ANMELDEN「鈴原さん、体調はどうかな?あまり無理をせずに、いつでもリモートに切り替えていいからね」伊藤課長が蓮と大きく違うのは、常にソツなく優しいところ。「はい、ありがとうございます」常識的で部下の様子をまんべんなく見ていて、クールで非常識だった蓮とは大違いだ。栗田のときにやらかしたので、左手薬指はソッコーで確認済み。キラッと輝くリングはまだ新しいようだ。凛花はため息をつきながらも、声をかけられて染まる頬を隠せずにいた。「……バーベキュー歓迎会?」「うん。伊藤課長、あんまりお酒を飲まないらしいんだけど、アウトドアとかキャンプが好きみたいでさ、そういう歓迎会なら喜んでくれると思って」話を持ってきたのは鮫島くん。彼の記憶にはもうないけれど、似たようなシチュエーションを思い出した。「参加……しようかな」「そう?良かった!」日にちの希望を聞かれ、あとで集計して決定すると伝えられた。つい、手伝おうか……なんて言いたくなるけれど、あの時のことを思い出してつらくなりそうなのでやめておいた。それに私は彼をフッたようだし、ここはあまり手を出せないでおこう……やがてアンケート結果が発表され、2週間後の週末、バーベキュー歓迎会が開催された。数人が出してくれた車に分乗し、凛花は乗せてくれた女性の先輩にお礼を言いながら車を降りた。全員が到着するまで女子社員たちと周辺を散策する。……こういう形で部署の人たちに会うのは初めてだ。ここしばらく体調も良く、会場になった河原近くのバーベキュー場は、空気も景色も素晴らしい。「……あれ?」先輩女性社員の牟田さんが、あらぬ方を見て声を上げた。「ん?どうかしましたか?」「いや……この辺って、野良犬とかいるのかしらね?」「野良犬……」実はずっと気になっていた。栗田に迫られて、絶体絶命のピンチの時現れた、白く浮かび上がる狼のこと。野良犬、と聞いてちょっと思い出してしまった。「なんかね、モフモフっとしたのがいたのよ。犬にしてはちょっと大きかったかなぁ……」「え、ちょっとやめてくださいよ!まさか熊?東京でもここまで奥だと、熊の出没ありますよ確か……」後輩社員の恵美ちゃんが、携帯を取り出して何やら調べ始めた。「熊ほど大きくはない。……イノシシかなぁ」「うん、熊はこの辺には出てないみたいです。イノシシの可能性高いです
「え……っ?狼?」夜の暗闇に、ぼうっと浮かび上がる、犬にしては大きい生き物。それはまるで意思を持っているかのように、じっと凛花を見上げた。「なんか……変な感触があった気がするけど……君の髪の毛かな」顔や服をパタパタとはたき、改めて凛花に向かってくる栗田。まさか……この生き物が見えていないの?「じゃあ、どうする?そこに、休憩できるところがあるけど」腕をつかまれ、あっという間に肩を抱かれてしまった。指さす方向には、HOTEL……の文字。「こんな郊外の小さな駅にさぁ……ラブホがあるなんて気が利いてるよね?」「え……っ、ちょっと」行くなんて言っていないのに、HOTELと書かれた看板を目指し、歩き出そうとする。「なに?今さら行かないとか言わないでよ?」「いや、行きませんよ。だって……」どうして食事中に気づかなかったんだろう……ふと髪をかきあげた栗田の指に、光るものを見つけてしまった。「先生、既婚者じゃないですか?!こんな事して、奥さん裏切っちゃいけませんよ!」「またまた……今気づいたフリしちゃって!たまにいるんだよね。既婚者が好きな女の子って。やっぱり人のものに手を出す背徳感?罪の意識?……たまらんでしょ?わかるよ〜」やり取りをじっと見つめていた狼らしき動物が、低く唸り声をあげた。栗田には、その姿も声も聞こえないらしいが……凛花の拒否にひるまない栗田をじっと睨んでいる。「と、とにかく帰りましょう」HOTELとは反対方向に栗田を引っ張っていこうとして、その反動を利用するかのように、栗田は凛花を抱きしめてしまう。「俺、人より弱いんだよねぇ……若い子の誘惑に!」「誘惑じゃないです!拒否してます!不倫はダメです!私はもう帰りたいんですっ!」「夕飯食べさせてやったのに……冗談じゃないよ?」ご飯は自分でお金を払って食べたのだ!そう言いたいが、離れるほうが先だっ!……さっきから股間のあたりに硬い感触を感じて、気持ち悪くて仕方がない……!「……やめっ……てっ!」渾身の力で胸を押したその時だ。幻想的に白く浮かび上がる狼が、背後から栗田に飛びかかった。凛花に胸を押されていたのも相まって、そのまま後ろに倒れてしまう。ガルル……ッと低い唸り声が響かせながら、栗田の胸元に両前足を置いている。そして凛花の方を向いた狼は、ひと声大きく吠えた。それは
「僕が……蓮さん、という人に似ていると?」「はい。本当は、あなたは……」「僕は栗田光輝。その……神西蓮さんという方は、存じ上げないんですよ」……そうですよね。課長としての研修が終わって、今度は心療内科医として過ごすミッションに移ったのかと思った。我ながらすごい妄想だ。それに、さっきから注意深く探しているが、この栗田という医師、背中にカマが見当たらない。……ということは、きっと何の問題もなく人間の医者だ。顔はこんなに似ているのに……凛花を観察し、診察をすすめる栗田医師。ため息の次に涙をこぼす凛花に驚いたようだ。「すいません、こんな……泣いても仕方ないってわかってるんですが」「いえ、泣けるだけいいと思いますよ?感情は素直に表しましょう」「はい……」ポケットからハンカチを出し、目元にあてがう凛花。けれどその涙は止まることなく、逆に嗚咽まで漏れてしまう。じっとその様子を見ていた医師は、思い切ったように言う。「……もし、その彼に会えたら、あなたは自分がどうなると思いますか?」会えたら……栗田医師には当然すべては伝えていない。ただ、心から愛した男性と急に会えなくなった消失感がひどくて、社会に適応できなくなったと言っただけ。会えたら……なんて。その可能性の低さを思って、また涙が溢れてくる。「わかりません……でも、もし彼に会えたら」まっすぐ栗田医師を見つめて言った。「抱きしめてください。そしてもう一度、キスをしてほしい……」崩れ落ちる凛花に手を貸しながら、栗田医師は耳元で小さくつぶやいた。「僕で代用してみますか……」看護師や、他のスタッフに聞かれないための小さな声……凛花は迷わず「はい」と答えた。診察の最後に次回の予約を取り、ファイルを返されたのはいつものこと。……今日はファイルを受け取った手に栗田医師の手が重なった。紙の感触……医師からのメッセージだと直感した。不謹慎にも、ドキドキと胸は高鳴った。蓮にそっくりの男性は、心が弱っている凛花には蓮にしか見えない。「……え、これから出かけるの?」「うん。あの……会社の人が、食事に誘ってくれて」「そっか……暗くなってからの外出って、栗田先生は大丈夫だって?」「うん……」その栗田先生と会うために出かけるのだが……父には言えなかった。自分を蓮の代わりにする、という栗田
思い立って病院へ行った。父の勤め先で、今は入院している病院だ。病室がある3階へ行き、ナースステーションへ顔を出すと、不思議そうな表情を浮かべた看護師が対応に来てくれる。「あら……鈴原さんのお嬢さんですよね」「はい、ちょっと父の病室へ行っても……」「え、鈴原先生ですか?」不思議そうな顔をされ、嫌な予感がした。「今日は夜勤なので、この時間、お家にいらっしゃると思うんですけど……」やっぱり父が倒れたことも、なかったことになっている。けれど過労と心臓の疾患がなかったことになるなら……凛花はこんな状況になって初めてホッとした。「……なんだ凛花、ずいぶん早いね」「お父さん……」ちゃんと家にいてくれてホッっとした。「もう何ともないの?」「何が……?」なんの話だ?……と聞きたいような顔。そこでハッキリ聞いてみることにした。「前にここに来た神西蓮さんのことだけど」「知らない名前だな。前にここに来たって、いつ頃の話?」「人間ではない、私の恋人。一緒にいるのは危険だからって、私をここに置いて帰ってしまったでしょ?」父の記憶は消えない気がしていた。だって天使と結婚した人だし、私の……父だから。「お母さんが実は天使で、亡くなる前に、私が恋に苦しむことがあったら助けてやってほしいって。それで、蓮さんを連れてくることも予言してて……」「待ちなさい。……いったい何の話をしているんだ?」「お父さん、覚えてないの……?」父からも、蓮の記憶が抜け落ちているなんて……「それとお母さんが天使だったって……夢でも見てるのか?」「まさか……っお父さん、お母さんのこと、忘れちゃったの?」リビングには変わらず、母の写真を飾ったテーブル、そして季節の服も……「忘れるわけないよ?……今も恋しくて、あぁやってお母さんのスペースを整えているのは、今に始まったことじゃないだろ?」困ったような笑みを浮かべる父。心配そうな視線が、自分を包んでいる。「それじゃ、お墓は?お母さん……どうしてお墓がないの?」「それは……前にも言ったろ?クリスチャンだったから、いろいろと任せなくちゃならなくて」口ごもる父の言葉を聞いて、何か隠していると感じる。けれど……今問い詰めても何も言ってくれないだろう。凛花は肩を落とし、父から視線を外しながら言った。「仕事、忙しいだろうけど……
「……あれ、蓮さん?」異変に気づいたのは、翌朝のこと。昨夜出張から帰宅して、同じ時間にベッドに入り、一緒に寝たはずの蓮がいない。先に仕事に行ったのかな……そんな話はしていないけど。起きて寝室のドアを開けて……愕然とした。蓮のマンションのはず……なのに、寝室のベッド以外、家具や家電のたぐいはすべてなくなっている……慌ててもうひと部屋を覗くと、昨夜はあったはずの蓮のスーツが、何もかもなくなっていた。「昨日帰って……蓮さんはここに持っていったスーツを戻した。……ワイシャツは洗濯機に入れて、スーツケースもこの部屋に置いたはずなのに」まるで、何年も使われていないかのような、淀んだ空気の匂いまでする。凛花はよろけるように洗面室に行った。……ない。洗濯機が、乾燥機、鏡の前に置いた化粧品も、お揃いで買った歯ブラシも……「どうして、こんなことに?」広いだけの空間と化したリビング、冷蔵庫や電子レンジ、ケトルや皿も……すべて消えたキッチン。凛花は思わず、その場に座り込んだ。これは、どういうことなんだろう……まさか、蓮さんのタイムリミットがやってきて、冥界に行ってしまったとか……思いついたら、いても立ってもいられなくなった。凛花は急いで玄関を出て、めぐみの部屋を目指す。玄関の外は、いつもと同じ空間のはずなのに、いつもより暗く感じた。めぐみの部屋に到着するまでに、その理由に気づく。……廊下を照らす明かりがどこにもついていないのだ。どの部屋もドアは錆つき、床も管理人が掃除しているとは思えない荒れ果てた様子。「めぐみさん、まだ出勤してませんか?……鮫島くん!」ドアをノックして声をかけてみるも、返事はない。ドアノブに手をかけてみると、開いているようだ。「めぐみ、さん……?ちょっと、入りますよ?」恐る恐るドアを開けて……驚いた。とても、人が住んでいるとは思えない室内。「どうして……たった一晩で、いったい何があったの……」この状況を見て、もう認めないわけにいかなくなった。このマンションはすでに廃墟化している。……昨夜までは確かに、愛する人と過ごす大切な場所だったのに。急に恐ろしさが身を包んだ。思わず自分の姿を見下ろして、なんとか外を歩ける格好であることを確認する。このまま実家に帰ろうかと思った。けれど携帯を持っていないことに気づく。そこでもう
「どうして?……蓮さんが熱いなんて、おかしいんじゃないですか?」「そうだな。……俺もこんな風になるのは初めてだが」体が熱い証拠だろう。頬を赤く染めている蓮なんて初めて見る。……体調が優れないということはなさそうなので、レアな蓮をつい、ニヤけながら見つめてしまった。「あれ?アミルさんは?」そこでふと、自分達以外の人の存在を思い出す。「あぁ、それならさっき蒸発した」「蒸発って…この場から姿を消すとか、そういう意味ですよね?」そう信じたい、と思った。煙になって消えるなんて、まるで魔法のランプじゃないか……少し心配になってしまう自分は、お人好しなんだろうか。つい今しがた、喉元を持ち上げられ、危うく命が奪われかねなかったのに。「いや、紛れもなく蒸発だ。固体が液体になって、やがて蒸気になるってアレだ。跡形もなくなるやつ」「……なんでもないことみたいに言いますね」「いや、たいしたもんだ。アミルをあそこまで本気にした人間は、凛花が初めてだからな」……ということは、私は決闘その1に勝ったということ?「どうした?笑顔が見えないようだが?」「いえ、なんだか実感がわかなくて……」このときからきっと、目に見えない不安を心で捉えていたのかもしれない。あっけない勝利……そして今度こそ本当に、死神最高幹部と戦うことができるのか……蓮と永遠に結ばれるために。「とりあえず、今日は休もうか。明日は朝イチでイベントだ」「あ、そうでした……!」今回こちらで販売される商品を、広く一般にアピールし、その結果を分析することになっている。イベントの運営には、私と鮫島も同行することになっていて、普段のデスク業務とは違う仕事に、少しだけウキウキしていた。「それじゃ、お風呂の支度してきますね」「あぁ、悪いな」パソコンを取り出した蓮に代わり、バスルームへ行こうとして、ふと思った「今日お風呂に入ったら、蓮さんの体……ピンク色になるんでしょうか?」「……ピンク?」それだけのことで、何やらスイッチが入ってしまったらしい。パタン、とノートパソコンを閉じ、凛花に向かってくる蓮。「俺がピンク色に染まる過程を見たいだろ?」「そ、それは……まぁ」「じゃあ決まりだな」手を引かれ、洗面室のドアを閉められた。その先に、バスルーム。2人でお風呂に入って、そこで恋人らしい秘め







