LOGIN丸山孝之(まるやま たかゆき)の初恋の人、上野美月(うえの みつき)が離婚した。 離婚の裁判は、すべて孝之の手配によるものだ。 その後、孝之は美月を、私たちの新居に連れ込んだ。そして美月が猫アレルギーだという理由で、私の飼い猫を捨てさせた。 挙句の果てに、妊娠中の私を凍りつくような冷水プールに突き飛ばし、美月のネックレスを拾わせたのだ。 私が流産して入院している間に、孝之は美月の妊娠検査結果を持って、今年初めてのインスタを更新した。 【桜が咲いた。君が春を連れてきてくれた】 心身ともにボロボロだった私は、ただ静かにその投稿に「いいね」を押した。 孝之はそんな私を嫌悪感たっぷりに一瞥し、唇の端を歪めて卑劣な笑みを浮かべた。 「里香(りか)、君みたいな人間は、子供がいなくなっても当然だよ。 そんなに子供が好きなら、君も一緒にあの世へ行けばいいんだ」 だが孝之は知らない。私の命があとわずかだということを。
View More美月をただの友人と言い聞かせながら、友人以上の距離感を楽しんでいた。学生時代と何も変わらない、色褪せない美月の姿に惹かれていた。里香という妻がいることも忘れ、美月の方に気持ちが傾いていった。居場所がないという言葉を鵜呑みにし、家に招き入れた。しかし、そのせいで里香がどんどんヒステリックになっていった。あんなに可哀想な美月に対して、どうして里香は少しも優しくできないのか。里香の言動を異常だと決めつけ、都合の良い事ばかり考えていた。里香は俺を愛している。だから絶対に離れていかないと、俺はどこかで高を括っていた。里香の愛情を踏みにじりながら、それさえも彼女の駆け引きだと思い込んでいた。そして深酒した勢いで、ついに美月と関係を持ってしまった。美月の猫アレルギーを理由に、飼っていた猫を手放させた。里香はそれにひどく激怒した。福ちゃんが死んだあの場所に慰めに行った時、今度は美月が妊娠したと告げられた。美月が俺のスマホでインスタに投稿をしたのに気づいた時は、すでに次の日の昼過ぎだった。里香が流産した日、美月は悲しそうに泣きついて言った。「里香が私を突き飛ばそうとして、自分で階段から落ちたの」俺を憎むあまり、里香は罪のない子供さえも利用するのだと思った。お腹の命を切り札にしてまで、美月を陥れようとするなんて。いつから、あんな姿に成り果ててしまったのだろう。だから懲らしめるつもりで、里香と離婚した。里香の傍には、幼なじみの宏介という男がいた。二人が楽しそうにしている姿が、目に付いて仕方がなかく、怒りのあまり、俺と別れたのは宏介のせいかと詰め寄った。そうに違いない。里香が先に心変わりしたのだ。交通事故が起きたあの日、里香は血まみれで、息も絶え絶えだった。心臓をぎゅっと掴まれたような衝撃を受け、あの光景が脳裏に焼き付いて離れなかった。宏介は里香が癌だと言ったが、信じられなかった。どうせ、またいつもの演技だと思ったのだ。しかし本当に癌を患っていて、お腹の子供のことも、すべて誤解だった。監視カメラを確認し、美月が里香を陥れた証拠を見て、全ては美月のせいだと分かった。美月がいなければ、誤解することなどなかったはずなのに。里香は俺のことも、二人の記憶も全て忘れてしまった。里香が向ける瞳は冷たく
「すごく心配したのよ。ごめんね、ちゃんと面倒を見てあげられなくて」祖母は、すべて分かっていたのだと思う。私が見ていないところで、こっそりと涙を拭いていた。その後、数日間姿を見せなかった孝之が、薄汚れた格好で病室に現れた。額に怪我をし、足も少し引きずっている。「里香、神社でお守りをいただいてきたんだ。これを持っていれば、きっと大丈夫だ」孝之は恐る恐る懐からお守りを取り出すと、期待に満ちた目で私に差し出した。けれど……孝之。あなたを許す気持ちには、どうしてもなれないの。「帰って。もう顔も見たくないわ」「本当にすまなかった」孝之は膝をつき、ひたすらに許しを乞い続けた。彼に向き合うのも、こうして病床に横たわるのも、もう限界だった。最後の1か月、私は祖母と一緒に、見たかった景色をすべて巡った。祖母に最後まで寄り添いたかったけれど、もう時間が足りなかった。人生は残酷だと思っていたけれど、祖母と出会えたことが唯一の救いだった。「おばあちゃん、長生きしてね」私が息を引き取った日は、雪が舞っていた。霊体となって天井から眺めると、祖母が涙で顔を濡らしているのが見えた。宏介が白菊の花束を携え、私の墓の前で静かに時を過ごしていた。彼の瞳は潤み、墓石の写真を愛おしそうに見つめている。「里香、来世では俺を選んでくれ。俺はあいつみたいに裏切らないから。やっぱりなんでもない、来世は……幸せに長生きして」宏介のもとを訪れた孝之を、宏介は鋭い眼光で追い返した。「丸山、以前の約束を忘れたのか。どの面下げてここにいるんだ。一体、どんな立場でお参りに来た?」「一度でいい、里香に会わせてくれ」結局、孝之が私に再会することは叶わず、酒に溺れる日々を送ったようだ。仕事に打ち込み、美月を地下室に監禁して執拗に追い詰めたが、その代償で自身の体はぼろぼろになった。私の魂がこの世を完全に去るまで、孝之は二度と姿を見せなかった。孝之はふっと、どこか苦しげな笑みを浮かべていた。「里香、これが俺への報いか……」私はふと肩の荷が下りるように、心が軽くなっていくのを感じた。孝之、来世も、その先でも、もう二度と出会わないでおこう。孝之のエピソード。里香と初めて会った時、確かに里香を美月と重ねていた。
美月もその一人だ。孝之は丸一日、私の病室の前から動こうとしなかった。新人看護師が私に、孝之とどんな関係なのかと尋ねてきた。でも、どうしても思い出せない。「外の方、一晩中ずっといらしてて、まだ帰ろうとしないんですよ。ご主人だとおっしゃっているのですが、証拠のご提示をお願いしても、何もお持ちでなくて……」「すみません、思い出せないんです」看護師は途切れなく話を続けた。私があの事故に遭った時、その男性は輸血をしたせいで意識を失って倒れたのだと。……孝之は大量の桔梗を抱え、病室の前で私に許しを乞うていた。宏介は孝之を追い払い、毎日時間を決めては私の様子を気にかけてくれた。しかし、病状は悪化する一方で、体は張り裂けるほど痛い。私は長く眠るようになった。目を覚ますと、たいてい日は沈んでいる。孝之は毎日病院に来てうずくまっていたから、私は一度だけ彼と会うことにした。襟元はよれ、髪を無造作に後ろに撫でつけた孝之は、どこか壊れてしまったように見えた。「里香、許してくれ。全部俺が悪かったんだ。すまない、本当にすまない。もう一度、やり直そう」何かを思い出したのか、孝之はこう付け加えた。「最高の医者を呼んだんだ。きっと治せる。絶対に大丈夫だ……」私に向かってというより、自分自身に言い聞かせているようだった。「すみません、丸山さん……あなたのお顔、記憶にないんです」孝之は怯えたように顔を上げ、私の手を掴もうと衝動的に身を乗り出した。「嘘だ、そんなはずはない。なぜ俺のことを忘れたんだ。忘れるなんて許さない」孝之はかかってきた電話を切り、病室にやってきた美月を引きずり出すと、産婦人科の診療室へ連れて行った。「里香、全部美月の仕業なんだ。関係をかき回したのは美月で……今すぐそいつに子供を堕ろさせるから。そいつの腹の中の子なんて、絶対に産ませない」美月は無理やり堕胎させられ、麻酔も打たれないまま、その全てが執り行われた。孝之は頑なに私に記憶を取り戻させようと躍起になっていた。昔二人で愛を誓い合ったという場所へ向かい、一緒に埋めたカプセルを掘り出そうとした。しかし、そのカプセルは見つけられず、孝之はさらに廃人のように憔悴した。「あるはずなのに……里香、信じてくれ。あの……」何かを言いかけ
祖母が退院する日、宏介とばったり会った。彼に再検査に連れて行ってもらうと、ちょうど妊婦検診に来ていた孝之と美月に出くわした。「里香、こいつとは一体どういう関係なんだ?なぜ、君たちは一緒にいるんだ?」孝之が私をほんの少しでも気に掛けていてくれたなら、私の異変に気づいたはずだ。でも、孝之は気づかなかった。それどころか、なぜ私がここにいるのかと詰問してきた。「孝之、私たち、もう離婚したでしょ」孝之は額に青筋を立て、しつこく絡みついてくる。美月の誕生日の夜、泥酔した孝之は、信号を3つも無視して彼女の元へ駆けつけた。その日は、細かな雨が降っていて、私は孝之の運転する車に撥ねられた。頭がぼんやりして、意識がまとまらない。腹部から血が流れ続ける中、救急車から飛び出してきた宏介の姿が見えた。宏介は目を真っ赤にさせ、何度も何度も孝之の顔面を殴りつけた。「丸山、里香を死なせなきゃ気が済まないのか?里香が病気だってこと、知らないのか?彼女があの子を産みたくなかったなんて、本気で思ってるのか?この外道が。3年前、里香が身を呈して刺された時もそうだった。3年経っても、また同じ目に合わせるのか?」孝之から血の気が引き、理解不能だといった表情で私を見つめた。「どういう意味だ?里香が、なんの病気だって?子供を産めないって、どういう……話の続きを言え!」宏介は孝之を無視して私を運び込んだ。がんの進行により止血が困難で、出血が酷かった。遠のく意識の中で、孝之が泣き叫ぶ声が聞こえた。「俺が里香の夫だ、中に入れろ!俺が輸血する、俺の血を使ってくれ……一目でいい、一目だけでいいんだ……」長い夢を見ていた。孝之が出てくる夢だった。大学生になったばかりの頃、私はありもしない噂を立てられ、追い詰められた。一度会っただけの連中に、なぜあんなに酷いことを言われなきゃいけないのか分からなかった。しかし、路地裏で囲まれた時、孝之がバスケットボールを投げつけ、連中を追い払ってくれた。「おい、それは名誉毀損だってこと分かってんのか?消えないなら警察呼ぶぞ」真っ白なシャツを着て、まぶしいほどに光り輝いていた孝之。私を見つめる目はどこか遠くを見ていて、私越しに誰かを探しているようだった。やがて、その瞳は私だけを