_*]:min-w-0 !gap-3.5"> スーパーに立ち寄り、夕食と明日の朝食の材料を買った。蓮司の好みがまだよくわからないので、とりあえず一般的に男性が好きそうなものを選んだ。肉料理メインで、野菜も忘れずに。 お米も買って、調味料も補充。これでしばらくは料理ができる。両手いっぱいパンパンの袋をぶら下げて高級マンションに帰り走る庶民であった。 マンションに着いたのは9時過ぎだった。エレベーターの中で、心臓が少しどきどきしている。もし蓮司が「なぜ早く帰ってきた」と聞かれたらなんて答えよう。あなたの夕飯が心配で――とか言ったら怒られないかな。 玄関の鍵を開けて中に入ると、リビングから明かりが漏れていた。 「おかえり」 蓮司の声が聞こえる。 「ただいま」 リビングに向かうと、蓮司がソファでノートパソコンを広げて作業をしていた。スーツは脱いで、シャツ姿。ネクタイも外れていて、少しリラックスした様子だ。 「早いな。なにかあったのか?」 「あ、え
「ありがとう。でも、期待させてしまうのも悪いから、待たないで」「大丈夫です。僕のことは気にしないでください」 気にするなって言われても…。 どう話をしようかと思っていたら、遅れていた亜由美がやってきた。「お疲れさまー! 遅くなってごめーん」 亜由美がバタバタと入ってきた。明るい笑顔で手を振りながら、席に着く。「全然大丈夫だよ。お疲れ様」「坂下君もお疲れ様! もう注文した?」 坂下君は少し困ったような表情をしていたが、すぐに笑顔を作った。「まだです。メニューを見ていたところで」 亜由美が来てからは、場の雰囲気が一気に明るくなった。彼女のおかげで、さっきまでの重い空気が和らいだ。「じゃあ、とりあえず乾杯しよう! ひかり、今日は飲める?」「うん、少しなら」 生ビールで乾杯し、料理を注文した。亜由美がいると会話が弾む。仕事の話、最近見たドラマの話、芸能人のゴシップまで。坂下君も徐々にリラックスしてきたようで、笑顔を見せるようになった。 でも、時々彼が私を見つめているのに気づく。さっきの告白のことを考えているのかもしれない。申しわけない気持ちが込み上げてくる。「あ、そういえば、ひかり。なにかいいことでもあった?」 亜由美の質問に、心臓が跳ねた。「そ、そんなことないよ」「でも昨日から明らかに雰囲気変わってる。なんか、生き生きしてる感じ?」 やばい。亜由美の観察力は鋭すぎる。「離婚が成立してすっきりしたのかも」冷汗が出た。「それもあるけどさー。もしかして新しい恋人でもできた?」 ぎくっ。 恋人じゃなくて夫だけど…!「そんなことないって! 離婚したばかりだよ? なに言ってんの!」「でも、ひかりってモテるからなー」 坂下君がちらりと私を見た。きっと彼の告白を知ったら、亜由美はもっと騒ぐだろう。「本当になにもないから。しばらくは一人でいたいし」「そう言いながら、結婚願望は強いよね。すぐに次の人見つけそう」 見つけるどころか、もう見つけてしまった。しかも昨日の今日で。「もうしばらく結婚なんて考えられないよ」「まあ、そりゃそうか。あの元ダンナ、最低だったもんね」 亜由美がため息をついた。 そんな会話をしているうちに、8時半を過ぎた。私は時計を見て、そろそろ帰らなければと思った。蓮司のことが心配で仕方がない。「あ、ごめん。
18時半頃、会社の近くの居酒屋で待ち合わせた。カジュアルな雰囲気の店内で、坂下君は少し緊張した様子で席についた。亜由美はまだ仕事が終わっていないらしく、30分ほど遅れるみたいだ。だから先に行って、話があるって坂下君が言っていたのでそれを先に聞くことにしよう。「お忙しい中、時間を作っていただいてありがとうございます」「いえいえ、こちらこそ。それより話ってなに?」 メニューを見ながら尋ねると、坂下君は少し頬を赤らめた。「実は...中原さんが離婚されたって聞いて...」 ああ、そういうことか。会社内では私の離婚のことはもう知れ渡ってしまっているのだろう。「はい...お恥ずかしながら」「恥ずかしいなんてそんなことありません。むしろお疲れ様でした。大変だったでしょう?」 坂下君の優しい言葉に少しほっとした。彼は私を責めるような視線を向けない。離婚したなんて根性無しが、みたいに思われるかもしれないと感じていたので、ありがたかった。やっぱり結婚するより離婚する方が大変だもんね。
「楽しそうですね。僕も混ぜてくださいよ」 同じ部署の後輩、坂下健太郎(さかしたけんたろう)28歳から声を掛けられた。彼は私の後輩兼部下で、すでに部署内では中堅として頼りにされている存在に育った。私が育成したのだから、鼻が高い。 彼の身長は180センチ近くあり、すらりとした体格。爽やかな笑顔と穏やかな物腰が印象的で、社内では密かに“癒し系イケメン”と噂されている。彼女はいないらしい。知らないけど。 髪はややくせのある茶色がかった黒髪で、無造作にセットされた前髪がきまぐれに額を覗かせている。シャツの第一ボタンは外していて、少しラフなのに清潔感は失わない不思議なバランス感覚。 普段はおっとりして見えるが、仕事では抜け目がなく、資料作成や取引先対応にも定評がある。細やかな気配りができるタイプで、誰に対しても壁を作らずに接するところが彼の強みだった。 「お隣失礼しまーす」 そう言って私の席の隣に座った。持っているトレイの上には大皿に盛られたな料理が並んでいた。「デラックスA定食とは豪華ね」 彼が手にしていたのは、社員食堂で一番高額なデラックスA定食だった。社員食堂だから基本的に安いけれど、A定食はその中でも値が張る。社食で980円だから豪華
午前の会議はもっと緊張するかと思ったけれど、違った。クライアントの視線が集まる会議室で、プロジェクターに映し出された資料を読み上げる。「……以上が、御社の広告戦略の提案となります」 一瞬の沈黙の後、御門本部長――蓮司の声が飛ぶ。「結論は簡潔だが、補足資料の数字が弱い。すぐに詰め直してくれ。もっといい提案ができるように」「はい」 鋭い指摘に今までは縮こまるしかできなかったけれど、なぜか妙に落ち着いていた。 それは彼の家庭での一面を知ってしまったから。そんなに怖くないことがわかったし。家では穏やかでも、会社では"氷の本部長"だ。その切り替えを目の前で見て、なんだか彼を恐れ、失敗しないようにしなきゃいけない、と考えていた自分がばかばかしくなった。 だって、彼は私の夫となったんだもん。怖い人間ではない。ただの『夫』なんだから。 会議が終わると、私は急いで資料の修正に取りかかった。本部長の指摘は的確で、確かに数字の根拠が薄い部分があった。仕事に集中することで、昨夜からの混乱した気持ちも少しずつ落ち着いてくる。
8時半に到着するように区役所へ行き、早速ふたりで婚姻届けを提出した。すぐに受理され、私は晴れて(?)御門ひかりになった。 山川(前夫の姓)→中原(旧姓)→御門(新姓)なんて、どう考えても普通じゃないッ。 1週間以内に苗字が3回も変わる人間なんて、世の中探してもそうそういないだろう。「行こう」「はい」 ここから車で5分ほどの所に会社があるので、タクシーで社まで行く。一緒にフロアに入るのは憚れたため、蓮司が一足先に社へ入っていった。わざとゆっくり回り道をしながらいつもの部署へ向かう。9時までに入ればセーフなので、まだ時間はある。 見慣れたフロアに着くと、いつも通りの景色が広がっている。通常運転のオフィスは就業前のふわっとしたゆるい空気の中、早くに出勤していた写真の誰かがキーボードを叩く音が規則正しく重なる。そんな中で、私はごく自然に「おはようございます」と声を出した。「おはよ、ひかり」 私の声を聞きつけた同期の潮亜由美(うしおあゆみ)、30歳が振り返る。彼女は入社以来の同期だ。 肩までのゆるいウェーブヘアに、明るい色の口紅がよく映える華やかなタイプ。 誰に対しても人懐っこく、社内でも声が通るから、彼女の楽しそうな話声はいつもオフィスのどこかで響いている。 仕事は早くてそつがなく、面倒見もいい。上司への報告も、後輩へのフォローも手慣れたものだ。 ただし自由