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美月をただの友人と言い聞かせながら、友人以上の距離感を楽しんでいた。学生時代と何も変わらない、色褪せない美月の姿に惹かれていた。里香という妻がいることも忘れ、美月の方に気持ちが傾いていった。居場所がないという言葉を鵜呑みにし、家に招き入れた。しかし、そのせいで里香がどんどんヒステリックになっていった。あんなに可哀想な美月に対して、どうして里香は少しも優しくできないのか。里香の言動を異常だと決めつけ、都合の良い事ばかり考えていた。里香は俺を愛している。だから絶対に離れていかないと、俺はどこかで高を括っていた。里香の愛情を踏みにじりながら、それさえも彼女の駆け引きだと思い込んでいた。そして深酒した勢いで、ついに美月と関係を持ってしまった。美月の猫アレルギーを理由に、飼っていた猫を手放させた。里香はそれにひどく激怒した。福ちゃんが死んだあの場所に慰めに行った時、今度は美月が妊娠したと告げられた。美月が俺のスマホでインスタに投稿をしたのに気づいた時は、すでに次の日の昼過ぎだった。里香が流産した日、美月は悲しそうに泣きついて言った。「里香が私を突き飛ばそうとして、自分で階段から落ちたの」俺を憎むあまり、里香は罪のない子供さえも利用するのだと思った。お腹の命を切り札にしてまで、美月を陥れようとするなんて。いつから、あんな姿に成り果ててしまったのだろう。だから懲らしめるつもりで、里香と離婚した。里香の傍には、幼なじみの宏介という男がいた。二人が楽しそうにしている姿が、目に付いて仕方がなかく、怒りのあまり、俺と別れたのは宏介のせいかと詰め寄った。そうに違いない。里香が先に心変わりしたのだ。交通事故が起きたあの日、里香は血まみれで、息も絶え絶えだった。心臓をぎゅっと掴まれたような衝撃を受け、あの光景が脳裏に焼き付いて離れなかった。宏介は里香が癌だと言ったが、信じられなかった。どうせ、またいつもの演技だと思ったのだ。しかし本当に癌を患っていて、お腹の子供のことも、すべて誤解だった。監視カメラを確認し、美月が里香を陥れた証拠を見て、全ては美月のせいだと分かった。美月がいなければ、誤解することなどなかったはずなのに。里香は俺のことも、二人の記憶も全て忘れてしまった。里香が向ける瞳は冷たく
「すごく心配したのよ。ごめんね、ちゃんと面倒を見てあげられなくて」祖母は、すべて分かっていたのだと思う。私が見ていないところで、こっそりと涙を拭いていた。その後、数日間姿を見せなかった孝之が、薄汚れた格好で病室に現れた。額に怪我をし、足も少し引きずっている。「里香、神社でお守りをいただいてきたんだ。これを持っていれば、きっと大丈夫だ」孝之は恐る恐る懐からお守りを取り出すと、期待に満ちた目で私に差し出した。けれど……孝之。あなたを許す気持ちには、どうしてもなれないの。「帰って。もう顔も見たくないわ」「本当にすまなかった」孝之は膝をつき、ひたすらに許しを乞い続けた。彼に向き合うのも、こうして病床に横たわるのも、もう限界だった。最後の1か月、私は祖母と一緒に、見たかった景色をすべて巡った。祖母に最後まで寄り添いたかったけれど、もう時間が足りなかった。人生は残酷だと思っていたけれど、祖母と出会えたことが唯一の救いだった。「おばあちゃん、長生きしてね」私が息を引き取った日は、雪が舞っていた。霊体となって天井から眺めると、祖母が涙で顔を濡らしているのが見えた。宏介が白菊の花束を携え、私の墓の前で静かに時を過ごしていた。彼の瞳は潤み、墓石の写真を愛おしそうに見つめている。「里香、来世では俺を選んでくれ。俺はあいつみたいに裏切らないから。やっぱりなんでもない、来世は……幸せに長生きして」宏介のもとを訪れた孝之を、宏介は鋭い眼光で追い返した。「丸山、以前の約束を忘れたのか。どの面下げてここにいるんだ。一体、どんな立場でお参りに来た?」「一度でいい、里香に会わせてくれ」結局、孝之が私に再会することは叶わず、酒に溺れる日々を送ったようだ。仕事に打ち込み、美月を地下室に監禁して執拗に追い詰めたが、その代償で自身の体はぼろぼろになった。私の魂がこの世を完全に去るまで、孝之は二度と姿を見せなかった。孝之はふっと、どこか苦しげな笑みを浮かべていた。「里香、これが俺への報いか……」私はふと肩の荷が下りるように、心が軽くなっていくのを感じた。孝之、来世も、その先でも、もう二度と出会わないでおこう。孝之のエピソード。里香と初めて会った時、確かに里香を美月と重ねていた。
美月もその一人だ。孝之は丸一日、私の病室の前から動こうとしなかった。新人看護師が私に、孝之とどんな関係なのかと尋ねてきた。でも、どうしても思い出せない。「外の方、一晩中ずっといらしてて、まだ帰ろうとしないんですよ。ご主人だとおっしゃっているのですが、証拠のご提示をお願いしても、何もお持ちでなくて……」「すみません、思い出せないんです」看護師は途切れなく話を続けた。私があの事故に遭った時、その男性は輸血をしたせいで意識を失って倒れたのだと。……孝之は大量の桔梗を抱え、病室の前で私に許しを乞うていた。宏介は孝之を追い払い、毎日時間を決めては私の様子を気にかけてくれた。しかし、病状は悪化する一方で、体は張り裂けるほど痛い。私は長く眠るようになった。目を覚ますと、たいてい日は沈んでいる。孝之は毎日病院に来てうずくまっていたから、私は一度だけ彼と会うことにした。襟元はよれ、髪を無造作に後ろに撫でつけた孝之は、どこか壊れてしまったように見えた。「里香、許してくれ。全部俺が悪かったんだ。すまない、本当にすまない。もう一度、やり直そう」何かを思い出したのか、孝之はこう付け加えた。「最高の医者を呼んだんだ。きっと治せる。絶対に大丈夫だ……」私に向かってというより、自分自身に言い聞かせているようだった。「すみません、丸山さん……あなたのお顔、記憶にないんです」孝之は怯えたように顔を上げ、私の手を掴もうと衝動的に身を乗り出した。「嘘だ、そんなはずはない。なぜ俺のことを忘れたんだ。忘れるなんて許さない」孝之はかかってきた電話を切り、病室にやってきた美月を引きずり出すと、産婦人科の診療室へ連れて行った。「里香、全部美月の仕業なんだ。関係をかき回したのは美月で……今すぐそいつに子供を堕ろさせるから。そいつの腹の中の子なんて、絶対に産ませない」美月は無理やり堕胎させられ、麻酔も打たれないまま、その全てが執り行われた。孝之は頑なに私に記憶を取り戻させようと躍起になっていた。昔二人で愛を誓い合ったという場所へ向かい、一緒に埋めたカプセルを掘り出そうとした。しかし、そのカプセルは見つけられず、孝之はさらに廃人のように憔悴した。「あるはずなのに……里香、信じてくれ。あの……」何かを言いかけ
祖母が退院する日、宏介とばったり会った。彼に再検査に連れて行ってもらうと、ちょうど妊婦検診に来ていた孝之と美月に出くわした。「里香、こいつとは一体どういう関係なんだ?なぜ、君たちは一緒にいるんだ?」孝之が私をほんの少しでも気に掛けていてくれたなら、私の異変に気づいたはずだ。でも、孝之は気づかなかった。それどころか、なぜ私がここにいるのかと詰問してきた。「孝之、私たち、もう離婚したでしょ」孝之は額に青筋を立て、しつこく絡みついてくる。美月の誕生日の夜、泥酔した孝之は、信号を3つも無視して彼女の元へ駆けつけた。その日は、細かな雨が降っていて、私は孝之の運転する車に撥ねられた。頭がぼんやりして、意識がまとまらない。腹部から血が流れ続ける中、救急車から飛び出してきた宏介の姿が見えた。宏介は目を真っ赤にさせ、何度も何度も孝之の顔面を殴りつけた。「丸山、里香を死なせなきゃ気が済まないのか?里香が病気だってこと、知らないのか?彼女があの子を産みたくなかったなんて、本気で思ってるのか?この外道が。3年前、里香が身を呈して刺された時もそうだった。3年経っても、また同じ目に合わせるのか?」孝之から血の気が引き、理解不能だといった表情で私を見つめた。「どういう意味だ?里香が、なんの病気だって?子供を産めないって、どういう……話の続きを言え!」宏介は孝之を無視して私を運び込んだ。がんの進行により止血が困難で、出血が酷かった。遠のく意識の中で、孝之が泣き叫ぶ声が聞こえた。「俺が里香の夫だ、中に入れろ!俺が輸血する、俺の血を使ってくれ……一目でいい、一目だけでいいんだ……」長い夢を見ていた。孝之が出てくる夢だった。大学生になったばかりの頃、私はありもしない噂を立てられ、追い詰められた。一度会っただけの連中に、なぜあんなに酷いことを言われなきゃいけないのか分からなかった。しかし、路地裏で囲まれた時、孝之がバスケットボールを投げつけ、連中を追い払ってくれた。「おい、それは名誉毀損だってこと分かってんのか?消えないなら警察呼ぶぞ」真っ白なシャツを着て、まぶしいほどに光り輝いていた孝之。私を見つめる目はどこか遠くを見ていて、私越しに誰かを探しているようだった。やがて、その瞳は私だけを
「里香、この病気は……前向きに治療に取り組めば、回復する可能性だってあるんだぞ」「宏介、忘れたの?私も医者よ」宏介が私を励まそうとしているのはわかっていた。でも、この病気にはもう手立てがなく、1年も持たないことも知っている。孝之が荒々しく現れ、宏介の口元を殴りつけた。相当力が入っていたのか、口元からは血が滲んでいた。「里香、ずっと俺から離れる計画を立てていたのか?それとも……こいつのせいか。こいつがいるから、俺と別れようとするのか」目の前にいるこの男が、酷く他人のように思えた。孝之自身、友達という名目で美月と不貞を働いているくせに、この結婚が破綻したのは、私が他に好きな人がいるからだと思い込んでいるのだ。私の恋心が、孝之を美しく見せていたのだ。その魔法が解けた今、残っているのは果てしない嫌悪感だけだった。「孝之。宏介と私はただの友達よ。もういい加減にして。みんなが自分と同じだと思うの?本当に最低ね」孝之が何か言い返そうとした時、着信音が私たちの間に割って入った。「孝之、今日はあなたの手料理が食べたいの。トンカツと、エビと、あとは……」美月が次々とリクエストをし、孝之はそれを一つずつ頷いて引き受けた。孝之が料理をするなんて知らなかった。それどころか、買い物に出かけるような人間だとも知らなかった。美月の「好き」という一言のために、孝之は選び抜いた食材を買うのだ。数年間、私に料理を作ってくれたことは一度もない。入院していた時でさえ、出前の料理で済ませる人だったのに。料理ができないわけじゃなかった。ただ、作りたい相手が私ではなかっただけだ。その日、孝之はずっと放置していたインスタを更新した。そこには、妊娠検査結果の用紙を手にした孝之と美月が、仲睦まじく手を繋ぐ写真があった。キャプションには【君が春と一緒にやってきた】とある。目から涙が一筋零れ落ちた。胃が引きちぎられるように痛み、激しい吐き気が襲った。もう、これでいいのよ、孝之。私はもう丸山家には戻らず、人を頼んで身の回りのものを片付けてもらった。余命は1年と宣告された。私は盛沢市に戻り、墓地を買い、地元の介護施設と契約した。残った貯金の一部は介護施設に、残りは祖母に預けた。祖母は心臓が悪く、私はそれだけがずっと気がかりだ
結局、適当に言い訳してごまかした。中絶手術の日程は来月に決まった。主治医は何かを言いかけては口を閉ざし、結局何も教えてくれない。わかっている。たとえ治療を始めたとしても、もう先は長くないのだろう。私は二人が愛を誓った場所へ行き、一緒に埋めたカプセルを掘り出した。そしてアルバムの中の写真は何度も整理し、数枚のピンナップだけを残した。そして、盛沢市へ行く一番早い便を予約した。空港へ向かっていると、孝之から電話がかかってきた。「里香、どこへ行ったんだ?美月が西区のお菓子が食べたいと言ってる。戻るときに買ってきてくれ……」私は何も答えず電話を切ると、空港へ車を走らせた。祖母は久々に会う私のため、テーブルいっぱいに手料理を並べて待っていてくれた。祖母は私の子供の頃の写真を広げ、庭先で日向ぼっこをしながら思い出を語り始めた。「これは10歳のとき。テストで一番を取ったって、私に自慢していたね……これは15歳のとき。高校の合格通知を喜んで見せに来たわね……これは20歳の成人式のとき。里香は、すっかり綺麗で立派な大人の女性になったんだね……」……祖母は気づかぬうちに涙を浮かべ、目尻のシワをさらに深くしていた。「里香はずっと私の自慢だったよ。本当に良い子だよ。きっと、辛いことでもあったんだね……守ってやれなくてごめんよ。旦那さんに何かされたのかい?私が何とかしてやるから……次会ったら絶対に……」昔のことを生き生きと語る祖母の姿を見ていると、その光景がそのまま私の中に蘇ってくるようだった。突然、自分の病のことが怖くなり、どうしても伝えることができなかった。祖母を悲しませたくない。これ以上、心配もかけたくない。「おばあちゃん、全部落ち着いたら、ずっとここで一緒に過ごすね」祖母は私を優しく抱きしめ、背中をゆっくりとさすってくれた。孝之が私を見つけ出したのは、それから2週間後のことだった。私は階段の上で美月に突き飛ばされ、角のガラスに体を強打した。血が床に流れる。救急車のサイレンが近づいてくると、孝之が私を見る目は、複雑な感情に支配されていた。病院で目を覚ますと、孝之が離婚協議書を差し出した。表情は硬く、冷たい声で言葉を投げつけた。「里香、そこまでして俺や美月を恨んでいるのか。まだ産まれてな