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第7話 本命はどっち

Author: 花柳響
last update publish date: 2025-10-23 22:00:06

 先輩が楽しそうに促す。私はミルに向き直り、頭の中に描きかけた相関図をいったん閉じた。まずは注文。恋の考察は、その後だ。

「かしこまりました!豆の個性を最大限に引き出す、ハンドドリップで淹れさせていただきます!」

 私がキリッと表情を引き締め、胸を張って答えた、その時。

「……俺も、同じものを」

 静かだが、凛とした声が、私の左耳を打った。氷室くんだ。彼はメニューに視線を落としたまま、ぽつりと、しかしはっきりとそう言ったのだ。

 同じもの。つい反応しかけた私の手元へ、氷室くんは静かに視線を落としていた。先輩の顔を見て注文したわけではない。そのことが、小さく引っかかった。

「承知いたしました!お二人のための、特別な一杯を……!」

 使命感に燃えながら、私がコーヒーミルのハンドルに手をかけた、まさにその瞬間だった。

「栞先輩」

 ぐい、と私の腕を、隣に立つ陽翔くんが力強く掴んだ。見ると、彼は子犬のような可愛らしい顔を、般若のように歪ませている。

「俺がやります。先輩は、疲れてるでしょ」

「え?だ、大丈夫だよ?」

「大丈夫じゃないです。こいつらのために、先輩がわざわざ手を動かす必要なんてない」

 陽翔くんは、天王寺先輩と氷室くんを「こいつら」と呼び、あからさまな敵意を込めた視線で射抜いた。

 疲れているのは本当だった。けれど、私のおすすめを飲みたいと言われて、少し嬉しかったのも本当だ。

「ありがとう。じゃあ、お湯をお願いしていい? 淹れるのは私がやるね」

 陽翔くんは何か言いたげに口を開き、結局、小さく頷いてケトルを取った。

 私がそう言うと、天王寺先輩が満足そうに頷き、氷室くんがほんの少しだけ口元を緩めたように見えた。しかし、陽翔くんだけは納得がいかないようで、唇をぎゅっと噛み締めている。

 豆を挽く、香ばしい香り。お湯を注ぐ、静かな音。全ての雑念を払い、私は、ただひたすらに、目の前の儀式に集中した。

 やがて、二つのカップから、豊かな香りをまとった湯気が立ち上る。完璧な出来栄えだ。

 私がカップをソーサーに乗せ、トレイを持とうとした、その時。

「運ぶのは俺に任せてください」

 陽翔くんがトレイを受け取る。二人の前へカップを置く手つきは丁寧だったが、最後に先輩と目が合うと、笑顔だけが急にぎこちなくなった。

 そんな陽翔くんの挑戦的な態度に、天王寺先輩は楽しそうに片方の眉を上げてみせる。彼は陽翔くんに小さく礼を言ってから、カップに優雅に口をつけた。

「……うん、美味い。君が淹れてくれると、一段と美味しい気がするな」

 そう言って、彼は私にだけ聞こえるような甘い声で囁き、完璧なウインクを飛ばしてくる。心臓に悪い。本当に悪い。この人は、自分の顔面偏差値が、どれほどの破壊力を持っているか自覚しているのだろうか。

 氷室くんに聞かせるため、と考えかけて、うまく繋がらなくなった。さっきから先輩は、私の返事を待っている。ミルクを勧めたことまで、妙に恥ずかしかった。

 すると、それまで黙って成り行きを見守っていた氷室くんが、静かにカップを持ち上げた。そして、こくりと一口飲むと、その灰色の瞳で、真っ直ぐに私を見つめてきた。

「……悪くない」

 短い感想だったが、カップはすぐにもう一度、彼の口元へ運ばれた。ちゃんと気に入ってもらえたらしい。私はようやく肩の力を抜いた。

 こうして、カウンター席は、静かな戦場と化した。

 私が伝票整理のためにペンを手に取れば、「そのペン、使いやすそうだね」と天王寺先輩が話しかけてくる。私がカウンターの布巾を絞れば、「俺も手伝おうか?」と氷室くんが腰を浮かす。私が新しい豆の袋を開ければ、「先輩、重いでしょう!俺が持ちます!」と陽翔くんが駆け寄ってくる。

 どこまでが親切で、どこからが別の意味なのか。三人を見ているうちに、私の相関図はすっかり線だらけになってしまった。

 ようやく会計を済ませ、三人が店の外へ出ていく。静かになったカウンターには、先輩の空のカップが残っていた。私と同じ飲み方で、最後まで飲んでくれたのだ。

 しかし、その安堵も束の間だった。

 一人で後片付けを終え、店の裏口から出ると、そこには壁に寄りかかって私を待っている人影が一つ。陽翔くんだった。

「陽翔くん?どうしたの、まだいたんだ」

 私が声をかけると、彼はゆっくりと顔を上げた。その表情は、今まで見たことがないほど、真剣で、どこか切実な色を帯びている。彼はまっすぐに私の方へ歩み寄ると、私の目の前でぴたりと足を止めた。そして、逃げ場を塞ぐように、私の両肩をがしりと掴む。

「あの、栞先輩」

 真剣な声。強い眼差し。私は、ごくりと唾を飲み込んだ。まさか、また告白の練習……?

 しかし、彼の口から飛び出したのは、私の予想を遥かに超えた、切実な問いだった。

「あの二人、どっちが本命なんですか!?」

 店の裏口、薄暗い電灯の下で、陽翔くんの切実な声が響いた。私の両肩を掴む彼の手には、焦りと、そしてほんの少しの不安が滲んでいる。その大きな垂れ目が、助けを求めるように私を真っ直ぐに見つめていた。

 ああ、なんてこと。彼は、悩んでいるのだ。自分の恋のライバルが、あまりにも強大すぎて。

 私の脳内BLフィルターは、彼の悲痛な問いを、瞬時に、そして完璧に翻訳していた。彼が言っている「本命」とは、もちろん、うちのイケメン店長にとっての本命、という意味だ。

 学園の太陽として全てを照らす天王寺輝と、静かな影で人々を魅了する氷室奏。タイプは違えど、どちらもラスボス級の魅力を持つ二人。陽翔くんが、店長の心を射止める上で、どちらがより手強い恋敵になるのか、私に判断を仰いでいるのだ。

 なんて、健気なの……!

「陽翔くん、落ち着いて」

 私は、彼の肩にそっと自分の手を重ね、慈母のような微笑みを浮かべた。

「恋に、『どっちが本命か』なんて、野暮なことは考えちゃだめ。大切なのは、君が、店長とどんな物語を紡ぎたいか、だよ」

「……物語?」

「そう。太陽と月のどちらを恐れるのではなく、君という名の、一番星になればいいの。君だけの輝きで、店長の夜空を照らすのよ!」

 我ながら、完璧なアドバイスだった。ポカン、と口を開けて固まっている陽翔くんに、私は力強く頷いて見せる。「頑張って!」と彼の背中を力強く叩き、私は恋愛プロデューサーとしての今日の任務を終えたのだった。

 なのに、帰り道でも、陽翔くんの「本命」という言葉だけが耳から離れなかった。店長の話をした時、どうしてあんな顔をしたのだろう。

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