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第99話:それでも国になる

last update Last Updated: 2025-08-14 21:07:44

冬の朝の光が、政庁の高い窓から差し込んでいた。

議場にはいつもの議員たちが並び、机上には分厚い書類と議案の束が積まれている。

その端に、一人の異質な姿があった。

褐色の肌に、地方特有の織模様が入った外套。胸元には銀細工の留め具。

復興使節団の一員──サリム・エルネだ。

数日前、彼は王都西区の市場で、大きな騒ぎを収めた。

言葉の通じない使節団員と地元商人との間で発生した値段交渉のもつれ。

手が出る寸前だった場に割って入り、双方の言葉を通訳し、互いの慣習を噛み砕いて説明した。

結果、二人は握手を交わし、取引を成立させた。

その場にいた多くの市民が、その手腕に舌を巻いた。

「推薦します。サリム殿を議会へ」

最初に声を上げたのは、商人組合の代表だった。

皮肉なことに、かつては復興使節団との摩擦を大きく取り上げていた人物だ。

しかし彼は、机を叩くようにして言った。

「この者は血筋ではなく、人望で動いている。商人も農夫も兵士も、彼に頼れば話が通る。こういう人間こそ、議席に必要だ」

ざわめきが議場を包む。

地元議員の中には渋い顔をする者もいた。

「外の者を議員にするのは……」

「この国の制度に慣れていないだろう」

だが、別の声が割って入る。

「新しい国だ。今までとは違う。それに、制度は教えれば覚える。だが、人から信頼を得る力は教えて身につくものじゃない」

その言葉に、リリウスは静かに頷いた。

祈りを集めることが、かつて自分の役割だった。

だが今、目の前にあるのはそれとは違う──人々が、現実の行動と結果を見て信頼を寄せている姿だ。

カイルが短く言う。

「反対意見もあるだろうが、現場を見て判断しろ。書面や噂じゃない。あの市場で何があったか、俺は見た」

その声は将軍としての威圧ではなく、一人の証言者としての確信に満ちていた。

やがて、挙手が始まる。

賛成票が一つ、また一つと上がっていく。

最初は慎重だった者たちも、互いの様子を見ながら腕を上げた。

最終的に反対票はごくわずか。

サリムは、その場で臨時議員として迎えられることとなった。

会議後、広場では思いがけない光景が広がっていた。

サリムが、通訳を介さずに子供たちと話している。

ぎこちない発音に、子供たちは笑いながらも、真剣に言葉を返していた。

まるで、言葉の壁など最初からなかったかのように。

リリウスはその様子を見つめ、胸の奥
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    冬の朝の光が、政庁の高い窓から差し込んでいた。議場にはいつもの議員たちが並び、机上には分厚い書類と議案の束が積まれている。その端に、一人の異質な姿があった。褐色の肌に、地方特有の織模様が入った外套。胸元には銀細工の留め具。復興使節団の一員──サリム・エルネだ。数日前、彼は王都西区の市場で、大きな騒ぎを収めた。言葉の通じない使節団員と地元商人との間で発生した値段交渉のもつれ。手が出る寸前だった場に割って入り、双方の言葉を通訳し、互いの慣習を噛み砕いて説明した。結果、二人は握手を交わし、取引を成立させた。その場にいた多くの市民が、その手腕に舌を巻いた。「推薦します。サリム殿を議会へ」最初に声を上げたのは、商人組合の代表だった。皮肉なことに、かつては復興使節団との摩擦を大きく取り上げていた人物だ。しかし彼は、机を叩くようにして言った。「この者は血筋ではなく、人望で動いている。商人も農夫も兵士も、彼に頼れば話が通る。こういう人間こそ、議席に必要だ」ざわめきが議場を包む。地元議員の中には渋い顔をする者もいた。「外の者を議員にするのは……」「この国の制度に慣れていないだろう」だが、別の声が割って入る。「新しい国だ。今までとは違う。それに、制度は教えれば覚える。だが、人から信頼を得る力は教えて身につくものじゃない」その言葉に、リリウスは静かに頷いた。祈りを集めることが、かつて自分の役割だった。だが今、目の前にあるのはそれとは違う──人々が、現実の行動と結果を見て信頼を寄せている姿だ。カイルが短く言う。「反対意見もあるだろうが、現場を見て判断しろ。書面や噂じゃない。あの市場で何があったか、俺は見た」その声は将軍としての威圧ではなく、一人の証言者としての確信に満ちていた。やがて、挙手が始まる。賛成票が一つ、また一つと上がっていく。最初は慎重だった者たちも、互いの様子を見ながら腕を上げた。最終的に反対票はごくわずか。サリムは、その場で臨時議員として迎えられることとなった。※会議後、広場では思いがけない光景が広がっていた。サリムが、通訳を介さずに子供たちと話している。ぎこちない発音に、子供たちは笑いながらも、真剣に言葉を返していた。まるで、言葉の壁など最初からなかったかのように。リリウスはその様子を見つめ、胸の奥

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