Share

第7話

Author: フカモリ
信行はその様子に気づき、低い声で尋ねる。

「どうした?」

と言いながら、両手をそっと拳に握り、頭の両脇に置く。

真琴は静かに唾を飲み込み、信行の目を見つめながら、先ほどの話を真剣に続ける。

「ちゃんと考えて、離婚を切り出すことにしたのです」

信行の先ほどの説明など、何の意味もない。何も表してはいない。

来る日も来る日も続く彼の無関心、嫌悪、そして冷たい態度こそが、紛れもない真実なのだ。

離婚を固持する真琴に、信行は彼女の手首を掴み、身をかがめてその唇にキスをする。

突然のキスに、真琴は目を見開く。

体中が硬直する。

驚きの表情で彼を見つめ、呼吸さえも止めてしまう。

真琴の柔らかい唇に優しくキスをしながら、彼女が息もつけないほど緊張しているのを見て、信行はさらに丁寧にキスを重ねる。

拓真の言う通りだ。やはりこいつの機嫌を取らないと、反乱を起こしかねない。

滑らかな肌を撫でながら、信行がベッドから抱き上げた時、真琴は「んっ」とくぐもった声を漏らす。

その声は、とても艶めかしい。

そして、両手を彼の胸に当てる。

その様子を見て、信行は彼女の両手を取り、自分の指と絡ませて拘束する。

その時、真琴は少し震える声で尋ねる。

「キスする相手を間違えていませんか?」

真琴が尋ね終えた、その瞬間。

信行は、途端に興ざめする。

彼女の上から身を起こすと、メインライトをつけ、立ち上がってタバコに火をつけた。

真琴は急いで身を起こし、服のボタンを留め始める。

窓際に立っている信行は彼女を振り返る。

真琴は……実はひどくつまらない女だ。

テーブルの方へ歩み寄り、何事もなかったかのように腰をかがめてタバコを消すと、クローゼットからシャツとスーツを取り出し、平然と着替え始める。

真琴はとっさに視線を逸らす。信行はそれに気づき、笑って尋ねる。

「見る勇気もないのか?」

真琴は彼を見上げるが、何も言わない。

信行は彼女に手招きする。

「こっちへ来い」

しばらく彼を見つめていたが、やがてベッドから降りて彼の元へ向かう。

信行の前に近づく。

「ネクタイを締めるのですか?」

男は笑う。

「夜中に、ネクタイなんて締めるかよ」

そう言って、ベルトを彼女の手に押し付ける。

「締めてくれ」

「……」

真琴は言葉を失う。

手の中のベルトを一瞥し、耳が赤くなる。それでも、慎重に彼の腰にベルトを締め始めた。

しかし、どうにも力加減がうまくいかない。緩すぎたり、きつすぎたり。

しばらく試しているうちに、顔は真っ赤になる。

あまりにも、艶めかしい。頭に浮かぶのは、少し不健全な考えばかりだ。

真琴を見下ろし、顔を真っ赤にしているのを見て、信行はわざと笑って尋ねる。

「ベルトを締めるだけで、どうしてそんなに顔が赤いんだ?」

真琴は彼を見上げ、すぐに視線を逸らし、話題を変えた。

「お出かけですか?お義母様が知ったら、怒るかもしれませんよ」

信行はニヤリと笑う。

「引き留めるのか?」

真琴は小声で言う。

「忠告しているだけです」

彼を引き留める?

引き留められるか。それに、もう引き留めたくない。

真琴が恥ずかしそうに彼を見ないので、信行は彼女の顎を掴み、無理やり自分の目を見させた。

「もし引き留めるなら、行かないことも考えてやる」

無理やり信行を見つめさせられ、真琴は言う。

「お義母様が叱りますわ」

手を離さず、信行は笑って尋ねる。

「以前、俺を誘惑した時のあの勢いはどこへ行ったんだ?」

真琴の顔がさらに赤くなり、視線を逸らす。

「あの頃は、まだ何も分かっていませんでしたから」

その言葉が終わるか終わらないかのうちに、信行はひょいと彼女を肩に担ぎ上げる。

真琴は慌ただしく尋ねる。

「何をするんですか?降ろしてください!」

その動きを無視し、信行は真琴をベッドに放り投げる。

ベッドは柔らかく、体は完全に沈み込む。

両手をついて起き上がろうとした時、信行が彼女の手首を抑え、腕の中に閉じ込めた。

真琴は数回もがく。

しかし、もがけばもがくほど、彼の力が強まることに気づき、抵抗をやめた。

きっぱりと目を閉じ、顔をそむけて彼を見ない。

その反応に、信行は尋ねる。

「本当に離婚するのか?本当に俺とやっていくつもりはないのか?」

顔をそむけたまま、真琴は頷く。

「ええ、本当に離婚したいのです」

再度の確答を得て、信行は素早く相手を解放し、彼女の上から身を起こす。

今夜、真琴に何度もチャンスをやった。

だが、大切にしなかったな。

バン!ドアが激しく閉まる音と共に、真琴はようやく目を開ける。

ベッドから身を起こした時には、部屋にはもう信行の姿はない。

がらんとしている。

髪が顔に乱れかかり、真琴はドアを見つめ、長い間、我に返ることができない。

落ち着きを取り戻した時には、外の空はすでに徐々に明るくなり始めている。

スマートフォンを手に取ると、もう朝の六時半だ。

早くも遅くもない時間。もう寝る気になれず、スマートフォンを置いて起き上がった。

信行は昨夜出て行ったと思っていたが、身支度を整えて外に出ると、彼の車が自分の車を塞いでいた。

近づいて行くと、マイバッハの窓が開けられ、信行の声が気だるげに聞こえてくる。

「乗れ」

「自分の車で行きます」

信行は両手を気だるげにハンドルに乗せる。

「じゃあ、このままこうしていよう」

「……」

真琴は絶句する。

しばらく睨み合った後、彼が車を動かさないのを見て、手を伸ばし、後部座席のドアを開けようとする。

しかし、開かない。

仕方なく信行を見て言う。

「ドアを開けてください」

信行は彼女を見て、淡々と口を開く。

「前に座れ」

それを聞いて、真琴はまずその場でしばらく立ち尽くし、それからようやく前に二歩歩み、そっと助手席のドアを開けた。

車が芦原ヒルズを出た後、信行は時折彼女を見ている。真琴は何か話題を探すように言う。

「やはりお義母様のことは苦手なのですね」

信行は笑う。

「説教は、一度始まったら止まらないんだ。怖いに決まってるだろ?」

笑った後、男は続けて言う。

「会社は最近、いくつかのプロジェクトが重要なんだ。離婚のことは、しばらく待ってくれ」

その言葉を聞き、真琴は顔を向けて信行を見つめる。

だから言ったんだ。自分が離婚を切り出せば、この人は大急ぎで役所に行くはずで、芝居をする気になどなるはずがないと。昨夜は、もう少しで彼の貞操まで犠牲になるところだった。

全ては、会社のためだったのね。

静かに信行を見つめ、真琴は尋ねる。

「それで、だいたい、どれくらい待てばよろしいのでしょうか?」

Continue to read this book for free
Scan code to download App

Latest chapter

  • 暴走する愛情、彼は必死に離婚を引き止める   第762話

    深夜の通りは、しんと静まり返っている。見渡す限り、アスファルトの上を滑る自分たちの車以外、走る影すらない。車内のアンビエントライトが温かみのある光を灯すなか、紗友里は今夜の騒動を思い返していた。我ながら呆れるほど馬鹿げた一晩だ。長い沈黙のあと、ふと思い出したように助手席から声をかけた。「……今夜のこと、助かったわ。ありがとう」光雅は前を向いたまま、素っ気なく返す。「礼を言われるほどのことじゃない」言葉が途切れると、再び静寂が車内を満たした。互いに、あの夜の過ちや、肌を重ねた関係については一言も触れようとしない。ルームミラーに映る顔と乱れた服を見下ろし、紗友里はぽつりと告げた。「この格好で実家に戻るわけにはいかないの。ヴァンクラッセまで送ってくれる?あそこに部屋があるから」「わかった。ヴァンクラッセだな」光雅は頷き、カーナビの画面をタップして目的地を再設定した。東都市に拠点を構えて数か月になるが、まだ土地勘があるとは言えない。どこへ行くにもナビに頼る必要があった。車が高層タワーマンション、ヴァンクラッセの車寄せに着いたのは、午前3時を回った頃だった。紗友里がドアを開けて降りると、光雅もエンジンを止めて外へ出た。見送るつもりのようだ。見上げたタワーの上層階は、まばらに灯りがともるばかりで、大半の住人は深い眠りについている。視線を戻すと、ちょうど光雅と目が合った。「今日は本当にありがとう。じゃあ、部屋に戻るわね」紗友里の挨拶に、光雅は両手をスラックスのポケットへ突っ込んだまま、さらりと言った。「上がってお茶でも飲ませてくれないのか?」その問いかけに、引き戻したばかりの視線を跳ね上げ、紗友里は思わず彼を見上げた。まさか光雅がそんなことを言い出すとは思いもしなかった。道中の2人の会話は、至って真面目なものだったのだから。冬の冷気が肌を刺す。街灯と月明かりが路面を白く照らし、吐き出す息が白く尾を引いた。しばらく彼の顔を見つめていた紗友里は、思案の末、静かに息を吸った。「……温かいお茶くらいなら、淹れられるけど」深夜の心細さか、それとも今夜の窮地を救われた恩義か。目の前の男に対して、わずかに心が揺らいだのは事実だった。結局、彼の誘い水に乗る形で折れた。少し照

  • 暴走する愛情、彼は必死に離婚を引き止める   第761話

    聞き覚えのある低い声に、紗友里は弾かれたように顔を上げた。開いたドアの隙間から、見知った長身の男が入ってくる。光雅だ。こんな時間、こんな場所で鉢合わせるなど想像すらしていなかった。紗友里は目を丸くしたまま固まる。数秒間、瞬きも忘れて凝視したあと、ようやく我に返って口を開いた。「……どうしてここに?」光雅はその問いにすぐには答えなかった。調書を取っていた警察官へと視線を移し、スーツの内ポケットから名刺を取り出して差し出す。「彼女の身元引受人です。手続きに来ました。サインする書類はどれですか」警察官は名刺を受け取り、記載された肩書を確かめる。東央システムズ社長。東都市でいくつもの投資案件を抱え、興衆実業との共同事業も手がける大物実業家だ。これだけの人物が身元保証人に立つなら、何一つ申し分ない。手続きは滞りなく進み、ほどなくして紗友里は署の外へと連れ出された。*取調室のドアを出てから階段を下りるまで、光雅は一言も発しなかった。彼が無言を貫く以上、紗友里から口を開く気にもなれない。見栄を捨てきれないプライドが、まだ胸の奥にくすぶっていた。助手席に押し込まれ、車が静かに走り出したところで、ようやく光雅が横目で視線を向けてきた。気のない口調で、皮肉っぽく呟く。「最近、ずいぶん血の気が多いな。行く先々で喧嘩でも売ってるのか?」前回の衝突を引き合いに出した当てこすりだと、すぐに察しがついた。だが、紗友里は言い訳などしない。理解してくれる相手に弁解は要らないし、理解する気のない相手になら、言葉を尽くすだけ無駄だ。その皮肉を受け流し、感情を乱すこともなく、紗友里は涼しい顔で訊ねた。「こんな夜更けに、警察署に何の用だったの?」自分がここにいた理由より、彼が居合わせたことのほうがよほど不可解だった。ハンドルに両手を添えたまま、光雅は淡々と返す。「野暮用を片付けに来ただけだ。まさかお前と出くわすとは思わなかったがね」光雅の言葉に偽りはなかった。実際、私用を片付けに来ただけであり、こんなところで彼女に出くわすとは思いも寄らなかった。それ以上踏み込んだ説明がないため、紗友里も追及はしなかった。「ふうん」と短く相槌を打ち、再び前方の闇へ視線を戻す。横目で彼女を盗み

  • 暴走する愛情、彼は必死に離婚を引き止める   第760話

    紗友里の表情に険が走ったのを見て、女は慌てて2、3歩後ずさりした。「やましいことがないなら、何を怖がる必要があるわけ?きっちり1000万円振り込んでくれさえすれば、この話は丸く収まるのよ」揃いも揃って開口一番に1000万を要求してくる図々しさに、紗友里は思わず呆れ笑いをこぼした。相手の車に目を向ける。せいぜい2、300万の車で、しかもリアに軽く接触した程度だ。平然と1000万円を吹っかけてくるなど、誰が見ても明らかな言いがかりだった。「1000万円ね」紗友里は鼻先で笑い、ポケットからスマートフォンを取り出した。「警察を呼んで……」言い終わらないうちに、女の手が伸びてスマートフォンをパシッと払い落とした。さらにつま先で思い切り蹴飛ばし、はるか遠くへ転がしてしまう。「何よ!権力を使って揉み消そうってわけ?言っとくけど、1000万払わない限り絶対に許さないからね!」端末を乱暴に払われ、蹴り飛ばされた上に、なおも強欲に1000万円を要求してくる相手に、紗友里の堪忍袋の緒は完全に切れた。そもそも、普段から我慢強い性格などしていない。身勝手な女を冷ややかに見据え、紗友里は右腕を勢いよく振るって相手の手首を激しく払い除けた。物心ついてからこの年になるまで、こんな無礼な扱いを受けたことなど1度もない。自分に手を出してくる人間など皆無だった。紗友里の勝気な本性が、一気に弾け飛んだ。酒の入った女は、一瞬あっけにとられて目を白黒させた。だがすぐに頭へ血が上ったのか、爪を立て、紗友里へつかみかかってきた。すかさず、運転席の女も加勢に入る。元はただの物損事故にすぎなかったはずが、気づけば3人の女が激しくもみ合う乱闘劇へと発展していた。*それから間もなくして、現場に駆けつけた警察官によって、3人は警察署へと連行された。署内に通されると、まずアルコール検査が行われた。紗友里の呼気からは何も検出されなかったが、相手の女2人はどちらも酒気帯びだった。運転手のほうが多少控えめだったというだけの話だ。だが、紗友里が追突したこと、そして3人で取っ組み合いの喧嘩をしたのは紛れもない事実だった。ドライブレコーダーには相手が紗友里をゆすろうとしていた音声がしっかり残っていたものの、紗友里が激しく応戦した記録も

  • 暴走する愛情、彼は必死に離婚を引き止める   第759話

    真琴の思いがけないスキンシップに、信行は背中に回した腕に力を込め、いっそう強く抱きしめた。口元に浮かぶ笑みが、さらに深くなった。*その頃、都心の川沿いを通る大通り。紗友里は前を走る車に追突していた。真琴と信行が復縁してからというもの、真琴の仕事も私生活も慌ただしくなり、最近の紗友里はどこへ行くにも1人だった。気を利かせて真琴を誘うのを控えていた。何日もおとなしく家で過ごしていたのに、久しぶりに外へ出た途端にこれだ。エンジンを切り、ドアを開けて外へ出ると、前方の車からも運転手が降りてきた。すさまじい剣幕で詰め寄ってくる相手を前にしても、紗友里はひるむことなく、落ち着き払って声をかけた。「おけがはありませんか?救急車を呼びましょうか」信号の手前だったため、紗友里の車のスピードもそれほど出ていなかった。相手が唐突に急ブレーキを踏みさえしなければ、十分に防げた事故だ。そんな気遣いの言葉など耳に入らないとばかりに、運転席から大股で歩み寄ってきた女は、鼻先へ指を突きつけ、激高した声を張り上げた。「どんな運転してんのよ!納車されたばかりの新車なのよ。いきなりぶつけるなんて、わざとに決まってるじゃない!」紗友里は半歩身を引いて間合いを取り、服の裾を軽く整えながら冷ややかに言い放った。「起きてしまったことは仕方がありませんし、車が接触したのも事実です。そんなふうに取り乱しても、何の解決にもなりませんよ」そして相手のリアバンパーをちらりと見やり、泰然と言葉を継いだ。「車が壊れたなら直せばいいですし、おけががあるなら病院へ行けばいい。こうして車を降りて確認している以上、責任から逃げるつもりはありません。ですから、そうカリカリしないでください。どう解決したいのか、話してください」紗友里の動じない態度に、女はますます逆上した。再び食ってかかってわめき散らす。「何よその態度!ぶつけておいて開き直る気?文句の1つも言わせないつもり?そんなに偉そうにするなら新車ごと弁償しなさいよ。大物ぶってんじゃないわよ!どうせ飲酒運転でしょ。いいわ、今すぐ警察に通報してやる。それでも同じ口が利けるかしらね!」まくしたてる相手に、紗友里は胸の前で腕を組み、冷淡に返した。「どうぞ。呼んでください」紗友里の淡白な反応に

  • 暴走する愛情、彼は必死に離婚を引き止める   第758話

    信行の真剣に諭すような口調に、真琴はふと学生時代を思い出した。あの頃も信行は、たまにこうして筋道を立てて言い聞かせ、あれこれと世話を焼いてくれたものだ。体を案じてくれているのが痛いほど伝わってくるからこそ、真琴も余計な言い訳をせず、素直にうなずいた。「分かってる。ちゃんと気をつけるから、安心して」ここ最近は生活リズムも整い、真琴がしっかり耳を傾けてくれているのを確かめると、信行はそれ以上小言を重ねず、前方の道路に視線を戻した。まもなく車が東央のビルの前に滑り込んだ。信行は真琴のうなじにそっと手を添え、名残惜しそうに深く口づけてから、ようやくその体を離した。真琴は信行の頬を優しくつまみ、柔らかく微笑んだ。「心配しないで。大丈夫だから」そっと口づけを返すと、真琴はドアを開けて車を降りていった。ところが、そこから数日は仕事に追われ、息をつく暇もない忙しさが続いた。幸い、あの胃のむかつきはきれいさっぱり消え去っていた。だが、代わりに残ったのは激しい眠気だった。1日8時間の睡眠ではまるで足りず、どうしても10時間は眠らなければ体がもたない。オフィスでしっかり昼寝を挟んでいるのに、夜に部屋へ戻ると、あっという間に眠くなってしまう。この耐えがたい眠気に合わせるため、真琴は仕事の量すら大幅に削ったほどだった。*その日の夜も同じだった。帰宅して夕食を済ませ、シャワーを浴び終えるなり、真琴は枕を抱きかかえてベッドへ倒れ込んだ。枕に顔を埋める真琴を見下ろし、信行はあっけにとられて苦笑した。身をかがめて顔を近づけると、真琴の髪を軽くかき上げた。「これでもう何日放ったらかしにされてると思う?今夜くらい少しは起きてろよ」腕の中に枕をしっかりと抱え込み、うつ伏せのまま右足を布団へ潜り込ませながら、真琴はとろんとした眠たげな目でつぶやいた。「眠いの。目が開かない……明日、明日いっぱい構ってあげるから」その見え透いた約束に、信行は顔を寄せて真琴の頬へ唇を落とした。「その明日ってやつ、もう何日目だ?」真琴が言い返す隙も与えず、信行は言葉を継いだ。「最近のお前、やっぱりどこか様子がおかしいぞ。時間を作って病院で診てもらおう。このまま引き延ばすな」薄く目を開けて信行を見つめ、真琴は応じた。「

  • 暴走する愛情、彼は必死に離婚を引き止める   第757話

    真琴はとっさに顔を背け、信行の唇を避けた。その異変を察し、信行はすぐさま表情を引き締めた。そっと右手を真琴の頬へ添える。「どうした?どこか具合でも悪いのか」真琴は信行を見つめ、首を横に振った。「大丈夫、なんともないわ。ただ、急に少し胃がムカムカして」心配をかけまいと、真琴は言葉を足した。「前にもこういうことがあったの。時間を見つけて病院で診てもらえば済む話だから」かつてうつの身体化症状に苦しんでいた頃、最初に現れた兆候が胃の不快感だった。今の感覚は、あの時の鈍い違和感とよく似ている。真琴がその病名を口にしなくても、信行には大体の事情が察せられた。頬に添えた親指で柔らかな肌を優しくなぞり、信行は言った。「いつ行きたい?俺も一緒についていく」話すうちに吐き気もずいぶん治まり、真琴は信行の手首にそっと手を重ねた。「月曜か火曜あたりに行ってみるわ。昔からの持病みたいなものだし、あまり気にしないで」信行は手のひらに少し力を込め、真琴の頬を包み直した。「分かった。その時は一緒に行くからな」そう言って、信行は再び真琴を腕の中へ引き寄せた。手の届く場所にいて、目の前にいるというのに、まだ真琴が恋しくてたまらない。どれほど抱きしめても抱き足りず、いくら触れても満たされなかった。今夜はやけに甘えたがる信行を、真琴も拒まなかった。両手を腰へ回し、肩にそっと顎を預けて強く抱きしめ合う。真琴の体調が優れないこともあり、信行はそれ以上求めようとはしなかった。就寝の支度を整えてベッドに入ると、真琴は信行を抱き寄せ、背中を優しくトントンとたたきながら眠りへと誘った。*翌日。真琴が仕事の段取りを済ませて病院へ向かうタイミングに合わせ、信行が車で迎えにやってきた。真琴は信行に頼み、かつての主治医のもとへ案内してもらった。診察室の扉が開き、並んで入ってきた2人の姿を認めた医師は、目を丸くして息をのんだ。2年前、芦原ヒルズを襲った大火災のニュースは医師も耳にしていた。その後、信行が1人で訪ねてきて真琴の病状を詳しく聞いていったこともある。まさか2年もの月日を経て、再び2人揃って目の前に現れようとは夢にも思わなかった。無事に生きてさえいれば、どんな奇跡も起こり得るということか。胃の

More Chapters
Explore and read good novels for free
Free access to a vast number of good novels on GoodNovel app. Download the books you like and read anywhere & anytime.
Read books for free on the app
SCAN CODE TO READ ON APP
DMCA.com Protection Status