LOGIN「ここ……座っても?」
私がそう尋ねると、彼は二秒ほど沈黙し、冷たく返事をする。
「……どうぞ。」
その後も、朔夜は無愛想に視線を逸らした。
私はそれに気づかないふりして、空いた席に静かに腰かけた。
その瞬間、はっきりと感じた――
前方斜めから、鋭い視線が一直線に突き刺さってくる。――燈だ。
彼女の目は鋭く、刃のように私の存在をなぞり、私の素性を見抜こうとしているかのようだった。
きっと私がどこの誰で、何が目的で朔夜に声をかけたのかを探ってる。
開かれているのは、主に美術品を扱う国際的な大手オークション。
毎年、海外からも有名な投資家やコレクターがこぞって参加する。朔夜も、鷹司ホールディングスのCEOとなってから、いわゆる『企業のコレクション拡充』や『投資』という名目で欠かさず参加していた。
そして――「月島光咲」。元秘書だった私は今、「謎めいたコレクター」として、軽やかに、悠然とこの場に溶け込んでいた。
私がこのオークションに参加できたのは、事前に大手オークションハウスのウェブサイトからバイヤー登録を済ませ、銀行の残高照明を提示し、正規の入札者番号を受け取っていたからだ。一瞬彼の態度に動揺したが、気持ちが落ち着いてきた今では、慌てることなく振る舞える。
私は“月島光咲”。彼とは全くの初対面の女だ。
「ウィレム・カルフの作品は、やはり素晴らしいですね。」
ふいに声をかけると、朔夜の肩がかすかに揺れた。瞳の奥に一瞬、驚きが走った。
「……詳しいのか?しかし彼の作品は、マイナーな作品ばかりだと言われているが。」
私は微かに笑みを浮かべ、視線を絵画に滑らせながら、淡々と、しかし鋭さを帯びた口調で言った。
「マイナーだからこそ、より特別なんです」
その短い一言で、私の目利きぶりを示すと同時に――
彼の好む芸術を理解していることをほのめかした。朔夜の視線を感じる。だが、私はあえて彼を見ない。
正面の絵画に集中し、朔夜が声をかけるのをじっと待つ。「失礼ですが、あなたは――」
「あなた、失礼ですが、お名前は?」
燈が突然朔夜の問いかけを遮って、話に割って入り、冷たい視線を私に向けた。
明らかに警告の意味を帯びていて――まるで、「ここは誰でも座れる場所じゃない」と告げているかのようだった。
「このオークションは、ある程度の著名人や、富裕層しか参加できない決まりがあります。
こう見えて私は、大企業の令嬢たちに精通していますが、あなたのような人は初めて見ました。」――それは探りでもあり、同時に、まったく隠されていない敵意でもあった。
(そうね、あなたにとっても私は初対面の女だもの)
私は上品な微笑みを浮かべて、燈に挨拶する。
「“初めまして” ――私は月島光咲と言います。
確かに私は大企業の令嬢ではありませんが、自身で財を築いた資産家です。 覚えてくだされば光栄です。」握手をしようと手を伸ばすが、燈はただ冷たく一瞥をくれただけで、何の返答もしなかった。
その隠すことのない嫌悪は、まるで――
私を歓迎していない、と宣告しているかのようだった。燈は、朔夜がCEOを務める家族経営の鷹司ホールディングスで、EA(エグゼクティブ・アシスタント)をしている。
ショートヘアで、目は鋭く、艶やかな美貌。いかにも仕事のできる女といった雰囲気である。「月島?そんな名前、聞いたことないわ。」
それはそうでしょうね。
何しろ、今こうして私がここに立っているすべては――「他人の人生」を代償にして手に入れたものなのだから。「運が良かっただけかもしれませんね。」
笑みを浮かべながらも、私の口調には微塵の隙もなかった。
「祖母の遺産がちょうど私の名義で入ったので、それを使って少し投資してみたんです。
まさか、これほど上手くいくとは……ね。」にこっと笑い、燈をかわした後で朔夜を見る。
しかしすでに彼の視線は私にはなかった。 まるで――死人のように、熱のない視線。元々、こんな目をする人だった?
私が死んだ後、朔夜はこれまでどうやって過ごしてきたんだろう。
いえ、そんなこと今はどうだっていい。重要なのは、あの件に、朔夜自身も関わっているかどうか。
もし――あなたが、燈と二人して私を罠に嵌めたのなら。
朔夜。 あなたはもう、高みから誰かを見下ろす資格なんてない。 この手で、あなたを地獄へ引きずり落とす。世間で、高遠凛音には今だに『横領事件の犯人・事故死』というレッテルが貼り付けられたままだ。
結局私は、罪人として闇に葬られた――。
だからこそ、真実を知るためにも、朔夜のそばに戻らなければならない。
愛のためではない。
ただ、真実のために。朔夜専用のオフィスに入り、ひとまず愛想良く挨拶をした。「お待たせしました。朔夜さん。」だが、呼び出した本人、朔夜の方は相変わらず無愛想に私を一瞥しただけ。そんな態度をとるなら、一体なんのために呼んだのだろう。私がいつものように呆れた瞬間――「よくきたな。体は平気か?」「え……?」「事故にあったそうじゃないか。それもアパートが半壊するほどの。その姿を見れば無事だったのは分かるが、他に怪我はなかったか?」朔夜が――私を心配して――「月島さん?」「あ、いえ。ちょっと意外で。はい、大丈夫です。この通り無事でした。」「……もはや、あなたの“大丈夫”は口癖だな。たまには、大丈夫じゃないと言ってみたらどうなんだ?」「え……?」朔夜は私に近づき、眉尻を上げた。もしかして、怒っている……?「どうして、俺じゃなく、新に頼ったんだ?運転手があなたを送った直後の事故だろう。頼るのは、新じゃなくて俺だったんじゃないのか?」彼はむっとしたように顔を近づけ、私に迫った。なにが起きているのだろう。私の目的は朔夜に接近し、真実を暴くことだったが、こんなふうに近づかれるためじゃない。それが、なぜ、こんなことに――「今自分がどんな状況にあるのか、分かっているのか?」彼が怒っている理由を見つけないと。私は後ずさりしながら、朔夜を見つめた。「命を……狙われています。」「そうだ。あなたは、鷹司家の家族オフィスで狙われ、俺が招待したレセプションで狙われた。そして――爆発事故に巻き込まれた。爆発事故の詳細はわからないが……確かに
朔夜からの電話はひつこく続いた。「はあ。だから、なんだって言うんだ。光咲さんは俺が見てるから大丈夫だって言ってるのに。」新はようやく電話を切ったが、苛立っているようだった。「どうしたんですか?朔夜さんはなんて?」「なんか……光咲さんのことは自分にも責任があるから、迎えに行くだのなんだの。ちょっと怖いくらいひつこかったな。」「そう……なんですね。」 まさか、家族オフィスでの調査のことで、朔夜が罪悪感を?あの冷酷な朔夜が……?新が座っていたソファから立ち上がった。「とにかく、朔夜から何を言われても従う必要なんてないからね。光咲さんは、ここにいればいいんだから。」「ありがとう……ございます。」私の幼馴染は、本気で光咲を心配してくれている。それが嬉しかった。自然と笑みが溢れるほどに。「……その笑った顔。……にてるなあ。」「え?」「ううん、なんでもない。さて、そろそろ俺は行かないと。」名残惜しそうに新は振り返り、やがて部屋から立ち去って行った。一人になった私は、ベッドに仰向けに寝転がった。ここ数日色々なことがありすぎて、なんだか疲れた。命を狙われてるのも分かってる。凛音の事件を追う限り、こういったことはくり返されるだろう。でも私は、知らなければいけない。あの日の真相に辿り着くまで――復讐のために。だから歩みを止めることはできない。「どのみち、やるしかない。花びらが消えていく事実は変わらないんだから……」顔を塞ぎ、目を閉じる。背中のケシが脳裏に浮かんだ。あと一人、アザを持つ人は誰なんだろう?私に死んでほしくなかったのは―
新が連れてきてくれたのは、超高層のホテルだった。ここも、深瀬リゾートの所有する豪華ホテルの一つで、政府の要人や、政治家がよく利用するという。分厚いコンクリートに囲まれた部屋に入ると、ようやく張り詰めていた緊張が解けた。「ここなら、セキリュティもばっちりだし、警備もいる。狙われることもないと思うよ。」新は私の荷物を運び終わって、振り向いた。彼は、ここにくるまでに、生活に必要なものを買い揃えてくれた。爆発で、何もかもめちゃくちゃになってしまったから。 「何から何まで、ありがとう。新さん。」そう言うと、新は優しく微笑んだ。「気にしなくていいよ、光咲さん。」「そうは言っても、本当に急に電話して迎えに来てほしいだなんて……。 あなたを困らせてごめんなさい。」私は心の底から謝った。巻き込んでごめんね――と。「本当に気にしないで。前にも言ったじゃないか。あなたを放っておけないと。 光咲さんの力になりたいんだ。」彼は本当に何も気にしてないように、爽やかに笑った。相変わらず優しい人。罪悪感で胸が痛くなるくらい。とにかく、ここのホテルは自由に使っていいと言われた。部屋の中にはシャワールームもあるし、飲み物も完備されている。もしなにか必要なものがあれば、フロントに連絡すれば準備してくれるらしい。警察から事情を聞いた新は、私のことを本当に心配してくれているようだった。彼はそっと私に近づき、労るような視線を向けた。 「それにしても大変だったね。立て続けに誰かに襲われた上に、まさか家が爆発するなんて……。爆発の原因はまだ分からないんだろ?」新に、どこまで本当のことを話していいんだろう。 ただ、彼を信頼したいという気持ちと、巻き込みたくないという思いが同時に浮かんでしまう。でも、復讐に必要なら――「もしかすると、鷹司家の家族オフィスで、贋作を見つけたことが原因かもしれません。」
朔夜に説教をされ、燈は焦っていた。「兄さん?」彼女は頼りなげに朔夜の名前を呼び、そっと腕に触れた。あの時みたいに。「とにかく、これ以上凛音のことに触れるな。」「兄さん――」ついには朔夜が燈を黙らせた。燈は言葉を詰まらせたように、それ以上反論しようとはしなかった。まさか、朔夜が燈に怒鳴るなんて。珍しいこともあるのね。絶対的な信頼を築いていたはずの二人。その絆が壊れていく様子は、悪くない。「兄さん、怒らないで。私は兄さんのためを思って言ってるのに。」燈は必死で朔夜の機嫌を取ろうとした。だが、その一方で――私は見逃さなかった。燈が唇を強く噛み締めたのを。あれは燈のくせだ。苛立った時に出てしまう。以前から燈は、表向きは穏やかでも、裏ではなにを考えているのか分からないところがあった。まさに腹の底に、黒い感情を隠しているかのように。燈にとって、本当に朔夜は尊敬できる兄なのだろうか?あなたは、本当に兄想いの妹なの?この違和感はなんだろう。光咲になってから、これまで見えなかったなにかが、徐々に見えてくる。真実。そして、真相――事件の鍵は、案外身近にあるのかもしれない。朔夜が相手をしなくなると、燈は諦めたように去っていった。『とにかく、これ以上兄さんに近づかないでよね!』最後まで私には悪態をついていたけれど。朔夜の母親といい、燈といい、人間の裏の顔は本当に分からないものだ。「すまない。燈は甘やかされて育ったから。」朔夜がぼそっと呟いた。この人が謝るなんて。「いえ……気にしてませんよ。」「悪い人間じゃないんだ。ただ……」なにかを言いかけて、朔夜は口を閉ざした。
蒼史とのデートから数日後、私は警察の事情聴取に呼び出され、朔夜と共に行動していた。その後、現場検証に立ち会った。聴取は家族オフィスと、レセプションパーティーが開催されたホテルで行われたが―― 結局、犯人につながるような物証はなにも出てこなかった。「それでは、また何か情報が入り次第、ご連絡いたします。」「はい。ご苦労様でした。」朔夜が一礼し、複数人の警察が去っていった。私は朔夜を見上げ、強い口調で告げた。「やっぱり、分からなかったですね。 犯人は、防犯カメラの位置や人の動きを熟知する人物らしいですから。 内部犯で間違いないと思います。」ただやはり、犯人が防犯カメラにまったく映ってないという点が、奇妙すぎる。「ああ、わかっている。はあ。一体どこの誰がこんな真似を……」朔夜は機嫌が悪そうだった。髪をかきあげる仕草も、彼が苛立っている証拠だ。「私が、一つだけ言えるとすればそれは…… 警察内部にもこの件に関わってる誰かがいるんじゃないか、ということです。」――例えばそう。あの警部とか。事情聴取や、現場検証に来た刑事の中にあのケイブはいなかったけれど、もし彼も関わっているなら。回収したカメラを隠蔽したか、もしくは事前に細工をした可能性も考えられる。あくまで可能性だが―― 私はまっすぐに朔夜を見つめた。もし朔夜も共犯なら、動揺を見せるはずだ。だが、そうじゃないなら―― 「警察が……?だが、もしそうなら…… この状況、ありえなくもないな。」彼は顔をしかめ、低い声で答えた。違う。今回の件は朔夜じゃない。そう思った瞬間、なぜかほっとしている自分がいた―― 「兄さん。」遠くから、朔夜を呼ぶ声がした。燈だ。――あのオークション以来、顔を見るのは本当に久し
休めと言ったのはどこの誰なんだろう。私は機嫌の良さそうな蒼史を、ぼんやりと見つめていた。「あの、蒼史さん。私たち、なにしてるんですか?」「見てわからないのか?どう考えてもデートだろう?」にこりと笑う蒼史。冗談なのか本気なのか、まったくわからなかった。「デートって……でも、この前はしっかり休めって、言ってませんでした?」「なんだ、デートだって立派な休息だろう。とにかく、何も考えずにただ楽しめばいい。」そうだった。蒼史はあの赤字経営だったキャピタル・マネジメントを、黒字転換させたやり手のCEOだった。このくらい強引じゃないと、務まらない役職よね。今の私には、やらなければいけないことがたくさんあるのに。まだ犯人だって捕まってないのに。 「ほら、光咲、考え込んでないで、次に行くぞ。」「え、ちょっと……待ってください!」仕事の話があると呼び出されたが、実際は私を連れ回すことが目的だったみたいだ。朝から車で迎えに来て、いきなり私を高い服ばかりが置いてある専門店に連れて行った。そこで私に、服を着させるだけ着させて……普段着ないような高い服を購入。 いらないと言ったが、普段のお礼だと言って聞かなかった。 そして、買った服を着たまま、今に至る。強引に私を連れ回す蒼史。なぜか楽しそうだ。 次に着いたのは遊園地だった。「どうせなら、一日遊ぶぞ。」はっきり言って、この男には世界一似合わない場所だと思っていた。 メリーゴーランドとか特に……。こんな時なのに、なんだか笑ってしまう。 私は気を引き締め直して尋ねた。「平日の昼間から、くる場所ではないのでは?」 「そうか?平日の昼だからいいんだろ。」何を言っても、ずいぶんとあっさりとした返事が返ってくる。「あなた、仕事は?」「仕事?そんなもの、今日の







