツが欠けたレゴを持ち上げて見せる。

「美波ね、お家を作ったの。お母さんのお家だよ」

母は「えらいわね」と一言褒めると、すぐに心海の新しい服を片づけるため、背を向ける。

……

その日、両親の寝室の明かりは、夜遅くまでついたままだ。私は片耳のちぎれたクマのぬいぐるみを抱きしめ、二人の部屋の前にしゃがみ込む。すると、母が声を潜めて話しているのが聞こえる。

「傷みやすい料理を一番取りやすいところに置いといたわ。3日もすれば傷むわね。温めることもできないし、絶対にお腹を壊すはずよ」

父も声を落としている。

「水道の元栓はもう閉めてある。あの子の力じゃ開けられない。ブレーカーなら出る前に落とせばいい。スイッチをきれいに拭いておけば、誰にも分からない。

帰ってきたら、あの子が間違えて元栓をいじったことにして、ブレーカーが落ちたって言えばいい。俺たちには関係のない話だ」

心海の部屋にも明かりがついている。友達と電話をしているらしく、声が小さく漏れ聞こえる。

「都京大学に受かったんだ。お父さんとお母さんのお金はいずれ全部私のものになるんだから……あんなバカに使うなんて、もったいないじゃん」

ぬいぐるみを抱えたまま、リビングに置かれた私のソファベッドへと戻る。少しも怖くない。桂子が守ってくれると知っているから……

出発の日の朝。両親は大きなスーツケースを二つ引きずり、玄関に並んで立っている。

心海はリュックを背負い、隠しきれない笑みを浮かべている。手には、都京大学の合格通知書をしっかりと握りしめている。私のそばを通り過ぎるとき、わざとその通知書を高く掲げてみせる。彼女の心の声が聞こえる。

【帰ってきたら、この家にもうあなたの居場所なんてない。全部、私のものになる。

お父さんとお母さんの愛情を、もう誰にも分けなくていい】

父は手袋をはめ、こっそりとブレーカーを落とす。スイッチを念入りに何度も拭き、指紋が残っていないことを確認する。さらに水道の元栓を閉め、同じようにきれいに拭き取る。

母は冷蔵庫のドアをほんの少し、開けっ放しにする。「換気しておかないと、中が蒸れちゃうからね」などと言っている。

心海は出かける直前、リビングにあるすべてのコップを隠す。そして、にこにこと笑いながら私に言う。

「お姉ちゃん、コップを割って手を切ったりしたら危ないからね」

しかし、彼女の心の中ではこう呟いている。

【喉が渇いても水が飲めなければいい。少しでも早く死んでくれればいいのに】

母が最後に私を抱きしめる。新しく買った香水の匂いがする。

「美波はお家でいい子にして待っててね。帰ってきたら、とびきり大きなイチゴのケーキを買ってきてあげるから」

私は大きく頷く。「うん!美波、おっきなイチゴのケーキを1個まるごと食べたい!」

私の返事に満足したように、3人は家を出る。玄関のドアが、バタンと音を立てて閉まる。続いて、鍵の回る音が聞こえる。わざわざ外から二重ロックをかけたのだ。

部屋の中は一瞬にして静寂に包まれる。すべての明かりが消え、テレビの画面も真っ暗になる。

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