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歩きスマホは即死刑
歩きスマホは即死刑
Author: Amy

1話

Author: Amy
last update publish date: 2026-09-04 14:08:57

「歩きスマホは即死刑?」

店の外から飛び込んだ声に、六車食堂の箸がいっせいに止まった。

僕――神崎遼(かんざき りょう)は、奥の席で壁を背にしていた。向かいの佐伯翔(さえき しょう)は鯖のみそ煮を崩しながら、入口脇のテレビを見ていた。

東央大学の南門を出てすぐ、細い路地の角にある古い食堂だ。油染みの残る壁に沿って4人掛けのテーブルが6卓並び、夕方は学生と会社員で埋まる。

店主は厨房から顔を出し、カウンターの会社員も箸を止めていた。野球の試合が中断されたことに文句を言う人はいなかった。

数分前、2039年4月27日の18時。野球中継が切れ、紺のスーツを着た鷹宮宗一(たかみや そういち)首相が映った。

【首相緊急会見 国民の生命に関わる重要発表】

「歩行中のスマートフォン操作による死傷事故は、看過できない水準に達しました」

背後の画面に、スマートフォンを見た歩行者が女性へぶつかる映像と、雨の歩道で自転車が転倒する映像が流れた。どちらも、その後は映さなかった。

次は通学路だった。赤い帽子が子どもの頭から外れ、車道へ転がる。画面は、帽子が白線を越えたところで切れた。

【昨年の死者 82人・重傷者 2,400人】

【年間推計損失 1兆8,000億円】

集計方法も、「損失」に何を含めたのかも示されなかった。

「政府は本日、歩行中携帯端末危険行為緊急措置特別法案を閣議決定しました。国会の審議を経て、明日公布、6月1日に施行する予定です」

首相は、停止命令に従わず周囲の生命へ急迫した危険を生じさせた者には、AI巡視機が即時制止を行うと説明した。

「即時危険制止とは、武器の使用を含みますか」

「含みます」

厨房で皿が割れた。その直後、店の外から「歩きスマホは即死刑?」という声が飛び込んだのだ。

「停止命令に従わない歩行者を、AIがその場で撃つ可能性があるということですか」

首相は質問を言い換えなかった。

「周囲の生命を守るため、必要な範囲で制止します」

いつ国会で審議するのか、誰が危険を判断するのか。記者の声が重なったが、司会者は次の質問者を指さなかった。

「明日公布って、いつ審議するんだよ」

翔は笑ったが、僕は笑えなかった。

10分もたたず、ネット記事が出た。

【歩きスマホは即死刑?政府、AI巡視機の武器使用を認める】

「これ、本気でやるってことだよな」

「今の説明どおりなら、6月1日からだ」

「歩いてる間だけ、しまえばいいのか」

翔はスマートフォンをポケットへ入れた。僕にも一瞬、簡単な規則に見えた。

テレビの下へ新しい文字が流れた。

【本日19時、東央大学前でAI巡視機の公開実演】

僕らは食べかけの定食を片づけ、大学前へ向かった。

交差点は白い規制柵で囲まれ、報道カメラと学生が歩道を埋めていた。僕と翔は南西角の規制線の外側に立った。

少しでも実演を見ようと、何本もの腕がスマートフォンを頭上へ掲げている。歩きスマホを禁じる制度の実演を、全員がスマートフォン越しに見ようとしていた。

頭上から、空気を細かく切る低い羽音が降りてきた。灰色の機体が街路灯より低い位置で止まる。下面には半球形のカメラと黒い筒が並んでいた。

四つの回転翼を含めると、幅は1メートルを少し超える。黒い筒は短く、遠目にはセンサーにも見えた。銃だと説明されなければ、通り過ぎていたかもしれない。

「あれが銃?」

「たぶん。発射部は隠してる」

僕は研究室の旧型業務用カメラを構えた。街頭スクリーンのちらつきを測る課題に使う、今どき珍しいほど重い機材だった。

黄色いベストの実演役が、スマートフォンを見ながら横断歩道へ出た。

巡視機の黒い筒が、彼の胸を追う。液晶を拡大すると、針先ほどの赤い点が胸元を横切っていた。

巡視機は、まだ警告していない。

次の瞬間、電子音が鳴った。

【停止してください。スマートフォンをしまってください】

職員が従うと、白い誘導光が安全区画まで伸びた。観客から拍手が起きる。

最前列の人が手を叩くと、後ろの学生たちも周囲を見てから拍手を始めた。

「警告に従うだけで、市民を安全な場所まで誘導します」

担当者は白い誘導光を指したが、赤い照準には触れなかった。報道カメラも、安全区画へ移動した職員だけを追っていた。

僕は映像をコマ送りにした。赤い点が胸を横切ったのは、警告より約1秒早い。

「翔、見た?」

「ちゃんと止まったじゃん」

「その前に狙ってた」

再生画面を見た翔の笑いが消えた。

係員が柵を動かし、僕らは後ろへ下がった。大型スクリーンから実演映像が消え、笑顔の親子へ切り替わる。

【見上げれば、安全な未来】

その下を、東央区のロゴが入ったトラックが大学の搬入口へ入っていった。

僕は車列を追った。

「遼、どこ行くんだよ」

「見てくる。先に帰ってて」

半分開いたシャッターの奥で、作業員が細長い箱から薄い黒色のパネルを出していた。表面には滑り止め、縁には路面固定用の金具がある。

まだ電源はつながっていない。真っ黒な表面に、天井灯だけが油膜のような虹色を浮かべていた。

梱包ラベルへカメラを向けた。

【光都ディスプレイ 東央区シティレイヤー計画・第1期】

【製造年月 2038年11月】

法案の発表より5か月も前だった。

今日決まった制度のための設備が、去年の秋に作られている。将来の需要を見込んだだけなのか、それとも今日の発表を知っていたのか。ラベルだけでは決められなかった。

「学生さん、そこ立入禁止」

作業員に呼ばれ、僕は立ち上がった。若い作業員が、小声で「倉庫には冬からあった」と教えた。

奥から年配の作業員に呼ばれ、彼は口を閉じた。台車の車輪が床の継ぎ目を越え、黒いパネル同士が鈍くぶつかった。

通りへ戻ると、公開実演を終えた人々が駅へ流れていた。

別の画面には会見直後の投票が出ていた。

【特別法を支持しますか 賛成73%】

誰が、いつ、何人に聞いた数字なのかはない。

女性リポーターにマイクを向けられた父親が、子どもの肩を抱きながら答えた。

「危ないときに巡視機が止めて、安全な場所まで誘導してくれるなら安心です」

隣では大学生が笑った。

「本当に撃つわけないって。ただの抑止力ですよ」

周囲の学生も笑ったが、その声はすぐ人の波に消えた。

母から着信があった。僕は人の流れを外れ、歩道の端で止まってから応答した。

「ニュース見た? 大学の前でしょう」

「実演も見た。法案より前に作られたパネルが運び込まれてる」

数秒の間、電話の向こうのテレビだけが聞こえた。

「でも、それだけじゃ何も分からないでしょう。危ない人を止める法律なんだから、遼が首を突っ込むことじゃないよ」

通りを行く人々は、もうスマートフォンをしまい、顔を上げていた。安全になったというより、監視されているときの振る舞いを覚え始めているように見えた。

電話を切ると、別の街頭画面で賛成率が67%と出ていた。数歩進んだ先では73%。更新時刻も母数もなく、同じ夜の街で数字だけが食い違っていた。

翔からメッセージが届いた。

【俺は先に帰る。遅くなるなよ】

僕は【わかった】と返した。

顔を上げると、実演を終えたはずの巡視機が搬入口の上空にいた。黒い筒がこちらを向き、赤い点が僕の胸を横切って消える。

僕はスマートフォンを持ったまま、歩道の端から動いていなかった。それでも機体は僕を狙い、何の警告も出さずに上昇した。

街頭スクリーンが切り替わった。

【施行まで35日】

法案は、まだ国会で審議すらされていない。

それでも街は、施行までの日数を数え始めていた。

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