LOGIN「あのバカっ!……いったい何をやってんだか」龍之介がやって来たあの夜から、まもなく3ヶ月が過ぎようとしていた。「麗香共々、連絡してもまったく捕まらないんだよねぇ……和哉の後の舎弟とはろくに話さないで屋敷を出たから、連絡先知らんし、櫻川も閉まってるんだよなぁ」「気長に、待ってみます」桜も携帯の番号はすでに変わっていて、連絡を取り合う手段がなかった。あの夜、龍之介が来てくれた時の言葉を信じるだけ。でも最近思う。もしかしたらもう、会わない方がいいのかもしれないと。「蔵之介さんは、もう屋敷には入れないんですか?極道さん辞めちゃったから?」「なに美紀ちゃん。俺に偵察に行けってか?」「あんな怖いとこに近づけるの、蔵之介さんだけでしょ?悪いけど……美紀は行かせられないよ?」美紀を引っ込め、昭仁が身を乗り出した。ちょうど来てくれた時間が同じで、美紀と昭仁と同じテーブルに案内した蔵之介が口を尖らせる。「はいはい。近く行ってみますよ。……そんで、いい加減待たせすぎって怒鳴りつけてやる!」そんな言葉に、つい目を伏せてしまう。会いたいのに、会いたくない。このまますべてを忘れてしまえたらいいのに……と、思うようになったから。そこへ、斎藤に抱かれ、龍桜が帰ってきた。「まだ遊ぶ気満々だったんだけど、やたら目をこすってグズりはじめてさ……こりゃ眠いんだなと思って帰ってきた」「それは……お手数かけました」「そんなのいいから!……あ、皆さん、いらっしゃいませ」蔵之介たちが来ていることに気づき、挨拶をしたものの、自分の店じゃなかった、と言って赤面する斎藤。……あの日から、確実に距離は近づいている。麗香さんの妊娠を聞いて、やはり龍之介を忘れなくちゃいけないと思った。泣き出す私に胸を貸し、やがて頬に手をかけ、見つめ合った……けれど、キスはできなかった。もちろん彼も、無理強いする人ではない。でもあの日から、ハッキリと好意を示し、顔を見せてくれる日は確実に増えている。龍之介と2度と会えなくなっても、彼で寂しさを埋めるようなことをしてはいけない。慣れた様子で龍桜を寝かせに行ってくれたけれど……桜は斎藤にも、決意を伝えようとしていた。「斎藤さん、優しいよね。ちゃんとした人だし、最高じゃない?」「もう……美紀ちゃん、その話は無しで!」「俺もそう思うよ?」
「今なんて言ったんだい……龍之介さんよ、」「自分の立場を佐竹に譲って、俺は組織を抜けます。麗香とも別れて」「……はっ!そんなこと、西龍会が許すはずがねぇだろ?」志田川会、と書かれた横型の掛け軸の下で、俺は志田川の組長と向き合って話をしていた。「認めさせます。どんな犠牲を払っても」「冗談じゃないよ……いつの間にか蔵之介も見えなくなってるじゃない。和哉も殺られてその上若頭までいなくなったら、西龍会に残るのは下っ端ばかりだ」「佐竹のことは、組長も目をかけているんじゃないですか?ならばあいつにこれからのことを……」「これからあんたと揉めさせようと思ってたんだよ。そのうえで、やっと勝ち取った若頭の地位じゃなきゃ、意味はねぇよ!」脅しても泣きを入れても、微動だにしない俺に、志田川の組長はだんだん苛立ちを募らせていく。「けじめはつけますんで……お言葉、待ってます」言葉、というのは、西龍会では組織を抜けるために積む金の金額を意味する。昔は指を詰める、など手荒なことをしていたが、現組長の代になって、西龍会でそういったことは行われなくなったと聞く。そもそも、命を落として組織を抜ける者はいても、別の道を行く選択をする者はいなかった。それが……組長の息子自らがそんなことになるとは、皮肉なものだと思う。「……待てやっ!」話は終わったとして、立ち上がる龍之介に慌てて声をかける組長。事務所を出ていかれたら、抜けることを認めても同じ……俺を呼び止めた声には、何の拘束力もないように聞こえたが。「……あんた、惚れてる女がいるそうじゃないの」眉間にシワを寄せ、厳しい視線を向ける俺に手応えを感じたらしい。「麗香とは別れてもいい。そんで!……その女と一緒になれば、なにもここを去る必要はないでしょうが……!」「そのつもりはありません」桜のことは、麗香や組の連中から聞いているのだろうが、多くを語るつもりはない。「麗香には話をつけてありますし、それなりの配慮はするつもりです。……そもそも俺と麗香の結婚で組織は手を組み、楓卿組、龍城組を傘下に入れて、関東最大の組織に成長したはずですよ。……俺は役割をまっとうした」「そうはいっても、中が空洞じゃ……いつバラされるかわかったもんじゃねぇっ!だからあんたの力が……」「お言葉ですが……俺は単なる若頭。現組長お2人の、鉄砲玉に
「……それは、本当ですか?」「あぁ。言うつもりはなかった。だが、ここへ来たときの彼の様子を見て、心配になって」龍之介を龍桜に会わせる事ができた軌跡を思い、幸せに浸っていた数日後、斎藤がやってきて、つらい話を聞くことになった桜。「龍之介さんの車は目立つんだよね。……どうしてかな?高級車だけど、ただの黒い車なのにね?」神妙な様子の桜に、斎藤は少しだけおどけてみせる。そんな気づかいを感じながら……悪い話を予感している桜はうまく笑えない。「2人でいるところを、見ちゃってね」それは、少し前のことだという。「仕事で訪れた場所だったんだけど、車を降りたら目の前に黒塗りの車が停まって、麗香さんと龍之介さんが降りてきた。……すぐ目の前に産婦人科病院があって、2人でそこに入っていったんだ」「それは、麗香さんが……」そうだ……どうしてそんな可能性を想像しなかったんだろう。あれから3年……2つの組を存続させるための政略結婚。子供を望む声が上がるのは自然なこと。それだけじゃない。女性と同じ部屋で眠って……何年も何もないなんて、考えられないことだと聞いたことがある。ふと、自分にしか機能しないと聞いたあの日を思い出した。私は、龍之介さんのあの言葉を信じたかったんだ。現実的ではないのに……もうとっくに治っているかもしれないのに。自分が、ひどく滑稽に思えた。「麗香さん、とても嬉しそうな笑顔だった。それとなくお腹に手を当てて。まだ全然大きなお腹ではなかったけど、もしかしたら定期検診に龍之介さんが付き添ったのかな、って思ったよ」目の前がゆらりと波打って見える……波打ち際に立っているかのように、足を取られる感覚にぐらついた。「……大丈夫?桜ちゃん、変な話をして悪かったね。でも、見過ごせなかった」桜に手を貸し、椅子に座らせる斎藤。「もう店じまいの時間だよね?」斎藤は手慣れた様子で看板をしまい、店先の明かりを消し、ドアの鍵をかけてくれた。いつもなら、人さまにそんなことさせないのに……けれどこの時は、自分でやる、と言えないほどショックを受けていた。ありがとうの言葉も出ないほどに。「美紀ちゃんは、泊まって行くのかな?」「……はい。今、龍桜をお風呂に入れてくれてるので」斎藤はホッとしたように息を吐き出し、桜の様子を伺う。そして決心したように、話を戻した。「
「……やぁ、めずらしいお客さんだね」あくまでも冷静に、静かに、感情を乗せないよう言ったつもりだろう。だが、俺にはわかる。斎藤がキスをしている俺たちを見て、何を思ったのか。「蔵之介に、桜がカフェを開いたって聞きましてね。……そして俺の子供を産んだとも」「そうですか。龍桜くんは桜さんが愛情深く育てているから心配ありませんよ。……僕もここへは日を置かずに来るようにしてますし」「日を置かずに?……それは、世話になりましたね」火花が見えるようなやり取りだ。初めて会った時の柔らかい印象を残しながら、3年という年月が斎藤を強くしたように感じる。それがもし、年月を重ねた強さだけではないとしたら、面白くない。……例えば、俺と別れて身重だった桜をここまで支えてきた自信、のような。「……これからはそんな気遣いは不要ですから」俺が桜を助け、龍桜を育てる。……当たり前のことだ。子供という強い繋がりを、桜は生み出す決意をしたのだから。「そう、ですか?」「ええ。斎藤さんが次にここへ来たら、俺がエプロンをして迎えるかもしれません」「エプロンって……」それがどういうことかは、わかったようだ。「桜、戸締まりをしっかりして、店の明かりは落とせよ」「あ、はい」窓のひとつひとつを確認してまわる俺に、龍桜を抱いた桜もそばに来た。戸締まりをチェックし終えると、斎藤がいるのも構わず店内の明かりを消す。「それじゃ、僕はこれで。桜ちゃん、龍桜……またね」「はい。……すみません、せっかく来てくれたのに」「いいんだ。じゃあ、いつものように」桜は頭を下げながら斎藤をドアの外に出し、鍵をかける。そしてすぐ隣の窓を覗くと斎藤の姿……窓越しに手を触り合って、斎藤はやっと背を向けた。安全のためなのだろうが、2人の様子が気に入らねぇ……「部屋の中は、来週見せてくれよ」「はい……待ってます」また、置いていかなければならない切なさよ……1人増えた愛しい存在を抱きしめ、俺は将暉と共に桜の住まいをあとにした。「佐竹が龍城の組長を締め上げて、その後どうしたらいいかって……」屋敷に戻ったとたん、麗香が走り寄ってくる。「傘下に入れるに決まってんだろ」「だって、勝手にそんな話をすすめられないでしょ?」麗香に腕を取られた瞬間、龍之介は立ち止まった。「麗香、話がある」「……なによ、帰
どんな風に思われるか不安はあるが、龍桜を隠すようなことはしたくない。「あの、良かったら……将暉さんも、」中へどうぞと言おうとした桜。遮って口を開いた龍之介からの、意外な言葉に驚いた。「桜……結婚、したのか?」「え……?」言ってから後悔したのか、龍之介は複雑そうな表情で下を向いた。「さっき、斎藤さんが子供を抱いて出てきたのを見た。……可愛い子だな、桜に似て」痛々しいほどの作り笑い。龍之介さんがこんな風にぎごちなく笑おうと頑張るなんて……意外だ。「だから、その……俺はもう、これで帰るわ」「……ちょっと待ってください!」行きかけた龍之介の腕を取った瞬間、桜の瞳に涙がにじむ。龍桜と会ってもらえるのが……たまらなく嬉しい。「中へどうぞ。将暉さんも一緒に」「いいのか……」「もちろんです。それと私、斎藤さんと結婚してません。誰ともしてません。でも……」話しながらグイグイ引っ張って、店内に招き入れると……待っていたように、龍桜がそこに立っていた。「……お母さんには、なりました」「お母さんって、」龍桜と桜を交互に見つめる龍之介。やがて……気づいた。「まさか……この子は、俺の?」「そうです。龍之介さんの息子です……名前は、キャ…っ!」大きな花束を抱えているというのに、龍之介は構わず桜を抱き上げる。その勢いで飛んでいった花束を、将暉がうまくキャッチした。「俺の子……俺の子か……!」唖然と見つめる龍桜も同時に抱き上げ、すくそばで2人を見た桜は思わず口元を両手で覆った。「やっぱり龍桜……似てる。目元が龍之介さんにそっくり……」「口元は桜か?……龍桜?ちょっと口をひん曲げてみな?」「ひま、げ?」よくわからないながら、口元をいじって曲げてみせる龍桜。「やっぱり…悪そうに笑うと俺に似てる!ちゃんと笑うと、桜にそっくりだ……!」ぎゅっと抱きしめる腕が、かすかに震えている気がする。……まさか、龍之介さんが泣いてる?見ると、将暉がこちらに背を向けていた。涙を拭っているように見えるのは、気のせいか。「……ひ、1人で、出産なんて、……不安だったろ?そばに、いてやれなくて……」「龍之介さん、」自分の胸に、龍之介の頭を抱く。胸元に吸い込まれる涙が、自分の中にたまるといいと思う。この人の悲しみは、自分が引き受けたい。「私は、1人で産む
「あ、ごめんね、今行くね!」龍桜の手を取り、店の中に戻った。……もしかしたら木の陰で、猫が子供でも産んでたりして。あとで物音がしたあたりを確認することにして、桜はカフェの仕事に戻った。「真理さん……お手伝いありがとうございます!ランチ、食べてください!」忙しい時間が一段落して、洗い物をしてくれている真理に声をかけた。「今日のランチも美味しそうだったね!煮込みハンバーグとチキンソテー、ミニサラダと煮物と……なんだっけコレ?」「自家製の切り干し大根です。めっちゃ和洋折衷なランチですけど、得意な料理が田舎っぽいものばかりで……」「そこがいいんだと思う……手作りパンも美味しいけど、炊き込みご飯とかサイコーだもん!」「今度はピザにも挑戦するので……また味を確かめに来てくださいね?!」少しだけ寂しそうな表情になった真理は、この後仕事で海外に行くことになっている。「帰国はいつ頃になるのか、わからないんですか?」「うん、決めてないの。……私がいなくなったら、無理のない範囲で斎藤さんの活動を応援してあげて?」「はい。お世話になってるし、それはもちろん」キッチンの奥に作った休憩スペースで、龍桜はそろそろサンドイッチを食べ終えようとしている。同じテーブルに、真理のランチをセットした。「でも、蔵之介さんのことは……いいんですか?」「いっぱい、考えたんだけどね……」何か言いたいことがありそうで、桜はじっと真理を見つめ、次の言葉を待った。するとドアが開き、カラン…と鈴を鳴らす。「あ……斎藤さん!いらっしゃいませ」「こんにちは!駅前のスーパーに龍桜が好きなキャラクターが来てるよ?」「……え?」驚く桜の後ろから、素早く姿を見せる龍桜。斎藤を見て、その小さな手を伸ばした。「ちょっと連れてっていい?」「はい、ご迷惑じゃなければ……」斎藤は慣れた様子で龍桜を抱き上げ、一緒になって「ヤッターっ!」と言いながら、外へ出て行った。「……斎藤さん、大真面目だなぁ」ランチを頬張りながら、真理が言う。「何がですか……」「またっ!桜ちゃんもわかってるくせに!」「私は、まだ全然……」龍之介さんを忘れられない。「それより、真理さんはどうなんですか?蔵之介さんのこと置いて海外に無期限で行っちゃうなんて、ショックで寝込んでるんじゃないですか?」「……蔵之介な