INICIAR SESIÓN松浦彩花(まつうら あやか)は妊娠七か月の身で、陣痛促進剤を混ぜられたジュースを飲んでしまい、その影響で早産となった。 そして、かなり早く生まれてしまった子どもは、すぐさま病院の集中治療室へと搬送されたのだった。 しかし、この悲劇を引き起こした犯人は今、平然とした顔で被告席に座っている。 証拠は十分だった。河内泉(かわうち いずみ)が彩花に渡したジュースからは薬が検出されたうえに、監視カメラにも泉が薬を入れる姿がしっかり映っていた。 だが勝訴を目前にして、彩花が長年愛してきた夫が、彼自らの手で示談書にサインしてしまったのだ。 裁判官の声が響く。「被害者側から示談書が提出されたため、被告人はこれをもって釈放とする」 法廷が一瞬にして騒めいた。 彩花は傍聴席の最前列にいる松浦悠斗(まつうら ゆうと)の方へと勢いよく振り返った。 悠斗は端正なスーツに身を包み、表情は落ち着き払っていて、その全身からは長くトップに立ち続けてきた者だけが放つ威厳が滲み出ていた。 「悠斗!」 彩花は彼の名前を叫びながら駆け寄り、その腕を力一杯掴む。「なんで河内さんを許しちゃうのよ!あの女せいで私の子は大変な目に遭っていると言うのに!」 泣き叫ぶ彩花は、悠斗をめちゃくちゃに叩いた。「人でなし!どうしてこんなひどいことができるのよ!」 しかし悠斗は、そんな涙と鼻水でぐちゃぐちゃになり、髪を振り乱す彩花の姿を、冷たい目で見つめた。 「そのみっともない姿はなんだ?お前は松浦グループ社長夫人で、俺の顔でもあるんだぞ。もっとその自覚を持って、品位ある行動を心がけろ」 彩花は呆然とした。 品位?こっちは赤ちゃんの命に関わることだというのに、犯人を野放なんて。それでいて、まだ体裁を気にして、品位ある行動をしろというのか…… いろんな記憶のかけらが、頭の中に蘇る――
Ver más彩花は思い通りに松浦グループの資産の半分を手に入れた。銀行口座の数字を見て、口の端を上げてにやりと笑う。お金なんてどうでもよかった。しかしこの口座の数字は、悠斗と泉への復讐が成功した証なのだ。それに、悠斗が一切の治療を拒否していて、自分に会いたがっているという内容の電話を病院から受けた。病院へ向かう前に、彩花はまず西山霊園に寄った。そして、母と子供の墓石の前で、声を上げて泣いた。復讐を決意してから、一度も心ゆくまで泣いたことはなかった。しかし、すべてが終わった今、心に溜まっていた悔しさと悲しみが、ようやく解き放たれたのだった。「お母さん、赤ちゃん……二人の仇は、私がとったからね!」病院のベッドに横たわる悠斗は、数日見ないうちに骨と皮ばかりに痩せこけて、まるで死人のようだった。医者によれば、このままでは余命いくばくもないとのこと。彩花が病室に入ってくるのを見て、悠斗の乾ききった目に、ふっとかすかな光が灯った。悠斗は震える手を伸ばして彩花を掴もうとした。しかし、そんな力は残っておらず、ベッドの脇にだらりと垂れてしまった。「彩花、会いに来てくれたのか?やっぱり俺のこと、まだ好きだったんだな、そうなんだろ?」彩花は椅子を引き寄せて腰を下ろす。そして、かつては深く愛し、今は心底憎んでいる男の顔を、じっと見つめた。しばらくしてから、彩花は口を開いた。その声には、何の感情もこもっていない。「悠斗、あなたがこんなふうに自分を痛めつけて死んだとしても、私は絶対に許さないから」悠斗の目からまた光が消えた。「じゃあ、どうすれば許してくれるんだ?」彩花はカバンからファイルを取り出し、悠斗の前に差し出す。「接近禁止令に関する書類よ。もう、なんの関係も持ちたくないからここにサインしてちょうだい」ファイルの表紙にある「接近禁止令」という文字を見て、悠斗の口元がひくひくと痙攣した。「彩花、俺はどうかしてたんだ。河内の口車に乗せられて……お前と離婚する気なんて、一度もなかった。信じてくれ、一度でいいから!」彩花は立ち上がると、悠斗を見下ろしながら、そっとため息をついた。「信じるとか信じないとか、もうどうでもいいの。だって、あなたが死のうが生きて法の裁きを受けようが、もう私には関係ないことだから」彩花はドアまで歩いて行くと
「私たちの子供?」彩花は思わず吹き出して、嫌悪感あらわに悠斗の手を振り払う。「悠斗、あなたに子供を作る能力があったら、今ごろ私の機嫌をとるような真似をしたのかしら?」彩花は一歩ずつ悠斗に詰め寄り、歯を食いしばったまま、はっきりと言い放った。「あなたは心から後悔してるわけじゃない。ただ怖くなっただけ。自分の欠点のせいで、今持ってるもの全部を失うのが怖いのよ。違う?」隅に追い詰められた悠斗は、足の力が抜けてその場に崩れ落ちた。なんとか立ち上がり、彩花の足元にひざまずくと、涙ながらに謝罪し懇願した。「彩花、俺は本当に間違ってた。これからの人生で必ず埋め合わせをするから。何もかも全部お前にあげる。だから、俺のそばに戻ってきてくれ、な?」彩花は悠斗を見下ろす。かつて自分も、こんなふうに惨めに彼の足元にひざまずいて、お腹の子を助けてと懇願したことを思い出した。でも、結果はどうだった?彩花は手を振り上げ、力いっぱい悠斗の顔に平手打ちを喰らわせた。その勢いで、悠斗の口の端からは血が滲む。「悠斗、よくもまあそんなことが言えるわね。私はあなたと違って、力で真実をねじ曲げたり、人の命を軽んじたりはしない。あなたと河内さんは、法に裁かれるのを待ちなさい」そう言うと、彩花は自分のズボンの裾を掴む悠斗の手を蹴り、振り返りもせず応接室を出て行った。悠斗は絶望して床に崩れ落ちた。スマホからは、まだ泉の泣き叫ぶ声が聞こえている。健二は、かつてあれほど得意げだった松浦グループの社長が、今や見る影もなく落ちぶれた姿を見て、口の端を上げた。「松浦、因果応報ってやつだよ。色恋沙汰の清算は終わったみたいだし、次は俺の長年の恨みを晴らさせてもらうよ」健二は買収に関する書類を悠斗の目の前に投げつけた。「ここにサインすれば、少なくとも路頭に迷うことはない」悠斗は震える手で散らばった書類を拾い上げる。「買収」、「資産再編」といった文字が目に突き刺さる。傍にしゃがんだ秘書が、心配そうに声をかけた。「社長、今ならまだ松浦グループを守れます。ですが、これ以上は……」「ふざけるな!」悠斗は勢いよく立ち上がると、手の中の書類をびりびりに引き裂いた。「守って何になる?松浦家のものじゃない松浦グループに、何の価値があるっていうんだ?」悠斗は振り返り
会社の最重要機密が漏洩したせいで、次々と問題が起きていたため、悠斗は重傷の体を引きずって会社に戻らざるを得なかった。取引先からは契約を打ち切られ、莫大な賠償金を請求された。製造元からは支払いを催促され、契約更新も断られてしまった。悠斗は点滴を打ちながら仕事を片付けており、もう全てがめちゃくちゃだった。データ漏洩の件を調べていた秘書が、ついに彩花に行き着いた。「社長、奥様です。社長のパソコンから会社の機密情報をコピーしたのは奥様だったんです。そして、奥様の背後には……誰かいるようです」実は彩花の仕業だということに、悠斗はとっくに気づいていた。しかし、秘書は彩花の背後に誰かいると言う。いったいそれは誰なんだ?すると、秘書は言いにくそうに口を開いた。「黒崎家の人間です」黒崎家の人間?3年前の熾烈な企業間戦争で、自分の策略によってこの街のビジネス界から追い出された、あの黒崎家か?黒崎家が新港市に追いやられてすぐ、黒崎グループの会長がショックで亡くなったということを、風の噂で聞いていた。そういえば、黒崎家のあの遊び人、健二とかいう男がいた。もしかして、あいつの仕業なのか?だとしても、彩花がどうして健二と一緒に?悠斗は訳が分からないのと同時に、心の奥でじりじりとした痛みを感じた。「彩花の居場所を調べろ。どこに住んで、誰と一緒にいるのか、突き止めるんだ」何度か電話をかけた秘書は、強張った表情で部屋に戻ってきた。「社長、奥様は黒崎家が所有する邸宅に住んでいます。数日前には西山霊園と、裁判所へ行かれたようです」悠斗は眉間に深くしわを寄せる。彩花は本当に健二と一緒にいるのか?しばらく考えた後、悠斗は「車を用意しろ。彩花に会いに行く」と言った。黒崎家の隠れ家のような邸宅へ向かう車の中で、悠斗は緊張で額に汗を浮かべていた。彩花と直接会って、全てをはっきりさせなければならない。そのために、泉を捕まえさせて神社に連れて行かせた。今頃、泉は階段を引きずられながら何往復もしているはずだ。泉に、彩花が受けたのと同じ苦しみと屈辱を味わわせる。そうすることでしか、自分の罪悪感と後悔を和らげることができなかった。車が邸宅の門の外に停まった。悠斗と秘書は警備員に対して30分ほど粘ったが、警備員は頑として通してはくれない。「許
「そんなことしてません!」泉の声はひどく震えていた。「あの夜、社長は酔っていました。それに、すごく力が強かったから、私には突き放せなくて……」「そうか?」悠斗は落ち着いた様子でスマホを取り出す。「あの晩泊まったのは五つ星ホテルだ。監視カメラは完備されているはずだ。もし、ルームサービスが水を届けたあたりの映像を、詳しく調べさせたら……どうなるんだろうな?」「だ、だめです!社長!」泉はもつれるように悠斗の足元に駆け寄り、震える手で悠斗のズボンの裾を固く掴んだ。「私がやりました。社長の水に薬を入れたのは私です。でも、それは愛しているからなんです」泣きじゃくる泉のメイクは崩れ、髪も乱れている。そして、昔の情に訴えかけるかのように、思い出を語り始めた。「私は卒業してすぐにこの会社に入りました。秘書見習いから、社長のそばで働ける今の地位まで、一歩ずつ上ってきたんです。私の青春のすべてを、この会社と、社長に捧げてきました。こんなに、狂おしいほど社長を愛しているのに……社長の目には彩花さんしか映っていなかったんです!」話しながらどんどん興奮してきた泉は、まるで自分がひどい目に遭った被害者であるかのように続ける。「あれが私にとって唯一のチャンスでした。一度だけでも、あなたを手に入れたかったんです」そう言うと泉は突然立ち上がり、なりふり構わず悠斗の胸に飛び込んだ。震える唇で、キスをしようとする。「離れろ!」悠斗は体をかわして力いっぱい泉を突き飛ばした。「汚らわしい!近づくな!」突き飛ばされた泉はよろめきながら数歩後ずさり、再び壁に背中を打ち付けた。痛みに、くぐもったうめき声を上げる。「俺を愛しているだと?河内、お前の仕事ぶりは評価していた。だから昇進させてきたんだ。だが、まさかお前がこんな良からぬことを考えているとは思ってもみなかったよ」良からぬこと?泉は床に突っ伏し、声を上げて泣きじゃくる。悠斗はゆっくりとしゃがみこみ、泉の顎を強く掴んだ。「彩花たちにわざと嫌がらせをするために、例の神主と組んで、999回も階段を登らせるなんてくだらないことを考えたのも、お前だな?」泉の泣き声がぴたりと止まる。悠斗は泉の答えを必要としなかった。なぜならその反応が、何よりの証拠だったから。泉の顎から手を離す。「最後の質問だ」