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第2話

Author: Lovely Pearly
貴族たちの人垣と、キラナのいる修羅場との境目で、その男の足が止まった。カイル・デ・ヴァラス。彼女の正真正銘の夫だ。

挿絵でカイルがどれほど美形に描かれていようと、実物を前にした衝撃は別物だった。

身長は百九十センチ近く、広い肩は銀糸の刺繍が施された黒い軍服に包まれている。だが誰も気づいていない細部に、キラナだけは息を呑んだ。

厚い胸が荒く上下し、こめかみに汗がにじみ、黒髪が風に乱れて額にかかっている。常に冷静沈着な戦場の怪物が、明らかにここまで馬を飛ばしてきたのだ。

原作の筋書き通りなら、カイルは今ごろ首都郊外の駐屯地にいるはずだった。それがこれほど早く駆けつけた理由は一つしかない。妻がまた騒ぎを起こしたと耳にした瞬間、狂ったように馬を駆ってきたのだ。

「……殿下」

カイルの声は低く重く、わずかに掠れていた。動きは硬いながらも、寸分の狂いもない敬礼を見せる。

「妻が関わる騒ぎが起きたと耳にしまして」

アーサーは腕を組み、傲慢に鼻を鳴らした。その目には、主人すら御しきれない番犬を見るような蔑みが浮かんでいる。

「やっと来たか、カイル公爵。待ちくたびれたぞ。お前のイカれた妻がエレナに何をしたか見てみろ。熱いお茶をぶちまけたんだ。しかもわざと、それも皆の前でだ」

カイルの灰色の瞳がゆっくりと動き、無関心にエレナを一瞥すると、真っ直ぐキラナへ向けられる。

その瞬間、キラナは思わず目を閉じそうになった。この体に残る記憶によれば、こういう場面はいつも戦場と化すのが常だった。到着が遅いと罵声を浴びせ、ヒステリックに叫び、扇子を夫の顔に投げつける。

哀れなカイルは、その覚悟をとうに固めているように見えた。顎が張り、肩がこわばり、見えない鎧をまとって妻の言葉の刃を受け止めようとしている。無表情な顔は、疲労と屈辱を覆い隠す完璧な仮面だった。

カイルはきっと殴られると身構えている。そう悟り、キラナの胸がちくりと痛んだ。

顔を赤くしたアーサーが再び詰め寄り、無理やりキラナを跪かせようとした瞬間、彼女の中で生存本能が理性を追い越した。言い争いなどしたくない。見世物にもなりたくない。ただ守られたい。そしてこの場で心から安心できる場所は、一つしかなかった。

頭で考えるより先に、キラナは体の向きを変えていた。逃げるためではない。近づくためだ。

「カイル……」

か細く震える声で、その名がこぼれ落ちる。二人の間の距離を一気に詰め、素早く身を翻すと、夫の広い背中の後ろに隠れた。

その瞬間、カイルにとって世界が止まった。凛と伸びていた司令官の背が完全に固まる。いつも冷静な灰色の瞳が、わずかに見開かれた。泰然自若とした彼にはめったに起こらない反応だった。

彼は覚えのない感覚に包まれていた。震える細い指が軍服の裾を握りしめ、誰かの温もりが背中にぴたりと寄り添っている。まるで彼の背中を盾にするかのように。

妻は彼を殴らなかった。罵らなかった。彼を突き飛ばしてアーサーに縋り付くこともしなかった。

「守って……」

キラナは小さく呟き、風と薄い汗、そして安心できる松の香りが混じるカイルの軍服に顔を埋めた。

「アーサーが……怖いの」

その一言は、カイルの耳に砲弾のごとく轟いた。妻が、アーサーを怖がっている。寝ても覚めても彼を追い回していたはずの彼女が。あれほど高慢だった女が、今は自分の背に隠れている。しかも普段は夫を屑呼ばわりしている彼女が、その背に。

カイルは思わず拳を強く握り込んだ。戦略を組み立てることに慣れたその頭は、今は真っ白だった。凶暴だった妻が突然怯えた兎に豹変したとき、どう対処すべきか教えてくれる作戦マニュアルなど存在しない。

「カイル公爵!」

アーサーの怒声が奇妙な静寂を破った。キラナがカイルの元へ駆け寄ったのを見て、その顔には虚仮にされたような色があからさまに浮かんだ。

「何のつもりだ!?退け!お前の妻には今すぐ礼儀というものを叩き込まないと!」

アーサーが攻撃的に足を踏み出し、キラナを捕まえようと手を伸ばす。だが、素早い動きがそれを阻んだ。

カイルはわずかに体をずらしただけだった。それだけでアーサーの行く手を完全に塞ぐには十分だった。とっさに出た、妻を庇うための動きだ。手を上げて攻撃するわけでもないのに周囲の空気が一変する。

空気が重くなり、灰色の瞳が、巣を荒らされた鷹のように鋭さを帯びていく。

「失礼ながら、殿下」

カイルは言った。声は静かだが、芯まで凍りつくような冷ややかさを孕んでいた。

「私の妻は、震えております」

アーサーは呆気にとられた。「は?」

「怯えているのです」

カイルは動じることなく続けた。背中に食い込むキラナの指がますます強く握りしめられるのを感じ、この小さな体を震わせる相手なら、誰であろうと叩き潰したいという原始的な衝動が、腹の奥で疼く。

「そいつはエレナに熱い茶を浴びせたんだぞ!」アーサーが怒鳴った。「加害者は妻の方だ、被害者じゃない!なんで庇う!?」

「盲目ではございません、殿下。あの茶の染みはこの目で確かめました」

カイルは淡々と答えた。彼は公正な男だった。だが同時に、一人の夫でもあった。

カイルはゆっくりと姿勢を正し、いつものように、この場を収めようとした。

妻が騒ぎを起こすのはこれが初めてではない。自尊心を捨てて後始末をするのも初めてではなかった。筋書きはいつも同じだ。妻が罵声を浴びせ、自分が謝罪し、そして妻が彼に唾を吐き捨てる。

カイルは深く息を吸い、とうに麻痺しているはずの胸の痛みを押し殺した。剣の柄にかけていた手を離し、職業的な眼差しでアーサーを見据える。

「重ねてお詫び申し上げます」

カイルの重厚な低音が沈黙を破った。その口調は厳粛だった。

「我が家を代表し、このような祝宴の席で妻がご迷惑をおかけしましたこと、心よりお詫び申し上げます」

伸びていたカイルの背が、ゆっくりと折れていく。完璧で、それでいてどこか胸を締めつけるような一礼だった。北の国境を守る司令官が、妻の理不尽な嫉妬のためだけに、深々と頭を垂れている。

背後で、キラナは夫の背中の筋肉が張り詰めるのを感じた。心臓がずんと沈む。

だめだ。

原作のままなら、扇子を揺らしながら高慢に立ち尽くし、夫が辱められるのも、周りが彼の惨めさを嘲笑うのも、そのまま見過ごしていたはずだ。

彼一人にこれを背負わせるわけにはいかない。キラナは思った。だって今は、私の夫なのだ。彼が恥をかくなら、私も恥をかく。彼が頭を下げているのに、私だけ胸を張っているわけにはいかない。

敬意と愛おしさに突き動かされ、理性が止める間もなくキラナの体は動いていた。カイルがまだ頭を垂れたままのうちに、掴んでいた手を離し、一歩横へ出て夫と肩を並べて立つ。

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