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第4話

Author: 匿名
海男が近づいてきた。複雑な眼差しで日影の横顔をしばらく見つめ、つい口を開いた。

「……その傷、大丈夫か?」

その、ほんの少しだけ気にかけているような口調に、日影の目頭が一瞬熱くなった。湧き上がってはならない動揺が、胸の奥をかすめた。

けれど、彼女の声は氷のように平然としていた。

「大丈夫」

一呼吸置き、日影は顔を上げて彼をまっすぐ見た。

「すぐに弁護士に連絡して、離婚協議書を作成してもらうわ。手続きは、できるだけ早く済ませましょう」

海男は、目の周りが赤く腫れ、顔色は青ざめていながら、なおも背筋を伸ばして強がる彼女の姿を見て、心の奥底で、言いようのないものが、かすかに動いた。

彼はわずかに眉をひそめて言った。

「……離婚しなくてもいい」

日影ははっと顔を上げ、瞳に一瞬、驚きが走った。

しかし、彼の続く言葉が、そのかすかな思いを瞬時に粉々に打ち砕いた。

彼は当然であるかのような口調で、淡々と付け加えた。

「『藤原夫人』の座は、君のままでいい。ただし、俺の愛は祢々だけに捧げる……わかるだろう?」

彼女はそのあまりにも当然そうな態度を見つめ、突然、笑いがこみ上げてきた。笑い声には、自嘲と皮肉がにじんでいた。

「結構よ。私は別に優秀な人間ではないが、他人の恋人を奪い取るほど卑しくもない。

愛のない結婚生活には、これ以上興味もない……ちゃんと身を引くわ。お二人が末永くお幸せに」

海男は、彼女があまりにもあっさりと諦めるとは思っていなかった。表情が一瞬固まり、たちまち顔色が険しくなった。

「離れたいなら離れろ!だが、今度は後悔して泣きついてきても、こっちは何も知らんからな!」

日影はそれ以上相手にせず、再びうつむいて、机の上の書類の整理を続けた。

ちょうどその時、祢々が入ってきた。

「日影さん、お仕事の引継ぎに伺いました。今、お時間よろしいでしょうか?」

日影が口を開く前に、秘書が慌てた様子で駆け込んできた。

「副部長!東町の現場から緊急連絡です!鉄筋に品質上の問題が発見され、作業チームが全工程を停止しました!」

日影の胸が、一瞬で締めつけられる。

この案件は、彼女が半年以上、心血を注いできた重点工事だ。鉄筋に問題があれば、それは取り返しのつかない重大事だ。

たとえ辞職して留学する決断を下したとしても、この案件は、彼女が一から育て上げた、我が子のようなものだ。

それに将来、ここに入居する人々の安全がかかっている。どんな小さなミスも、絶対に許されない。

彼女は即座に立ち上がり、椅子にかけてあった上着を手に取った。

「現場に行こう」

「私も行きます!」

祢々が振り返り、海男を見つめて目を輝かせた。

「ちょうどいい機会ですから……緊急時の対応を、日影さんから現場で学ばせていただきたいです」

海男は一瞬のためらいもなくうなずいた。

「俺も同行する。現場は雑然としていて、何があるかわからない」

日影の足が一瞬、ほんの一瞬だけ止まった。彼女は指先に力を込めて上着を握りしめ、何も言わず、先に足早にオフィスを出て行った。

現場に着くと、容赦ない夏の日差しがコンクリートの地面を焼いていた。

海男は終始、傘を差していた――その大半を、祢々の頭上にかざしながら。

時折、「暑くないか?」「あの木陰で待っていようか?」と小声で気遣い、彼女の足元の泥さえも、「ズボンにつかないように気をつけて」と注意していた。

日影はその光景を目にしながら、瞳の奥が針で刺されるような鋭い痛みを感じた。

彼女は、入社したての頃、現場を駆け回っていた日々を思い出した。

――夏の炎天下で背中にひどく日焼けをしてしまい、夜には泣きながら海男に電話をかけたこともあった。

彼はただ冷淡に、「仕事で実績を積みたいのに、その程度の苦しみも我慢できないのか」と言うだけだった。

あの時は、自分がまだ甘く、弱かったのだと思い込んでいた。

今ならわかる。彼はただ、愛していなかっただけなのだ。愛していないから、たった一言の慰めさえ、無駄だと思っていたのだ。

やっとの思いで施工側と鉄筋の緊急交換案を取りまとめ、一行は会社へ帰ろううとした。

完成間近の建物の足場の下を通りかかったその時――

頭上から、不気味な「ギシッ……」という軋む音が聞こえ、大小のコンクリートの破片が、ざあっと降り注いできた。

日影が反応するより早く、人の背丈ほどの大きなコンクリート板が、彼女の背中にむごく落ちてきた。

「――っ!」

激痛が全身を駆け抜け、彼女は地面に打ちつけられた。背中を重く押さえつけられ、身動きひとつ取れない。息をするたびに、肋骨が軋むような、引き裂かれるような痛みが走る。

日影は必死で顔を上げると、視界の端で、海男が祢々をしっかりと腕に抱え、危険区域から外へと走り去っていく後ろ姿が見えた。

全身の力を振り絞り、彼女は叫んだ。

「海男っ!助けて――!」

走り去ろうとした海男が、はっと振り返った。血と塵にまみれながらも、彼を必死に見つめる日影の姿が目に入った。

その瞬間、彼の心臓がぎゅっと締めつけられるのを感じた。無意識に、彼は彼女の方向へ駆け出した。

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