تسجيل الدخولチャイムが鳴り、校舎に放課後の空気が広がる。
授業を終えた生徒たちの声が、廊下を賑やかに満たしていく。 部室の窓を開けると、遠くから生徒たちの話し声がかすかに聞こえ、グラウンドで運動部が声を上げていた。 穏やかな陽射しが差し込むこの部室に――「死」と「嘘」にまみれた事件が舞い込んでくるとは、この瞬間まで、誰も予想しておらず、俺たちはまだ平穏の中にいた。 ――そのはずだった。 陽が傾き始めた部室で、俺たちは他愛もない会話を続けていた。 陸はホワイトボードにいたずら書きをし、澪は無言でタブレットを操作し続ける。 コンコン――不意に部室の扉を叩く音が響いた。 「珍しいな、こんな時間に訪問者か?」 陸が言い、俺が「どうぞ」と声をかける。 ゆっくりと扉が開き、そこに現れたのは、まだ着慣れていない様子の制服姿――胸元には、この学校で一年生を示す明るいグレーのネクタイが揺れていた。 三年生は濃紺、二年生はエンジと、学年ごとにネクタイの色が分けられているなかで、彼女のそれは明らかに見慣れない色だった。 「失礼します……」 澪と同じくらいの背丈の少女は、セミロングの黒髪が肩にかかり、整った制服を着ていた。乱れひとつない身なり。けれど、第一印象は自信のなさだった。どこか不安げに縮こまった立ち姿、内に入り気味の肩。そして、目元にはわずかな影。疲れているのがわかった。 目の下には薄くくまが浮かび、声はどこか震えている。その表情には怯えの色が混じりつつも、どこかに決意のようなものが宿っていた。 今にも崩れそうな儚さと、それでも踏みとどまろうとする意志――その矛盾が、彼女という存在の輪郭を際立たせていた。 「ご用件は?」 俺が声をかけると、少女は深く頭を下げた。 「一年の……佐倉優衣(さくら ゆい)です。お願いがあって……ここに来ました」 その名前に、澪の指が止まる。 「佐倉……?」 陸も眉をひそめた。 「君は……佐倉美月先輩の妹か?」 佐倉は静かに頷き、鞄から一冊のノートを取り出した。 「姉の死の真相を……調べてください」 その言葉に、部室の空気が一変する。 陸そして澪も、一瞬だけ動きを止めた。俺は佐倉の震える声を聞きながら、頭の奥であの日のことを思い出していた。 ——桐ヶ丘学園に、重たいニュースが駆け巡ったのは、ちょうど先月のことだ。 三年生の佐倉美月(さくら みつき)が、校舎の屋上から飛び降りて死亡――朝のHRで担任がその事実を告げた時、教室は凍りついたような静寂に包まれた。 (なんで……佐倉先輩が……?) 誰もがそう思った。 佐倉先輩は、成績優秀で、誰からも信頼されている優等生だったからだ。 真面目で誠実で誰にでも優しかったらしい。 少なくとも、死を選ぶような人には見えなかった。 校内にはすぐに噂が広がった。 「実は悩みを抱えてたんじゃないか」 「家庭の問題らしい」 「いや、恋愛絡みだって聞いた」 「友人関係のトラブルもあったらしい」 ――根拠のない憶測ばかりが飛び交い、気づけば、誰もが自殺として受け入れ始めていた。 屋上には争った形跡もなく、遺書も見つからず。ただ、本人の意志によるものと片付けられた。警察も、あっさりと事件性なしと判断したらしい。 だが、俺はずっと引っかかっていた。あの日、偶然耳にした教師たちの会話。 「……あの子、事件当日の、朝早くに学校へ来ていたらしいぞ」 「でも、当日は授業を休んでたんだろ?」 「防犯カメラにも映ってないんだってさ」 「まぁ、これ以上は詮索するなってさ」 妙に歯切れの悪いそのやり取りが、ずっと頭の片隅に残っていた。 (本当に、ただの自殺なのか?) そう思ったところで、俺にできることなんてなかった。 事件は、終わったことにされていったのだから。 そう思っていた――「……君のお姉さんは、佐倉美月先輩だったかな? 三年の……先月、自殺したって……」 俺の声は、少しだけ固くなっていた。佐倉は首を振る。 「違います。姉は自殺なんかしてません。誰かに殺されたんです」 その瞳には、確信に満ちた光が宿っていた。 沈黙が落ちる中、陸が慎重に口を開く。 「警察は、事件性なしって判断したんだろ? 屋上からの飛び降り……状況証拠も揃ってたって」 「……そうです。でも、おかしいんです。姉は最後の一週間、別人みたいに無口で……スマホの中身は全部消されていました。それに……屋上に行けるはずがないんです。鍵が必要なのに……」 澪が冷静に問いかける。 「お姉さんは鍵を持っていなかった?」 佐倉は、小さく頷いた。 「姉は……鍵を持っていませんでした……だけど屋上の鍵は空いていたんです……」 「佐倉さん……」 続きを言いかけたとき、彼女が静かに口を開いた。 「……あの、わたしのほうが後輩なので、呼び捨てで構いません」 言い切る声は小さかったが、どこかはっきりしていた。 彼女の性格が、少しだけ見えた気がした。 「わかった、改めて——佐倉、そのことを……他に知っている人間は?」 俺が慎重に問いかけると、佐倉はわずかに首を傾け、考えるように視線を落とし答える。 「他には……誰にも伝えていません。知っているのは、警察の方と……私たち家族だけだと思います」 その言葉に俺は小さく頷いた。 「……なるほど」 彼女は机の上にノートをそっと置く。 「これが、家にあった姉のノートです。最後のページに、これが……」 俺たちは身を乗り出して覗き込む。 そこには、震えるような文字でこう書かれていた。 ——『知恵を絡め取る蒼き影。その牙の奥に、扉を開く手がかりは眠る。』——。 陸がノートを覗き込み、頭をかきながら視線を彷徨わせる。 「……これ、暗号なのか?」 疑念と興味が入り混じった声だった。 「あるいは、何かの隠し場所を示すサインかもね」 澪はタブレットを操作しながら返す。 「どちらにせよ、普通のメモじゃないことは確か……」 「いやいや、そもそも俺たちに依頼するレベルの話か?」 陸が顔を上げ、佐倉に視線を向ける。 「これがマジで殺人絡みなら、警察案件じゃね?」 その言葉に、佐倉
チャイムが鳴り、校舎に放課後の空気が広がる。 授業を終えた生徒たちの声が、廊下を賑やかに満たしていく。 部室の窓を開けると、遠くから生徒たちの話し声がかすかに聞こえ、グラウンドで運動部が声を上げていた。 穏やかな陽射しが差し込むこの部室に――「死」と「嘘」にまみれた事件が舞い込んでくるとは、この瞬間まで、誰も予想しておらず、俺たちはまだ平穏の中にいた。 ――そのはずだった。 陽が傾き始めた部室で、俺たちは他愛もない会話を続けていた。 陸はホワイトボードにいたずら書きをし、澪は無言でタブレットを操作し続ける。 コンコン――不意に部室の扉を叩く音が響いた。 「珍しいな、こんな時間に訪問者か?」 陸が言い、俺が「どうぞ」と声をかける。 ゆっくりと扉が開き、そこに現れたのは、まだ着慣れていない様子の制服姿――胸元には、この学校で一年生を示す明るいグレーのネクタイが揺れていた。 三年生は濃紺、二年生はエンジと、学年ごとにネクタイの色が分けられているなかで、彼女のそれは明らかに見慣れない色だった。 「失礼します……」 澪と同じくらいの背丈の少女は、セミロングの黒髪が肩にかかり、整った制服を着ていた。乱れひとつない身なり。けれど、第一印象は自信のなさだった。どこか不安げに縮こまった立ち姿、内に入り気味の肩。そして、目元にはわずかな影。疲れているのがわかった。 目の下には薄くくまが浮かび、声はどこか震えている。その表情には怯えの色が混じりつつも、どこかに決意のようなものが宿っていた。 今にも崩れそうな儚さと、それでも踏みとどまろうとする意志――その矛盾が、彼女という存在の輪郭を際立たせていた。 「ご用件は?」 俺が声をかけると、少女は深く頭を下げた。 「一年の……佐倉優衣(さくら ゆい)です。お願いがあって……ここに来ました」 その名前に、澪の指が止まる。 「佐倉……?」 陸も眉をひそめた。 「君は……佐倉美月先輩の妹か?」 佐倉は静かに頷き、鞄から一冊のノートを取り出した。 「姉の死の真相を……調べてください」 その言葉に、部室の空気が一変する。 陸そして澪も、一瞬だけ動きを止めた。俺は佐倉の震える声を聞きながら、頭の奥であの日のことを思い出していた。 ——桐ヶ丘学園に、重たいニュー
桐ヶ丘――。 山と川に囲まれたこの街は、静かで穏やかな地方都市だ。駅前には昔ながらの商店街と、少し場違いなほど立派な図書館。休日になれば、子供たちの笑い声と、年配の人たち の世間話がそこかしこで聞こえる。 便利すぎるわけじゃないが、不便でもない。そんな、よくある住みやすい街。 けれど、この街には一つだけ特別があった。 ――桐ヶ丘学園。 桐ヶ丘学園は、長い歴史と伝統を誇る、落ち着いた学び舎だ。その入学は非常に狭き門で、全国から優秀な生徒が集まる難関校として知られている。ここに合格するだけでも称賛の対象となり、卒業すれば桐ヶ丘ブランドとして社会的な評価を得られる――そんな学校である。整備された校舎には、現代的な設備と歴史的な趣が調和しており、生徒たちはその環境の中で、のびのびと日々を過ごしている。 教師と生徒会は、互いに信頼と責任を持って学園を支え合う存在だ。生徒会が行う自治活動も活発で、教師陣との連携は良好そのもの。生徒の手でより良い学園を作るという理念が、しっかりと根付いている。 旧校舎や理科室のように、⻑い歴史を感じさせる場所も点在しているが、それもまた、この学園の⼀つの魅力として生徒たちに親しまれていた。 穏やかな時間が流れ、誰もが当たり前のように平穏を享受している――。ここには、不安や恐れなど存在しない。 桐ヶ丘学園は、誰もが口を揃えて居心地の良い学校だと言うだろう。少なくとも、表向きは。 ――推理部。 この閉ざされた世界の中で、俺たちだけが自由に真実を追いかける部活。 くだらない噂も、誰かが隠した秘密も、時には教師の不祥事すらも――俺たちの前では隠し通せない。 そんな日々の中で、あの事件が始まった。 六月の風が、湿り気を帯びて肌にまとわりつく昼下がり。桐ヶ丘学園は、どこにでもある普通の高校に見えていた。 チャイムが鳴り響き、昼休みの喧騒が一気に広がっていく。廊下には生徒たちの笑い声、購買のパンを巡る小競り合い――どこにでもある普通の高校の風景だ。 そんな日常の中、俺――朝倉悠真(あさくら ゆうま)は鞄を肩に引っかけながら歩いていた。 桐ヶ丘学園二年生。 そして、この学園でも少し風変わりな存在、「推理部」の部長をしている。 校則違反の調査依頼から、教師の失せ物探しまで――探偵ごっことも
五月九日、火曜日、夜の校舎。 静まり返った廊下を、少女の影がひとつ、ふらつくように歩いていた。 その手には、屋上の鍵。制服の袖は乱れ、足取りは重い。 まるで誰かに追い詰められたかのように、彼女はただ前へ進むしかなかった。 扉の前で立ち止まり、震える手で鍵を差し込む。 カチリ——と乾いた音が響いた。 *** 佐倉美月の瞳には、既に生気はなかった。屋上の冷たい風が、無言で彼女を迎える。 美月はゆっくりと縁へ向かうが、その背中には、まるで見えない誰かの影が重なっているようだった。 美月は足を止めた。 そして、わずかに振り返る――誰もいないはずの暗闇を、恐れるように見つめる。 その視線は、確かに誰かを意識していた。 次の瞬間、風に押されるように、一歩、前へ。 静寂の中、制服の裾がふわりと舞い上がり、少女の姿は闇に消えた。 *** 屋上の静寂を破ることなく、夜はそのまま更けていく。 だが、校舎の離れた場所では、一つのスマホの画面がぼんやりと光っていた。 そこに表示されていたのは、短いメッセージ。 ——『終わらせます』——。 画面の送り主の名前は表示されていない。 ただ、メッセージを見つめる人物は、ゆっくりと満足げに頷く。 その指先が、もう一つのメッセージを開いた。 ——『これで問題ありませんよね?』——。 その言葉に、誰ともなく小さく笑う声が漏れる。 まるで、すべてが計画通りに進んだことを確認するかのように。 やがて、スマホの画面は消え、闇に溶けていった。 誰が、誰に報告していたのか。 その答えは、まだ誰にも分からない。 ただ一つ確かなのは——。 この夜、佐倉美月が命を落としたという事実だけだった——。 この夜、桐ヶ丘学園は、ひどく静かだった。 わずかに吹き込む風の音と、遠くで軋む窓枠の音だけが響いていた。 そんな静寂の中——。 二つの影が、ゆっくりと校舎を後にする。 一つは、規則正しい足音を響かせながら、迷いのない歩みで進む。 その背中からは、既に終わったことへの満足すら漂っていた。 まるで、全てが予定通りに運んだと言わんばかりに。 もう一つは、足音を殺すように、息を潜めながら進む。 顔を上げたその瞳には、消しきれない痕跡が