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第5話

Author: 朱音
「ふぅ……」舞来が満ち足りたような吐息を漏らした。

「星山社長の体、あったかい……っ」

その瞬間、和葉の世界は音を立てて崩れ去った。

閉まりきらないドアの隙間の向こうで、ふたりが素肌のまま抱き合っていた。

暁人は舞来をきつく抱きしめていた。肌を重ね、体温を分け合うその姿は、まるで本物の夫婦のようだった。

ふと、ずっと昔のことを思い出した。暁人は、他人に触れられるのをひどく嫌う人だった。

一度、会社の女性アシスタントがうっかり暁人の手に触れたことがある。彼はすぐさま手を3回も洗いに行き、戻ってくるなり顔をしかめて言った。

「和葉、お前以外の人間に触られると、どうにも気味が悪いんだ」

それが今、舞来のためなら迷いなく服を脱ぎ、自らの肌で彼女を温めている。

口の中に血の味が広がるまで、和葉は唇をきつく噛みしめていた。

踵を返して救急外来で解熱剤を出してもらうと、ひとりで家に帰った。

その夜は、たくさんの夢を見た。

夢に出てくるのは、16歳の暁人ばかりだった。

放課後、校則で寄り道は禁止されていたのに、こっそりコンビニまで行って、和葉の好きなミルクティーを買ってきてくれた暁人。

バスケットコートの真ん中で「和葉、好きだ!」と叫んだ暁人。

雪の中でひざまずいて「結婚してくれないか」と言った暁人。

やがて16歳の暁人は16歳の和葉の手を引き、どんどん遠ざかっていく。そしてすべての思い出が、風に吹かれて散っていった。

……

暁人が帰ってきたのは、それから3日後のことだった。

リビングで目が合った瞬間、空気が凍りつく。

和葉が2階へ上がろうとすると、暁人がその手首をつかんだ。

「和葉、海に落ちたときのこと、ちゃんと説明させてくれ……」

「彼女を選んだのは、お腹に子どもがいるからでしょう」

和葉は静かに言葉を遮った。

「わかってる」

暁人は一瞬きょとんとしたが、すぐに安堵の息をついた。本当に気にしていないのだと思ったらしい。

彼は微笑んで、口調も軽くなった。

「わかってくれてるならよかった。そうだ、もうすぐ誕生日だろ。盛大にパーティーを開こう」

和葉が断ろうとしたときにはもう、彼は手を離し、電話で手配を始めていた。

誕生日パーティーの当日は、例年どおりの華やかさだった。

シャンデリアがきらめき、シャンパンタワーが光を弾き、招待客たちが次々とグラスを掲げて祝いの言葉を贈る。

けれど、暁人の心が和葉に向いていないのは明らかだった。

何度もスマホに目を落としては、しきりにメッセージを返していた。

考えるまでもない。舞来と、お腹の子のことが気がかりなのだ。

案の定、パーティーがまだ終わらないうちに、暁人が足早に近づいてきて耳打ちした。

「すまない、会社で急ぎの用ができた。先に抜けるよ」

和葉は何も言わず、去っていく背中をただ静かに見送った。

自分ももう帰ろうと立ち上がりかけたとき、スマホが震えた。

知らない番号からのメッセージだった。

【和葉さん、お誕生日おめでとうございます。でも残念ですけど、あなたの誕生日なんて、誰も本気で気にしてないみたいですね】

添付されていたのは、1枚の写真。

写っていたのは、「会社」へ向かったはずの暁人だった。場所は、別のパーティー会場。

今日は、舞来の誕生日でもあったのだ。

暁人が慌ただしく抜け出したのは、別の女の誕生日を祝うためだった。

【見に来てくださいよ】

舞来からのメッセージがまた届く。

【私のパーティー、すぐ隣の会場なんです。サプライズも用意してますから】

和葉はそのまま帰るつもりだった。なのに足が勝手に、隣の会場へ向かっていた。

ドアを押し開けた瞬間、雷に打たれたような衝撃が走った。

暁人がうつむき、舞来のお腹を優しく撫でている。その眼差しは、目に刺さるほど優しかった。

暁人の両親は、艶やかな大粒の真珠が連なるブレスレットを、舞来の手首につけようとしているところだった。

「舞来ちゃん、これはね、星山家のお嫁さんに代々受け継がれてきたものなの。星山家の子を身ごもって、いろいろ大変だったでしょう。

私たちにとって、星山家の嫁はあなたよ」

頭から冷水を浴びせられたように、和葉の全身が震えた。

忘れるはずがない。かつて和葉の手首にあった、あのブレスレットだ。

初めて暁人に連れられて星山家へ挨拶に行ったとき、義父母も同じように和葉の手を取り、優しく言ったのだ。

「和葉、これは星山家のお嫁さんに代々受け継がれてきたものなの。これからはあなたに持っていてもらいたいわ」

けれど、和葉に子どもが望めないと分かってから、義父母が以前のように笑いかけてくることはなくなった。

やがてブレスレットも、「家で保管しておきたいから」と遠回しに返却を求められた。

そのブレスレットが今、舞来の手首で静かに輝いていた。

和葉は立ち去りたかった。けれど足が根を張ったように、一歩も動かない。

そのとき、暁人がふいに顔を上げた。人波の向こうから、その視線がまっすぐ和葉の目を射抜いた。

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