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第65話

Author: フカモリ
信行が真琴の日記帳を見たと言ったことで、克典は自分が言おうとしていた言葉が、いかに空虚で無力であるかを悟った。

夜風が吹き抜ける中、克典は顔を向けて弟を見つめ、不意に尋ねる。

「では、お前は真琴ちゃんを好きなのか?彼女に対する気持ちは本物なのか?」

信行は兄を見つめ返し、何も言えなくなる。

吸い終えかけのタバコが指を焼くまで、彼ははっと我に返り、慌ててそれを隣のゴミ箱に捨てた。

その後、両手をポケットに戻し、前の草木を見つめ、無表情に言う。

「あいつの日記を見る前は、仲良くやっていくつもりだった。早く、父親になるつもりだった」

信行は問いに直接は答えない。克典は重ねて尋ねる。

「成美をまだ忘れられないのか?」

克典が成美のことを口にすると、信行は笑って何も言わない。

その視線はぼんやりと宙を彷徨い、庭の夜景を長い間見つめた後、立ち上がって言う。

「戻るぞ」

そう言うと、兄弟は母屋へ向かって歩き出した。

庭は広く、風が体に当たって涼やかだ。しかし、信行の心は重い。

成美を忘れられない。まだ、忘れられない。

もし彼女がいなければ、自分もとっくにこの世にいなかっただろう。

そんなに簡単に忘れられるはずがない。

母屋の階段の前まで来た時、克典は不意に弟を見て言う。

「離婚を考えていないのなら、これからは、真琴ちゃんと仲良くやっていけ。彼女は、そんなに複雑な女じゃない。二人で何かあったら、もっと話し合うんだ」

信行は笑う。

「分かってる」

しばらくして。

二人が家に入ると、美雲が大声で信行に尋ねる。

「信行、真琴ちゃんと今夜、芦原ヒルズに帰るの、それとも本家に泊まるの?」

それを聞いて、信行は真琴を見て確認する。

「本家に泊まるか?」

真琴は答える。

「やはり、芦原ヒルズに帰りましょう。明日、出社しなければなりませんから、夜、少し準備をしませんと」

美雲は言う。

「分かったわ。じゃあ、お帰りなさい」

そして、家の年長者たちに挨拶をした後、信行は車を運転し、真琴を乗せて芦原ヒルズに帰って行った。

帰り道、真琴は助手席に座っている。信行が、後部座席のドアをロックしたからだ。

車内は静まり返り、信行は両手でハンドルを握り、真琴は顔を横に向け、外の夜景を見ている。

その時、信行の電話が鳴る。由美からだった。

カーオー
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