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悪役令嬢、夫と共に運命を変える
悪役令嬢、夫と共に運命を変える
Author: Lovely Pearly

第1話

Author: Lovely Pearly
ガシャン!

高価な陶器が大理石の床に落ちて砕け散り、甲高い音が午後の静寂を無惨に切り裂いた。破片は四方へ飛び散り、陽光を浴びてダイヤモンドのように美しく、それでいて鋭く冷たい輝きを放った。その直後、鋭い悲鳴が空気を震わせた。

「きゃあああっ!熱い、熱いよぉ!」

薔薇が咲き乱れる王宮庭園の中央で、若い女がその場に立ち尽くしていた。息を呑み、瞬きを繰り返しながら、目の前で起きた異変をどうにか飲み込もうとしている。

彼女の名はキラナ。少なくとも、一秒前まではそうだった。ついさっきまで、十六度に設定されたエアコンが効いた部屋で、激辛ポテトチップスを片手に宮廷ロマンス小説を読み終えたばかりだったはずなのだ。

なのに今、あの快適な涼しさはどこにもない。部屋を満たしていたラベンダーの香りは跡形もなく消え、代わりにむせ返るような熱気と、濃厚な薔薇の匂い、つんと鼻をつくアールグレイの香りだけが漂っている。

心臓が早鐘を打つ。恐る恐る自分の体を見下ろすと、着ていたはずのTシャツと短パンは消え失せ、代わりに重厚な絹地に金糸のレースをあしらった、血のように赤いドレスを纏っていた。腰を締め上げるコルセットのせいで肋骨が軋み、息をするのも苦しい。

見覚えのない自分の右手。やけに白く、やけに華奢で、赤いマニキュアを塗った長い爪が、割れたカップの持ち手を強く握りしめている。

「これって……」

思わず漏れた声に、キラナ自身が固まった。もっと高く、もっと冷たい、自分には無縁だったはずの傲慢さを帯びた声だった。

「ヴァレリアーナ!血迷ったか!?」

怒声が正面から飛んできた。ゆっくりと顔を上げると、そこには息を呑むほど美しい青年が数歩先に立っていた。夕陽を受けて金色に輝く髪と、憎しみを露わにしてこちらを射抜く、澄んだ青い瞳。

その美貌と鋭い眼差しの落差に、キラナはわずかに息を呑む。

アーサーの腕の中には、痛ましげに泣きじゃくる小柄な女が抱かれていた。蜂蜜色の髪と、陶器人形のように整った顔立ち。白いドレスの胸元には紅茶の染みが広がり、火傷で赤く腫れた首筋からはまだ湯気が立っている。

「い……痛い……殿下、痛いですぅ……」エレナが震え声で嗚咽を漏らす。

キラナの頭の中では、フリーズ寸前のパソコンのように思考が混線していた。あの美貌の青年は「殿下」と呼ばれた。あの弱々しい少女は被害者だ。そして自分は「ヴァレリアーナ」と呼ばれている。

血の気が一瞬にして引いた。まさか。これはついさっき読み終えたばかりの小説「王子の恋」の冒頭シーンそのものではないか!

もうキラナは、ぐうたらな会社員ではいられない。今この体は、ヴァレリアーナのもの。悪役令嬢、アーサーに異常な執着を見せ、カイルを裏切った女。その運命はすでに血のインクで書き記されている。衆人環視の中、広場で斬首されるという結末まで。

キラナは膝から力が抜けていく。硬いパニエの骨組みが支えていなければ、とうに崩れ落ちていただろう。

「返事をしろ、ヴァレリアーナ!」

アーサーが一歩踏み出し、強烈な威圧感を放つ。

「よくも僕の誕生祝いの席で、エレナに熱い紅茶を浴びせたな!正気も良心も失ったか、答えろ!」

王宮庭園が一瞬にして静まり返った。楽団の演奏が止み、無数の視線がキラナに突き刺さる。扇の陰から漏れる貴族たちの囁きは、刃のように鋭かった。

「まあ、また始まったわ。カイル公爵夫人の癇癪」

「本当に恥知らずね。人妻の身で王子に未練だなんて」

「哀れなエレナ様。カイル公爵が決して妻を辺境の任地にお連れにならないのも頷けるわ」

嘲笑が、細い針のように突き刺さる。彼らの視線に驚きの色はなく、あるのはただ嫌悪だけ。まるでキラナが、この華やかな宴に紛れ込んだ薄汚い虫けらであるかのように。

キラナの全身が震えた。ハイヒールが食い込む痛みも、コルセットの息苦しさも、人を射殺すような冷酷なアーサーの眼差しも。どれもが、夢だと切り捨てるにはあまりに生々しい。

本来のヴァレリアーナなら、決してひるみはしなかったはずだ。高々と顎を上げ、あんな田舎娘、熱湯を浴びて当然だと啖呵を切ったに違いない。

そして、その一言こそが、破滅への決定的な一歩となった。だが、キラナはただ、平穏な日々を望むだけのごく普通の女の子だ。

「私……っ」

舌がもつれ、渇いた喉からはまともな声が出ない。

アーサーの腕の中で、エレナがゆっくりと顔を上げた。透き通った涙の粒が、紅潮した頬を伝って美しい弧を描いて落ちる。見事なまでの演技だ。

「殿下……」

エレナがか細くすすり泣くように言った。だが、その声はスキャンダルを喜ぶ野次馬たちの耳に、しっかり届くほどよく通っていた。

「もういいんです。どうかヴァレリアーナ様を責めないであげてください。きっと……きっとカイル公爵があまり家にお戻りにならないから、寂しい思いをされているのだと思います。お気持ち、わかりますから」

くそっ。天使のような弁護を装いながら、一言一句が毒だった。直接の非難は一つもないのに、聞く者すべての心に、ひとつの印象だけが深く植えつけられてしまう。ヴァレリアーナは夫婦間の不和の鬱憤を、罪もない相手にぶつける女なのだと。

「カイル」の名を耳にした瞬間、アーサーの表情が硬く強張った。

「カイル公爵の高潔な名を持ち出して、己の悪行を誤魔化そうなどと思うな」

歯を食いしばりながら、アーサーはヴァレリアーナの顔を指さした。

「カイル公爵は戦の英雄だぞ!不幸にも政略結婚でお前のような女を押し付けられてしまった、哀れな男ではないか!お前のような妻を持って、さぞかし肩身の狭い思いをしていることだろうよ!」

その言葉が、胸の奥を鋭く抉った。プライドが傷ついたからではなく、それが紛れもない事実だと、誰よりもキラナ自身がわかっていたからだ。

カイル。この体の正式な夫である彼の記憶が、洪水のようにキラナの脳裏へなだれ込んでくる。本物のヴァレリアーナからは血に飢えた怪物と何度も罵られてきた冷酷な男。

だが実際のカイルは、誰よりも深く妻を愛していた。カイルはいつも、ヴァレリアーナの度重なる愚行の後始末を黙って引き受け、盾となって彼女を守ってきた存在だった。

そして、その末路は無残な死。謀反の罪を着せられ、愚かな妻を守ろうとしたがために苦しみ抜き、最後はヴァレリアーナ処刑の報せを聞いて自ら命を絶った。

……死にたくないわ!

キラナの心が恐怖に凍りついたまま叫ぶ。

カイルにだって、死んでほしくない!よりによって、どうしてこんな最悪のタイミングで転生してくるの……!?

「謝れ!」

アーサーの冷え切った声が、キラナの思考を断ち切った。

「今すぐ、この場でだ。跪いて、皆の前でエレナに謝罪しろ」

キラナは目を見開いた。跪け、だって?

その要求に、周囲からどよめきが上がる。公爵夫人を、たかが男爵令嬢の前で跪かせるなど、あまりに屈辱的な仕打ちだ。家名の誇りを泥にまみれさせるには十分すぎる。拒めば、アーサーの怒りはさらに燃え上がる。従えば、自らの手で夫の名誉を踏みにじることになる。まさに絶体絶命の状況だった。

「聞こえないのか!?」

アーサーがじりじりと歩み寄ってくる。まるで力ずくでも屈服させようとするかのように。

キラナは一歩、後ずさった。心臓が今にも張り裂けそうだ。見知らぬこの世界にたったひとり、四方を敵に囲まれたような心地だった。

神様……お願い、誰でもいいから助けて……!

アーサーの手がキラナの肩を掴もうと伸びた、その刹那。

重々しい足音が響き渡った。

ただの足音ではない。軍靴が石畳を踏みしめる、規則正しく、圧倒的な存在感を放つ響き。絹の擦れる音や上品な靴音しかしないこの宴の場において、それはあまりにも異質な律動だった。囁き合っていた貴族たちが一斉に道を開け、蒼白な顔に畏怖の色を浮かべる。

キラナも振り返り、皆の視線を追った。息が止まる。

小径の先、銀の刺繍をあしらった黒い軍服を纏った、すらりと背の高い人影が立っていた。黒いマントが微かに翻り、真夏の暑さにはそぐわない冷気を纏わせている。大理石の彫刻のように表情ひとつ動かさぬその顔。

だが、嵐を秘めたような灰色の瞳だけが、その場のすべてを見渡し、やがて、キラナの姿にぴたりと止まった。

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