LOGINここ数ヶ月、春菜は連日睡眠時間3時間で働いていた。
営業中の厨房を仕切りながら、営業時間外は新メニューの開発や食材の選定、原価計算の事務作業に追われている。婚約者でありオーナーシェフである一ノ瀬翔太(いちのせ・しょうた)は、経営やメディア対応で忙しく、厨房実務はほとんど春菜に任せきりだった。
彼が厨房に立つのは、雑誌の取材用の写真撮影の時くらいだ。(まあ、私が店を守るって決めたんだし。翔太には経営に専念してもらわないと)
このレストラン『一ノ瀬』をオープンするにあたり、春菜は両親亡き後の実家を担保に入れた。多額の融資の連帯保証人になっている。
誰よりも大切な婚約者のため、店を成功させたかったのだ。 だから、絶対に失敗はできないという重圧が常に肩に乗っている。フライパンの中で、ソースが白くなっていく。
次第にとろみを帯び、サフランの黄金色が溶け込んだ。火から下ろし、塩で味を調える。
小指の先でソースをすくい、味を確認した。 エビの濃厚な旨味と、サフランの香りが口の中に広がる。(うん。バッチリ。これなら梨沙も満足してくれる)
疲労で肩が重く張っているが、料理が形になる瞬間の達成感がそれを忘れさせてくれる。
連日の調理作業で荒れてしまった手も、今は料理人としての誇りのように感じられた。伊勢海老とホタテの表面を強火でさっと焼き、中心はレアな状態に留める。
温めた皿に黄金色のソースを流し込み、その上に魚介を配置する。 仕上げに色鮮やかなマイクロハーブを散らした。「よし、完璧。ソースの温度もカンペキ」
春菜は手の甲で額の汗を軽く拭った。
「特別オーダー、上がりました。VIP席へお願い」
提供口に皿を置いた矢先、厨房の入り口から真っ白なコックコートを着た人物が現れた。
婚約者の翔太だった。彼は春菜の横を通り抜けて、皿を一瞥した。
「ああ、これが梨沙さんの料理か。よくできているな。ちょっと借りるよ」
翔太は無造作に皿を手にした。
「え?」
春菜はいぶかしげな顔で翔太を見た。
「翔太、ちょっと待って。それは私が梨沙のために作ったんだけど」
「だから? 俺が持っていく方が彼女も喜ぶだろう。俺はこの店の店長なんだからな」
春菜が問い返す間もなく、翔太はそのままホールへと歩き出してしまった。
(ちょっと借りるって、どういうこと?)
春菜はシンクで手を洗いながら、ホールに通じる小窓から外の様子をうかがった。
ホールの柔らかな間接照明の下、VIP席には華やかなドレスを着た梨沙が座っている。
翔太は恭しく皿をテーブルに置いた。
小窓からは彼らの声が遠く聞こえてくる。「私が特別にご用意しました」
翔太は皿を指し示して、そう言った。
(そんな。あの料理は私が作ったものなのに)
呆然とする春菜の視線に気づいているのかどうか、梨沙は嬉しそうに微笑み、フォークを取って料理を口に運ぶ。
一口食べた瞬間、彼女は目を丸くした。「すごい! 予想以上の味よ。さすがオーナーシェフの翔太さんね」
「恐縮です。気に入っていただけて何よりです」
翔太は厨房では絶対に見せないような、愛想の良い完璧な笑顔を浮かべて応えている。
ふと、会話の合間に梨沙の視線が翔太の肩越しを抜け、厨房の小窓へと向いた。
一瞬だけ、春菜と梨沙の目が合った。梨沙の目は、その料理の真の作り手が誰であるかを知っている者の視線だった。
しかし彼女はすぐに視線を戻し、再び翔太に向かって楽しげに笑いかけた。
親しげに手を取って、肩先が触れ合うほどに近づいている。 2人の笑い声が、奇妙に大きく響いている気がする。(どうして翔太が自分で作ったことに? それに、あの2人の距離感はおかしい)
春菜は喉の奥が急にカラカラに乾いていくのを感じた。
親友と婚約者。
2人の親密すぎるやり取りを見ていると、胸の奥に冷たい異物が入り込んだような鈍い違和感が広がる。厨房の蛍光灯の下で、春菜は蛇口から出る冷水で手を洗い続ける。
(単なるサービスの一環よ。オーナーシェフが顔を売るのは、経営戦略として間違っていない。VIP客の対応は彼の仕事だもの)
そう自分に言い聞かせる。
けれど喉の渇きは、水を一口飲んでも癒えなかった。「副料理長、次の肉料理、上がります!」
スタッフの声で春菜は我に返った。
「……すぐ行きます。ソースの仕上げ、私がやりますから」
春菜は小さく息を吐き、再び熱気のある厨房の中心へと戻っていった。
今はディナーのピークだ。 たとえ心が乱れていようとも、目の前の仕事に集中しなければならなかった。春菜はエプロンの紐を解いた。それから壁際に立っていた2人の男に歩み寄る。「連城副社長、御堂社長。お2人の見事な連携のおかげです。食材が届かなければ、私は何も作れませんでした。本当にありがとうございました」 春菜は深く頭を下げる。 悠斗は柔らかな微笑みを返した。「君の腕があってこその結果だよ。僕たちはそのための下準備をしたに過ぎない。素晴らしい料理だった」 礼司は腕を組み、わずかに顎を引いた。「パートナーの舞台を守るのは当然の義務だ。君の技術を信じていたからこそ、空輸のリスクを取れた」 礼司の言葉に、春菜は顔を上げる。 ふと、礼司が置いているノートパソコンの画面が目に入った。 先ほどまで黒い背景にコードが流れていた画面は、地図の表示に切り替わっている。 地図上の一点に、赤いピンが規則正しく点滅していた。「それは?」 春菜が尋ねると、礼司は冷たい光を宿した瞳で画面を見下ろした。「灰谷の居場所を示す位置情報だ。奴のサイバー攻撃の防壁を構築する際、逆に通信経路を辿って逆探知を仕掛けた。もう推定ではない、確定だ」 さらに礼司は、別のウィンドウをクリックする。 表示されたのは、バックヤードの監視カメラの映像だった。 清掃員の作業着を着た翔太と梨沙が、保冷ボックスを抱えてこそこそと歩いている姿がはっきりと映り込んでいる。「これは……翔太と梨沙!? 本当に彼らが関わっていたなんて」 やつれて印象が変わっていたとしても、かつての婚約者と親友を見間違えるはずがない。 春菜が驚きの声を上げる。「仔羊肉を盗み出した実行犯の姿も、復元したカメラ映像から特定できた。この画像と同じ人物だ」 悠斗が傍らで、怒りをにじませた声を出した。「ホテルのセキュリティを抜けて泥棒に入るとは、いい度胸をしているね。この件は僕の権限で警察に引き渡そう」 礼司の声も氷のように冷たかった。「システムへの不正アクセスと、物理的な窃盗行為。これで反撃のための全
最後に冷たい発酵バターをひとかけら落とし、フライパンを揺すってなじませる。 濃厚な飴色のソースが完成した。「オーブン、上がります」 電子アラームが鳴るのと同時に、春菜はオーブンの分厚い扉を開けた。 熱気が顔を撫でる。 取り出した仔羊肉の表面は、見事なきつね色に仕上がっていた。 中心温度計の細い針を刺して確認すると、目標とする温度にピタリと達していた。(よし。ここまでは完璧)「網の上で休ませます。肉汁を中心から全体へ落ち着かせるため、3分」 春菜は肉を網に移して、じっと時間を計る。 周囲のスタッフたちも、春菜の見事な手元を食い入るように見つめていた。 一切の無駄な工程がない、洗練された調理プロセス。 限られた時間の中、パニックに陥ることなく、彼女は極限までロスを削ぎ落としている。「切り分けます」 3分後。春菜は包丁の鋭い刃を、肉の繊維に沿って滑らせた。 サクッとした軽快な感触とともに、肉が二つに分かれる。 断面は、しっとりとした見事なロゼ色だ。 肉汁が一滴もこぼれ出ることなく、細胞の中に完全に閉じ込められている。「完璧です」 春菜は純白の温められた大皿に、肉を立体的に配置した。 脇に、飴色のポルチーニソースを流れるように敷き詰める。 付け合わせの温野菜を色鮮やかに添えて、見た目にも美しい一皿が完成した。「テーブル8、VIPのメインディッシュあがります。急いでお出しして」 春菜の声に、ホールスタッフが銀色のトレイを掲げる。「はい。お持ちします!」 スタッフは足早にフロアへと向かっていった。 厨房のスタッフたちは、張り詰めていた糸が切れたように深く息を吐き出した。 春菜も調理台に両手をつき、小さく息を整える。 10分後。 ホールマネージャーが再び厨房へ戻ってきた。 その顔には、先ほどまでの青ざめた絶望の表情はない。 紅潮した頬で、春菜に
「神崎副料理長、ソースの構成を根本から変更します」 春菜はペティナイフを動かし、余分な脂と薄い筋膜を削ぎ落としながら声を張る。 信州ポークに合わせる予定だったのは、ブラムリーリンゴのピューレとバルサミコ酢のソースだ。 豚肉の脂の甘みを引き立てるには最適だが、仔羊肉の繊細な風味には酸味が勝ちすぎてしまう。「仔羊肉には、赤ワインとポルチーニ茸のソースを合わせます。乾燥ポルチーニをぬるま湯で戻してありますね?」「ああ、完了済みだ。温度はしっかり管理した。使ってくれ」 神崎が耐熱ボウルを指し示した。お湯で戻した乾燥ポルチーニが入っている。「戻し汁もソースのベースの旨味に使います。絶対に捨てないでください」「了解」 春菜は肉の表面に、大粒の岩塩と挽きたての黒胡椒を高い位置から均一に振りかけた。 分厚い鉄のフライパンにオリーブオイルと、潰したニンニクを一片入れる。 火にかけると、ニンニクの香ばしい香りが油に移っていく。「肉、焼きます」 仔羊肉をフライパンに滑り込ませた。 ジューッという甲高い音が、厨房の喧騒の中に響き渡る。 表面のタンパク質が熱で凝固し、香ばしい焼き色がついていく。 春菜は肉を裏返し、全方向に焼き目をつけて肉汁を内側に閉じ込めた。「オーブンに入れます。温度は180度、まずは5分」 焼き色をつけた肉をステンレスのバットに移し、スチームコンベクションオーブンへと投入する。 仔羊肉は火を通しすぎると固くなり、独特の風味が飛んでパサパサになってしまう。 中心が美しいロゼ色に仕上がるよう、秒単位での精密な温度管理が求められた。 肉をオーブンに入れている間、ソースの仕上げに取り掛かる。 肉を焼いたフライパンの油をキッチンペーパーで軽く拭き取り、細かくみじん切りにしたエシャロットを炒める。 しんなりとしたところで、戻したポルチーニ茸を細かく刻んで加えた。 キノコの芳醇な香りが、熱せられてさらに強くなる。「赤ワイン、入
「同時に、我が社の最新型物流ドローンを緊急手配する。悠斗副社長、ブローカーの倉庫の正確な位置情報と屋上の認証コードを送ってくれ」 悠斗が目を見張る。「ドローンを使う気か。確かに空路なら、地上の渋滞は関係ないね」「連城副社長の手配した食材を、空路でこのホテルの屋上までピンポイントで届ける。肉の重量ならドローンの上限には収まるはずだ」 2人の経営者が簡潔に言葉を交わす。 互いの持つネットワークと技術を組み合わせた、見事な連携だ。「春菜さん。屋上のヘリポートにスタッフを待機させてくれ。到着次第、すぐに厨房へ運ばせる」 礼司の言葉に、春菜は力強く頷いた。「分かりました。若手スタッフを2人向かわせます。私は到着次第料理に取りかかれるよう、準備をします」 春菜はすぐさま指示を飛ばす。「ドローンが到着するまで、他のお客様のオーダーを絶対に止めないで。信州ポークの調理は通常通り進めます。ソースの温度確認を怠らないように」 春菜は自身の持ち場に戻り、フライパンを火にかけた。 作業台に用意された、特注のペティナイフを手に取った。 木製の柄が、吸い付くように手のひらに馴染む。 重心が計算され尽くしたそのナイフは、長時間の作業でも手首に疲労を残さない。 今のような緊急時、緊張している中で素早く作業をしなければならない時の、心強い味方になってくれる。(お膳立ては完全に整えてもらった。あとは料理人の仕事をするだけよ) 春菜は他のオーダーの肉の筋を引きながら、仔羊肉の到着を待った。 厨房の強力な換気扇が、低いモーター音を立てて熱気と空気を吸い込んでいく。 オリーブオイルの焼ける匂いが、空間を満たしていた。 ◇ ◇ それから約15分後。「仔羊肉、到着しました!」 息を切らせた若手スタッフが、大きな銀色の保冷ボックスを抱えて厨房に駆け込んできた。「こちらで開けて」 春菜の指示で、ボックスの蓋が
ライトグレーのスリーピーススーツを完璧に着こなした連城悠斗と、ダークネイビーのスーツ姿の御堂礼司だ。 2人の経営者は、迷いのない足取りで春菜の前に進み出た。「春菜さん。トラブルの報告は受けた」 悠斗が周囲の切迫した状況を見回しながら言う。「タブレットのダウンと、代替用食材の紛失。どうやら僕たちのフェアを快く思わない連中が、実力行使に出たらしいね」 こんな状況なのに、悠斗は一切の焦りを見せない。落ち着いた所作で内ポケットから最新型のスマートフォンを取り出した。 画面を数回タップし、耳に当てる。「僕だ。至急、最上級の仔羊肉を用意してくれ。フランス産の特選品、もしくはそれに準ずる品質のものだ。ああ、予算は構わない。金に糸目はつけないから、今すぐ出せるものを探せ」 数十秒の短い通話を終えた悠斗は、春菜に微笑みを向ける。「心配いらない。僕のプライベートなコネクションで、高級食材ブローカーの裏ルートから最高級の仔羊肉を即座に手配した。20分後には到着するはずだ」「悠斗さん。ありがとうございます。それなら間に合います」 春菜は安堵の息を吐く。 だが、悠斗のスマートフォンの画面に新たなニュース速報の通知がポップアップした。 それを見た悠斗の端正な顔に、わずかに険しい影が落ちる。「まずいな」「どうしましたか?」「ブローカーの倉庫からこのホテルへ向かう幹線道路で、大規模な多重事故が発生したらしい。完全に渋滞で車が動かない状況だ。このままでは、コースの進行に間に合わない」「そんな……」 車での輸送経路が絶たれた。 時間を浪費すれば、VIPの評価は地に落ちる。コラボフェアのブランド価値は暴落する。 厨房のスタッフたちが、再び絶望の表情を浮かべた。「おしまいだ。代わりの食材がない」「VIPのお客様を何十分もお待たせするわけにはいかないぞ」 若手スタッフたちが頭を抱える。 神崎も青ざめて厳しい表情のままだ。
春菜は調理台の下から、仕込み用の裏紙の束を取り出した。太い油性ペンを握る。 口頭で伝えられるテーブル番号と注文内容、コースの進行状況を大きな文字で書き殴った。 書き終えた紙を、換気扇のステンレスフードの縁にマグネットで次々と貼り付けていく。 以前ハルナズ・キッチンのシステムがダウンした時も、手書きの伝票で乗り切った。 今回だって可能なはずだ。そう信じるしかない。「これを見て動いてください。デジタルが駄目でも、アナログで厨房は回せるわ。テーブルごとのタイムラグに気をつけて」 春菜の具体的な指示に、パニックに陥りかけていたスタッフたちが我に返る。「は、はいっ!」「手書きのオーダー、確認しました。前菜の盛り付け進めます!」(あとは仔羊肉があれば、この場は凌げる) なんとかその場の混乱を収めたところに、神崎が戻ってきた。 彼の足取りはひどく重い。手には何も握られていない。 顔面から完全に血の気が引いているのが、遠目にも分かった。「神崎副料理長。仔羊肉は?」 春菜が尋ねる。 神崎はかすれた声を絞り出した。「ない。保管庫の所定の場所にあったはずの仔羊肉が、跡形もなく消え去っていた」「そんな!?」 春菜は目を見開いた。「在庫管理の帳簿には確かに記録が残っている。だが、現物だけが棚から消えているんだ。他の食材は手つかずだった。誰かが意図的に持ち出したとしか考えられない」 ネットワークの通信エラーに加えて、同じタイミングで代替不可能な極上食材の紛失が起きた。 単なる偶然で片付けられる事態ではない。 明確な悪意が、このコラボフェアの厨房を標的にしている。(システムの停止に加えて、大切なお客様のための食材の紛失……。この重なるトラブルは偶然とは思えない。でも、今は原因を探るよりも、目の前のお客様に料理をお届けするのが私の務めだわ) 春菜は小さく息を吐き出して、現状を整理する。 嘆いている時間はない。
彼らが奪えたのは、レシピと店と資金だけだ。 春菜は自分の手のひらを見つめた。 長年の調理を続けた手は、荒れてしまっている。 これこそが春菜の勲章だ。食材の最適な火入れを見極める感覚や、味を構築する舌の記憶は、誰にも奪えない。 たとえレシピが翔太の手に渡っても、料理とは繊細なもの。 その日の食材の鮮度や天候、気温にも影響を受ける。 春菜だからこそあの味が出せた。 部下のスタッフや翔太では、レシピを使いこなせるかどうか。 技術は絶対の財産だ。それさえあれば、どこでだってやり直せる。
レストラン『一ノ瀬』の裏口から放り出されて、春菜は冷たい雨の中を歩いていた。 薄手の上着は雨水を吸って重くなり、肌に張り付いて体温を奪っていく。 濡れた前髪から滴る水滴を拭いもせず、翔太と同居していたタワーマンションのエントランスに辿り着いた。(もう翔太とは暮らせない。荷物を引き上げないと) 電子キーを持って、自動ドアを通り抜けようとする。 ――ビーッ。 すると、愛想のないエラー音が鳴った。何度か試すが、赤いランプが点滅するだけだ。 ふと視線を横にやると、ガラス張りの掲示板に見慣
レストラン『一ノ瀬』の定休日の朝。 客席から離れた厨房は、稼働中の騒がしさが嘘のように音がない空間となっていた。 換気扇も火口も眠っている中、春菜はスペースの隅にある小さな事務デスクで大きく伸びをした。 手元のノートには、新しいコースのスペシャリテに関するレシピがびっしりと書き込まれている。 旬の食材をどう組み合わせるか、火入れの温度は何度が最適か。 頭の中で何度も試作と修正を繰り返し、徹夜での作業がようやく完成したのだ。 紙コップのコーヒーは冷めきってしまっていたが、春菜はそれを飲み干した。 徹夜の集中作業で凝り固まった首と肩を、ゆっくりと回す。「ん、右手が痛いなあ」
翔太が一歩前に出る。「君はもう十分に働いた。これ以上は役立たずなんだよ。俺は梨沙さんと結婚して、九条不動産の資本でこの店をもっと大きくする。ほら、君だってこのレストランが大きくなれば嬉しいだろう?」 悪びれる様子もなく告げる翔太に、春菜は言葉を失った。 必死で厨房を回してきた。新しいメニューの開発も、休んだことはなかった。 文字通り寝る間も惜しんで働いてきた日々が、「役立たず」という言葉に塗りつぶされていく。「ちょっと待って、この店は……私が実家を担保にしたお金で、建てたものでしょう」 ようやく絞り出した春菜の言葉を無視して、翔太はデスクの上にあったノートに手を伸ばした。「待







