Mag-log in惑星グラウゼンの地上では、予想されていたほど激しい戦闘は起こらなかった。 地下司令部と各地の防衛拠点を結ぶ通信網が寸断されていたため、守備隊の多くは全体の戦況を把握できずにいた。 頼るべき総司令部から命令は届かない。 上空は新帝国軍に制圧され、援軍が来る見込みもない。 各地の防衛基地は孤立し、抵抗する意味を失って、次々に白旗を掲げた。 この結果、ユリウス率いる新帝国軍は、少ない損害で多数の捕虜と大量の兵器、物資を手に入れることとなった。 一方、地下要塞へ通じる通路では、今なお激しい戦闘が続いていた。「殿下。地下における敵の抵抗は、予想以上に激しゅうございます。いかがいたしましょうか?」 申し訳なさそうに報告するパウルス元帥に対し、ユリウスは柔らかな表情を見せた。「地上部分を確保できたのであれば、それで十分です」「しかし、地下には敵の中枢が残っております」「だからこそ、無理に攻める必要はありません。出口を封鎖し、地下戦域へ閉じ込めておけばよいのではありませんか?」 狭い地下通路での戦闘は、防御側に圧倒的に有利である。 敵の最後の拠点を奪うために、多くの兵士を死なせる必要はなかったのだ。 パウルスは小さく頷いた。「小官も賛成にございます。では、攻撃を停止し、各通路の封鎖を徹底いたします」「お願いします」「はっ」 パウルスはすぐさま身を翻し、野戦司令部の通信施設へ小走りに向かっていった。 その背を見届けたユリウスは、老臣グレゴールと護衛の一隊を連れ、すでに味方が制圧した公都の市街地へ入った。 大通りには、破壊された車両や放棄された武器が残されている。 だが、建物の多くは無傷であり、市民たちも恐る恐るではあるが、窓の隙間から新たな支配者の姿をうかがっていた。「懐かしいね」「はい。左様にございます」 ユリウスが足を踏み入れたのは、亡きアーヴィング大公の宮殿であった。 内部に戦闘の痕跡はない。 使用人やメイドたちは逃げ出すこともなく、いつもと変わらぬ様子で床を磨き、調度品を整えていた。 主が変わっても、宮殿の日常は続くらしい。 ユリウスは大広間へ入り、空席となった大公の玉座を見上げた。 少しためらった後、そこへ腰を下ろす。「良い座り心地だね」「ご、ごほん」 グレゴールが、わざとらしく咳払いをした。「……冗談だ
――聖帝国暦六四五年五月上旬。 カスパル=アーヴィングを乗せた宇宙船は、追撃を受けることなく、無事に惑星アクアへ到着した。 惑星アクアは、ルントシュテット伯爵領に属する軍事拠点である。 地表の九六パーセントが海洋に覆われ、残る四パーセントの陸地も、そのほとんどが飛行場、宇宙港、防空施設などの人工構造物によって占められていた。 宇宙船は大気圏へ降下すると、広大な海面へ着水した。 そのまま船体を沈め、海中航行へ移行する。 客室の窓の外には、色鮮やかなサンゴ礁が広がっていた。海藻が潮流に揺れ、岩礁の間を無数の魚たちが泳ぎ回っている。 戦乱とは無縁に見える、美しい海であった。 だが、巨大なサンゴ礁の裏側へ回り込むと、その景色は一変した。 海底の岩盤に、巨大な隔壁が埋め込まれている。 接近する宇宙船から暗号信号が送られると、岩肌に偽装された扉が左右に開き、奥から青白い誘導灯が浮かび上がった。 惑星アクアの海中宇宙港である。「若様」 ルントシュテット伯爵は、誇らしげに眼下の施設を示した。「この惑星は、我が先祖が幾代にもわたり築き上げた拠点にございます。その防御力は、要塞惑星にも勝るとも劣りませぬ」「ほう」「さらに、この星の民の多くは、表向きには漁業を生業としております。されど、それは仮の姿。漁船は監視艇を兼ね、港の倉庫には兵器が収められ、住民の多くが予備役として訓練を受けております」 伯爵は静かに笑った。「この惑星に住む者は、すべて我が伯爵家の息がかかった者たちにございます」「なるほど」 カスパルは満足そうに頷いたものの、すぐに眉をひそめた。「だが、我が方の宇宙艦艇戦力はどうなのじゃ。地上の備えが強固でも、宇宙を制圧されれば、いずれ包囲され干上がるのではないか?」「無論、その点にも手は打っております」 ルントシュテット伯爵は、わずかに声を落とした。「少々、金はかかりましたがな」◇◇◇◇◇ ――その五日後。 惑星アクアの水中宇宙港へ、次々に宇宙艦艇が入港してきた。 カスパルが観覧室から外を眺めると、その多くは艦首に異様なほど長い砲身を備えていた。 高速性や近接戦能力を犠牲にし、長距離砲撃に特化したビーム重砲艦である。 一隻ごとの船体は決して大きくない。 だが、同型艦が整然と並ぶ光景には、見る者を威圧する迫力があった
後世の歴史書は、この時期のユリウスについて、統治者としての冷徹な一面が初めて明確に現れたと記している。 早期に帰順しない者に対し、彼は寛容な条件をいつまでも提示し続けたわけではない。 表では圧倒的な軍事力を示して降伏を迫り、裏では防衛側の将官、官僚、貴族、商人たちへ密使を送り込む。 金銭、地位、赦免、領地の安堵を餌に、敵の中枢を一人ずつ切り崩していった。 それは、若き貴公子の中に眠っていた覇者としての素質が、芽を出し始めた瞬間であったのかもしれない。◇◇◇◇◇「皆様方。もはや、この星を守り抜く手立てはないのだ」 惑星クラウゼンの公都にある総司令部。 ハルダー元帥は、居並ぶ貴族や政府高官たちを前に、疲れ切った声で告げた。「敵艦隊は衛星軌道を制圧しつつある。地上戦へ持ち込めば、公都に住む四千五百万の民が戦火に巻き込まれることになる」 しかし、クラウゼンの権益を握る者たちは、ハルダーの意見に従おうとはしなかった。「防衛指揮官がそのように弱気だから、敵に侮られるのです」「徹底抗戦を呼びかけ、アストレア家から譲歩を引き出すべきだ」「そうだ。無条件降伏など、断じて受け入れられぬ!」 彼らとて、クラウゼンが廃墟になることを望んでいるわけではない。 口では、民の暮らしを守るためだと唱えている。 だが、本当に恐れているのは、自らが長年築き上げてきた領地、工場、商会、金融権益が灰になることであった。 その本音を口にする者は、誰一人としていなかった。「元帥閣下」 初老の参謀が、会議場の空気をまとめるように口を開いた。「もうしばらく、敵に対して強硬な態度を示してはいかがでしょう。こちらが容易には屈しないと分かれば、アストレア侯爵も条件を緩めるかもしれません」「いや、それは危険だ」 ハルダーは首を横に振った。「敵にはカタコン配下の歴戦の陸戦隊がいる。それに比べ、我が惑星地上軍は実戦をほとんど経験しておらぬ。士気も経験も、敵に劣っているのだぞ」「また弱気なことを!」「そのような態度だから敵になめられるのだ!」 怒号が飛び交う。 その時だった。 会議場の扉が、外側から爆破された。「動くな!」 銃器を構えた武装兵たちが、怒号と共になだれ込んでくる。「な、何をする!」「狼藉者だ! 警備部隊を呼べ!」 貴族の一人が叫ぶより早く、武装
――聖帝国暦六四五年四月中旬。 ユリウスは、カスパル一派を大公国の秩序を乱す反乱勢力と断定し、討伐軍の編成を命じた。 総司令官にはユリウス自身が就任し、参謀長にはパウルス元帥を起用する。 惑星アストレアの衛星軌道上には、次期皇帝候補のユリウスへの忠誠を表明した貴族たちの艦艇が、各地から続々と集結していた。 その数、実に一千隻以上。 もっとも、艦隊を構成する艦艇は、帝国軍の正規艦から地方貴族の旧式艦、商船を改装した補助艦まで多種多様であった。 単に数を集めただけでは、まともな艦隊戦など望むべくもない。 パウルスを中心とする軍官僚たちは、各艦の種別、武装、速度、防御力、乗員の練度に至るまで調査し、それらを複数の分艦隊へと再編成した。 ――数日後。 惑星アストレアの空を覆う大艦隊を前に、ユリウスは全軍へ布告した。「正統なる銀河聖帝国ノヴァ復活の第一歩として、まずはアーヴィング大公国を平定する。全艦、出航用意!」 命令一下、新帝国軍艦隊は一斉に軌道を離脱した。 目指すは、アーヴィング大公国の首都星――惑星クラウゼンである。◇◇◇◇◇ ――二週間後。 新帝国軍艦隊は、惑星クラウゼン近縁の宙域へ進出した。 ユリウスは攻撃に先立ち、クラウゼン守備軍の最高司令官であるハルダー元帥へ通信を送った。『ハルダー元帥。戦況は、もはや決しております。元帥のみならず、一兵卒に至るまで現在の地位を保証いたします。無用な流血を避けるためにも、速やかな帰順を望みます』 モニターに映し出されたハルダーの顔は、苦虫を嚙み潰したように歪んでいた。 ハルダーには、亡きアーヴィング大公から受けた恩義がある。 その遺児であるカスパルを擁立し、大公国を存続させる。 それこそが亡き主君への忠義であると、彼は信じていた。 だが、肝心のカスパルは首都星を捨て、すでに逃亡している。 惑星クラウゼンは、星そのものが巨大な要塞であると称されるほどの強力な対空システムを持ち、強固な防御力を誇っていた。 しかし、主君に見捨てられた将兵の士気は、目に見えて低下している。 ……それだけではない。 パウルスに同調し、新帝国軍へ加わった高級将校も多かった。 防御施設の配置、軍需物資の備蓄場所、地下司令部へ通じる経路、さらには最新の通信暗号方式まで、クラウゼン守備軍の機密は新帝国軍
――聖帝国暦六四五年三月上旬。 ユリウス=アストレア侯爵は、自らが銀河聖帝国ノヴァの正統な後継者である旨を宣言した。 儀式の会場は、わずか二週間で造成された急ごしらえの広場であった。だが、そこに漂う空気は仮設のものではない。 アストレア侯爵家に臣従している貴族家の当主たちが居並び、旧アーヴィング大公国軍からはパウルス元帥をはじめとする一部高級士官たちも参列していた。 さらに、文官、武官、軍需商人、地方代表者たちまでもが、その場に顔をそろえている。 臨時政府の儀礼官が、声を張り上げた。「銀河聖帝国ノヴァ正統継承者、ユリウス=アストレア侯爵閣下、御出座!」 その瞬間、会場に集まった者たちは一斉に膝を折った。 ユリウスは白銀の礼服をまとい、ゆっくり壇上へ上がった。 右手の薬指には、荒鷲の金印がある。 それは単なる装飾ではない。金印から放たれる淡い光は空中に複雑な紋章式ホログラムを描き出し、歴代皇帝の認証紋、血統封印、先帝の勅許記録を次々に浮かび上がらせていた。 映像を見た者たちの間に、抑えきれぬざわめきが広がる。 本物である。 誰もが、そう理解した。 この宣言の儀には、多数のマスコミが招かれていた。 それは帝都系の報道局だけではない。 地方星系、旧大公国領、星間ギルド系列、果てはあまり知られていない中立星域の通信社まで呼ばれている。 映像は、旧帝国領全域へ同時配信されていた。 ユリウスは壇上から、居並ぶ者たちを見下ろした。 まだ若い。 だが、その右手の金印が、彼をただの地方侯爵ではない存在へ押し上げていた。「私は、この宇宙の正統なる統治者である」 静かな声だった。 それにもかかわらず、その声は会場全体へ、そして無数の星々へ届いた。「我が旗に逆らう者には容赦しない。だが、剣を納め、秩序へ帰参する者には、寛容をもって迎える」 沈黙。 次の瞬間、最初に臣下の礼を取ったのは、エリザベートであった。 亡きアーヴィング大公が、後継者の母として指名した女。 大公の愛妾であり、正妻ではない。貴族社会から軽んじられ、嘲られ、時に利用されてきた存在である。 だが、その身には旧大公家の継承問題を左右する重みがあった。 エリザベートは壇上の前まで進み、深く膝をついた。「ユリウス様」 彼女の声は震えていた。 演技だけではない。
――聖帝国暦六四五年二月上旬。 ユリウスは、相変わらず政務に忙殺されていた。 アーヴィング大公国は、カスパル派と反カスパル派に分裂し、各地で小競り合いを繰り返している。 表向きの争点は正統性や統治方針であったが、実際にはもっと生臭かった。 ゴチエ大国のエーテル資源帯。 大公国最大の権益ともいえるその鉱区を、どちらの派閥が握るのか。 その一点をめぐり、両派は抜き差しならぬ対立に陥っていた。 ユリウスは、どちらの陣営にも明確には加担していない。 だが、それは中立というより、様子見に近かった。 彼の治めるヴァルカン伯爵領は小さくもないが大きくもない。けれど、軍備、補給、信用、人材のいずれも、安易に敵対してよい相手ではなくなっていた。 だからこそ、両派はユリウスを誘い、試し、時には脅した。 ユリウスは水面下で、両派の中にいる比較的穏健な人物へ接触し、資金や物資を回していた。 味方を作るためではない。今すぐ敵を増やさぬためである。 執務机の上には、未決裁の書類が山のように積まれていた。 その山の一角に、通信端末の呼び出し音が鳴る。 発信者名を見た瞬間、ユリウスは思わず椅子から腰を浮かせた。「つながってくれ」 通信モニターに、包帯まみれのツーシームが映った。「……あ、坊ちゃん。こんにちは。なんとか無事……ではないけど、そっちに向かっているよ」 その顔を見た瞬間、ユリウスは胸の奥に溜まっていた息を吐いた。「よかった。なんとか生きていて」「あんまり無事じゃないけどね」 ツーシームは、照れ隠しのように頭をかこうとして、包帯に引っかかり顔をしかめた。「無理に動かないでくれ。傷は?」「見た目よりは平気。たぶん。トムの方が重かったけど、手術は済んだ。しばらくは寝かせておけば大丈夫だと思う」「そうか……」 ユリウスは安堵した。だが、それだけでは済まない。 彼は少しためらってから、口を開いた。「ツーシーム。悪いとは思ったんだけど、君の部屋に入った」 モニター越しに、ツーシームの目が細くなる。「……で?」「不思議な金の指輪があった。触れようとしたら、指輪から肉芽のようなものが伸びて、それが少女の姿になった」 その瞬間、ツーシームの表情から、軽さが消えた。「……ああ。そこまで見たんだ」「説明してくれ。あれは何なんだ?」 ツー
非居住惑星ペルーンの地表は、わずか一日で沈黙した。 衛星軌道上から、ツーシーム率いる雑多な艦艇群が砲撃を加えたためである。 モリガンを中心に、廃棄予定だった旧式ビーム艦、民間改造砲艦、鉱山警備艇を寄せ集めた即席艦隊。 正規軍なら鼻で笑うような戦力であったが、簡易防衛施設を焼き払うには十分だった。 地表の砲台は潰れ、監視塔は崩れ、対空陣地は赤黒い溶融痕だけを残して消えた。 だが、本当の戦場は地上にはなかった。 ペルーンの地下深くには、巨大な蟻の巣のような地下要塞が築かれていたのだ。 旧鉱山坑道を拡張し、装甲隔壁を重ね、補給庫、兵舎、発電区画、防衛通路を網の目のように張り巡らせた
メイラード号の操縦席は、古い金属と安煙草の匂いで満ちていた。 ツーシームは操縦卓に片肘をつき、目の前に立つエジルを見下ろしていた。 小柄なノーム人の青年は、防寒用の作業服を身にまとい、緊張した面持ちで背筋を伸ばしている。「自由はね、与えられるもんじゃない。勝ち取るもんだ」 ツーシームは低く言った。「誰かが可哀想だと思って、鎖を外してくれるなんて考えるな。鎖を外させるだけの価値を、こっちから突きつけるんだよ」 エジルは唇を結び、深く頷いた。「はい」 その後、二人は短く言葉を交わした。 ノーム人の強制収容所が多い惑星や、労働区の位置。各所の監視網の弱点。制圧しやすい宇宙港。
アーヴィング大公国軍総旗艦ハヌマーン。 その中枢に置かれた最高作戦指令室には、重苦しい沈黙が満ちていた。 壁面の戦術投影盤には、小惑星帯外縁の戦線、帝国軍艦隊の防衛線、そして後方を脅かす惑星ペルーンの位置が、青と赤の光点で浮かんでいる。 敵は前にいる。だが、背後にも火がついた。 誰もがその事実を理解していた。 ユリウス・アストレアは、若い身でありながら、発言の場にあった。 周囲には老練な提督、参謀、分艦隊司令官たちが並ぶ。彼らの視線は鋭く、そして重い。「私としましては、まず正面の帝国軍防衛線を撃破し、サーペント要塞を解放した後、後方の惑星ペルーンに対処すべきだと考えます」
大公国艦隊並びに帝国第二総軍艦隊は、小惑星帯外縁を挟み、長く膠着していた。 互いの距離は、戦列ビーム艦が照準を維持できる限界線上。 虚空を裂く光槍は幾度も交差し、小惑星の表皮を焼き、破片雲を銀砂のように散らした。 だが、その砲撃に決定的な意味はなかった。遠距離戦は損害を抑えるかわり、戦果もまた乏しい。 大公国軍の目的は、帝国軍によるサーペント要塞の解囲である。 しかし帝国軍は小惑星帯を即席の防壁に変え、岩塊の陰へ砲艦を潜ませ、機雷帯を重ね、進撃路そのものを障壁にしていた。 無理に押せば、艦列は裂かれ、逆に包囲される危険すらあった。 その停滞が、十一月下旬、唐突に崩れた。「緊