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第10話……約束は紙屑、信頼は灰

last update Tanggal publikasi: 2026-06-05 02:09:34

 惑星ヴァルカンの夜側軌道上。

 ツーシームは旗艦「モリガン」の通信卓に座り、光の粒のようなホログラムをいくつも立ち上げていた。

 それは――クロイツ男爵に加担している地方領主たちの通信アドレスだ。

「さて、連絡を回すよ。内容は『選択の自由』ってやつさ。」

 ツーシームは煙草を咥えながら、短く指示する。

 送信される通信文には、こう書かれていた。

『クロイツ男爵の敗北は時間の問題だ。いま離反すれば、領地の保全と戦後の地位を保障する。だが、固執すれば――家も血も、ヴァルカンの大地に残らぬだろう。次の朝を迎える選択をせよ』

 短い文面、しかし決定的だった。

 彼女は同時に、各地の村や都市に噂を流した。

「クロイツ男爵を守る私兵たちの家族が、海賊の略奪に遭っている」

「海賊たちは女や子どもも容赦しない」

「抵抗した家は、跡形もなく焼かれた」

 最初はただの流言だった。だが、ゾル婆が工作班に指示を飛ばす。

「『真実味』が足りん。火の手を上げりゃ、皆信じる」

 そして――本当に幾つかの屋敷が襲われた。

 標的は慎重に選ばれ、被害はクロイツの私兵の家族や親族筋の屋敷ばかりだった。

 全体を考えると被害は軽微、しかし血の跡は確かに残された。

 それはやがて、惑星各地で怯えと不安が広がる。

 各地の地方領主たちは動揺し、兵たちは帰郷を強く望むようになった。

 通信報告が次々とモリガンに届く。

「クロイツ派の第三地域、旗を下ろしました!」

「西岸防衛隊、離反!」

 ツーシームは薄く笑い、スクリーンの煙草の煙を見上げた。

「戦争ってのはね、撃ち合うより『疑わせる』方が早い。――人間の信頼は、時に紙屑より脆いからねぇ」

 ビッグベアが腕を組み、重々しくうなずいた。

「……で、次はどうする?」

「アーバレストの包囲網を徐々に縮める。やつらの補給線を断てば、あとは勝手に崩れるさ」

 そう言ってツーシームは立ち上がった。

 背後の星々の光が、彼女の瞳に反射する。

「――恐怖と欲。どっちも人を動かす最高の燃料だね」

◇◇◇◇◇

 惑星ヴァルカン首都アーバレスト。

 厚い防爆壁に囲まれた新政庁の作戦室では、赤い警告灯が断続的に点滅していた。

 クロイツ男爵は机に両手を突き、報告を浴びるように聞いていた。

「……なんだと? 妻の親戚筋の第三地域まで旗を下ろしただと!」

「はっ、はい。領主ガドール騎士爵殿、ツーシーム側に寝返った模様です。彼女は味方した者の財産と地位を保証すると……」

「保証? 海賊風情が?」

 クロイツは唾を吐くように言い捨て、拳で机を叩いた。

 分厚い木製の卓上地図がたわみ、金属製のカップが床に転がる。

「南部の治安部隊はどうした! 反乱分子を鎮圧せんか!」

「そ、それが……隊の大半が故郷へ戻ると称して離脱を……」

「貴様らの家族が人質にでも取られたのか!?」

 叱咤が飛ぶが、参謀たちは沈黙したままだ。

 彼らも知っている。ツーシーム一味が流した「噂」――

 クロイツの私兵たちの家族が次々と襲われている、というあの話を。

 最初は馬鹿げた流言だった。だが今では、誰も否定できない。

 実際に焼かれた屋敷、消えた家族、残された血の跡。

「馬鹿どもが……海賊の脅しに屈するとは!」

 クロイツは怒鳴ったが、その声には焦りが滲んでいた。

 トブルク伯爵への援軍要請は、未だ返信がない。

 通信網の一部はすでにゾル婆の手によって陥落しているが、彼はまだ知らない。

◇◇◇◇◇

 ――二十日後。

「クロイツ様……」

 老参謀が恐る恐る進み出る。

「領民の動揺も広がっております。敵にすべての幹線道路を封鎖された影響で、食料と医薬品が……」

「黙れ!」

 男爵の怒号が新政庁の壁に響く。

「下々の暮らしなど後回しだ! 幹線道路を奪還すればいいだけの話だろう!」

 だがその声は、どこか空虚だった。

 報告を携えて駆け込む伝令の数は減り、代わりに逃亡兵の名簿が机の上に積み上がっていく。

 クロイツは椅子に深く腰を下ろし、荒い息を吐いた。

「……この惑星は、私のものだ。海賊などに渡すものか」

 だがその声も、すでに誰に向けたものなのか分からなかった。

 窓の外、遠くの稜線には火の手が上がっていた。

◇◇◇◇◇

 政庁作戦室の空気はすでに沈鬱を通り越していた。

 クロイツ男爵は、報告書の山に押し潰されそうな机に突っ伏していた。

 そこへ、通信士が青ざめた顔で駆け込む。

「ク、クロイツ様! 外部通信が――トブルク伯爵家からです!」

 クロイツは顔を上げた。

 その目に、ようやく希望の光が宿る。

「ようやくか……やはり閣下は我らを見捨ててはおられぬ!」

 通信モニターが点灯し、暗い背景の中に壮年の男が姿を現した。

 整った口髭と冷たい瞳――トブルク伯爵であった。

「久しいな、クロイツ君」

 その声は柔らかかったが、どこか機械的でもあった。

「閣下! どうか援軍を! 卑しい海賊どもが我が館に迫っております! ツーシーム率いる海賊どもが、惑星全域を――」

「聞いているよ」

 伯爵は彼の言葉を軽く遮った。

「実に遺憾だね。だが――援軍は送れない。」

「な……に……?」

「中央では、君の惑星統治に関して『過剰な権限行使』と『統治能力の欠如』が問題視されている。これ以上支援すれば、我が家まで巻き添えを食う。――つまり、君の計画は『失敗した』と判断するしかない」

 クロイツは愕然とし、握りしめた拳から血がにじむ。

「ふ、ふざけるな! 貴殿の指示で動いたのだぞ!? アストレア子爵を殺したのも、鉱区を奪ったのも――すべて貴公の命令だったではないか!」

 トブルク伯爵の表情は変わらない。

 ただ静かに、冷ややかな笑みを浮かべる。

「証拠でもあるのかね? 君の名で発令された命令書しか、記録には残っていないはずだがね?」

「貴様……!」

 クロイツが立ち上がり、怒りのあまり机を叩く。

 通信士が怯えて身をすくめた。

「君の後任として、帝国中央から監察官が派遣されるそうだ。それまでの間、せいぜい持ちこたえてくれたまえ。……もっとも、持ちこたえられればの話だがね」

 それだけ言い残すと、通信は無情にも途切れた。

 沈黙――。

 クロイツはしばらく動けなかった。

 そして、絞り出すように呟く。

「……トブルクの狐め、……ひょっとして最初から……、切り捨てるつもりだったか……」

 外では遠雷のような砲声が鳴り響く。

 クロイツは虚ろな目で、拳銃を机の上に置いた。

「この惑星は……まだ……私のものだ……」

 その呟きは、誰の耳にも届かなかった。

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