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第55話……機械仕掛けの皇帝

last update Veröffentlichungsdatum: 10.06.2026 15:36:29

 聖帝国暦六四五年四月上旬――。

 帝国軍の戦線は、各方面で崩れつつあった。

 アーヴィング大公国軍の攻勢は激しく、帝国艦隊は星域ごとに押し返されている。

 防衛線は次々と突破され、その矛先はいよいよ皇帝直轄領――第一総管区へ迫ろうとしていた。

 敗北の余波は、宇宙空間だけでは終わらない。

 艦隊戦で制宙権を失えば、次に起こるのは地上の崩壊である。

「うははは! 奪え、奪え!」

「そこの小娘、逃げるなよ! たっぷり可愛がってやる!」

 軌道上の帝国艦隊が潰走すると、惑星の支配階級は護衛部隊とともに宇宙へ逃亡する。

 残された都市に秩序など存在しない。

 そこに降り立つのは――勝者である大公国軍の兵士たちだった。

 いや、兵士と呼ぶにはあまりにも粗暴な集団である。

 建物は焼き払われ、倉庫の食料は略奪される。

 女も、財産も、そして命さえも戦利品だった。

 泣き叫ぶ声が惑星を満たす。

 だが、その地獄は偶然ではない。

 そもそもアーヴィング大公国軍は、純粋な正規軍ではなかった。

 軍旗の下に集まったのは、宇宙海賊、傭兵、ならず者――ありとあらゆる武装勢力である。

 統制は弱い。

 だが、その代わりに数があった。

 それこそが、帝国第三総管区の防衛網を力任せに食い破った理由だった。

 ――そして今。

 帝都ネオ=ベルゼブブ。

 帝国総軍作戦室の巨大スクリーンには、敗北の報告が次々と表示されている。

「閣下、援軍要請が止まりません!」

 情報参謀が声を張り上げた。

「各星系から救援信号が殺到しています!このままでは第三総管区全体が――」

 作戦室の中央に立つ男は、静かに腕を組んだ。

 帝国総軍作戦部長。

 クライツ上級元帥。

「……まぁ、事情は分からんでもない」

 低い声が響く。

「だがな」

 彼はスクリーンを一瞥した。

 そこには、炎に包まれた惑星都市の映像が映し出されている。

「いま勢いづいている反乱軍と、正面から矛を交えるのは得策ではない」

 軍人としては冷静な判断だった。

 だが、参謀たちの顔は曇る。

「焦土作戦とは――」

 クライツはゆっくり言葉を続けた。

「我慢がもっとも大切なのだ」

 作戦室は沈黙に包まれた。

 誰も反論できない。

 焦土作戦――。

 侵攻してくる敵軍を自領深くに引き込み、兵站を崩壊させるための戦略である。

 理論上は極めて有効だ。

 だが、その代償はあまりにも大きい。

 焼かれるのは敵ではない。

 帝国の都市であり、帝国の農地であり――

 帝国の民だった。

「……」

 参謀たちは言葉を失う。

 そして、誰よりもその重みを理解しているのは――

 他ならぬクライツ自身だった。

 彼の目の下には、深い隈が刻まれている。

 焦土作戦は成功する可能性が高い。

 だが同時に、帝国の被支配階級に甚大な被害をもたらす作戦でもあった。

 勝利のために、民を犠牲にする。

 その決断の重さが、上級元帥の肩にのしかかっていた。

 それでも――

 彼は命令を撤回しなかった。

◇◇◇◇◇

「……な、なんだって!?」

 通信越しに、ユリウスの声が裏返った。

 ツーシームから届けられた報告――

 荒鷲の金印を持つ少女を保護したという知らせは、彼の予想を遥かに超えていたのだ。

 荒鷲の金印。

 それは銀河聖帝国ノヴァにおいて、ただ一つの意味しか持たない。

 正統なる皇帝の証。

 そして、皇統の正当性を掲げて勢力を拡大してきたアストレア家にとって――

 これ以上ない切り札だった。

「す、すぐに拝謁したい。準備を頼む!」

 ユリウスはほとんど叫ぶように言った。

 だが、その言葉をツーシームは軽く受け流す。

「いやいや、そう焦るなって」

 落ち着いた声だった。

「実はね、どうも記憶障害らしくて治療中なんだよ。それに――」

 彼女は窓の外の夜空をちらりと見上げる。

「坊ちゃんが動けば、隠れ場所がばれる可能性もある。機会はこっちで作るから、もう少し自重してくれないかい?」

 通信の向こうで、しばし沈黙が続いた。

 やがてユリウスが小さく息を吐く。

「……わ、わかった」

 通信が切れる。

 ツーシームはゆっくり椅子にもたれ、肩の力を抜いた。

「ふぅ……」

 わずかな安堵の息が漏れる。

 その横には――

 例の少女が、静かにベッドで眠っていた。

 まるで壊れやすい人形のように、微動だにせず。

「姉御」

 部屋の扉が静かに開いた。

 他の患者の診察を終えた医師が入ってくる。

 もちろん、ただの医者ではない。

 ツーシームの息がかかった闇医者であり、表社会では決して名前の出ない男だった。

「例の話は、なさったのですか?」

 低い声で問いかける。

 ツーシームは苦い顔をした。

「いや……さすがに言えないだろ」

 彼女は安煙草を取り出すが、火をつける気にはなれなかった。

「次期皇帝の後継者が、機械仕掛けの人形だったなんてさ」

 吐き捨てるように呟く。

「いったい誰だよ……こんな仕掛けを作ったのは」

 医師は少女の手を持ち上げる。

 小さな指に嵌められた指輪。

 そこには、紛れもなく荒鷲の金印が刻まれていた。

「ただ」

 医師は冷静に言う。

「この金印は遺伝子レベルで、少女の指の組織と融合しています」

 彼は端末の検査データを表示した。

「人工的に後から装着したものではありません。極めて高度な生体融合処理です」

「つまり?」

 ツーシームが目を細める。

「偽物の可能性は、ほぼありません」

 ツーシームは腕を組み、しばらく考え込んだ。

「……うーん」

 そして肩をすくめる。

「とりあえず、伝染病で隔離して治療中ってことにしておくかね」

 煙草を口に咥えながら言う。

「しばらくは、誰にも会わせないよ」

 彼女はベッドへ歩み寄った。

 眠る少女の頬に、そっと手を触れる。

 肌は驚くほど滑らかだった。

 人工皮膚とは思えないほど繊細な感触である。

 精巧すぎる。

 まるで本物の人間のようだった。

 ツーシームはしばらくその顔を見つめる。

 そして、ぽつりと呟いた。

「……お前さん、一体何者なんだい?」

 眠る少女は答えない。

 ただ静かに呼吸を続けていた。

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