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時哉たち父子三人が梨央の前に現れることはもうなかった。だが、この夏休みの間、彼らは毎日常盤通りへ行った。ただ遠くから、梨央の姿を一目見るだけで満足していた。梨央の毎日は以前にも増して忙しく、充実していた。首都に展開したチェーン店数軒も、すでに全店が軌道に乗り始めていた。夏休みが終わりに近づいた頃、梨央は勇人を連れて雲都へ戻る手筈を整えていた。その直前、彼女は時哉たち父子三人を呼び出した。一つの封筒が時哉の前に押し出された。梨央がゆっくりと口を開いた。「これは、悠樹と拓海の養育費よ」父子三人の目に宿っていた微かな光が完全に消え去った。時哉が封筒を開けると、中にはキャッシュカードが一枚入っていた。悠樹はそのカードを見て、突然立ち上がった。その少年の声には怒りがこもっていた。「あなたのお金なんか要らない。どうせ僕たちを捨てるんなら、今更お金だけ渡して、いい人ぶるなよ!」拓海は唇を固く結び、呼吸を乱していた。その瞳は涙で潤んでいた。「お父さんだって僕たちを養える。僕たち、お金は要らない。だから、お母さん……」彼はそれ以上、言葉を続けられなかった。彼は梨央に態度を変えてほしかった。時々でいいから、会いに来てほしかった。だが、それが不可能であることもわかっていた。時哉は唇を固く引き結び、梨央の冷淡な視線を受け止めると、悠樹の手を引いて着席させた。時哉は梨央を見た。その口調には祈るような響きがあった。「君は定期的にこの子たちに会ってはくれないか。君の時間はそんなに取らせないから……」梨央は首を横に振った。その静かな冷たさは、相手の心まで凍らせるほどだった。「生活費は、私に課せられた扶養の責任よ。あなたたちがそのお金を使おうが使うまいが、私は必ず払う。私はもうすぐ結婚するの。これから私自身の新しい人生が始まるわ。私たちはこれからお互いに干渉しない。それが一番よ」梨央の視線が悠樹と拓海に落ちた。「あなたたちのこれからの人生が順調であるように祈ってるわ」梨央はそう言うと立ち上がり、カフェを出て行った。父子三人は数秒間、動けなかった。梨央の姿がどんどん遠ざかっていった。彼女が横断歩道を渡ろうとしている時、悠樹と拓海が突然、席を蹴って駆け出した。梨央の姿を追い、道路に飛び出した。時哉の心臓が激しく跳ねた。彼もまた後を追
梨央と蓮也は正式に付き合うことになった。まだ首都にいるうちに、梨央は蓮也を連れて実家へ帰り、両親に紹介した。梨央のビジネスパートナーなので、正志と静江は蓮也をとても気に入った。だが、娘が一度辛い目に遭っているだけに、やはり不安は拭えなかった。そこで二人は彼の身の上について詳しく尋ねた。蓮也は二人の懸念を察し、笑顔で答えた。「おじさん、おばさん。僕の両親は僕が幼い頃に亡くなりました。ですから、身内はもう僕一人です。僕自身のことはすべて僕の一存で決めることができます。梨央さんには決して辛い思いはさせませんので、ご安心ください」梨央が笑って言葉を継いだ。「お父さん、お母さん、心配しないで。私はもう二度と自分を我慢させたりしない。どんな時でもやり直す勇気があるから!」勇人が歩み寄り、梨央の腰に抱きついた。「どんな時でも、僕がお母さんのそばにいる!」皆が笑い出した。正志と静江は今やまるで生まれ変わったかのような娘の姿を見て、その笑みには安堵が浮かんでいた。蓮也は梨央を見つめ、その目には賞賛と愛情が満ちていた。あの日以来、時哉が姿を見せることはなかった。だが勇人はその翌日から、どこか元気がなく塞ぎ込んでいるようだった。彼はよく不安そうな目でおどおどと梨央を盗み見ていた。梨央の視線が彼に向かうと、彼は慌てて目をそらした。梨央はすぐに異変に気づいた。彼女が何度も尋ねると、勇人はようやく服の裾を握りしめ、不安そうに口を開いた。「お母さんが蓮也さんと結婚したら、僕のこと、もういらなくなっちゃうの……」勇人の声は恐怖に震え、目には涙が浮かんでいた。梨央は胸が締め付けられ、勇人を抱きしめた。「そんなことないわ、勇人。私があなたを養子にしたのは、本気であなたのことを本当の息子だと思ったからよ。あなたが私を傷つけるようなことをしない限り、私は永遠にあなたを捨てたりしない!」「本当?」勇人の声はまだ震えていた。「でも、お母さんが蓮也さんとの間に自分の子供を産んだら、僕のこと、好きじゃなくなっちゃうよ……」梨央は眉をひそめ、勇人の肩を掴み、彼の目を見つめた。「そんなこと、誰に言われたの?」勇人は目を伏せ、か細い声で答えた。「悠樹と拓海だよ。あの二人が言ったんだ。養子なんて本当の息子には敵わないって。彼ら二人こそがお母さんの本当の息子な
あの後、時哉たち父子三人から何の音沙汰もないまま数日が過ぎ、梨央の首都での第二号店がオープンした。三人は開店祝いの花を贈った。梨央が目が回るほど忙しく立ち働き、小さな勇人も客の応対を手際よくこなしているのが見えた。三人も店に入り、手伝いを申し出たが、梨央に追い出されてしまった。挫折感を味わっていると、長身で冷ややかな雰囲気をまとった一人の男が彼らとすれ違って店に入っていった。時哉は無意識のうちに眉をひそめ、振り返った。「梨央」男が声をかけた。その冷たい声にはどこか優しさが含まれていた。梨央は無意識に顔を上げ、その目に笑みが宿った。「あなたも来てくれたのね」桐山蓮也(きりやま れんや)は、自然に梨央の隣に立ち、彼女がやっていた商品の整理作業を引き継いだ。二人は視線を交わして微笑み合い、梨央は客の応対へと向かった。勇人が蓮也の姿を見つけ、嬉しそうに駆け寄ると、彼の足に抱きついて甘えた。「蓮也さん!会いたかったよ!」三人の間の雰囲気は温かく自然で、まるで仲睦まじい家族そのものだった。目の前の光景は時哉を深く打ちのめした。彼は息を呑み、拳を無意識のうちに固く握りしめた。悠樹と拓海も目を赤くし、拳を握りしめて店に飛び込もうとしたが、時哉がいち早く、それを制止した。三人は車の中に残り、その場から離れなかった。蓮也が加わったことで、梨央はずいぶん楽になったようだった。勇人も手が空き、彼女の周りをうろついていた。勇人は忙しそうに働く蓮也の姿を見つめ、梨央の手を引いてしゃがませると、彼女の耳元に顔を寄せ、いっちょまえな口ぶりでささやいた。「お母さん、いつになったら蓮也さんの気持ちに応えるの?早く結婚すればいいのに」梨央は笑って彼の鼻先をつまんだ。答えはしなかったが、蓮也を見つめるその目には優しさがあふれていた。今日は梨央の誕生日だった。蓮也は二人きりでロマンチックなディナーができるよう、フレンチレストランの個室をあらかじめ押さえておいた。勇人はすでに梨央の実家へ送られていた。個室の中、二人は仕事や日々のことを語り合い、時折、視線を合わせては微笑み合った。その雰囲気は自然で甘いものだった。蓮也はナイフとフォークを置くと、美しいギフトボックスを取り出し、ダイヤモンドのネックレスを取り出した。「梨央。今日で僕た
梨央のアパレルショップ「若葉」はブランドチェーンで、以前は主に西地方で販路を拡大しており、常盤通りのこの店は彼女が首都に出す第一号店だった。この夏休み、梨央は首都に残ることにしていた。常盤店の状況を把握する傍ら、他にもいくつかの良い立地と物件に目星をつけ、交渉や内装の準備を進めていた。梨央は多忙で、毎日店に出ているわけではなかった。だが、彼女が店にいる日には、決まって悠樹と拓海が店の入り口で見張るように立っていた。店長が眉をひそめて報告した。「桜庭さん。あの子たちですが、毎日ああして店の入り口に立っていまして……こちらからお引き取りをお願いしても、なかなか動いてくれず、桜庭さんに御用があると繰り返すばかりです」梨央は頷き、手元の作業を続けた。昼食の時間になっても、二人は帰る気配がなく、昼食も食べに行こうとしなかった。ただ、ショーウィンドウ越しに可哀想な様子で彼女を見つめていた。梨央はついにため息をつき、二人の前へと歩み出た。「お母さん!」悠樹と拓海の顔がぱあっと明るくなった。「ご飯、行くわよ」梨央は先に立ち、二人を隣のレストランへ連れて行った。昼時で混雑していたが、空席を二つ見つけ、二人を座らせた。梨央がカウンターで定食セットを二つ注文し、食事を待っていると、悠樹が彼女の手を引いて席に座らせようとしたが、彼女はそれを断った。食事を受け取ると、梨央は二人のテーブルにそれを置いた。不安そうにしている二人を見て、小声で言った。「食べ終わったら、まっすぐ帰りなさい。もう二度と来ないで」梨央はそう言うと、二人の反応も見ずに、踵を返して店に戻った。悠樹と拓海は目を赤く潤ませ、目の前の食事を見つめていた。こみ上げてくるもので喉がひどく詰まり、とても飲み込めそうになかった。悠樹が先にハンバーガーを掴み、大きな口でかじりつき、無理やり飲み込んだ。拓海も、母親が買ってくれた食べ物を口にしたが、砂を噛むようだった。二人は黙ってうつむいていた。周りの喧騒が嘘のように、その一角だけが重く沈んだ空気に支配されていた。昼食を終えて店に戻った時、梨央はもういなかった。二人はまた夜まで待った。時哉が仕事帰りにやって来たが、やはり梨央には会えず、三人はうなだれて家に帰った。夕食の席だったが、父子三人は何を口にしても、まった
この時、十歳くらいの男の子が店に飛び込んできた。悠樹を突き飛ばし、両腕を広げて梨央を背後にかばった。その子は目の前の三人の男たちを真っ直ぐに睨みつけ、ごくりと唾を飲んだ。梨央を振り返って小声で言った。「お母さん、怖がらないで。もし殴り合いになったら、お母さんはすぐに走って警察を呼んで!僕、喧嘩は強いんだから!」梨央は自分をかばうように立ちはだかる桜庭勇人(さくらば はやと)の姿に、胸の奥がじんわりと温かくなるのを感じた。梨央は勇人の手を握り、彼を安心させるように笑いかけた。「大丈夫よ、勇人。この人たちは私の知り合いだから……」悠樹と拓海は燃え上がるような憎悪を込めた目で勇人を睨みつけ、歯を食いしばりながら怒鳴った。「お前は誰だ!僕たちこそがお母さんの本当の息子だ!」時哉も歯を食いしばり勇人を睨みつけていた。怒りに震える悠樹と拓海を背後に引き寄せ、低い声に怒りを滲ませた。「梨央、悠樹と拓海こそが君の本当の息子だ。そいつは一体、誰の子なんだ?もしかして君は再婚したのか?」勇人は咄嗟に梨央の顔を見た。この人たちが母親の言っていた「元夫」と「その子供たち」なのだと察した。勇人は再び梨央を背後にかばい、一歩も引かずに大声で言い返した。「お母さんが再婚したかどうか、おまえたちに関係ないだろ!僕はお母さんの養子だ。これからは僕がお母さんを守る。おまえたちは早く帰れ、二度とお母さんをいじめに来るな!」「お母さん!僕たちを捨ててまで、よその子を養子にする気なの!」悠樹が目を赤くして問い詰め、拓海も憤慨した顔で梨央を見ていた。その視線は非難の色に満ちていた。時哉の目にも痛ましさと理解できないという色が浮かんだ。梨央は笑って、勇人の頭を撫でながら言った。「ええ、私は勇人のことが大好きよ。これからこの子が私の本当の息子だわ。あなたたち三人はもう私とは何の関係もない。二度と私の邪魔をしに来ないで」悠樹と拓海の目から、再び涙がこぼれ落ちた。心臓を無情に鷲掴みにされたかのように、息が詰まった。時哉は息を呑んだ。胸の上にずっしりと重い石を置かれたかのような圧迫感だった。時哉は前に出ようとする悠樹と拓海を引き止め、低い声で言った。「梨央、君がまだ怒っているのはわかる。お互い少し冷静になろう。日を改めて、もう一度しっかり話がしたい」父
時哉の前に並んでいた悠樹と拓海が振り返り、時哉が隣のアパレルショップに駆け込んでいく姿をちょうど目にした。二人は一瞬のためらいも見せず、父の背中を追って走り出した。ガラスのドアについたベルがカランカランと軽やかな音を立てた。「いらっしゃいませ」「梨央!」「お母さん!」時哉と悠樹と拓海が梨央の真正面に立ち、彼女をじっと見つめた。すると梨央の笑顔が瞬時に凍りつき、ゆっくりと消えていった。父子三人の目はみるみるうちに涙が溢れた。時哉が梨央の腕を掴み、外へ引っ張り出した。その声はかすれていた。「梨央……君はなんて酷いんだ」「お母さん、僕たちはお母さんに会いたかったよ……」梨央は視線を時哉の上で滑らせ、悠樹と拓海の上で一瞬だけ留めたが、すぐにすっと外した。梨央の表情には何の波風も立っておらず、その声は他人行儀で、礼儀正しかった。「申し訳ありませんが、当店はレディース専門です。どうぞ、ご退店ください」悠樹と拓海は全身を震わせ、信じられないという目で梨央を見つめた。時哉は唇を固く引き結び、複雑な眼差しを向けた。「梨央、君は……」時哉が言い終わる前に、入り口のベルが再び鳴った。梨央は踵を返し、新しい客の応対に向かった。三人にはもう一瞥もくれなかった。悠樹と拓海が前に出ようとしたが、時哉に止められた。三人は店の隅に立ち、貪るように梨央の姿を見つめた。オープン初日とあって、客はひっきりなしに訪れた。梨央と二人の店員は目が回るほどの忙しさだった。父子三人はやがて客の流れに押されるようにして、店の外へとはじき出された。だが、三人はその場を去らなかった。時哉が何か食べ物を買ってきて、三人は店の外で夜になるまで待ち続けた。やがて店が閉店時間を迎え、店員たちが先に帰っていった。梨央がその日の売上を確認していると、時哉が二人の子供を連れて再び店に入ってきた。今度は三人とも、かける言葉が見つからなかった。今の梨央は三年前のあの疲れ切って生気もなかった専業主婦とは別人だった。彼女は揺るぎない存在感をまとい、その自信は内から溢れ出るかのように輝いていた。まるで、埃を払われて本来の光を放ち始めた宝石のようだった。そんな梨央の姿に、時哉は心を奪われると同時に胸を締め付けられた。心に渦巻く感情が最終的にただ一言になった