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第二話

Author: 麻木香豆
last update publish date: 2026-07-01 06:02:56

「疲れた? お前が?」

 宙は鼻で笑った。

「……」

「何が疲れた、だ。はぁ……そうやって悲劇の主人公を気取れば、俺がもっと優しくするとでも思ったか?」

「本気だ、宙。もう、無理……」

 圭の言葉を遮るように、宙は飲みかけのミネラルウォーターをテーブルに叩きつけた。

「いい加減にしろ。何を企んでるか知らないが、別れるとか……そのセリフを二度と口にするな!」

 宙は苛立ったように吐き捨てると、背を向けてそのまま玄関に向かった。

 バタン、とドアを閉める大きな音……拒絶するかのように。それが、三年間捧げてきた愛への答えだった。

 圭は独り、リビングに取り残された。震える右手を左手で包み込む。

 かつて、描いた図面を宙が「綺麗だ」と褒めてくれたことがあった。

 まだ未熟さは自覚はあったが時間をかけて正確さを出すために丁寧に描いた。

 他の者からはありきたりだとは言われ落ち込んできた時に宙だけはその丁寧さに気づき次はもっとオリジナル性を生み出せる、見せてくれ!と励まされたことがあった。

 その一言だけで、自分の人生のすべてを彼に捧げてもいいとさえ思った。

 ああ、この人は結果だけでなくその過程まで見抜いて見てくれる人なんだと……。そういうふうな人は今までにいなかったのか圭は加速的に宙に惚れ込んでいった。

 ……なのに……一緒になっていくうちにその見抜くスキルは圭への粗探しする洞察力にもなり苦しくなっていった。

 圭は、ふらつく足取りでクローゼットを開けた。

 宙が圭に買い与えた高価なスーツや、彼に似合うと言われた服。そのすべてを片手でゴミ袋に詰め込んでいく。

(……もう、いい。全部捨てよう)

 半ばヤケクソだ。ゴミ袋に占有されていく部屋を眺めながら、圭は服を片付けていく。

 するとジャケットのポケットから一枚名刺が落ちた。

 大学時代の先輩、時田のものだった。

 少し前に届いていた一通の古いメールを思い出した。

 元気か? と社交辞令な挨拶から始まり今は海外でこういう事業をしていて……としばらく会っていなかった間に昔からもだったが全てがさらに遠くに遠く、くもの上の人のような存在になってしまったと……いつかは彼のもとで働きたいとは思ってはいたが……

 しかし今の現状を抜け出すには時田の力を借りるしか無いのか……名刺にあるメールアドレスを入力しようとしたその時……。

 画面に映し出されたのは、宙の友人である斗真からの動画付きのメッセージだった。

 再生すると、華やかな宴会場の喧騒が溢れ出す。

『神山、復縁おめでとう!』

 祝杯を上げる人々の中心に、宙がいた。その隣には圭と添い遂げるために縁を切った婚約者の仲園珠那も。

 続いて、短いメッセージが届く。

『宙が酔ってるから迎えに来てやれよ。お前、それくらいしか役に立たないだろ?』

 嘲笑が透けて見える文面に、圭の心臓が痛いほど脈打つ。

 断ればいい。行かなければいい。

 だが、三年間染み付いた「飼い犬」としての習性が、圭の足を無理やり動かした。最後、最後にもう一度だけ彼を見て、すべてを終わらせたかった。

 会場に着きドアを開けようとしたが少し開けて中の様子を見てかなりの賑やかさに足がすくみ中には入れなかった。

 すると1番目立つような声で喋ってたのは呼び出した斗真。彼は圭がここに来るのはわかっていた。時間を見計らって話題を切り替えた。

「そういえば、神山の『ペット』はどうしたんだ?」

 ……ペット……その言葉に圭は唇を噛んだ。

「右手、まだうまく使えないのか? まぁ左手と口と……は使えるか、はははっ!」

 宙の友人たちは大声で笑っている。

 圭は扉の向こうから聞こえてくる自分のことに体を振るわせていた。

 一方宙は、隣に珠那を侍らせグラスを傾けていた。圭は友人たちが圭のことを笑っていてもその輪の中にはいらずただ無言で酒を飲んでいた。

 珠那は全てを知ってはいるが知らないていで友人たちの会話に入っていく。

「何の話ですの? 宙ってなにか犬でも飼ってたっけ?」

 と、とぼけたようなことを言う。

「珠那さん、宙にしつこく付きまとっていた男がいてな」

「えーっ、ちょっとそれは怖いです……」

「……大丈夫、結婚する前には始末するから」

 宙がそう言った瞬間、圭の中で、糸が切れるような音がした。

 追い打ちをかけるように、司会者が高らかに宣言する。

「本日、神山宙様と、ご令嬢の珠那様の婚約が正式に再開されたことをご報告いたします!」

 無数の拍手。幸せそうな二人。

 その眩しさの中で、圭の視界から色が消えた。

 右手の古傷が、今までで一番激しく疼く。

 愛していた。

 その気持ちさえ、この男にとっては「便利な道具」に付随する不要な感情だったのだ。

(壊れたのは、右手じゃなかった)

 壊れたのは、自分の心だった。

 圭は誰にも気づかれないよう、静かに背を向けた。

 拍手喝采が響く祝宴の会場を、一歩、また一歩と遠ざかる。

 その時宙は給仕が食事提供のため開けた扉の外に見慣れた人影がよぎったのに気づきふと立ち上がって外に向かった。

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