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Ep.2 信じられない現実

Autor: いろは杏
last update Data de publicação: 2026-05-12 16:11:50

「これ……誰……?」

鏡の中の美少女が、僕の高い声で呟いた。

「翼……あなたよ」

理子先輩の言葉が、静かな準備室に響く。

僕は再び鏡を見つめる。

茶色の髪が肩まで伸びて、顔立ちは柔らかく、身体のラインも明らかに女性のもの。

でも、かけているメガネは間違いなく僕のものだし、ダボダボになった服も僕が着ていた制服だ。

「嘘でしょ……これが、僕?」

恐る恐る自分の顔を触ってみる。頬はマシュマロのように柔らかくて、男の時よりもずっと滑らか。朝は耳にかからないくらいの短髪だったのに、今は肩にかかるほど伸びている。

「信じられない……さっきまでは……男だったのに……」

「翼……」

理子先輩の声が震えている。振り返ると、先輩のレンズの奥に涙が浮かんでいた。

「理子先輩?」

「ごめんなさい……私の実験のせいで……あなたの人生を……」

「えっ、そんな! 理子先輩のせいじゃありませんよ!」

僕は慌てて理子先輩に近づこうとした。でも、一歩踏み出した瞬間にバランスを崩しかける。

重心が変わったせいか、それとも骨盤の形が違うせいか、いつもの感覚で歩こうとするとひどくぎこちない。

「でも……私が実験を提案したから……」

「僕だって、自分から手伝うって言ったじゃないですか。それに……」

言いかけて、ふと気づく。

「そういえば、やっぱり僕の声……」

さっきから気になっていたけど、明らかに声帯が変わっている。男性時代の低い声はどこにもない。

「そうなのよ……声帯の構造も含めて、完全に女性の身体に変化しているわ」

理子先輩は涙を拭うと、実験ノートを手に取りながら言った。

「RG-47の成分を見る限り、特殊なホルモン様化合物が急激な細胞変化を引き起こした可能性が高いわ。でも、まさかここまで完全に性別を反転させるなんて……ちょっと、そこに立ってみて」

理子先輩は科学者らしい冷静さを取り戻すと、準備室の隅にある身長計と体重計を引っ張り出してきた。言われるがままに測定される。

「身長は……152センチに。10センチ以上も縮んだのね」

「どうりで制服がブカブカなわけだ……」

「体重も、身長の減少に加えて、筋肉量と骨密度の低下で20キロ近く軽くなってる。ほら、ここ」

理子先輩にツンと二の腕を突かれる。男性時代の硬い筋肉は跡形もなく消え去り、ふにふにと柔らかい脂肪の感触しかなかった。

「肌の質感や髪の毛のタンパク質構造も、完全に女性のそれね……」

理子先輩が手早くデータを記録していく。その真剣な横顔を見ていると、パニックになりかけていた僕も少しだけ冷静になれた。

「理子先輩……これって、元に戻れるんでしょうか?」

「わからない……でも、必ず方法を見つけるわ。私が責任を持って」

その時、ブルルッとスマホが鳴った。

ズボンのポケットから取り出そうとしたが、指が短くなったせいで引っかかり、落としそうになる。

着信画面には『お母さん』の文字。

「うわっ! もう七時過ぎてる!」

いつもなら、とっくに家に着いて夕飯を食べている時間だ。

「どうしよう……この姿で家に帰るわけにいかないし……」

「翼、電話に出なくて大丈夫?」

「でも、なんて説明すれば……まさか『実験事故で女の子になりました』なんて言えないし……」

スマホの着信が切れる。すぐにメッセージが届いた。

『翼、大丈夫? いつもより遅いけど、何かあった?』

「うーん……」

僕は悩みながらメッセージを打つ。手が小さくなったせいで、スマホがやけに大きく感じる。フリック入力の感覚もズレていて、何度も打ち間違えてしまった。

『ごめん、大輔の家で勉強してて遅くなった。キリが悪いから、今日はこのまま泊まっていくことになったよ』

『そう? 明日はちゃんと帰ってきなさいね』

大輔の名前を勝手に使ってしまったが、とりあえず今夜はしのげた。

でも――。

「翼……私から提案があるの」

理子先輩が真剣な表情で言った。

「提案?」

「私の家に泊まるのはどうかしら? 今日だけじゃなくて……しばらくの間」

「え?」

予想外の提案に、僕は目を丸くする。

「私の両親は海外赴任中で、今は一人暮らしなの。家も大きいし、翼専用の部屋も用意できるわ」

「でも、そんな……」

「お願い――」

理子先輩の目が、痛いほど真剣だった。

「私の実験のせいで翼がこんなことになったの。責任を取らせて」

「責任って……理子先輩のせいじゃないって言ったじゃないですか」

「でも、放っておけない。女性としての生活、今の翼にはわからないことだらけでしょう?」

確かに、その通りだった。下着のつけ方すら分からないのだ。

「それに……」

理子先輩の声が小さくなる。

「私が元に戻す方法を研究するためにも、翼の状態を詳しく観察させてもらいたいの。毎日のデータを取って、必ず解決策を見つけるから」

「理子先輩……」

先輩の覚悟が伝わってくる。こんな異常事態に、頼れる人がいるって本当にありがたい。

「でも、ご迷惑じゃないですか?」

「迷惑だなんて! むしろ、翼がいてくれる方が……」

理子先輩の顔が少し赤くなる。

「私も一人は、少し寂しかったから……」

「理子先輩……」

僕の心がじんわりと温かくなる。こんな状況でも、理子先輩は僕のことを第一に考えてくれている。

「それに、現実的な問題もあるでしょう? 明日から学校、どうするつもり?」

「あ……」

そうだった。明日は学校がある。大輔に勉強を教える約束だってしてしまった。

でも、この姿で『翼』として学校に行くわけにはいかない。

「詳しい誤魔化し方は明日の朝考えるとして、とりあえず服が必要よね。私の予備の女子制服があるから、それを貸すわ」

「女子制服……」

想像しただけで顔が熱くなる。

でも、確かに他に選択肢はなさそうだ。今のダボダボの男子制服よりはマシだろう。

「あの……本当にお言葉に甘えさせてもらっても?」

「もちろん!」

理子先輩の顔がぱっと明るくなる。

「よかった……一人にしちゃダメだと思ってたの」

「ありがとうございます。理子先輩がいてくれて、本当によかった」

僕は心からそう思った。この状況で一人だったら、きっと今頃どうにかなっていただろう。

「それじゃあ、まずは実験室を片付けましょう。原因になったRG-47の残りは、元に戻る薬を作るための超重要サンプルだから……よし、厳重に保管っと」

「はい!」

僕たちは手分けして実験器具を片付け、今日の実験の痕跡を消した。

「よし、これで大丈夫。じゃあ、私の家に行きましょうか」

「はい……あ、でも、人に見られませんか?」

「大丈夫、裏口から出ましょう。夜だし、人通りも少ないはずよ」

理子先輩に案内されて、僕たちは科学棟の裏口に向かう。

廊下を歩いてみて、改めて気づく。無意識のうちに膝を擦り合わせるように、小股で歩いてしまっている。

「翼、大丈夫?」

「はい……ただ、歩き方が変わってて、なんか不思議な感じです」

「骨盤が広がって、脚の筋肉の付き方も変わってるからね。自然と歩き方も変わるのよ」

理子先輩の家までの夜道で、僕は少しずつ新しい身体の感覚を確かめていく。

「理子先輩の家、近いんですね」

「ええ、学校から徒歩十分よ。便利でしょう?」

案内されたのは、閑静な住宅街の中にある瀟洒な一軒家だった。理子先輩の家族がお金持ちだというのが一目で分かる。

「お邪魔します……」

「いらっしゃい、翼」

理子先輩が電気をつけると、一人暮らしには広すぎるリビングが現れた。

「今日はもう遅いから、お風呂に入ってとりあえず休みましょう。明日の作戦会議は、明日の朝にね」

「はい」

僕は改めて思った。本当に、理子先輩がいてくれてよかった。

この状況は確かに絶望的かもしれない。でも、一人じゃない。理子先輩と一緒なら、きっと何とかなる。

そんなことを思いながら、僕は女性としての初めての夜を迎えたのだった。

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