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第8話

Author: 朱音
満足げに暁人の腕を取った舞来は、式の流れを確認するため、祭壇への階段を上がっていった。

だが、彼女が振り返ったその瞬間。

ビリッ!

ドレスのウエストラインが突然裂けた。次の瞬間、ドレス全体が雪崩のように崩れ落ちた。

悲鳴を上げた舞来は慌てて裾を押さえようとしたが、足を踏み外し、そのまま階段を転げ落ちていった。

「舞来ーッ!」

暁人は血相を変えて駆け寄り、彼女を抱き起こした。すぐさまジャケットを脱いで、露わになった体を包み込む。

だが、もう遅かった。リハーサル会場には記者たちが詰めかけていた。無数のフラッシュが嵐のように焚かれ、ほとんど裸同然の姿で転げ落ちた舞来は、一瞬で写真に収められた。

その日のうちに、【#星山グループの花嫁、公衆の面前で半裸に】【#菅沢舞来、挙式リハーサルで大失態】といったハッシュタグが、SNSのトレンド上位を独占した。

病院は、大混乱に陥っていた。

和葉がボディーガードに無理やり病室へ連れてこられたとき、暁人は窓辺に立っていた。指には煙草が挟まれ、灰皿には吸い殻が山のように積もっている。

振り返ったその目には、痛みの色が浮かんでいた。

「和葉、お前、どうかしてるんじゃないか?」

和葉は静かに見返した。

「何のこと?」

「ドレスのことだよ!」

暁人は煙草を乱暴に灰皿へ押しつけた。押し殺した怒りが、声の底でくすぶっている。

「本当にもう気にしてないんだと思ってた。なのに、ドレスに細工するなんて!」

和葉は一瞬ぽかんとして、それから笑った。

「は……私がやったと思ってるの?」

「お前以外に誰がいるんだ!」

暁人は和葉の手首を強くつかんだ。

「人前であんな恥をかかせるなんて、最低のやり方だろ!

しかも、舞来のお腹には俺の子がいるんだぞ。大量に出血して、赤ちゃんまで危ない状態なんだ。

舞来はお前と同じ珍しい血液型で、病院の血液だけじゃ足りない。お前、今すぐ献血してくれ」

激昂する彼の顔を見ていると、和葉はあまりの馬鹿馬鹿しさに可笑しくなった。

問いただしもせず、暁人は最初から自分の仕業だと決めつけている。

「私じゃない」と言いかけて、和葉は口をつぐんだ。どうせ断ったところで、力ずくで連れていかれるだけだ。

もうすぐ、ここを去る。今さら余計な波風は立てたくなかった。

和葉は目を伏せ、小さく言った。

「……ええ、いいわ。献血すればいいのね」

静まり返った病室での採血は、ひどく長く感じられた。

ベッドに横たわり、真っ赤な血がチューブを伝って流れ出していくのを見つめる。一滴、また一滴。これまで暁人に注いできた愛情までが、一緒に抜き取られていくようだった。

そこへ、暁人の両親が慌ただしく駆けつけてきた。病室に入るなり、和葉を指さして怒鳴りつける。

「この毒婦!ドレスに細工なんかして、舞来ちゃんに恥をかかせたうえに病院送りにするなんて!危うく母子ともに命を落とすところだったのよ、これで満足!?」

和葉は青ざめた顔で、弱々しく言った。

「ドレスには、触ってもいません……」

「黙れ!」

暁人の父が鋭く遮った。

「証拠は揃ってるんだ。まだ言い逃れする気か!」

美郷はきっぱりと命じた。

「誰か!この女を連れていって、星山家のしきたり通り、厳罰に処しなさい!」

暁人は傍らに立っていた。拳を握りしめる手が、かすかに震えている。けれど結局……

ひと言も発しなかった。

和葉は仏間の畳の上に正座させられていた。

背中に竹刀が振り下ろされるたび、鈍い痛みが走り、背中には腫れ上がった痕が幾重にも重なっていく。

和葉は唇をきつく噛みしめ、声だけは上げまいと必死にこらえた。

それでも、涙だけは止めることができなかった。

ふと、遠い日の記憶が蘇る。

初めて暁人に連れられて星山家の本家を訪れた日のことだった。

暁人は和葉の手をしっかりと握り、どこか誇らしげに両親へ告げたのだ。

「この子が武内(たけうち)和葉。俺が結婚したい人だ」

あのころ、義父母はどれほど優しくしてくれたことか。

それが今では、死ねばいいとさえ思っているのだろう。

最後の一撃が振り下ろされたとき、和葉はついに耐えきれず、意識を失った。

目を覚ますと、ゲストルームのベッドに寝かされていた。背中が焼けつくように痛む。

ベッドの脇に座っていた暁人が、和葉が目覚めたのを見て、険しい顔で口を開いた。

「子どもはなんとか無事だった。でも舞来はひどく情緒不安定になっている……俺が間違ってた。ひとつ屋根の下で波風立てずにやれるなんて、期待するべきじゃなかったんだ」

暁人は1枚の航空券を取り出し、枕元に置いた。

「父さんと母さんが、ほとぼりが冷めるまで海外に行っていてくれと言っている。舞来が出産を終えたら、戻ってくればいい」

その航空券を見つめて、和葉はふっと笑った。

明日は、暁人と舞来の結婚式だ。

きっと、騒ぎを起こされるのが怖くて、急いで自分を遠ざけたいのだろう。

和葉は何も言わず、手を伸ばして航空券を受け取った。

暁人はほっと息をつき、少しだけ口調を和らげた。

「とりあえず、ゆっくり休めよ。舞来が出産を終えたら、迎えに行くから」

和葉は彼に背を向けたまま、小さく「うん」とだけ答えた。

翌日、ネットやワイドショーは暁人と舞来の結婚式の生中継で持ちきりだった。

和葉の出国手続きも、ちょうど完了した。

彼女はスーツケースを引いて、空港のロビーに立ち、暁人から渡された航空券に目を落とした。

行き先はS国にある、静かで小さな町だった。

和葉はその航空券をふたつに裂き、ゴミ箱に捨てた。

そして、新しいチケットを買い直した。

片道切符。行き先は、D国。

搭乗を待つ間、空港の大型ビジョンには暁人の結婚式が映し出されていた。

隙のないスーツ姿の暁人。純白のドレスに身を包み、花が咲いたように笑う舞来。

ふいに、いくつもの光景がよみがえった。

16歳のあの日、バスケットコートで「和葉、好きだ!」と叫んだときの、真っ赤になった顔。

22歳の誕生日、雪の中に片膝をつき、指輪を差し出して「結婚してくれないか」と言ったときの、震える声。

25歳の結婚式、ベールを上げ、目を赤くして「和葉、俺が生涯愛するのはお前ひとりだ」と誓ったときに、頬を伝った涙。

和葉はかすかに微笑み、搭乗口へと歩き出した。もう、一度も振り返らなかった。

……

その時、式場の赤い絨毯の上に立つ暁人は、なぜか胸騒ぎが収まらなかった。

「それでは、新郎新婦による誓いのキスを」

暁人は眉をひそめ、冷ややかに問いただした。

「その演出はなしにすると言ったはずだが?」

司会者が答えるより早く、秘書が真っ青な顔で壇上に駆け上がり、彼の耳元で何事かを囁いた。

暁人の表情が、その場で凍りついた。

彼は秘書の襟首をつかみ上げた。声が震える。

「……今、なんて言った。もう一度言ってみろ!」

秘書は震える声で答えた。

「た、ただいま連絡がありまして……和葉様がお乗りになったS国行きの便が……墜落したと……乗員乗客178名……生存者は、いないそうです……」

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